「覗くなよ、悠斗」
「安心しろ。妹に興味はない」






【11−C】







 こうしてあちこちの観光地を見た自分たちは、神の子池から南下してすぐのところにある宿へと向かった。
「中標津の温泉宿といったらやっぱりここよ」
 駐車場に入る。湯宿だいいち、と看板に書いてあった。
「大人気の宿だから、ゴールデンウィークの一ヶ月前には普通、満室なのよ」
「よくそんなところで新しく部屋を増やせたものだな」
「増やしてないわよ?」
 いじめっ子の笑みを見せる。
「一緒のところに泊まればいいじゃない」
「真央はともかく、俺は問題あるだろう」
「大丈夫よ。とにかく、見てくれたら分かるわ」
 そうして宿に入っていく。入ったロビーに大きな囲炉裏が用意してあって、その周りに座って休憩できるようになっている。
「こちらでチェックインしていただきますが、まずはゆっくり休まれてください。ただいまウェルカムドリンクをお持ちしますが、ジュースとお茶とコーヒーと、何がよろしいですか?」
 入ってすぐにお茶を出す宿は多いが、ウェルカムドリンクとして何がいいかを尋ねるところは少ないだろう。それぞれ好みのものを頼み、ドリンクが運ばれてくる間に正面の大きなガラスから中庭を見る。
「食事どきはここにパンくずとかを置くのよ。そうすると鳥やオコジョなんかが食べに来るの」
「初めてくるところではないんだな」
「ええ。ここはもう五回目。立派なリピーターね」
 わざわざ本州から五回も泊まりに来ているなら立派なリピーターだろう。
「どうも、お久しぶりです」
 仲居さんがやっていてチェックインの紙を持ってくる。
「お久しぶりです。今日も美味しい料理、楽しみにしています」
「いつも遠いところからありがとうございます。今回追加でお二人ご友人が来られるというのはこちらの方ですか」
「ええ。私の友人。よろしくお願いね」
「それはもう。精一杯おもてなしさせていただきます」
 本当に楽しそうに仲居が話す。
「本日はトレーラーハウスの方にご一泊となります。大浴場はこちらの建物ですが、トレーラーハウスの方にもお風呂を別に用意しておりますので、そちらもぜひお使いください」
「ええ。楽しみにしてたわ」
 くすくすとみやこが笑う。
「トレーラーハウスはもう三回目ですものね」
「ええ。今回は本当は一人で借り切るつもりだったけど、友人が一緒に来られるようになってよかったわ。あの広いトレーラーハウスで一人きりなのは寂しいものね」
「そうですね。周りを気にしないで一晩ゆっくりとされてください」
「ありがとう。それじゃあ、案内してくださる?」
 ドリンクを飲み終えたところで移動する。本館を出て、駐車場を抜けた向こう側に何軒か別棟があるが、その中の一つが実はトレーラーハウスで、離れとして客室にしているのだという。
「立派な家のようだな」
「普通の建物よ。ほら、中に入りましょう」
 階段を上って入口の扉を開けてもらう。入口はガラス戸なので、中でカーテンをかけて外からは中が見えないようにできる。他の窓にも全てブラインドが下がっているが、そうでもしないと大量の虫がつくのだろう。
「広い」
 真央が中に入って驚く。
 普通にキッチンがあって、ソファにテーブル、もう一つテーブルがあってそちらには椅子が二脚。階段がついていて上がロフトになっている。敷布団が何組かあって、空調用だろうか扇風機が置かれている。さらにキッチンの向こうは寝室で、ダブルベッドが置かれている。
「こんなところを使っていいのか」
「いいのよ。お金払うわけだし」
 みやこがさも当然とばかりに言う。
