「はい、あーん」
「おにぎりでそんなことをする必要はない」






【3−B】







 浜松町からモノレールに乗り換えて羽田空港へ。そしてJALで北海道は釧路空港へと向かう。
 初めてやってきた羽田空港の広さに真央は完全にぽかんとしていた。
「すごく人が多い。それに天井が高くて、店も多い」
「それだけたくさんの人が利用するということだ」
「空港っていうのはすごいな。昨日インターネットで調べたけど、実際に来てみないと分からないことは多い」
 しきりと首をあちこちに向けて興味津々な真央の手を引いて、手荷物検査まで進む。カートを預けて身軽になったところで、空港の中をあちこち歩いて回ることにした。
 朝七時でも羽田空港の店はけっこう開いているところも多い。ひたすらしきつめられた土産物を一つずつ見ては、真央は頷き、さらには感心していた。
「何故食べ物が多いんだろう」
「土産に渡して一番困らないからだろうな」
 それこそぬいぐるみだの木彫りの熊だのを土産にもらっても扱いに困る。自分用のお土産にしても、木彫りの熊など置く場所に困る。それなら食べ物にしてしまった方がいい。
「おいしそうなものがいっぱい」
「朝食はもうとってきたから、北海道につくまでは我慢しろ」
 真央はコクリと頷き、さらにまた首をかしげる。
「なんでお菓子なのにひよこの形をしているんだろう」
「お前がひよこの形にするなら、理由はあるか?」
 言われた真央は少し考えて答える。
「饅頭の形にしては、普通じゃない。こういう形をしている方がかわいくて、手に取りやすいんだと思う」
 さすがによく分かっている。普通の饅頭とひよこの形をした饅頭で、味も量も値段も同じなら、見た目がいいものを買いたくなるものだ。
「そういえば、ひよこまんじゅうは頭から食べるか尻から食べるかで性格が分かるという話が昔あったな」
 真央と一緒にいるとこちらまで何かと新鮮な気分になれる。初めて子供を連れて外出する親というのはこういう気持ちなのだろうか。
「空港限定商品なんていうものがある」
「限定とつけばつい買いたがる日本人の習性がよく分かっているな」
 あれこれを見学して、出発二十分前。搭乗口まで行って、呼ばれるのを待つ。
 やがて時間になって、機内案内のアナウンスが流れる。
「さ、行くぞ」
「う、うん」
 緊張の一瞬。噂に聞く『飛行機』についに自分が乗るのだという緊張と興奮が見ているこちらにまで伝わってくる。
「たかが乗り物だ。気を楽にしろ」
「うん。すー、はー」
 何故か深呼吸。つくづく面白い娘だった。
 ゲートを通り抜けるとそこはもう機内。窓やテレビにいちいち反応する真央を連れて指定の座席へ。
「すごい」
 窓側の席に座らせると、真央は大きなため息をついた。
「何が」
「大きい。私が今までに乗った乗り物の中でも一番だ」
「そりゃ車やJRと一緒にされてもな」
 人数だけなら電車の方が一気に運べるのだろうが、何しろ飛行機は全員座らないといけない分、当然機体が大きくなる。
「この横のは?」
「イヤホンの差込口。飛行機専用チャンネルや、前でやってるテレビを聞くことができる」
「上のライトは?」
「読書灯。本を読むときに手元に照明を当てることができる」
「すごい」
「いちいち感動するほどじゃない」
 とはいえ、次から次へと視点の移る真央には聞こえていない。やれやれ、とため息をつく。
 やがて、機内放送がかかる。そして離陸地点への移動の間に安全確認。すべてが初めての真央は、前で救命着の使い方を説明している客室乗務員をじっと見つめる。
(ま、最初はこんなもんかな)
 そういえば自分も最初に飛行機に乗ったときは、説明をきちんと聞いていたような気がする。初めて乗ったときのことなどほとんど覚えていないのに。
 そして、離陸。
 突然加速がかかり、体がシートに押さえつけられる感覚。
「ひっ」
 真央の口から悲鳴に近い声が出て、その手が自分の手をがっしりと握りしめてきた。
(子供じゃあるまいし、飛行機が怖いのか?)
 だがまあ、安心させてやるのも保護者の務めかと、真央の手を握り返してやる。
 そして圧力が下から来る。徐々に機体が浮き始める。
 真央は目をぎゅっと閉じている。飛行機嫌いもここまで来ると重症だ。
(まいったな。帰りも飛行機の予定なんだが)
 今からJRにでも変えた方がいいだろうか、とその真央の顔を見ながら思う。
 やがて、その圧力も徐々に感じなくなると、真央はそっと目を開く。当然いつもと変わらぬ機内風景がそこにある。
 目を二度、瞬かせてから窓の外に目を向ける。既に陸地は小さく、ごまつぶのような車が連なっているのが見えた。
「わあ」
 高いところからの眺め。それを見て真央が目を輝かせる。
(東京タワーからの眺めとかを見るのもいいかもしれないな)
 加速度さえ気にしなければ、この眺めは真央にとって気持ちのいいものらしかった。じっと見つめていたが、やがて機体が大きく傾き、進路を変える。とたんに目をつむり、また手に力がこもる。
(苦手なのか大丈夫なのか、難しいところだな)
 中学生の団体だと、学年に何人かはこうやって恐怖を感じるらしい。それが当然のように考えている人間にとっては驚くことだが。
(墜落の恐怖だろうか。それとも他に理由があるんだろうか)
 恐怖に怯えている人間にすらその理由が分からないのだから、他人がそれを考えても分かるはずがない。ただ飛行機に乗ると怖い、というのだ。
 やがて飛行機が安定高度に達したところで真央は大きく息を吐いた。そして、握りっぱなしの手を見てから、隣の自分を見てくる。
「もう手を離しても大丈夫だと思うが?」
「また揺れるかもしれない。このままで」
 若干、顔が青ざめているだろうか。まったく、苦手なものは苦手らしい。
 やれやれ、と思った。






