#13 告白!
SIDE-A
碇シンジは、クリスマスというものにあまり強い思い入れはない。
自分が物心ついたときから、誕生日ですら祝ってもらったことはほとんどなかった。クリスマスもバレンタインも、およそプレゼントをあげるという行事において、碇シンジほど何かをもらったことや何かをあげたことが少ない高校一年生は他にいないだろう。それだけ彼には家族や友人というものが少なく、また彼自身がそういうものを必要としていなかった。
だが、今年は違う。この日、彼には自分の大切な人に想いを伝えるという、人生で初めての経験をしなければならなかった。断られることはまずないだろう。相手からはすでに想いを伝えられているのだから。その意味では彼の心はとても楽なもののはずだった。それなのに心の中ではずっと緊張していた。
今日は十二月二四日。クリスマスイブ。そして二学期終業式。
「メリークリスマス、シンジくん」
朝起きて、保護者のマヤとあいさつをする。
「おはようございます、マヤさん」
「いよいよね。がんばって」
今まで何度も相談に乗ってもらった。自分がどうしたいのか。自分の気持ちがどうなのか。
「はい。マヤさんには本当に感謝してます。ありがとうございます」
「いいのよ。シンジくんが幸せになってくれることが私の望みだもの」
本当に感謝してもしきれない。時に母のように、時に姉のように接してくれた女性。
朝食を終えて、すべての準備が終わる。
いよいよ緊張の一日の始まりだ。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
外に出ると、吐く息が白い。すっかり寒くなった町。
二学期最後の一日だとしてもシンジの行動パターンには何ら変化はない。今日も今日とて、いつものように朝練。部室についたシンジはいつものようにチェロから練習に入る。順番通りだとしたら今日は──
「おっはよー!」
唯だ。
「おはようございます、平沢先輩」
そして自分の反応もいつもと同じ。
「じゃーん! はいこれ、クリスマスプレゼント!」
早い。朝一番からいきなり渡された。
「シンちゃんのために、がんばって編んでみました!」
なんと手渡されたのは手編みのマフラー。
「平沢先輩が?」
「ふっふっふ、何を隠そう、この日のために一か月前から練習していたのだよ!」
マフラーって一日休みがあったら編めるくらいじゃなかったっけ、とはあえて突っ込まない。
「ありがとうございます。大切にします」
そうしたら唯は、にへらっ、と笑った。
「シンちゃんが喜んでくれて嬉しいよ!」
「平沢先輩はいつも元気ですね」
「そりゃもう、私の取り柄だからね!」
シンジがいるから元気二割増というところか。
「それじゃあ練習しましょうか」
そうして朝の、二人きりの練習が始まる。
一日おきに、梓と、唯と、それぞれと練習を繰り返してきた。
そして自分は、選んだ。
「平沢先輩」
朝練終了後、教室に行く前にシンジが話しかけた。
「先輩、今日、放課後少し時間もらえますか」
「ほえ?」
唯がびっくりしたような顔をする。
「話があるんです」
シンジが決心したような表情で伝えると、唯も「うん」とうなずく。
「今じゃダメなの?」
「今はまだ駄目です」
シンジはきっぱりと伝えた。
「放課後、部室にいますから」
「うん、わかった」
唯もある程度察しただろう。夏からずっと保留していた問題にピリオドを打つということを。
そして二学期最後の学校生活が始まる。終業式が終わり、成績表が渡され、この日はこれですべて終了。
部活をする生徒はそのまま残り、帰宅する生徒はすぐに学校から出ていく。
シンジは改めて部室にやってきた。
この短い、たった数時間のうちに準備は終わっていた。唯に伝えなければいけないこと、話さなければいけないこと。それはすべて心の内にある。
すっかり馴染んだエレキチェロを手にする。アンプにつないで音の確認。ずいぶん手慣れたものだ。アコースティックならまずは調弦ということになるのだが。
「シンちゃん?」
遅れて唯がやってくる。いつもより緊張しているのは見て明らかだった。
「先輩」
「はいっ!?」
声が裏返った。よほど緊張しているのだろう。それは自分も同じだ。
「チェロを聞いてほしいんです」
「チェロ?」
いきなり予想外のことを言われて、拍子抜けしたのか、ぽかんとした表情になっている。
「ええ。ぜひ」
シンジが言うと、唯もうなずく。
「わかった」
「じゃあ、そちらに」
ソファを示す。ゆっくりと唯がソファに腰かけたのを見て、シンジはチェロを奏でる。
バッハ。無伴奏チェロ組曲。一番馴染んだ、優しい旋律。
これを唯のために弾きたかった。
唯に聞かせてあげたかった。
自分の、想いをこめて。
今まで、ずっと温かく自分に接してくれた唯。
どんなときでも笑顔で自分を楽しませてくれた唯。
その唯に、自分は伝えなければいけない。
一曲、弾き終わると唯が笑顔で拍手を送ってくれた。
「平沢先輩」
