「確かに面白いものが見られた。悠斗の言った通りだな」
「こんなことまで予想できるか」






【8−E】







 昼食を取り終え、車が次に目指したのは西海岸のビオスの丘だ。
 水族館とビーチを明日に控えている以上、観光できるところは今日のうちにしておいた方がいい。そう判断して、多少寄り道にはなってしまったが、かまわずビオスの丘まで足を伸ばしていた。
「ビオス、とはどういう意味だ?」
「ギリシャ語で『生命』という意味だな。つまり、植物園というほどではないが、植物を中心とした公園というところか」
「公園なのにお金を取るのか。世知辛いな」
「お前、難しい言葉を覚えたな」
「ふふん」
 真央は日本語技能がレベルアップした、とかファンファーレが真央の頭の中で鳴っているのかもしれない。あまり想像したくないが。
「けっこう大きい駐車場だな」
「そうだな。あまり観光客は来ないみたいだな。ナンバーが『わ』じゃない方が多い」
「あ、本当だ。でも中には『わ』ナンバーもあるね。ほら──」
 と言いかけて、さすがに真央は顔をしかめた。それを見れば自分も顔をしかめる。
「……またエメラルドグリーン」
「よっぽど縁があるんだな。というか、同じ番号だったか?」
「いや、そこまでは見ていない」
「ここまでくると、どこかのレンタカー会社が、同じカラーリングでたくさんの車を保有していると考えた方が正しそうだ」
「なるほど、それは盲点だった。悠斗はよく気がつくな」
 そんな会話をしてから園内へ。園内には湖水観賞船があって、一周二五分ほど。真央が「ぜひ乗ってみたい」というので早速船着場まで移動する。
 その途中だった。



「胡蝶蘭がたくさん」
「形の悪い奴なら詰め合わせで安く買えるぞ。千五百円でダンボールに詰め放題」
「でも、持って帰ってもあまり長持ちはしないんじゃないか?」
「そうだな。鉢植えにしてそこそこ長持ちもするが、一ヶ月かそこらが限界だろうな」
「そうか。こういうのはこの場で見るからいいものかもしれない」
「そうだな」
 そうして船着場に到着。既に何隻かは到着していて、あと数分で出発というところだった。



「ちょうどいいタイミングだな。これから乗船だ」
「うん。楽しみだな、何が見られるのか」
 真央が喜んで乗船する。一脚で三人掛けのベンチだが、二人で座っても問題なさそうだった三十人ほど乗ったところで出発。
「えー、それでは、定刻となりましたのでー、出発いたします」
 案内人が乗り込んできてエンジンをかける。ブロロロ、と音がして船がゆっくりと進み始める。
「本日ー、天龍司船へーご来船ーありがとうー、ございます」
 語尾を上げて伸ばすのが特徴的な話し方だった。
「私、昼の間は、高橋と呼ばれています。午後、八時からはー、名前が変わります」
「名前が?」
「変わる?」
 真央と顔を見合わせる。
「八時からはー、ジェームズ、と、呼ばれますー」
 しん、と静まり返る船内。
「ここでー、笑えなかったらー、今日はこの先大変ですー」
 そこでようやく失笑。なかなか楽しい船長のようだ。
「すまない、悠斗。今のは何だったんだ?」
「船長の冗談だ。まあ、聞き流せ」
「そうか。名前が二つもあるなんて不便だな。郵便はどちらの名前で送ればいいんだろう」
「いや、だから」
 まあ、後でゆっくりと説明するとしよう。
「みなさまー、左手に、白いー、胡蝶蘭の花がー、見えてまいりましたー。胡蝶蘭というのはー、よく鉢植えで見られることが多いと思いますがー、本来は、木に生えてくる植物ですー」



「本当だ、木に生えてる」
 反対側に座っている自分たちからではあまりよく見えないが、確かに木から生えているようではある。
「水面にはムスジイトトンボが、今日はたくさん、みなさんを歓迎しに集まっているようですー。あと、アメンボなんかもいますがー、みなさん、アメンボはどうしてアメンボと呼ばれるかご存知でしょうかー」
「悠斗は知っているか?」
「まあ物の種には」
「なかなか難しい問題ですのでー、三択に、しようと思いますー。一番、雨が降った水溜りに集まるから。二番、なめると飴のような味がするから。三番、飴のような匂いがするから。さあ、どれでしょうー。一番の方ー。半分くらいですかー。二番の方ー。あ、少ないですねー。三番の方ー……えー、まだ三、四人ほど上げてらっしゃいませんー」
 強制か。思わず苦笑する。
「何番だ?」
 真央が尋ねてくる。
「三番だ。今、正解を言うだろう」
「正解はー、三番でー、ございますー」
 意外な回答に、船内で起こるどよめき。
「アメンボはカメムシと同じ種族でー、ございますー。カメムシほどではありませんがー、そのような匂いを放つとされていますー」
「すごい、悠斗、正解」
「まあ、これくらいはな」
 別に喜ぶようなことでもないが、真央が喜んでいるのが自分としても嬉しい。
 それからも湖水のまわりの木々や、休んでいる水牛なども見て、舟は船着場へと戻っていく。
「ところで、沖縄のものといえば、パイナップルが有名ですが、皆さんは、パイナップルの花は見たことが、ありますかー?」
 真央が首をかしげる。
「悠斗は見たことがあるのか?」
「写真でなら」
「さて、パイナップルの花は何色でしょうかー。これは、分かる方、いらっしゃいますかー?」
「緑!」
「黄色!」
「赤!」
 一緒に乗っていた子供たちが次々に色を答えていくが、船長は笑って「違いますー」と答える。
「お分かりになりませんかー? イナップルですー」
 思わず苦笑する。答を知っていると、なかなか面白い語呂合わせだった。
「青!
「白!」
「紫!」
「はいー、正解ですー。答は紫ー、パープルですー。パープル、パープル、パーイナップル……ちょっと、苦しかったでしょうかー」
「なるほど!」
 真央が大きく頷いた。いや、感心するところではない。笑うところだ。
「さてー、それでは楽しかった船の旅も終わりを迎えますー。みなさまー、今日は天龍司船にご乗船、ありがとうございましたー」
 と、あれこれ見て回った船も終了となった。なかなか楽しい船長だった。
「ありがとうございました」
 真央が船長にお礼を言って下りる。
「楽しかった。やっぱり、人の話を聞くというのは面白いな」
「そうだな。さて、次はどうするか」
 パンフレットを広げて、他に何が見られるのかを確認。
「悠斗、水牛車に乗れるらしい。これも乗ってみたい」
「了解。じゃあ、乗り場近くの『おもろ茶屋』で乗車券の購入だな」
 そうして園内を移動。途中、子供たちの遊び場があって、バドミントンやらフリスビーやら、大きなブランコに乗っている子供もいたりと、家族連れの子供たちが全力で遊んでいた。
「現地の車が多いと思ったら、ここは県民が遊ぶ場所としてちょうどいいということか」
 県民にも観光客にも遊べる場所。なかなかよくできた作りだ。
「悠斗、水牛車だ!」
 真央が目を輝かせて見る。