 到着時にも大きく機体がゆれ、ひっ、と声を出す。
 それから完全に機体が止まり、はあー、と大きく息を吐く。そして人の流れにのって荷物受け取り場まで移動する。
「それにしても」
 少し離れたところで話しかけた。
「魔王にも弱点があったか。まさか飛行機に弱いとは」
「魔王はたいてい地下にいるから、高いところは苦手なんだ」
「なんだそのよく分からん理屈は」
 苦笑する。まったく面白い娘だ。
「ここが釧路空港か。あんまり広そうじゃないね」
 そしてターミナルに出てまたきょろきょろとあたりを眺める。
「まあ、地方空港だからな」
「それで、どこに行くんだ?」
「こっちだ。レンタカーを借りる」
 航空券を購入したときに、同時にレンタカーの手続きもしている。行けばすぐに車が準備されている状態だ。
 受付でサインを済ませる。出口外には既に車の準備がしてあった。
 レンタカーのいいところはナビがついているところだ。初めて行った土地でも目的地を入力すれば、自動的に進む道が表示される。
「さ、行くぞ」
 荷物を積み込み、目的地を入力し、出発。
 走り出してすぐ、真央は外の景色に目を奪われていた。
「うわ、やっぱり自然が多い。木ばっかり。道広い」
 そして一瞬考える。
「そうか、北海道は雪が降って、除雪すると道幅狭くなるから、最初から広くしてあるんだ」
「ほう」
 相変わらず『何故』を考える思考パターンに感心する。こういう考え方ができると応用力がつく。しかし、現状から季節の違いまで読み取るとは本当にたいしたものだ。
「最初は塘路湖だよね」
「ああ。食事をとりながらゆっくり行こう」
 真央が喜んで鞄からランチボックスを取り出す。既に時間は午前十時。今日は朝食が六時前だったので、もうおなかがすいてきている。今日は朝から車で移動になるということは想像がついていたので、弁当持参にしていた。それも運転する自分が食べやすいようにおにぎり中心だ。
「はい、あーん」
「おにぎりでそんなことをする必要はない」
 真央が口元に差し出してきたおにぎりを奪い取って、自分で食べる。むう、と少し膨れた。
「少しは恋人らしくしてくれてもいいと思う」
「いつから恋人になったんだ」
「そういうのに興味があるって言ったでしょう。恋人の真似事くらいはいいかなと思ったんだけど」
 ぷん、とむくれて目を閉じながらおにぎりを食べる真央。やれやれ、これは姫のご機嫌を取っておかなければならないか。
 一つ食べ終わるとすぐに両手をハンドルにあてて「もう一つ」と言った。目を細くした真央が「はい」とおにぎりを差し出す。そこでぱっと口をあけた。
「……?」
「早く」
 そう言うと、突然真央が笑顔になる。
「うんっ! はいっ! あーんっ!」
 食べやすい位置におにぎりが現れる。ぱくり、と一口。
「おいしい?」
「ああ」
 もごもごと口を動かしながら頷く。
「えへへへへ」
 おにぎりを持ったままにやける真央。
「あなたは本当に優しいな」
「突然何を」
「優しいよ。だって、私のわがままにつきあってくれたんでしょう?」
 まあ、そういうことになる。さすがに今のでは『手が離せなかった』といういいわけが通じるはずもない。
「お前は本当に面白いやつだな」
「褒められてる?」
「ああ。最大級の賛辞だ」
「嬉しい」
 笑顔でまた差し出されてくるおにぎりにかぶりついた。






