序:追憶の墓標





 ライテール大陸の西部に位置するバルティア王国。ここは、現在大陸に存在する9つの王国のうち、最も歴史が古い国として知られている。建国されたのは今から800年も昔のこと。相次ぐ内乱や戦争によって、もはや国としての生命力さえなくなっているかのような王国であるが、いまだこの国は近隣諸国からの外圧をはねのけ、なんとか独立を保っている。
 昨年の第3次バルティア−セゥカ戦争を、傭兵を多数雇うことによってなんとかしのいだバルティアであるが、王国の命運はあと10年もしないうちにつきる、とまで言われている。
 北の雄、セゥカ王国は本格的にバルティアを滅ぼそうとしている。ここ数年、幾度となくセゥカはバルティアに進行しようとしている。
 セゥカの陸軍は大陸一である。黒騎兵、と呼ばれる鋼鉄武者たちが戦場に出たとき、敵軍は必ず壊滅するとまで言われている。
 昨年の戦いでは、バルティアは隣国ファブリアに救援を要請。さらには大陸規模で活躍する傭兵組織『SFO』から多数の傭兵を雇うことによって何とか撃退することに成功した。だが戦後、条約が結ばれることはなかった。それはつまり、これからもまだ戦いは続くのだということを意味している。
 この戦いで一番の武勲をあげたのは王国軍兵士ではなく、ただの傭兵だった。『SFO』が誇る実働部隊、B級ファイターの一人。
 彼は単身向かい来る黒騎兵を3人、鮮やかに打ち倒すと敵の馬を奪って突進。そのまま敵陣に踊り込み、敵将の御首を奪った。
 無論、それを可能にしたのは『SFO』の支援あってのことだ。だが彼の功績によってセゥカ軍が引き返すことになったことも、また事実だ。
 彼は契約分の報酬と、武勲をあげたことによる特別報酬とをいただくとすぐに『SFO』極西支部へと戻っていった。
 名を、リックといった。





