終幕






「なるほど。こちらの思惑通り、事は運んだということか」
 ルーリックは第二軍の被害報告を眺めて、呟く。
「死者七五四二名、重傷者二一一四名。死者と重傷者の数が逆のような気もしますが、死者のうち五千強が、爆破された砦の下敷きになったことを考えると、妥当な数字なのでしょうね」
 アイレスは顔を曇らせながら答える。
「うむ、後の問題は」
「ヴァール殿のことですね」
「さすがに行方不明と取り繕うしかないか。それとも前線に出て討たれたと報告するか……倒さないなら倒さないなりに、倒せば倒したなりに面倒をかける奴だ」
 だが、ルーリックはそのこと自体を悲観したことはなかった。それよりも自分たちの力がまだまだ足りないということを痛感させられ、それを今後どう処置するかの方に頭が回っていた。
 そしてもう一つ。あの後、ウィルザがどうしているのか、それが気がかりであった。反乱軍の情報は全く入ってこない。自分たちと手を組まないと宣言した以上、派遣したミレーヌのことも気になっている。追放か、それとも処断されているか。
 だがそれ以上に、自分の罪を粛清してくれる者。ウィルザの存在はいまや、ルーリックにとってなくてはならないものであった。
 いつの日か、彼に殺されるために今自分は生きている。
 だから、彼が無事でないのならば、自分が生きていることの意味が薄れてしまう。
「……無事で」
 自分の命を狙う者の無事を願うなど、馬鹿げた話だな、とルーリックは苦笑した。






「とりあえず、全員──何人かの仲間は失われたが、ほとんどの者が生還してくれたことを、まずは喜んでおこう」
 ウィルザは新しい拠点となったヴェルフォアの会議室に、部下たちを集めて最初の演説を行っていた。
「まず言っておかなければならないことがある。今回の戦いで、我々の参謀としてこれまでずっと働いてくれていたセリアが亡くなった。故人の冥福を祈ってほしい」
 部下たちは一斉に頭を垂れた。誰もがセリアのことが好きだった。人好きのする性格と、その能力。嫌われる要因などどこにもなかった。だからこそ、その死が悼まれたのだ。
「そしてもう一つ、言っておかなければならないことがある。ミレーヌ」
「ああ」
「お前は、帝国軍のスパイだ」
 会議室がざわめく。
「正確には帝国第二軍将軍ルーリックの、な。ルーリック将軍は帝国に反旗を翻すつもりだ。そのため我々反乱軍と同盟を組みたがっている。だが我々は、少なくとも私は、その同盟を締結するつもりはない。この点について他の者の意見はどうだ。たとえ帝国に対して反乱を起こそうとしているとしても、一時は帝国に与して民間人を虐殺している連中と手を組んで、安心して背中を預けられるかどうか」
 否、と誰もが口にしたかったであろう。だが、それを口にすることはすなわち、ミレーヌの処分が決定するということになる。
 新しい拠点を、ルーリック将軍に知られるわけにはいかない。その処分はすなわち、死。
「口にするのははばかられるであろう。全員、金と銀のコインを持て。ルーリック将軍と同盟を組みたい者は金、そうでないものは銀のコインを、この箱に入れるんだ」
 ウィルザは自ら、手の中に握ったコインを一枚、投じる。
 それに続いて、ゆっくりと会議室が動き始めた。誰もが、ミレーヌと目を合わせないようにして、コインを投じていった。
「ミレーヌは?」
 一応、尋ねる。だが彼はゆっくりと首を横に振った。
「よろしい、では開く」
 箱を開くと、そこには綺麗に銀色のコインが揃っていた。
「決定した。ミレーヌ、お前を処刑する」






(随分、遅くなってしまったな)
 帝都。ルーリックといつものように今後の方針を検討しあったあと、アイレスはティアラの部屋を訪れていた。いつものように護衛の女騎士に案内され、中に入る。
「お久しぶりです、というほどには時が移っていらっしゃいませんか?」
「ちょうど、月が一度満ちて欠けるくらいかと」
「この間も、夜中にいらっしゃいました」
「申し訳ありません。この間は時間がその時しか取れず、今は一刻も早く、姫にお会いしたかったので」
「まあ」
 ティアラの白い肌が紅潮する。
「嬉しゅうございます」
「夜分に申し訳ないとは思ったのですが」
「いいえ、アイレス殿がいらっしゃることほど私にとって嬉しいことはないのですから」
 アイレスはいつもの位置に畏まる。そしてはっきりと顔を上げ、言った。
「姫、自分と結婚していただきたい」
 その丸い大きな瞳が、ますます大きく見開かれる。
「この間お話しした、セリアと再会いたしました。そのセリアが申したのです。好きな奴がいるなら放っておくな。失ってからでは遅い、今を大切にしろ、と」
「……」
 ティアラは答えなかった。アイレスはさらに続けた。
「自分は無骨者ですし、姫を幸せにすると約束することはできません。戦場でいつ命を落とすかもしれません、その時は姫を悲しませてしまいます。ですが、それでも自分はあなたと共にいたいのです、姫」
「セリアさんは」
「……亡くなりました。自分の責任です」
「そうですか」
 ティアラは悲しげな表情を浮かべて、椅子から立ち上がった。
「辛いのですね」
「……」
「大切な方を失われて、一人で、辛いのですね」
「姫」
「私では、セリアさんの代わりになることはできません」
「代わりだなどと!」
 声を荒げたアイレスを、ティアラは手で制した。
「ですが、私が傍にいることであなたの悲しみが少しでもやわらげられるのであれば」
「……姫」
「私は、あなたのものになりましょう」
 そうして、ティアラはアイレスに近づき、初めてその頭を抱いた。
「ひ、姫」
「辛かったら……悲しかったら……泣いてもよいのですよ」
 アイレスは肩を震わせた。そしてティアラにしがみついて、嗚咽をもらした。






 ラヴランの頂上、そこから少し下る。頂上からは死角となっていて決して見ることはできない場所。
 そこに、小さくみすぼらしい墓が二つ並んでいる。
 それは墓石だけ立派な気持ちのこもっていないものよりも、人の想いがこもっているという点において、はるかに心を揺さぶられるものであった。
 一つには、ルナ。
 もう一つには、セリアと刻まれている。
 時折、小動物がその傍らを通りすぎるが、当然それに何の意味があるかなど知りようもない。
 太陽と月だけが、いつまでもその二つの墓を照らし続け、少しずつ風化し、誰の目にも止まらずに朽ち果てていくのかもしれない。












 ある時、一匹の野ウサギがその墓の前で足を止めた。
 野ウサギは、じっとその墓を見つめていたが、やがてまた向こうへと駆けていった。















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