「部屋のご説明を差し上げます。まず、食事、大浴場は全て本館でお願いします。鍵は人数分ございますので、自由にお使いください。お風呂はこちらにもございまして──」
 そして仲居が外を示す。
「反対側の階段を下りますと、丸太風呂を用意してございます。外からは見えないようにしてありますので、ごゆっくりおくつろぎください」
「丸太風呂って、外じゃないのか?」
 真央が驚いて尋ねる。
「はい。目の前が川ですから、自然の中で人目を気にすることなくお風呂に入ることができます」
「そうなのか。少し恥ずかしいな」
 全く恥らう様子もなく言われると、本当に恥ずかしいのか謎だ。
「覗くなよ、悠斗」
「安心しろ。妹に興味はない」
「私には興味ないかもしれないが、みやこさんもいるんだぞ」
「俺は変態だのスケベだの好んで言われるような趣味の持ち合わせはない」
 テンポよい会話に仲居さんが面白そうに笑う。
「バスタオルを巻けば男の方も一緒に入れるでしょうけど、丸太風呂で三人は狭いですよ」
「さすがにこれ以上お兄さんをいじめるのも申し訳ないわね」
 ようやく許してくれるのか、みやこが笑いをこらえて言う。
「大浴場に行った後で、ゆっくりとこっちのお風呂も一緒に入りましょう」
「喜んで」
 みやこと真央がそうやって予定を立てている。あまり発言するつもりのない自分としては火の粉さえ降りかからなければかまわない。
「それではごゆっくり」
 仲居さんがいなくなってからソファに腰を下ろす。真央が手早くお茶を見つけてきて三人分の準備を始める。
「あら、ごめんなさい真央ちゃん」
「いいえ、気にしないでください」
 そうしてお茶を含んでから、改めてトレーラーハウスの中を見る。
「悪いけどお兄さん、今日の夜は真央ちゃんを貸しきらせてもらうわよ」
「何が悪いのか分からんが好きにすればいい。真央もみやこさんとは話したいと思っているだろう」
「うん。みやこさんさえ問題なければ」
 要するにダブルベッドを二人で使うということだ。自分はロフトに布団をひいてそこで寝ればいい。
「それじゃ、決まったところで大浴場に行きましょうか」
 早速二人が浴衣に着替えるというので、自分は一人奥の寝室で待機する。
(真央が楽しそうで良かった)
 ずっと二人きりでも悪いことはないのだが、他人との交流が真央を強くする。もっともっと楽しんで喜んで、人間を好きになってもらわなければならない。
(あと三年)
 六月で、出会ってからちょうど二年になる。最初は長い年月になるだろうと思っていたが、過ぎてみれば早いものだ。
「悠斗、もういいぞ」
 呼ばれたので出てみると、白地にピンク色の花で飾り付けられた浴衣を着た真央が立っている。
「どうだ?」
「思った以上に似合っている。可愛いな」
 さっ、と顔が赤らむ。真央は単純な褒め言葉に弱いのはもうとっくに分かっている。
「それで、私の方は褒めてくださらないの?」
 一方のみやこは淡い緑の浴衣。花模様は真央と同じだった。
「似合ってますね。上品です」
「真央ちゃんに比べて心がこもってないなあ」
 みやこは両手を握って腰にあてる。少し納得がいかないという様子だ。
「まあ、真央ちゃんが似合ってるのは同感だけれど。可愛いわよ、真央ちゃん。餓えた狼に食べられないようにしないと」
「餓えた狼?」
「温泉宿に泊まりに来ている男の子。まあ、こういう宿でそんな間違いはないでしょうけど」
 あったら絶対に容赦するつもりもないが。
「もしものときは守ってよ、お兄さん」
「当然だ」
 迷うこともなく答える。
「それじゃあ行きましょうか。ゆっくりと温泉に入りたいわ」