「ただいま、トレイン」
「よう、やっとお帰りか」
 極西支部の支部長室で、リックとトレインは握手をかわした。
 バルティア−セゥカ戦争の後も、リックはトレインの指示によって大陸を移動しつづけていた。彼はあくまでも傭兵だ。雇い主がいれば、どこへでも行く。そしてその指示を出すのは支部長であるトレイン。彼の命令には逆らうことはできないのだ。原則としては。
「それで、今回の首尾は?」
「ただの護衛任務だ。最後まで何も問題はなかった。依頼主も成功報酬を払う際にしかめ面をしていた」
「そりゃそうだろうな。南のアルゼワ王国は治安がしっかりしている。問題のあるはずがないさ」
「そんなくだらない仕事にわざわざ俺を回した理由くらいは、教えてくれるんだろうな」
 リックの目が細まる。
 今回の仕事は、ある商人が荷物を輸送する、その護衛を行うというものであった。
 それこそ大陸を横断するとか、不穏な動きを見せる北西のセゥカ王国のあたりを行くとかならば問題があるかもしれない。だが、バルティアからアルゼワまでの道のりで盗賊が出るはずもない。戦争に巻き込まれるわけでもない。このようなくだらない仕事をうけもたされたリックは非常に不満であった。
 それは支部長に一昨年就任したばかりのトレインにもよく分かっていた。誰にも心を開かないリックの一番の理解者は、ずっとコンビを組んでいたこのトレインだ。だからこそ、彼の仕事への熱情は、いや、自分を窮地に立たせることへの熱情はよく分かっていた。
「あまり怒るな。お前ばかり手柄を立てられては、他の傭兵たちも不満が出る。仕方のない措置だ」
「殺されたいようだな、トレイン」
 ほんの少し、彼の体が沈む。本気だ、ということをトレインは察知して両手をあげた。
「冗談だ。理由はきちんとある。お前にそつなく仕事をしてもらうことが今回の目的だ」
「?」
「つまり、昇格」
 彼の体はまだ緊張を解かない。
 トレインの背筋を冷や汗がつたう。彼が真剣なときは、こちらも命がけになる。
「俺を、A級ファイターに?」
「お前は実力、実績ともにA級にふさわしい人材だ。そんなことは支部長になる前から分かっていた。それで去年暮れの戦争で見事に手柄を立てた。今回の仕事をお前にやってもらったのは、上層部を説得する時間稼ぎ」
「なるほどな」
 リックの体が元に戻る。
 彼にもトレインの厚意が分かっていた。B級であれば、自分の思うような行動が取れない場合がある。特にA級ファイターと共に仕事をする場合は、必ず上位の人物が指示を出すことになる。
 つまり、トレインは自分が仕事を行いやすい地位を用意するために、今回の仕事を任せたというわけだ。
「いつだ?」
「実はもう用意はできている」
 トレインは引き出しをあけて、そこから『A』と形づくられている赤いバッジを取り出した。
「本日づけで、お前はA級ファイターだ」
 机の上に置かれたA級章を、彼は無造作に手にとる。そして胸の青い『B』と形づくられているバッジを外すと、やはり無造作に机の上においた。そして、改めてA級章を胸につける。
「これで極西支部もめでたく5人目のA級ファイターの誕生だな」
「そんなくだらないことはどうでもいい。初任はなんだ」
 トレインは目を丸くした。
「お前、今日戻ってきたばかりだろ」
「くだらない仕事でうんざりしているんだ。早く仕事を用意しろ。今度もくだらない仕事だったら殺すぞ」
「おい、すぐには用意なんかできないぞ。どうしてもというなら急ぎの仕事はあるが、これはお前向きじゃない」
「どう、向かない?」
「ある人物の護衛任務。及び、その人物を狙っている犯人の逮捕。地道な作業になる。おそらく数ヶ月単位、へたすると一年近くかかるかもしれない」
「なるほど、向かないな。ならすぐに他の仕事を用意しろ」
「といっても、今は他に仕事もない。もしかすると数ヶ月単位で仕事がないかもしれない。なんといっても昇格したばかりのファイターにはなかなか仕事が回ってこない。B級になったときもそうだったろ?」
 彼は顔をしかめた。たしかにそういう内部規定が『SFO』には存在する。
 昇格したばかりのファイターには、基本的にはすぐに仕事を与えてはならない。ファイターランクが上がったことによる責任について、支部長がしばらくの間研修を行わなければならないとされているのだ。
「お前の場合は、研修なんかいらないけどな。俺とコンビ組んでる間にたっぷりやってるから」
「だがおおっぴらにするわけにはいかない。だから仕事を与えるわけにはいかない。というわけか……」
 彼は腕を組んで、右手を顎にあてた。
「……先ほどの仕事は、A級ファイター限定なのか?」
「ん? ああ、護衛のやつな。間違いなくA級ファイター限定だ。他の4人は今出払ってるから、断ろうと思ってたところだ」
「それでいい」
「おいおいリック。そんな簡単に投げ出すなよ」
「投げ出しているわけじゃない。何かしていないと、気が狂いそうなんだ」
 視線を逸らして、彼は言う。
「この間、B級に上がったときも気が狂いそうになった。何かをしていないと、行動しつづけていないと俺は……」
「やれやれ。本当に病気だな、お前は」
 彼は、いつも何かに押しつぶされそうになっている。
 その正体が何であるのかはトレインは知らない。知ろうとするつもりもない。それは彼が、心の奥底に秘めているものだ。それを暴くのは彼に対して失礼であり、暴挙だ。
 それによって彼が苦しみたくないというのであれば、誰かに相談するだろう。だが、彼はそうはしていない。
 つまり、その苦しみを常に受けつづけようとする意識が彼の中にはあるのだ。
(病気だな、まさに)
 それが悪いことであるのは間違いない。だが、外から手を触れたら間違いなくこの男は牙を剥く。2年前に戦えない体となった自分と、目の前のA級ファイターとでは明らかに実力差がある。
(やれやれ……なんのためのパートナーだったんだか)
 結局、彼は最後まで自分に心を開かなかった。何とか心を砕いてみたが、彼は自分に頼ろうとはしなかった。
 罰を受けつづけることを自ら求めているかのようだった。
「ま、そう言うんじゃないかと思ってわざわざ今日まで返答を待った甲斐があったというものだがな。じゃ、正式に打電するぞ。少し待っていてくれ」
「ああ」
 トレインはリックを部屋に残して、隣の秘書室へと向かう。そこには現在の『SFO』極西支部のあらゆるデータがつまっている。
「サーラ」
 そこにいる一人の人物に呼びかける。彼女の名はサーラ。トレインの優秀な秘書である。
 彼女一人に事務作業のほとんどを任せることができる。おかげでトレインはこの極西支部の運営についてだけ考えればいいという状態なのだ。
 彼女がいなければこの極西支部は機能しない。それほどのウェイトを締めている。
「どうなさいましたか、トレイン様」
「この間のA級ファイター限定の護衛任務の資料。出してくれ」
 薄い水色の髪がさらりと揺れて、彼女はトレインの方を振り向く。神秘的な藍色の瞳がトレインを見つめた。
「……リック様がお引き受けになったのですか?」
「その通りだ。君の予想があたったな、サーラ」
「では正式に打電してかまいませんでしたか」
「ああ。それから、資料だ」
「資料ならばここに」
 既に手元に置いてあったファイルをそのまま彼女は手渡してくる。
「ありがとう。いつもながら助かる」
「これが私の仕事ですから」
 いつもの無表情でそう答える。
 美しい顔立ちをしているのに、この無表情だ。瞳の藍色、髪の水色、肌の白色、そうした全ての要素が彼女を冷たく感じさせる。
 トレインは、やれやれ、とぼやいてまた元の部屋に戻った。そこにはリックが変わらず机の前に立っている。
「早かったな」
「資料をもらうだけだからな。先に言っておくが、資料を読んでからのキャンセルはいかなる理由があってもきかないからな。それは分かっているだろうな」
「ああ」
「よし。それじゃ、これが資料だ」
 彼は応接用のソファに腰掛けてファイルを手にとる。そして、最初の一枚目の資料に目を置いた。

