六月十一日(木)。

 五日前の使徒襲来の日に全国初披露となった飯山ミライの新曲『PRAY』のダウンロード販売が、本日開始された。
 今回の販売に関しては利益を上げることを目的としてはいない。販売手続きに伴う諸費用はかかるものの、利益に当たる部分はすべてがネルフへの援助金となる。その金額もすべて公表されることになっていた。
(やっぱり何回聞いてもいい曲)
 佐久間ユキは早速購入し、携帯で何回も聞いていた。イヤホンをしながら街を歩く。第三新東京は郊外で使徒戦があったものの、大きな被害が出た街ではない。既に日常が戻ってきている。
 もっとも、学校は大きく変わりそうだった。第三新東京が今後戦場になることが確定している現状、この町で暮らしてきた子どもたちを疎開させる親が続出する見込みだ。明日から登校日になるのだが、学校でも率先して転校を進める方針だという。
 当然のことだ。戦場になる場所にいつまでもいていいはずがない。
(でも、私はここにいたい)
 碇シンジが戦い、飯山ミライが歌ったこの場所で。
(私は何ができるんだろう)
 そんなことを考えながら、五日前にミライのコンサートがあった会場にやってきた。別にここで何かがあるというわけではない。ただ、何となく来てみたかったから来た。それだけだった。
「本当に大丈夫なんですか?」
 歩いていると、何か聞き覚えのある声が聞こえた。
「ええ。なんでも今はアメリカに出張中とかいうことで大丈夫みたい。私がついてるのは念のためってところね。ミライちゃんを狙ってるのは死徒だけとは限らないし」
(ミライ!?)
 その声がした方を見ると、そこにいつもテレビで出ている──のとはまったく違うきわめて地味な、しかし確かにテレビで見た飯山ミライがそこにいた。
「飯山ミライ」
 驚いて思わず声を出す。言われたミライもまた「え?」と言ってこちらを振り向く。それからきょろきょろとあたりを見回し、誰もいないことを確認してから小さく舌を出した。
「メイクしてないんですけど、分かっちゃうものですね」
「本当に」
 ユキはじっと見つめてから、携帯を相手に見せる。
「新曲、買いました」
「そうですか。シンジくんの応援、ありがとうございます」
 ぺこりと一礼。
「テレビも見ました。ここでやったコンサートも見ました。シェルターで流れてきた曲も聞きました」
「はい」
「感動しました。ミライさんの歌声で、みんなの気持ちが一つになった。私もシンジくんを応援します。そして、シンジくんを応援するミライさんを応援します」
 するとミライは、とても穏やかな笑顔で「ありがとうございます」と言った。
 そしてゆっくりと近づいてくるとユキの手を取る。
「お名前を教えてくれませんか」
「は、はい。佐久間ユキです」
「ユキさん。あなたのような方が応援してくれるからこそ、私もがんばることができます」
「そんな」
「応援するというのは、相手に力を与えることなんです。だから私は、全力でシンジくんを応援しようと思っています」
 その一言が、ユキの心に沁み通っていく。
 自分なんかが、ミライの力になっている。
 その言葉が逆に、自分に力をくれている。
「私、どんなことがあっても、絶対にミライさんを応援してますから!」
 ミライは強くうなずいた。
「ありがとうございます。ユキさんの気持ちに応えられるよう、がんばりますね!」
 この邂逅もまた、次の展開への重要な一手。