 そうして温泉につかった後は、時間がかかるだろう真央たちを置いて先に一人でトレーラーハウスへと戻ってくる。
 丸太風呂は先に使わせてもらうことになっていた。時間がかかるから入るなら先でいい、と言われていたのだ。
「ふう」
 風呂の前には川。自然の中で風呂に入るとはこの上もない贅沢だ。露天風呂と違って、一人でこの自然を貸切にできるのだ。
「本当にいい場所を知っているな」
 北海道に何度も来ているだけのことはあって、みやこの知識はたいしたものだと思わざるをえない。
 それに今までは常に真央のことを心配しながらの行動だったが、今はみやこが真央を見てくれている。そうした安心感もある。ある意味、この二年で初めて自分が真央から解放された時間でもある。
(真央がいない生活か)
 本当に、三年後を考えると怖くなる。真央が自分に依存しているのは当然のことだが、自分も真央を育てるということで、この二年間でいろいろな能力がそぎ落とされている気がする。主に対人能力。仕事をしていた頃に比べて、自分は何ができなくなっているだろう。
「悠斗」
 階段の上から声がかけられた。姿が見えないということは、物陰から声をかけてくれたのだろう。
「真央か。みやこさんは?」
「お茶を飲んでくるって言ってた。ゆっくりお兄さんと話してきたらと勧められた」
 なるほど、少しは気を使ってくれたらしい。
「そっちに行ってもいいか?」
「やめておいた方がいい。俺は服を着ていない」
「そ、そうか」
 少し戸惑ったような様子で真央が答える。
「ここで話しててもいいかな」
「寒いだろう」
「少し」
「中に入っていろ。すぐに上がる」
「でも」
「気にするな」
 真央が中に入ったのを確認してから上がる。手早く浴衣を着てトレーラーハウスに入った。
「お茶買ってきた」
 風呂上りに熱い茶よりは冷たい茶の方がありがたい。遠慮なくもらうことにする。
「大浴場はどうだった?」
「岩盤浴を初めてしたんだけど、熱くて。ミストサウナは気持ちよかった。それから、混浴のところには男の人もいた」
「おい」
「大丈夫。そこまでは行かなかった。みやこさんが『そっちに行ったら駄目』って言ってくれて」
 それは本当にありがたい。みやこに感謝だ。
「久しぶりにのんびりできた。ここはいいところだ」
「そうだな。トレーラーハウスの丸太風呂もなかなかだ。あとでみやこさんと一緒に入ってくるといい」
「そうする」
 お互いあったことを簡単に確認してから、真央が本題に入る。
「さっき、みやこさんから尋ねられた」
「何をだ?」
「本当の兄妹じゃないんでしょう、って」
 やれやれ、と肩をすくめた。まあ、確かに見た目に似ているわけではないから、よく見ていれば分かることではあるが。
「それで、何と答えた」
「肯定して、事情があるとだけ」
「無難な答だな。驚いたように、もしくは怒ったようにして否定するのは今のお前には難しいだろう」
「冷静に否定することもできたんだ。学校で何度か尋ねられたしな。似てないけど本当に妹なのかって」
「やっぱり俺が学校に行かない方がよかったか」
「そんなことはない。あのとき以来、ラブレターの件数が減った。新学期に入って下級生の告白を受けるようになったが、同学年、上級生からはもうほとんどない」
 下級生はもう真央に目をつけているのか。まだ一ヶ月だというのに。
「私からではどこまで話すことができるのかが判断つかない。だから」
「ああ、それで俺と話し合ってこいって時間をくれたわけか」
 どこまでも気のきく女性だ。
「今のところは何も話すことはできないな」
 少なくとも魔王がどうこうという話は絶対にできない。
「それはもちろんだが」
「いや、俺が疑っているのは、どうしてみやこさんが俺たちにここまで親切にしてくれるのかということだ。単に自分が気に入っただけにしては、少し深入りしすぎている」
 魔王がいるのなら、それを倒そうとする『勇者』がいてもいいだろう。そうした人間がやはりこちらの世界に来ているとか、そういうことがあってもいいのではないだろうか。考えすぎか。
「改めて乃木に調べさせなければならないな」
 携帯電話を取り出し、乃木の番号に連絡する。
『やあ、悠斗くん。真央ちゃんは元気かい?』
 二コールで電話に出た乃木はいつものように気楽な調子で話してくる。
「調査を依頼したい。真央にやけに興味を持っている女性がいる。名前は藤代みやこ。企業先は──」
『や、ちょっとちょっと』
 いきなり本題に入った自分に対して乃木はうろたえる。
『何があったんだい。迷惑を受けているのかい』
「いや。俺も頼りにしている相手だし、真央も気に入っている相手だ。今は一緒に旅行中の相手だ。ただ、相手の素性が知りたい。詳しい調査結果を早急に寄越せ」
『そんな人手があるとでも?』
「真央を無事に成長させるのがお前の仕事だろう。さっさと動け」
『それが頼むときの態度かなあ』
「頼んでいない。命令だ」
 電話の向こう側で盛大なため息が聞こえた。
『OK、ボス』
「ではよろしく頼む」
 丁度電話が切れたところで扉が開く。
「話は終わった?」
「丁度終わったところだ」
 肩をすくめて答える。
「まあいいわよ。説明なんかしなくても」
 みやこは笑みを見せて言う。
「それは助かる」
「人には事情があるものね」
 そうしてみやこは真央の頭を軽く撫でる。
「私はただ、真央ちゃんの気持ちが知りたかっただけだから」
 意味ありげな言葉。だが、それは何も尋ねるわけにはいかなかった。自分たちもまた秘密を抱えているのだから。







【D】

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