#12 師走!
SIDE-B
期末試験も終わり、順位も発表され、不動の一位と二位の確認され、軽音部のメンバーは無事に全員補習対象にもならずに済み、いよいよ二学期も終わろうとしていた。
この日もシンジは朝から練習。このところ唯や梓もかわりばんこにやってくるようになっていた。二人で示し合わせて順番にしているのかもしれない。
もちろん誰かがいて練習するのも悪いことではない。ただ、シンジはずっと昔から一人でチェロを弾いてきた。こうしてたまに誰もいないときには、ゆっくり何も考えずにチェロを弾くことができる。
練習ではない、誰かに聞かせるためでもない。ただ自分が楽しんで弾く。
音楽の楽しみ方は人それぞれだとは思うが、自分にはこういう楽しみ方が一番合っているような気がする。
と、そのときだった。
「こんにちはー」
聞きなれない声がした。軽音部の誰かではない。立ち上がって出迎えると、そこに見知った顔があった。
「あ、碇くん」
唯たちと同じクラスの立花姫子だった。
「立花先輩。どうも、お久しぶりです」
「そうだね。久しぶりに見たらまた大きくなった?」
「そうですね。夏のときよりは」
「男の子はすぐに大きくなるなあ」
ふふ、と笑って背の高いシンジの頭をなでる。
「珍しいですね。軽音部に何かご用事でしたか?」
「ああ、うん。ちょっと律に話があったんだけど、誰もいないみたいだね」
「田井中先輩が朝練に来ることはめったにありません」
「そっか。軽音部は仲よさそうだし、毎日みんな集まってるのかと思ってた」
なるほど、外から見るとそう見られているのか。
「それにいつも碇くんが部室に行くのが見えてたから、みんないるんだろうなと思ってたんだけど、違ったんだ」
「そうですね。僕はいつも来てますけど、みなさんは基本、放課後だけです」
「だから放課後ティータイムなんだ」
姫子が笑う。
「ソフトボールは練習ばっかりで、みんなで話し合うとかっていうことが少なくて」
「練習が少ないよりはいいと思いますけど」
「まあね。三年の夏こそは高体連でやってやろうと思ってるし、みんな気合いも入るんだけどね」
「立花先輩はピッチャーですもんね。責任もあって大変だと思います。がんばってください」
「やりがいはあるけど、大変なポジションなんだよね」
あはは、と笑って姫子は部室に入ってくるとソファに腰かけた。
姫子とシンジが出会ったのは今年の五月のことだ。最初は単に唯の同級生ということで顔を見知っただけだったのだが、ソフトボール部のエースだったり、はたまた放課後コンビニで働いていたりと、色々なところで顔を合わせているうちに次第に話をするような仲になっていたのだ。
「お茶でもいれましょうか」
「いや、いいよ。それより、碇くんのチェロ、聞かせてくれないかな」
「僕のですか?」
突然のリクエストに戸惑う。
「そう。学校祭のチェロ、良かったよ。もし碇くんが嫌じゃなかったら、聞かせてくれると嬉しいな」
「もちろん、嫌なんかじゃありません」
純粋に自分のチェロを褒めてくれる相手に何をためらうことがあろう。シンジは嬉しくなってチェロを構えた。
チェロ単体で弾ける曲というのは多くない。その中でも一般に聞き覚えのある曲といえばやはり、バッハの無伴奏チェロソナタだ。
静かに、厚みのある曲が繰り返される。
そうして一曲弾き終わると、姫子は拍手でねぎらった。
「やっぱり碇くん、上手だね」
「ありがとうございます」
「やっぱり長く続けると上手くなるのかな」
「確かに僕は十年チェロをやってますから」
「物心ついたときからか。英才教育?」
「まさか」
シンジは苦笑して首を振る。
「僕は主体性のない人間でしたから。勧められたからやってみただけです。でも、チェロという楽器は僕にはよくあっているみたいです。今は自分の意思で弾いています」
「勧めてくれた人に感謝だね」
「そうですね。立花先輩はどうしてソフトボールを?」
「んー」
一度視線を逸らしてから姫子が考える。