「なかなか大きい……というか、その後ろの車が大きいな」
「こんな大きなものに、何人も乗せて、それで水牛は引いていけるのか?」
「たいした力だな。一日に何回も人を乗せるだろうに、水牛も楽じゃない」
 水牛車に乗り込んで、一番前を確保。向かいにもカップルが乗って、その後ろにまた別の家族。全部で十人といったところだった。
「それでは、水牛車、出発します」
 案内の人は徒歩だ。つまり、歩くよりもゆっくりとしたペースでしか進めないということだ。
「随分ゆったりとしているんだな」
「そうだな。平安時代に使われていた牛車も、こんなものだったのだろう」
「贅沢品ということだな。歩いた方が速い」
「まったくだ」
 水牛は園内の決まったルートを歩く。途中、見所になるところでは、水牛が自分から止まる。どこで何をするのかを、全部分かっているのだ。
「賢いでしょう。水牛は、もう自分が歩くルートも、止まる場所も全部分かってるんです」
「すごいですね。賢いし、可愛い」
「戻ったら、後で写真も撮れますよ。水牛に乗りますか?」
「ぜひ、お願いします」
 そうした案内の人と、真央のやり取り。先ほどの船もそうだったが、真央はやはり確実に成長している。
 かつて北海道では、写真撮影を自分からお願いするのにも、勇気を振り絞っていた。それなのに今ではこうして知らない人とでも仲良く話すことができる。
(成長したな。やはり、高校に進学させてよかった)
 自分の手元で育てるだけでは、こうした社交性など絶対に身につけることはできない。こうして人と話し、コミュニケーションを取ることが今の真央に必要なことだ。
「ん、どうした、悠斗」
「なに、お前も随分、人見知りをしなくなったな、と思ってな」
「そうだな。自分でもあまり気づかなかったが」
「お前が成長してくれて嬉しいよ、本当に」
「そうか。悠斗が喜んでくれるなら、私も嬉しい」
 にっこりと微笑む真央。笑顔の数も増えてきた。まあ、北海道以来、旅行が大好きになってしまったので、そうした旅の空気も真央を喜ばせているのだろうが。
「そろそろ終点です。今日はありがとうございました」
 園内の陸地ということで目新しいものはなかったが、乗客の出身地にまつわるものや、沖縄の話などいろいろと話を聞くことができた。考えてみれば、ここまで見てきた場所はその建物や景色しか見てこなかった。このように人と接するということはほとんどなかった。
「悠斗、ここに来られて良かった。なんだか、この場所は暖かい」
「そうだな」
 もちろん気温がとかいうわけではない。人や動植物が生きている、その生命のぬくもりだ。
「ビオスの丘、か。あながち、名前負けというわけでもないようだな」
「うん。また来たいな。修学旅行は絶対ここに来る」
「それがいい」
 そうして、園内の散策をしてから、定番の土産物コーナーによって、それから駐車場へ。
「……悠斗」
 そこで、真央が目を白黒させた。
「どうした」
「増えた」
「何が」
「分裂した」
「だから、何が」
「車」
 と、先ほどの車を指さした。



「なるほど。やっぱり、同一のレンタカー会社だったか」
「スカイレンタカー、と書いてある」
「ああ。まとめて同じのを大量購入したんだろう。いったい、これと同じ車が今、沖縄で何台走っていることか」
 少なくとも今日一日で四台から見ているわけだ。このゴールデンウィークに何台レンタルされているか分からないが、行く先々で見られる以上、百台近い車が走っていなければこれほど遭遇することはないだろう。
「確かに面白いものが見られた。悠斗の言った通りだな」
「こんなことまで予想できるか」
 いつものやり取りをしながら、車を今日のホテルへ向けて走らせた。







【8-F】

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