「では、私はあなた色に染められるということね」
「そのいかがわしい表現はやめろ」






【1】・D







 乃木に連絡を取り、運んでもらう荷物を指示した後、二人は車で移動を始めた。
 まっすぐ戻る前に寄るところがいくつかあった。まずは食事。既に午後二時。考えてみれば昼もとらずにこの時間までずっと作業を続けていた。
 好き嫌いはあるのか確認すると、アレルギーも何もない、ということだった。そもそも好きも嫌いもあるはずがない何かを食べたことがないのだから。
 かといって自宅で作ろうかと思えば、綺麗に全部の食器をダンボールに詰め終わったばかりだったので、もう一度開けるのも馬鹿らしい。
 少し空腹を我慢して、食材を買って自宅に戻り何かを作ることにした。
「どこかで食べていくことはしないのか?」
「それでもいいんだが、最初の食事くらいは手作りのものを食べさせてやりたい」
「私に?」
「お前に」
「何故?」
「最初の味が変なものだと、ずっとその味が残るからな」
 真央は助手席からじっと見つめてくる。
「なんだ?」
「いや、あなたは優しいな、と思って」
「食事は大事だ。しばらくは俺の料理以外は食べるな。味覚がしっかりするまで、お菓子類も基本的には駄目」
「厳しいな」
「厳しいんだ。まあ、俺が認めたときだけは食べてよし」
「分かった」
 自分の言っていることが正しいと判断したのか、真剣な表情だ。
「それで、どこに買い物に行くんだ?」
「大型のスーパーマーケット。その後でお菓子屋」
「?」
 首をかしげる。まあ、それはそうだろう。
「お菓子は禁止じゃなかったの?」
「基本的にはな。だが、今日は特別だ」
 作業の間に既に電話で連絡は入れておいた。到着時には出来上がっているはず。
「急がないと、夜が辛くなるな」
「私はあまりお腹すいてないから、大丈夫」
「生活リズムが崩れるのはよくない」
 できれば今すぐ食べたいところだが、そういうわけにもいかない。
「急ぐぞ」
 こく、と頷く。そのまま車はスーパーマーケットの駐車場へ。店内に入り、カートにカゴを二つ入れて、食品売り場へ進む。
 昼は遅いので少し軽めに。晩は肉、魚、野菜を少しずつ。飲み物はジュースではなくお茶と牛乳。フルーツは少し。明日の朝はパンと卵。バターも準備。
「いろいろ商品があって目移りするな」
「自分で確かめて買っていくのが一番だが、それはそのうちな。もう少し自分の味覚がはっきりしてからでないと、自分にとって必要な味が分からない」
「自分にとって?」
「好きな味というのは人によって違う。それは育ってきた環境によって作られるものだ」
 なるほど、と頷いてから真央は真剣な表情で言った。
「では、私はあなた色に染められるということね」
「そのいかがわしい表現はやめろ」
 どうしてこの娘はときどきこういう表現を使いたがるのだろうか。思春期なのか。
「でも間違ったことは言ってないでしょ? あなたの好きな味で料理するのだから、私の好きな味はあなたの好きな味と同じになるはず」
「間違っていなくても表現の仕方が問題だ。もう少し言葉は選べ」
 さらに調味料その他生活用品と米。一からそろえるというのはなかなか大変だ。
「米びつがいるな。明日にでも買いに行くか」
 今日はとりあえず三キロだけ買っておくことにする。
「大変だな」
「大変なんだ。まあ、足りないと思ったものを次々買い足せば問題はないが」
「私で役に立つことがあれば何でも言ってくれ」
「じゃあ世界を滅ぼさないでくれ。この通り」
「それは私では何ともできない」
「だろうな」
 二人とも何とも思わず、淡々と会話を繰り返す。
「悠斗」
 少し声をひそめて言う。
「悠斗はもしかして、義務感から私につきあってくれているのか?」
「何の義務だ?」
「あなたが私を育てなかったら私は死ぬことになるのは決まっていた。見ず知らずとはいえ、人を見捨てることがいいはずない。そういう、人間としての義務感」
「そんなものは持ち合わせがないな」
 こちらも声をひそめて答える。
「お前、あのカプセルの中で一度目を開いたことを覚えているか?」
「いや、目が覚めてあなたに出会うまでの記憶は一切ない」
「お前がまだ眠っている間、確かに目を開けて俺を見たんだ」
 ぽんぽん、と相手の頭をなでる。
「お前は『生きたい』と言っているように見えた。そんな目をするお前に興味がわいた。最初は見捨てるつもりだったさ。ただ、お前に五年間つきあってみても面白いと思ったから、俺はお前の保護者になることを承諾したんだ」
「そうか。では、最後にもう一度だけ確認させてくれ。あなたが私を引き取ったのは、あなたの意思ということでいいんだな?」
「そう言っている。お前は俺に気兼ねする必要はない。全くないのもそれはどうかと思うが」
「言いたいことは分かる。でも安心した。ありがとう。あなたは本当に優しいな」
「気にするな。そのかわり、料理を覚えたらお前も料理を作れ。俺は味にうるさいぞ」
「あなたは本当に厳しいな」
 だが、それで少し砕けたのか、本当に安心した様子だった。
 これから暮らすマンションで、JRの改札口で、それから自分のマンションで。真央は何故か自分に何か尋ねてくることが多い。
(ああ、そういうことか)
 ようやく分かった。自分も、何とあさはかだったのか。彼女が不安に思わないはずがないのに。
「真央」
 レジで精算し、車に乗り、エンジンをかける。それからようやく口を開いた。
 そう。彼女はずっと安心したがっていたではないか。だから自分が何度相手を説得しても、それでも信じきれずにいた。当然だ。自分は何も相手に伝えていないのだから。
「なんだ」
 助手席に座る彼女を見る。
「お前は俺の家族だ。俺がお前を家族にすることを望んだ。お前は、自信を持って、自分が俺の家族だと思え。まだ会って半日もしていないが、俺はお前にいてほしい」
 真央の顔が、衝撃で固まる。
「何を」
「お前がさっきからずっと不安に思っていることはそういうことだろう。安心しろ。俺はお前にいやいやつきあっているわけじゃないし、むしろお前みたいに面白い奴と話したり、一緒に暮らしていくのは楽しい」
 朋絵も言っていた。自分が楽しそうに見えた、と。事実そうなのだろう。彼女の本性が魔王だろうが何だろうが、知ったことではない。この素直すぎる少女と一緒にいることを、自分は楽しんでいるのだから。
「あなた、は──」
 ぐっ、と顔がゆがむ。
「卑怯だ」
「卑怯ときたか」
「私がほしかった言葉を、こんなふうに伝えてくれるなんて」
 助手席から、真央がその額を自分の肩にあてる。
(やはり、まだ子供だな)
 その頭を、そして肩をぽんぽんとなでる。まったく、本当に妹ができたみたいだ。
(しばらく、このままにしておいてやろうか)
 お腹はすいたが、心は満たされている。しばらくはこのままでいてもいいだろう。






