「随分板チョコを買ってきたみたいが、いったい何枚あるんだ?」
「一グロス」






【10−A】







 二月になって、真央は大量のチョコレートと、手作りチョコレートの調理器具を購入してきた。
「なんだこれは」
「チョコレートだ。見て分からないか」
「俺が聞いたのはwhatじゃない。こんなにたくさん、どうするつもりだ」
「whyということだな。それなら簡単なことだ。上手なものを作ろうと思うのなら、一回や二回ではうまくいかないだろう」
「簡潔明瞭に」
「練習用だ」
 なるほど、と頷いたがそれにしてもガーナチョコレートを平積みで買ってくるのはどういうことか。
「随分板チョコを買ってきたみたいが、いったい何枚あるんだ?」
「一グロス」
 一グロス=一ダース×一ダース、すなわち一四四個。
「阿呆」
 ぺし、と額を叩く。むう、と真央が唸った。
「練習するにしても程があるだろう。どれだけ作る気だ」
「義理チョコはそれなりに配るつもりだが」
「義理?」
「友チョコともいう」
 無論、その呼び方を知らないわけではない。外に出る用事も少なくテレビを見ていればそういう言葉も自然と入ってくる。
「男子女子問わず、欲しがっている者を尋ねたら、とりあえず八十五人も立候補してきた。もしかしたらまだ増えるかもしれないな」
「それだけ人気のある魔王は空前にして絶後だろう」
「ただ買って渡すだけでは芸がないからな。せっかくだし練習も兼ねて、義理チョコ友チョコの一個くらい渡しても問題はないだろう」
「お前に告白してきた相手にも渡すのか?」
「希望があればな。もちろん、その気がないことを相手もよく了承していることが条件だが」
「木ノ下さんと境さんには?」
「あの二人は特別だ。義理と同じものを上げるわけにはいかない。きちんとしたものを作って渡す」
「それならいい。あともちろん、俺にもくれるんだろうな?」
「当然だ。一番の自信作を悠斗にはプレゼントする。本命チョコだな」
「期待しよう」
 というわけで、その日から早速真央はチョコレートの製作練習に取り掛かった。とはいえ、既に調理の腕前はかなり上達している真央だけに、それほど苦労するというわけでもない。溶かして、味を加えて、型に入れて、冷やして、完了。時間があれば充分にできるだろう、とキッチンは真央に明け渡し、夕食は軽いものにでもしようと判断した。
 簡単なものなら一時間もあればできる。どうやら最初から凝ったものを作るつもりはないのか、作り始めてから一時間半もしたところで完成したらしい。もちろん冷やす時間が必要なので、出来上がったものは現在冷蔵庫に放り込まれている。
「というわけで、夕食後に味見をお願いしてもいい?」
「本命チョコをもらう前に大量に試食させられそうだな」
 というわけで、その日の夕食は海鮮スパゲティにして、あまり胃にもたれないようにした。
 食後、出てきたチョコを見て、とりあえず唸った。
「試みに聞くが、これは何を作ったつもりなんだ?」
「サタン」
 それはもう見事な『悪魔』だった。かわいらしい生物に悪魔の耳と尻尾と、手にはフォークまでついている。というかどういう型を使ったらこんな奇天烈なものが出来上がるのか。
「お前は天才だな」
「褒めてくれてありがとう。ただ単に、悪魔の型があったからそこに流し込んだだけなんだけど」
 そういえば世の中にはウルトラマン(型)チョコ、バルタン星人(型)チョコなどもあるということだが。
「だがこれは人にあげる形ではないだろう」
 もらったチョコが悪魔では、それが単なる嫌がらせだ。
「もちろん。味付けをいろいろ試した後に余った分で即興で作っただけだ」
 いつの間にこれほどのスキルを身につけたのか。まったくもっておそろしい。
「というわけで、本命はこちら」
 続けて皿に出されたのは、小さいカップ型のチョコレートだった。
「とりあえず味がどうかと思って、いろいろと味付けをしてみた。どれが一番美味しいか、評価を頼む」
 親指と人差し指で輪を作るより一回り小さい。きちんと食べられる大きさと量を考えてくれたようだ。これなら十個くらいは大丈夫だ。
「で、どれだけあるんだ?」
「非常識な量ではないから安心してくれ。軽く一ダースだ」
「十二個で間違いないんだな?」
「皿が一ダース分とでも言うつもりか」
 真央ならやりかねない、とはあえて口にしなかった。
「では一番から順に頼む」
「了解」
 まず一つ。きちんとチョコレートの味がしている。まあ、元がチョコレートなのだから、味が変わるほうが不思議なのだが。
「普通の味だな」
「それは何も加えていない。何も入れないと元のものより味は落ちると聞いた」
 溶かして固める間に旨みが逃げるのだろうか。
「次は?」
「ココアパウダーを加えた奴だ」
 なるほど、確かに味と香りがかすかに違う。
「次」
「生クリームを加えてガナッシュを作って、トリュフにしてみた」
 生クリームとチョコを混ぜるとガナッシュになる。これを丸めればトリュフの完成だが、よく短時間でこれだけ作れるものだ。
「うまい」
「おお、悠斗の合格が出たか」
 真央が笑顔になる。自信作だったのだろうか。
「これなら一つずつラッピングして渡したらいい評判作りになるだろうな」
「別に評判を気にして作っているわけではないぞ。良いにこしたことはないが」
「まったくもってお前は魔王らしくないな」
 というわけでその後もいくつかのチョコレートを試食した。みんなおいしかった。
「というわけで悠斗、明日も頼む」
 毎日それだけ食べさせるとは何という嫌がらせか。
「分かった。とりあえず試食だけでもう本命チョコはいらない」
「む、それは困る。悠斗には一番の自身作を食べてもらうつもりだからな。分かった、試食はもういい。だいたい味のよしあしはわかってきたから、あとは一人で何とかしよう」
「無理はするなよ」
「もちろん。好きでしていることだからな」
 勝ち誇ったように言う。そういうところを見ていると、どうしても『女の子』には見えない。技術を極めようとする職人の顔だ。