 釧路を出て、国道三九一号線をまっすぐ北上。その近辺が全て釧路湿原国立公園である。
 釧路湿原は日本最大の湿原で、東京の都心部が完全に入るくらいの広さを持つ。国道に沿って北に進むと、まず右手に塘路湖、やがて左手にシラルトロ湖がある。途中のサルボ展望台に上ると、塘路湖が一望できる。
「綺麗」
 思わず真央が一言。確かにその景色は『綺麗』の一言につきる。
 国道を通ってきたときは単なる湖にしか見えなかったのだが、こうして高いところから全景を見ると全く雰囲気が違う。
 向かって左に向かって広がる湖。遠くには山の稜線。右手に走る国道。そのさらに右側に沼。それは一つの『完成された景色』であった。
「北海道はすごい」
「まだまだこれからだろう。次は多和平に行くんだから」
 多和平展望台はこの釧路湿原国立公園の一番北にある。四方全てに地平線が見えるという場所だ。
「うん。すごい楽しみ」
「隣の展望台にもいってみようか」
 サルボ展望台から一キロ隣にはサルルン展望台がある。そこまでは徒歩で移動となる。
 こちらもなかなかの眺め。塘路湖の他、四つの沼が一度に目に入る。それだけたくさんの沼地があるからこそ、湿原としての価値が高い。
「問題。釧路湿原も指定されている、水鳥の生息地として重要な湿地を保護するための条約を何という」
「ラムサール条約」
「正解。ちゃんと勉強しているな」
「もちろん。あらかじめラムサール条約でこの湿原のことを知ったんだから、実際に目で見たいと思っても当然でしょう?」
 真央はこの北海道に来た理由がよく分かっている。普通の中学生が本来行うはずの修学旅行。そのかわりのようなものだ。今までに勉強したことをきちんと覚えているかどうか、実物を見てどう思うか。それを確認するのが修学旅行というものだろう。
「では、どんな水鳥が保護の対象になっている?」
「タンチョウ」
「ほう、詳しいな」
「天然記念物に指定されている。さすがになかなか見つからないな」
「そうだな。たしか千羽はいるはずだが」
「まさに千羽鶴」
「誰がうまいこと言えと」
 流れるような掛け合いに、思わず二人で吹き出す。
「さて、そろそろ行こうか」
「ああ。今日はまだ長いからな」







【3−C】

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