 少し目を赤くした真央を隣に、運転を再開する。
 そのまま近くの洋菓子屋へ。真央を連れて店に入り、注文しておいたケーキを受け取る。
「お菓子?」
「そりゃ、こんな店で掃除機が出てきたら驚くぞ」
「いや、掃除機という言葉が出てくるのもおかしいけど、お菓子は駄目じゃなかったの?」
「お前のその台詞もギャグか?」
 意味不明なやり取りが続く。まあ、今日くらいはこういうものも用意しなければならないだろう。
 そうして家に戻るなり、すぐに食事の準備。買ってきたケーキは乃木が先に準備しておいてくれた冷蔵庫に。食糧などもしまい終えると、すぐに食事の準備に入った。
 晩を豪勢にするため、昼はできるだけ軽くと考えていた。米と、味噌汁と、魚。つけあわせに海苔と漬物。これで充分。
「質素だな」
「純和風と言え」
「魔王が和風洋風にこだわる必要があるのか?」
「俺は魔王じゃない」
 というわけで午後三時過ぎの食事は、つつましく行われた。元のマンションから持ってきたテーブルに二人分の食事。牛乳をコップに注いで、初めての食事が行われる。
「っ!!!」
 突然、目を白黒させる。
「しょっぱい」
 かなり薄味にしたつもりだったが、どうやらそれでも初めての味は刺激が強すぎたらしい。この分だとカレーライスを作るときは、カレーの王子様甘口でなければならないだろう。ついでにハチミツも入れなければ駄目か。
「まだ濃かったか。俺は充分薄味だと思ったんだが。
「他のも濃いのか?」
「魚は全く味をつけていない。必要があれば醤油を使え。漬物は……やめた方がいいな。海苔は大丈夫だろう。子供は味付け海苔が大好きだ」
「その喧嘩買った」
 そう言いながら海苔にご飯を器用にくるませて口に運ぶ。
「うん、おいしい」
「そいつは良かった。まあ、味も少しずつ濃い味に慣れさせてやる。今日は味噌汁はやめておけ」
「いや、悠斗が作ってくれたものを粗末にはできない」
「ならお湯で薄めるといい。ちょっと待ってろ」
 電気ポットには既に水を沸かせてある。保温状態になっているポットからお湯を碗に注ぐ。
「うん、ちょうどいい」
「お子様め」
「なんとでも言え」
 ふふ、と笑う。そうして和やかな食事はすぐに終わる。
「じゃあ作業をしてもらうか。ダンボールに詰めてきたものを全部取り出してくれ。とりあえずそこの備え付けの棚に入れておいてくれればいい。その間に俺は夕食の準備をする」
「昼食が終わったばかりなのに?」
「今日は理由があるからな。終わったら自分の部屋で少し休んでろ。動き回って疲れただろう」
「疲れてなんかない」
「強がるな。目が眠そうだ」
 押し黙ったのは悔しかったからか。
「分かった。おとなしく休む」
「いい子だ。夕食のときにでもゆっくりと話をしよう」
 そうして、二人は作業に戻る。
 そう。今日はこれから二人が暮らしていく最初の日。これから五年間、どうなっていくかは分からないが、そのスタートなのだ。豪勢な食事にしなければバチがあたるというもの。
 自然と気合が入っていた。こういうのも、悪くない。