 そんなわけで二月十二日(金)。今年はバレンタインデーが日曜日なので、真央は金曜日には全員分を作って紙袋に入れて持っていった。最終的に渡す人数は教職員からも手が上がり一七三人になったとのこと。
 味が良いのはもう分かっていることだ。これだけの人気ならいっそ売り出せばいい商売になるのではないだろうか。
 そうして下校時間が近づいてくると、真央から携帯に連絡があった。
「珍しいな、どうした」
『すまない、悠斗。迎えに来てほしい』
「それはまた珍しいというより、初めてのことだな。何があった」
 魔王のくせに体調でも悪くしたかと思ったが、違う。
『荷物が予想以上に増えたんだ』
「OK。チョコだな」
 考えれば分かることだった。
「いくつもらったんだ」
『途中から数えるのをやめた』
「ある意味記録になるだろうから、あとで数えておけ」
『私はホワイトデーでこれらを返さなければならないんだろうか』
「いや、今日渡した分と相殺でいいんじゃないのか?」
『そう願う』
 そういうことなら仕方がない、とすぐに車を出す準備をする。さて、どれくらいもらったのか。そこそこの大きさのものでも十や二十なら持っていった紙袋に全部収まるだろう。ということは相当な数を覚悟しておかなければならない。
 念のため、ダンボールや紙袋も用意することにした。車を走らせること二十分。校門前に車をつけて携帯をかける。
「真央か? 到着した」
『ありがとう。すぐに行こうと思うんだが……』
「一度には運べない量か?」
『正直、困っている』
「ダンボールはいくついる?」
『一つ──いや、二つほしい』
「分かった。部外者が入るのは問題があるだろうから、校門まで迎えにきてくれるか」
『分かった』
 待つこと五分、真央が校門まで歩いてくる。と、両隣にはこの間の木ノ下さんと境さん。
「あ、おにーさん! こんちはーっす!」
「どうも、お久しぶりです」
 木ノ下さんが大きく手を振り、境さんが小さく会釈する。
「二人がついてくると言ってきかないので連れてきた。すまない」
「何、別にたいした問題じゃない。ダンボールは二つでいいのか?」
「ああ。教室に山積みにしてある。とりあえず運ぼう」
「あ、その前に」
 真央と校内に入ろうとしたところで木ノ下さんと境さんが顔を見合わせた。
「お兄さん、どうぞ」
「真央からももらうんでしょうけど、あたしたちからもってことで」
 二人から同時にチョコレートを手渡される。さすがにこの展開までは予想していなかった。
「わざわざありがとう」
「どういたしまして。お返し、期待してますから!」
「お兄さんは素敵な方ですから、真央ちゃんとは関係なしにお渡ししたいと思っていました」
 真央はそれをじっと見て感心したように言う。
「良かったな、悠斗」
「まあ、そうだな」
 いただいたチョコレートを車にしまうと、改めて四人は校内へ。ダンボールを持って校内を歩く部外者、それも校内一のアイドル真央と一緒に並んで歩いているのを見た生徒たちが何事かと注視してくる。
「針のむしろだな」
「そりゃー、おにーさんがかっこいいからですよ。真央と並ぶと絵になるんだよなー」
「そうですわね。どことなく雰囲気も似ていますし」
「それは仕方が無い。私はずっと悠斗に育てられてきたんだから」
 よく言う。出会った第一声を思い出してみろと言いたい。もっとも他に人がいるこの場所でそんな話題を出せるはずもないが。
「で、いったいどれくらいチョコをもらったんだ?」
 真央は少し顔をしかめた。
「見れば分かる。今日は一日、どうやって運ぼうかとそればかり考えていた。悠斗に迷惑はかけたくなかったんだけど」
「麻佑子がさ、迎えに来てもらえばいいって説得したんですよ」
「やっぱりこういうときは頼りになるお兄さんの出番だと思います。それに」
 くす、と麻佑子が笑う。
「真央ちゃんとお兄さんがこうして並んで歩いているところを、他の生徒たちに見せびらかしたかったんです」
「同感同感。ついでにあたしたちがその近くにいるっていうのがなんとなく優越感だよな」
「悪趣味だな、二人とも」
 真央が憮然とする。
「私も悠斗も見世物じゃない」
「分かってるさ。アンタはアタシの友人だ。それが誇らしく思って何が悪い?」