第弐佰陸話



力への意志












 さて、この日はいよいよ全員そろったこともあり、使徒対策のミーティングを行うこととなった。
 既にサラからの襲撃を受けたシンジであったが、もともとシンジはサラに対してそこまで悪感情を持っているわけではない。それを見ているヨシノの方が苛々する状況になっている。
 オーストラリアのゼロはマヅルとローラを同席させている。二人ともランクB適格者であり、ゼロが是非にと望んだものだ。
「さて、それじゃあ始めるわね」
 ミサトの言葉で、中央のスクリーンに表示された四体の使徒。
「便宜上、名称をつけておいたわ。あの全世界に現れた謎の少年が自分のことを『タブリス』って言ってたから、それにちなんで使徒の名前は全部天使の名前になぞらえてあるわ」
 そう前置きしてから四体の使徒をまず確認する。
「右上のが中国に現れたラミエル。正八面体の青クリスタルね」
 見た感じ、ただ巨大な置物にしか見えない。だが、これが中国ネルフを殲滅した。それも短時間でだ。
「左上はサウジアラビアに出たレリエル。白黒斑の球体ね」
 何か、ペイントで塗りつぶしたような、とても現実的とはいえない映像がそこにある。
「右下がアメリカで暴れたバルディエル。見て分かると思うけど、もともとはエヴァそのもの。アメリカに保管されていたエヴァ拾弐号機が使徒に乗っ取られたわ」
 マリィが顔をしかめる。本来ならキャシィが乗っていたはずの機体だ。それが今では、使徒のいいように操られているのがたまらなく悔しい。
「左下はフランスに出たゼルエル。見た感じ、こいつが一番強いわね」
 日本に現れたような亜人型の使徒。ミサトにそう言わせるほどなのだから相当なのだろう。
「質問」
「いいわよ、朱童くん」
「確か、確認されている使徒は五体のはずだが」
「ええ。最後の一体は技術班が担当になるからそっちに任せてあるわ。あなたたちもその使徒があられても気にしなくて大丈夫よ」
 エヴァで戦うことはないということなら、ここで議題にする必要はないのだろう。承知した、とカズマは引き下がる。
「じゃ、まずはラミエルから説明していくわね」
 中国ネルフが壊滅してはいるものの、このラミエルに関するデータはかなりそろっている。それも、エヴァンゲリオン弐拾号機が消滅したシーンの一部始終が手に入っているのが大きい。それは、ネルフのランクB適格者であった浅利ケイタが友人である霧島マナに送ったものだった。
 映像はまず、ネルフが壊滅した後の中国軍の攻撃シーンから始まった。
「中国軍もその後攻撃をしかけたみたいだけど、まるで効果がなかったわ。ちなみにこの時点でA.T.フィールドは出てないみたい。MAGIがもう死んでるから詳細は分からないけど」
「A.T.フィールドが展開されているなら、攻撃が着弾したときに光の壁が一瞬見えるはずだ。それなのに、この使徒はすべての攻撃を自分の体で受けている」
「その通りよ、ゼロくん。よく分かってるわね。というわけでそもそもこの使徒は自分の体が絶対防壁で包まれているようなもの。おまけに、このエヴァ殲滅シーン」
 次のシーンはエヴァが出撃した直後に光粒子砲で狙い撃ちされたシーンだった。
「使徒の目前に、何の対策もなくエヴァを出撃させたんですか?」
 タクヤが愕然とした顔で聞いた。
「そうみたいね。事前に軍からの攻撃もなく、エヴァの方を当て玉みたいに使ったようね」
「上層部は狂ってるな」
 カズマが吐き捨てる。全員が同感だった。
「こういう場合、その上層部が我先に逃げて助かってるとかいうパターンが多いっていうぜ」
 コウキが意地の悪い笑みで言った。
「残念ながら、その上層部もラミエルの光粒子砲で消滅しちゃったみたいね」
「そりゃ残念」
 何が残念なのか分からないが、そう言っておいた方が無難なのだろう。
「これについてはもう作戦部の判断は全員一致よ。とにかく長距離からの射撃でコアを仕留める。これしかないわ」
「あの防壁を?」
 カズマが口にする。
「ええ。もちろん、それには莫大なエネルギーが必要よ。日本でやるなら、日本列島すべてのエネルギーを集中させないと無理ね。あと、そのエネルギーを蓄えておけるポジトロンライフルの開発も。これについては戦略自衛隊の研究室にあるプロトモデルを参考に、一か月以内に新しく作り直して日本とドイツに配備するわ。また、その際の電力集中マニュアルも作成。使徒の防壁もA.T.フィールドほどじゃないなら、理論上突破が可能なはずよ」
 なるほど、この数日間でここまで戦略と組み上げるとはさすがネルフだ。そして自分たちに伝える以上、この作戦案で既にGOサインが出ていて、とっくに動き始めているということなのだろう。
「次にこのレリエルだけど、ネルフが虚数空間に飲み込まれてしまって細かい分析ができていないのが痛いわ」
 流れてくる映像は、地上に映る半径数百メートルの黒い円に飲み込まれていくネルフだった。
「MAGIの推測では、本体が下にある黒円で、上空の斑球の方が使徒の影にあたるものらしいわ。だから、上空をたたいても無理。下の円を何とかしないといけないわね」
 とはいえ、触ったものをそのまま飲み込んでいくブラックホールのようなものをどうやって殲滅すればいいのだろう。