立ち上がる。そして、言い直す。
「いえ」
少し言いよどむ。慣れない言い方は難しい。
「唯、先輩」
相手が息をのむのがわかった。
「好きです。僕と、つきあってください」
言った。
これでもう、引き返すことはできない。自分は、唯を選んだ。
「え」
唯が呆然としている。
「あ、で、でも、あずにゃんは──」
「中野さんとは、さっき話をしてきました」
「さっき?」
「はい。平沢先輩に告白することにしたから、中野さんの気持ちには応えられないって」
だから朝ではまだ話ができなかった。梓ときちんと話をして、結論を出してからでなければ唯に告白することはできなかった。
「わた、し」
唯がまっすぐに自分を見つめる。
涙を流しながら、まばたきもしないで。
「ぜったい、あずにゃんにはかなわないって思ってた。あずにゃんの方がかわいいし、しっかりしてるし、シンちゃんにぴったりだなって、思って、そうやって最初からあきらめて……」
「唯先輩は」
どう言えば、自分の気持ちが伝わるのだろうか。
「世界で一番かわいいです」
「ふえっ!?」
「もしも僕が、こんな僕でも幸せになっていいと言ってもらえるのなら、僕は唯先輩と幸せになりたい。唯先輩が一緒なら、どんなときでもきっと笑顔でいられると思うから」
そして、シンジは準備していたプレゼントを差し出した。
「これを受け取ってください」
シンジが渡したのはネックレス。ピンクカラーのクロスが先についていて、そこにリングが通っている。
「これ」
「ちょっと恥ずかしかったですけど、ペアにしてあるんです」
シンジも制服の内側から、先にとりつけていたネックレスを取り出して見せる。こちらはグレーのクロス。
「もしよかったら、受け取ってくれるとうれしいです」
「もらう、もらうよ! 当然だよ! 当たり前だよ! こんな嬉しいことほかにないよ!」
奪い取るように唯はそのネックレスを手にする。そして見ていうるうちに、だんだん顔がにへらっとだらけてくる。
「そんなに嬉しいですか」
「シンちゃんからもらえるなら何だって嬉しいけど、クリスマスに告白つきでもらえるプレゼントだよ!」
握りこぶしで主張してきた。
「たぶん、一生忘れられないと思う」
「喜んでもらえたらなら僕も嬉しいです」
「ねえねえ、つけてつけて」
はい、とネックレスを渡してくる。
「僕がですか」
「ほかに誰がいるの」
「わかりました」
唯の後ろに回って、首にそっと手をまわす。
「き、緊張するね」
「はい」
こんな、まるで恋人同士みたいな。いや、もう恋人同士なのだろうか。
かちり、と音がしてネックレスがかかる。胸に下がるクロスを手にとって、唯がさらに笑顔になった。
そのまま、唯が後ろを振り向く。
真剣な表情で、唯が目を閉じた。
前に、不意打ちのようにくらったものではなく。
お互いに、気持ちを確かめ合ったうえでの。
熱い、キス。
何秒、ふれあっていただろうか。
ゆっくりと離れて、目を開ける。そこには顔が上気して照れている唯の顔があった。
今までよりも、ずっとずっといとおしい。
が、次の瞬間、唯の体が、がくりと崩れ落ちた。
「ゆ、唯先輩!?」
あわてて抱き留める。
「こ、こしぬけた……」
あまりに感情が高ぶりすぎたのか、完全に足が立たなくなってしまっていた。
「そんなところも、唯先輩らしいですね」
「ごめんね」
ゆっくりと唯をソファに座らせる。
「ねえ、シンちゃん」
「なんでしょう」
「今日は、これからどうするの?」
「そうですね。僕は未定ですけど、唯先輩は何か予定ありましたか」
「ううん。なんにも」
「そうですか。それなら、まずは食事にでもいきませんか。それから一緒に街を歩けたらと思います」
がばっ、と起き上がる。
「デート!?」
「と言ってもいいかもしれません」
「行く、行くよ! どこどこ? 美味しいところ?」
「だといいですけど、僕もあまり街中歩き回らないですから、よくわからないですよ」
「そんなの、これから覚えていけばいいだけだよ!」
にっこりと唯が笑う。
「時間は、たっぷりあるんだから!」
そうだ。
今まではずっと一人で、時間なんて流れていてもいなくても同じだった。
でも、これからは違う。
唯と一緒の時間を生きて、そして幸せになるのだから。
「唯先輩といると、時間がどれだけあっても足りなさそうですね」
「そうだよ。だから、早く行こう! 私、シンちゃんといろんなところに行きたい!」
すっかり回復して立ち上がる唯。シンジは苦笑した。
ただ、そこでふと思い出したことがあった。そうだ。もうお互いわかっているとはいえ、最後の一言をまだもらっていない。
「唯先輩」
「ふえ?」
「そういえばまだ、返事をもらっていませんでした」
もうお互い、リラックスしているというわけでもなかったが、先ほどまでの緊張はもうない。
「僕と、つきあってくれますか」
改めて、告白しなおした。
「喜んで。ずっと、待ってたんだよ」
唯は、今までにない最高の笑顔で応えた。
SIDE-A