 木ノ下さんは、えへん、と胸を張った。同じように境さんも自信に溢れた笑顔を見せている。
「いい友人にめぐまれたな、真央」
「もちろん否定はしない。でも納得いかない」
 むしろ納得がいかないのは彼女の置かれている境遇、さらには保護者である自分に居心地の悪さを感じさせていることなのだろう。
「さて、どれだけあるのやら」
 教室に入った瞬間、どこが真央の席かはすぐに分かった。山のように積まれているチョコレート。こんなのは漫画の世界だけかと思っていたが、意外に現実にもあるものだと知った。
「すごいな」
 それ以外の言葉が浮かばない。
「困っていると言ったのが分かってくれたか」
「分かった。確かにダンボール二つ分は必要だな」
 というわけで、それを一つずつ確認しながら真央が丁寧にダンボールにしまっていく。
 手伝おうかと声をかけたが、渡してくれた人のために、まずは一つずつ自分の手でしまいたいと言った。
「全部一人で食べるつもりか?」
「さすがにこれだけ食べると太りそうだ。名前を全部確認した上で、同じマンションの子供たちに配ってあげようかと思う」
「それがいい」
 マンションは数フロアは自分たちで借り切っているのだが、それ以外には当然住人がいる。近くに小学校があることもあり、小学生は確か全部で五十人以上はいたはずだ。それだけ配ってもまだあまりが出そうだが。
「天野」
 と、そこに男子生徒から声がかかった。
「なんだ?」
「誰だ、そいつ?」
 初対面の相手をそいつ呼ばわりか。
「兄だ」
「兄? へえ」
 男子生徒が自分をまじまじと見る。
「何か?」
「いいえ。大変ですね、妹のパシリでここまで呼ばれるなんて」
 どうやら喧嘩を売られているらしい。買うのはかまわないが、さてどうしたものか。
「やめろ、藤田」
 だが、自分が何か言うよりも先に真央が剣呑な様子で言う。
「悠斗を悪く言うつもりならば、容赦はしない」
「なんだよ、随分兄をかばうんだな。恋人みたいだな」
「何を言っている。恋人であるはずがないだろう。兄妹なんだからな。だが、私にとって悠斗は誰よりも大切な人だ。それを侮辱するのなら許さない」
 教室が一斉にどよめく。思わず頭を押さえた。
「初めて君たちが家に来たときの二の舞だな」
「あー、あのときも真央、平気でそんなこと言ってましたよね」
「お兄さんを大切だと言えるのは素敵なことだと思いますわ」
 だがそれも時と場合による。さすがにこの場面でそれはない。
「ところで境さん。もしかしたらと思うのだが、その少年は以前──」
「お兄さんの思った通りで間違いありませんわ」
「ありがとう」
 この子は本当に物分りがいい。境さんのような人物が真央の傍にいるというのはありがたいことだ。
「このブラコンめ」
「藤田くんとやら」
 そこで初めて自分はその二人の間に割って入った。
「なんだよ」
「振られた腹いせに突っかかるのは男として度量が足りないぞ」
 教室の中がどっと笑う。
「て、てめえっ!」
 頭に血がのぼったのか、彼の手が動く。
 だが、悠斗はそれを冷静に見て相手の手首を掴み、ねじり上げる。
「ってえっ!」
「部外者が揉め事を起こすわけにはいかないんでね。何もしないというのなら離してあげるが、どうしようか。このままねじったら、骨が折れるかもしれないぞ?」
「やめろ! 分かった、分かったから!」
 根性が足りないな、と思いつつとった手を離す。
「アニキ面しやがって!」
 実際兄だからな、と言うより早く藤田くんとやらは出ていった。
「おおー、おにーさん強いな。びっくりした」
「落ち着いていれば相手の動きに合わせるのなどたいしたことではないさ」
「これだもの、普通の高校生ではお兄さんにかなわないですわよね」
 境さんが納得して真央に話しかける。
「良かったですわね、真央ちゃん。お兄さんが頼れる方で」
「何度も言わせるな。私は悠斗がいなければ生きていけないんだ」
「……頼むからそれ以上誤解を生む発言はやめてくれ」
 針の数が十倍以上に増えた心地がした。







【11】

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