「まず、この使徒を見つけた場合、速やかに攻撃を開始。そうしないとどこまでもネルフに近づいてきて、やがてネルフそのものを飲み込むことになるわ」
「民間に被害は?」
「出るでしょうね。だからこそ少しでも早く攻撃をしかけないといけないわ。というのも、一度攻撃をしかけると、この使徒はその場に固定して動かなくなるのよ」
 すると次に、上空の斑球を攻撃した直後のシーンが流れる。
「こうして攻撃をした直後、真下に影が広がり、その場にあったものを飲み込む。今回はネルフ支部もこの黒円の中にあったおかげで、全部飲み込まれて消えてなくなったわ」
「その後、使徒は移動しなかったのか?」
「しなかったわ。ネルフが完全消滅したのと同時に、他の使徒と同じように消えてなくなったわ」
「だが、そうなるとネルフに接触できない位置で使徒が黒円を展開した場合、この使徒はそれからどうなるんだ? ネルフに接触するまで拡大し続けるのではないか?」
「MAGIの試算ではその可能性三%と極めて小さいわ。どうもこの使徒はサイズに限界があるみたい」
 だからこそネルフに近づく前に撃て、ということになるわけだ。
「つまり、対応策が現状とれないので、いったん展開させてからあれこれ試してみるということか」
「そういうことになるわね。四体の中でこいつだけがどうにも手が出せないのよ」
 まあ、情報不足もあるので仕方のないことではある。
「次にこのゼルエル。まあとにかくパワー、ディフェンスとも最強にふさわしい使徒ね」
 まず最初に流れてきたのが、エヴァ出撃直後のシーンだ。使徒は強烈な光を放ち、その光の延長線上にいたものはすべて焼き払われた。あとには何も残っておらず、ただ光がとおった爪痕だけが残されていた。
「さっきのラミエルよりもパワーがあるんじゃないのか、これ」
 ジンが呻いた。誰もがそう思った。
 次のシーンは、A.T.フィールドを塊にして武器にしたシーンだ。絶対防壁としてしか考えていなかったA.T.フィールドだが、絶対に破れない盾を相手にぶつけたらどうなるか、という極めてシンプルな謎の答えがここにある。
 また、A.T.フィールドを攻撃に使った分だけ、防御用のA.T.フィールドが弱まっていることも確認された。つまり、A.T.フィールドには絶対量があるということになる。弱まっている方が間違いなく浸食しやすくなる。
 そしてさらに次のシーン。N2爆弾の爆風に耐えた使徒のところに特攻をかけた弐拾伍号機。そして、プログナイフた達する直前、コアをガードするために閉じられたシャッター。
「あんなの反則だよ」
 レミが頭を振った。まったく全員が同感だった。
 そして折りたたまれた手が、エヴァの首を刎ねた。思わず全員が目を背けたり、顔をしかめたりしたが、なるほど、これは確かに、強い。
「A.T.フィールドの問題は何とかなると思うわ。こっちは人数も多いし、ヤヨイもいるものね」
 ぐっ、と親指を立てるヤヨイ。
「ただ、あの光は回避できるとはいえ、直撃した瞬間に蒸発するのは間違いないわね。A.T.フィールドが少しでも弱かったら貫通するわよ。そして何より問題なのは、あのシャッター」
 コアを防ぐ盾は、おそらくラミエルと同レベルの硬度だろう。
「火力は全く通用しないわ。あのN2を当てても部分破損すらしない硬度。しかもシャッター部分はそれを上回る強度とくれば、長距離からの攻撃は一切通用しないと考えた方がいい。したがって、この使徒と戦うときは必ず接近戦になるわ。危険は高くなるけど、これしかない」
 誰かが死亡することも考慮に入るということだ。いよいよ危険度が高くなってきた。
「最後のバルディエルだけど、これは正攻法の戦いになるとみていいわね」
 アメリカ軍の攻撃をつぶしていくバルディエルの姿は、確かに今までの使徒に比べてごく普通にしか見えない。それもそのはず、元がエヴァなのだから、エヴァの性能を超えることはできないはずだ。
「単純な力比べなら、人数の多いこちらが有利ってわけね」
 サラが嬉しそうに言う。
「何をおっしゃってるのかしら。エヴァと直接戦闘していない映像をいくら見ても対策にはなりませんわ」
 ヨシノがつっかかって言う。
「そうだよね。エヴァが乗っ取られたんだったら、私たちの機体も乗っ取るつもりかもしれないし」
 サナエが言うと、ミサトをはじめ全員がサナエの方を見る。
「え、な、何?」
「MAGIもそんな推測していなかったわ。でも、確かにありえないことじゃない。マヤ」
「はい。すぐにMAGIにシミュレートさせます」
 どうやらサナエの漏らした言葉が、本部全体の作戦に影響を与えることになるかもしれない。
「お手柄ですわね、サナエ」
「え? いや、ただ思ったことを言っただけなんだけど」
「会議では発言が大事なんだ。お前が言わなかったら誰も気づかなかったかもしれないしな」
 カズマがフォローを入れる。ありがとうございます、とサナエは頭を下げた。
「というわけで、バルディエルの件についてはもう少しこっちでシミュレートしてから、作戦部でもう一度考え直してみるわ。まずはここまで、使徒の件はOKかしら?」
 ミサトが言うと全員がうなずいた。ここまでの情報から自分たちがするべきことをしていけば、必ず活路は開けるはずだ。
「そこで、皆さんにしてもらうことがあります」
 全員が息をのんだ。
「明日から──」
 いったい、どのような指示がくだされるというのか。