『レグニア私立学校長、ファーブル・ダーマ氏の護衛任務に関する資料』

「キャンセルする」
「はあっ!?」
 まだ資料の『し』の字も読まない状態で突然言われれば、さすがのトレインでも間抜けな声を上げてしまうのは仕方のないことだ。
「だから、資料を読んでからのキャンセルはきかないって言ったばかりだろ」
「まだ読んでいない。表紙を見ただけだ」
「お前な、何が気にいらんのかは知らんが、そういう融通がお前だけきくとは思うなよ。俺は支部長で、ルールを守らせる立場にある。お前はもう資料を手にとった。その時点でお前はもう仕事を請け負っているんだ。我儘は許さん」
「すまない。これだけは譲れない」
「あぁのぉなぁっ!」
 トレインは拳を机に叩きつけた。
「お前が仕事をやるっつーから資料を渡したんだろうが! だいたい、もう正式に打電するって秘書には言ってあるんだ。これは信用問題にも関わるんだぞ。お前だってA級に昇格したばかりで自分の評価落としてどうするんだ!」
「撤回させてくれ。とにかく、この仕事だけは受けられない」
「駄目だ! いかなる理由があろうとも一度引き受けた仕事をキャンセルすることだけは認めん!」
「レグニアだけは駄目なんだ」
 目をふせ、微かに肩を震わせながら彼は声を絞り出していた。
「レグニアに帰ることだけは、できない」
 左手を額にあてる。その様子はあまりにも普段の彼とはかけはなれて弱々しかった。
(レグニアに帰る?)
 少しだけ、トレインは彼の突拍子も無い発言の背景が見えたような気がしていた。
 過去を全く明かさずに『SFO』へ入ってきて、常に一番危険な仕事をやりたがる青年。
 それが自虐行為であることはわかっていた。
 そして、その原因である『過去』が、今目の前に突きつけられているのだ。
(……何があったんだか)
 調査する必要があるかもしれないと、このとき初めてトレインは思った。
 今までそつなく仕事をこなしてきたリック。その任務遂行能力をかっていたからこそ、あえて過去のことは切り出さなかったのだ。
 だが、このようにあからさまな態度に出られたとあってはこちらもその理由を知らないわけにはいかない。調べないわけにはいかない。
(レグニアに人を送るべきか……?)
 彼が『SFO』にやってきたのは3年前。そのときに故郷を飛び出したのか、それともそれよりも前か。いずれにしても、彼はまだ若い。3年前なら当然のこと、それが10年前であっても彼のことを覚えている人間はいるに違いない。
「リック」
 トレインは彼に近づくと、彼の胸倉を掴んだ。
 彼の目は、怯えていた。もちろん自分にではない。
 過去に、だ。
「お前が何に苦しんでいるのかなんぞ、知らんし知るつもりもない。だがな。お前、これからもこのままでいる気か。ずっと自分を傷つけて生きていくつもりか」
 淡々と、語る。彼は自分から目を逸らせない。逸らしたいに決まっているのに。
「自分の過去と向かい合って、ケリつけてこい。ここに来て3年だろう。ちょうどいい時期だ」
「トレイン」
「この仕事のキャンセルは認めない。もちろん職務放棄もだ。必ずやり遂げろ。それまで帰ってくることは認めん」
「……」
「準備が済み次第さっさと出発しろ。向こうは一刻も早く待っているだろうからな」
 そうして、手を離した。
 彼はしばらくソファで呆然としていたが、やがて資料を持ったままふらふらと支部長室を出ていった。
 それを見送って、トレインはどっかりと椅子に腰をおろした。
(やれやれ……子供のお守りもラクじゃない)
 早急に、レグニアに派遣する人物を選ばなければならなかった。影ながら彼をサポートできる人間。彼のことを調査することができそうな人間。
(一人しかいないか……あいつも仕事終わったばかりだったんだがな)
 背に腹はかえられない。彼は秘書室へまた足を運んだ。
 ルシアを、支部長室へ呼んでもらうために。





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