「最初はまるでやるつもりなんかなかったんだけどね。友達がどうしてもって言うから」
「友達ですか」
「うん。小学校のときから仲のいい奴でね。今はそいつと一緒にソフトをするのが凄く楽しい」
「いいですね、そういうの」
「まあね。でも、碇くんだって今は仲間とバンドしてるのが楽しいんでしょ?」
なるほど、つまり同じということか。
「そうですね。立花先輩の言う通りです」
「ふふ」
姫子は笑う。綺麗な笑顔だ。
「碇くんって可愛いね。唯が放っておかないわけだ」
「え」
いきなり不意打ちを受けて、シンジの顔が火照る。
「聞いてるよ。部活の中で三角関係なんだって?」
「いえ、その」
「大丈夫。碇くんが二股かけてるなんて思ってないよ。そんなに器用なことができないのは分かってるから。おおかた、二人から告白されてどうしたらいいかわからない、そんなとこ?」
よく分かるものだ。答えられずにいると、姫子は笑って立ち上がった。
「難しいよね、男の子と女の子っていうのは」
「そう思います」
「でもさ、もし失敗したり後悔したりすることを怖れてるんだったら、気にしなくてもいいんじゃないかな」
「え」
「だって、高校時代に付き合ってる相手と結婚するなんて、すごいレアなケースだと思わない?」
つまり、今から将来のことを考えても仕方がない、ということなのだろう。
「それは……はい」
「だったら、今の自分に正直に、本気で相手と向き合ってみればいいんだよ。どっちかを泣かせることになるのは当然だし、結ばれた方とだっていつまで続くか分からない。でも、本気で考えたら答は見えてくるんじゃないかな」
「耳が痛いです」
「大丈夫。碇くんならしっかりやっていけるよ」
ぽん、と姫子はシンジの頭を撫でた。
「どっちを選んでも、しっかりとね」
「はい」
「それじゃ、お姉さんからのアドバイスはこれでおしまい」
姫子は言い終わると部室の扉を開けて出ていく。
「立花先輩」
扉を閉める前に声をかけた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
にっこりと笑った姫子が扉の向こうに消える。
それからシンジはもう一度チェロを手に取った。
(僕の気持ちは)
そしてゆっくりとチェロを奏でる。
確かめるように。
昼休み。シンジに声をかけたのは珍しく平沢憂だった。唯の妹で、梓の友人。シンジがどちらを選ぶにしても、憂にとってみれば複雑なところだ。
ちょっといいかな、と人気のない特別教室へと連れていかれる。話の内容はもうよく分かっている。
「もうすぐクリスマスだね」
「うん」
「どうするか、決めた?」
何の話かはもう分かっていることだ。
唯か、梓か。
二人にはもう半年近くも待たせてしまっている。そして近づくクリスマス。二人はクリスマス前には決めてほしいと思っていることだろう。
澪や姫子らに促されながら、自分でもじっくりと考えてみた。
自分が、一番傍にいてほしいのはどちらなのか。
はちゃめちゃで苦労することは多いだろうけど、笑顔が絶対に耐えることがない唯か。
いろいろ悩むことが多いかもしれないが、いつも安心して傍にいることができる梓か。
二人にはそれぞれ別の魅力があって、自分はその二人に惹かれている。
だが、最後に選ぶのはたった一人。
「うん、決めたよ」
「え」
憂が驚いたような声を出す。きっと憂もまだ決まっていないと思っていたのだろう。
決めたのは本当についさっきのことだ。姫子との会話が最後の決め手になった。
「クリスマスの日に、きちんと返事をしようと思うんだ」
「そっか」
んー、と今度は憂の方が複雑そうな表情を見せる。
どちらにしても、憂にとっては手放しで喜べる結果ではない。この状況で全員が満足する結果になることはありえないのだから。
「お姉ちゃん? それとも、梓ちゃん?」
「それは、最初に二人に伝えなきゃいけないことだと思う」
自分がどちらにするかを憂が先に知っているというのは、どうみてもおかしな状況だ。
