随分長い時間が流れた。
 マ神と戦ったのが、遠い昔のことになり、そのときのことを覚えている者もひとり減り、ふたり減り、そうしてだんだん誰もいなくなっていった。
 グランは引退し、今はセリアとの間に生まれた長男が二代目の国王になった。そしてあまり政治に口出しせず子供のやることを見守っているらしい。
 だが、それ以外の仲間たち。ドネア。タンド。カーリア。バーキュレア。ルウ。みんな亡くなった。リザーラはいつまでも歳を取らない状態でいるのを不審に思われる前にいなくなった。おそらくはニクラか空中庭園にでもいるのだろう。

 そして、いよいよ自分にも死期が迫っている。

 妻との間には、男の子が二人、女の子も二人生まれた。
 一人目を出産し、体力が戻ったところを見計らって一家はマナミガルに移り住んだ。知っている人が少ないことが理由だった。
 名前も変えた。当時の名前は結構知れ渡っていたため、名前を変えないとアサシナにいる者たちに発覚する可能性があったからだ。まあ、分かっても問題はなかったけれど。
 そして孫ができ、自分たちは年老いた。望みのままに。

 妻は二年前に亡くなった。
 あまりにも嘆き、悲しみ、そのまま自分も死にたくなった。
 だが、できなかった。それは、精一杯生きるという、妻との約束を破ることになるから。
 病死だった。
 自分も同じ病気にかかって死ぬことができたら、と何度も嘆いた。
 それでもこうしてここまで生きてこられたのは、子供や孫たちが慰めてくれたからだ。

 そうした子供たちを見て、死ぬ前に一度だけ、自分のもう一人の子供を見たくなった。
 罪滅ぼし、というのではない。
 ただ、自分が生きた証、自分が守ったものを確認したかったのだ。
 アサシナに着いて、引退した自分の長男に会いに来たとき、彼は泣きながら自分を抱きしめてきた。
 いつまでたっても、この子は自分の子でいてくれるのだと、感激して泣いた。

 アサシナに残ることはせず、できるだけ早くにアサシナを出た。
 そのついでというわけではないのだが、世界を見て回りたかったのだ。
 自分が守った大陸。自分が守った世界。
 幸せな人生だった。
 これ以上ないくらい、幸せな人生だった。

 そして今、自分はドルークにいる。
 マナミガルの子供たちには、もう戻ってこないつもりだということは伝えてある。
 ここで自分が亡くなっても、誰も困ることはない。
 相変わらずこの場所は寂れていて、物悲しい。あれからこの地が復興することはついになかった。
 神殿の跡を見つける。ここでザ神の祝福を得たのはいつのことだったか。
 それからリザーラの家。もはや家としての形もなさず、完全に崩れ落ちてしまっていた。長い時間が建物をむしばんでいたのだろう。
 ふと思い立って、その瓦礫を除け始めた。
 たくさんあって大変だった。死期の近い老人のすることではないのが分かりきっていた。
 それでも、しなければいけなかった。
 妻がここで子供を産んだときにしたことがある。

 タイムカプセル。

 いつか、この場所に戻ってきたときに開けるのだと、そんなことを言っていた。あれはどこに置いたのだったか。
 ひたすら瓦礫を除け続けた。夜になって、朝になったが、それでも彼の身体は動いていた。
 やがて疲れ果てて倒れた。
 目が覚めると、また瓦礫を除け始めた。
 もはや自分が何者で、何のためにそうしているのかも分かっていなかったのかもしれない。
 ただ、自分がそうしていることが。

 幸せだった。

 そして、ようやく見つけた。
 小さな、小さなタイムカプセル。
 彼は疲れで震える手を押さえ、何とか開いた。

 中からは、一枚の紙。

 そして、コインが二枚、出てきた。

 彼はゆっくりと、その紙を開いた。

『やっほー!(……て自分に言うのも変だけど)
 こんにちは、○年後のあたし!
 今何歳ですか? 今もあたしはあなたの傍にいますか?
 この手紙をいつか読める日のことを楽しみに、あたしはこれを書いています』