 そして夕食時になって、真央が部屋から出てくる。仮眠をとっていたのか、全体的にぼうっとしている。
「おはよう」
「おはようございます」
「シャワーでも浴びてくるか?」
「いや、大丈夫」
 と言っている割には体がふらついている気がする。その顔がテーブルの上に注がれて、徐々に見開かれていった。
「昼に比べて、随分と豪勢」
「そりゃ今日はパーティだからな」
「パーティ?」
「引越し祝い兼、天野真央誕生記念」
 その言葉の意味をじっくりと考えてから首をかしげた。
「おかしい。私の誕生日は六月二十日。今日は十八日。パーティには二日早い」
「そうだな」
「どうして?」
「順調に行けば、お前と別れるのは五年後の明日だ」
 真央が頷く。
「だがそうなると、二十日にパーティをしていては二十歳の誕生パーティが開けない。だから俺とお前の間では、誕生パーティは毎年六月十八日だ」
 目を伏せてから、真央は頭をぶんぶんと振った。
「卑怯者」
「そればかりだな」
「あなたは優しすぎる。卑怯だ。私には何もさせてくれないくせに」
「お前が俺に何をできるっていうんだ」
 苦笑する。だが、自分のために何かをしたいとは思ってくれているらしい。
「私のできる範囲で何でもする。何でも言ってくれ」
「そうだな」
 そう言って考える。
「じゃあ、五年間、俺と一緒にいてくれ」
 真央はまた固まる。
「真央?」
「ずるい」
「またか」
「あなたは優しくて、ずるい」
 真央は、ついにここまで我慢してきた涙をこらえきれずに泣き出し、自分の胸に飛び込んできた。
(やれやれ、妹の扱いというのは難しい)
 その背中をぽんぽんと叩いて、なだめた。






 なお、食事の後に食べた誕生日ケーキがひどく気に入った真央だったが、最後に『まおちゃん たんじょうびおめでとう』のプレートを食べるべきか残しておくべきか、しばらく迷っていたことを最後に付け加えておく。
(本当に面白い奴)
 これからの生活が面白くなりそうだった。







【2】

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