「そっか。そうだね」
「今まで結論を出さずにいたのは、自分の選択で二人を苦しめるのが嫌だったからなんだ」
「うん」
「でも、この状況で誰も泣かずに終わらせることはできないって言われて、それで覚悟が決まった」
「誰もっていうか、みんな泣くんだよ」
憂も既に涙目だった。
「だって、選ばれた方だって、相手のことを思うと絶対に何も感じないわけにはいかないもん」
「そうだよね。だから一番大切なのは、自分が本気で二人のことを考えて、この気持ちをはっきりとさせることだと思ったんだ。そしてじっくり考えたら見えてきた。自分がずっと一緒にいたいと思う相手が」
シンジの心が決まっていることを確認して安心したのか、憂も頷いて「わかった」と答えた。
「どっちにしても、慰めるのは私の役目かなあ」
「ごめん」
「ううん、謝らなくてもいいよ。それに、私も二人の気持ち、ちょっとだけ分かるし」
「?」
何を言いたかったのかシンジには分からない。憂は「気にしなくていいよ」とだけ言った。
「がんばってね、碇くん」
「ありがとう」
そうして憂と別れる。話し終わってシンジはため息をついた。
本当に自分はいろいろな人に迷惑をかけている。いろいろな人を泣かせて、困らせて。
だが、それももう、最後にしなければ。
「よし」
シンジはその日、部活を欠席した。どうしてもはずせない用事があるので、と書置きを残しておいて一人で繁華街へとやってきた。
告白はクリスマスの日と決めた。だとしたら必要になるのはクリスマスプレゼント。
彼女のために一番いいプレゼントは何だろうかと考えながら、あちこちの店をめぐる。
と、そのときだった。
「あれ、シンジくん?」
女の子向けの小物がおいてある店に入ったところで、われらが生徒会長、和に出会った。
「こんにちは、真鍋先輩」
「はい、こんにちは。珍しいところで会うものね」
そしてシンジの手に持っているものを目にして笑う。
「プレゼント?」
「え? あ、はい」
「そっか。どっちに?」
いったい自分たちのことはどこまで知れ渡っているというのだろう。
「それは、軽々しく言うことでは」
「そうね、ごめん」
和はちろりと舌を出す。
「でも、どっちにしてもシンジくんと付き合えた方は幸せ者ね」
「そんな」
「優しいし、しっかりしてるし、大切にしてくれそうだし、話によるとお料理も上手だって聞いてるわよ?」
「褒めすぎです、先輩」
「そうかしら。私もシンジくんともう少し話をする機会があったら、好きになってたかもしれないわよ」
淡々と言われてもどこまで本気なのか分からない。
「真鍋先輩と付き合える人もきっと幸せですね」
「あら、そう?」
「はい。一生懸命で、お互い信頼しあい、支えあう、そんな関係になることが想像できます」
「そう、シンジくんにはそう見えるんだ」
すると和は近づいてきて、下からシンジを見上げる。
「多分、私は誰かと付き合ったら、きっと相手を束縛するような、そんな愛し方をすると思うわ。だって、相手がどうしているのか、心配で不安でたまらなくなるから」
「でも、それだけ思ってくれたら相手も嬉しいと思います」
「そう、じゃ、試してみる?」
なんだろう、最近こんな展開がやけに多い気がする。
「遠慮しておきます。今の僕には他に大切な人がいますから」
「少しでもよろめくようなら、ひっぱたくところだった」
くすくすと和が笑う。
「それじゃあね、シンジくん。しっかり」
「はい。ありがとうございます、真鍋先輩」
シンジはじっくりと考えて決めたプレゼントを手に、家に帰る。
きっと彼女は喜んでくれる、と思う。
自分で決めるのが苦手なシンジが、精一杯考えて決めたプレゼント。
これを、クリスマスに、渡す。
「僕が、好きなのは」
そう。
今、心の中を占めるのはたった一人。
#13
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