 妻の字だった。
 それを見ただけで、嬉しくて、涙がにじむ。

 ここに、彼女の魂がある。

『いろいろあって、ここを離れることになったけど、
 あたしはここで一緒に過ごせたことがとても嬉しかったです。
 ずっと大陸のことしか考えてなかったのに、
 ここにいる間は、あたしのことだけを考えてくれていたからです』

 マ神との戦いの後は、もう世界のことも大陸のことも考えなかった。
 ただ、妻だけを。二人で幸せになることだけを考えていた。

『いろいろあったよね。
 何かが違っていたら、こうして子供をまた産むことはできなかったと思う。
 出会いのときを覚えてる?
 あなたはあたしが悪いことをしようとしていたのを止めてくれたんです』

 もちろん覚えている。あんな鮮明な出来事を忘れるはずがない。

『ここにあるコインの一枚は、実はあのときサイフの中から失敬した一枚です(ゴメン!)。
 でも、あの一枚はそれからずっとお守りとして持っていました。
 自分が悪いことをしないように。そして、あなたとずっと一緒にいられるように。
 知らないうちに、自分の願掛けになっていました。
 これを、ここに置いていきます。
 今度は二人で、ここに戻ってくることを願って』

 だが、妻はもう戻ってこない。
 また悲しくて、涙が滲む。

『それからもう一枚。これは覚えていますか?
 もしあたしがそこにいて、あなたが思い出せないのなら『また』ひっぱたいてあげます』

 もちろん分かっている。とても記憶に残っているから。

『それは、あたしを騙して危険から遠ざけたときのコインです。
 もちろん大切にとっておきました。いつかあなたをとっちめるためです。
 でも、これも置いていきます。
 これを見ることで、あなたと思い出話をして、
 あなたがあたしを本気で愛していてくれたことを、感謝するためです』

 もう、涙は止まらない。
 ただ彼女の言葉にだくだくと流すだけだ。

『あたしはあなたに伝えたい。
 あなたといられて、幸せだったと。
 そして、感謝をしたい。
 ありがとう。あなたに出会えて、幸せでした。
 あれ、おかしいな。これじゃ別れのあいさつみたいだね。書き直します。幸せです』

 もう、別れは終わっている。
 その後でこんなことを言われたら──もう、自分はどうすることもできない。

『これを読んでいるあたしとあなた。
 今も、幸せですよね?
 喧嘩とか、してないですよね?
 してない自信が、今のあたしにはあります。
 だって、あたしだもん!(な〜んちゃって)』

 そこで行が少し開いていた。その間が、大事な話に切り替わるタイミングだということがよく分かっている。

『あなたが守る未来を見たくて、あたしはあなたについてきました。
 そして、こんなにも素敵な未来を用意してくれました。
 あたしは、本当に感謝しています。
 いつも未来を見ている横顔を、あたしはずっと見てた。
 そしていつのころからか、あたしも同じ方向を見るようになった。
 あなたがいて、あたしがいて、二人でいたから、この未来がある。
 その奇跡を、心から感謝しています』

 自分も、感謝している。
 君に。そして、この世界に。

『最後に、一つだけ』

 じっと、その言葉を見つめる。

『愛しています──ウィルザ』

「ぼくもだよ」

 彼は、その手紙に向かって、泣きながら言う。

「ぼくも愛している、サマン」

 その紙を抱いて、彼はその場に倒れた。






 幸せだ。

 こんな幸せなことが、他にあるだろうか。

 愛する人からの告白。

 ずっと願っていた幸せが、ここにある。






 彼が最後に見たもの。
 それは、宇宙から降りてくる、蒼い光だった。

(ああ)

 もちろん、覚えている。
 その光は、自分の唯一のパートナー。

(ぼくは、幸せだよ)

 もうすぐ死んでしまうけど。
 でも、その幸せを確認するために。



「約束を、守ってくれたんだね」





The End







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