「──二泊三日の温泉旅行に行ってきてちょうだい♪」

 全員が固まった。いや、オーストラリアのマヅルとローラだけが「おおー」と手を打った。
「本当に? 本当にその話通ったの?」
「いやー、言ってみるものよねー」
 いきなり二人のテンションが上がったが、他のランクA適格者は頭を抱えたり放心したりとさまざまだった。
「葛城三佐。いったい何故、そんなことになる?」
 カズマが人を殺しそうなオーラを放ちながら言う。
「んー、別に大きな理由はないんだけど、正直ここからあと一週間くらい、本当にあなたたちはすること何もないのよ。一番損傷の激しい弐拾弐号機の修復目途が十八日、一週間後。それまで災害復興やさまざまな取り決めごともあったりで、あなたたちにかまってる暇がないのよねー」
「だったら個人的にトレーニングでもしていればいいだろう」
「そう言うと思ったわー。でもね、これは命令。気持ちだけ先走っても何もいいことはないものよ。どうしたって一か月後には、あなたたちはまた世界の運命を背負って戦わなければならないの。だから、今のうちに少し骨休めしておいてほしいのよ。それに、オーストラリアにイギリスと、いきなりメンバーも増えてるでしょ? お互いのことを知るためにも旅行は最適よ?」
「最低」
 ヨシノは誰にも聞こえないように小さくつぶやく。サラと旅行? どれだけ自分の心労が大きくなることか。
「いずれにしても、これは命令で、もう宿まで取ってあるんだから、素直に楽しんでらっしゃい。ここにいるメンバー全員よ。行かなかったら命令違反とみなすから、覚悟しなさいね♪」
 何人かが、心の底からうんざりしてため息をついた。






もどる