「愛している、真央」
「……私もだよ、悠斗」






【17−A】







 五月になった。

 契約満了まで、あと一か月。はたしてこれが長かったのか、短かったのか。
 真央について書き留めてきたこの日記も、膨大な量になった。
 一か月して、真央と別れたあと。
 自分はこの先、どうやって生きていくのだろう。
(まったく想像もできないな)
 この状況は、ある意味では流されたものだ。自分で選んだものの、選択肢は誰かに用意してもらったもの。
 新しい選択肢が目の前に現れない限り、自分はどこにも進むことはできないのは自覚している。
 真央さえいてくれるなら、他には何もいらない。
(連れて、逃げるか?)
 無理なのは承知だ。元の世界に戻すことは最初から決まっていたこと。
 連れていったところで、この世界で生存限界のある真央と一緒にいられる時間はわずかしかない。いずれにしても別れは最初から決まっていたことだ。
「引き取ったときから、分かっていたはずなのにな……」
 別れるときに、自分の身が引き裂かれることになるだろう、ということは。
「悠斗」
 真央が部屋に入ってくるのを見て、PCを閉じた。
「どうした、寝られないか」
「悠斗は私を赤子か何かと勘違いしていないか」
 少しだけむくれた様子を見せる真央。
 それにしても。
(もともと美少女だったが、化けたものだ)
 美人になった。
 そのくせ、本質は変わっていない。出会ったころのまま。
「話があってきた」
「お前の話を聞かないようなことはない。どうした」
「ここ一、二年。あまり聞かないようにしてきたんだが」
「ん?」
「悠斗は後悔していないのか。私を引き取ったことを」
 ふむ。
 どうやらそろそろ──
「終わりの始まり、ということだな」
 自分の言いたいことは、正確に相手に伝わったようだ。
「そうだな。あと一か月。何かを始めるには遅く、何もしないでいるには長い」
「後悔はない。お前と一緒にいられた五年間は俺の人生で最も充実していた」
「悠斗はこの五年間、すべての時間を、一分一秒たりともあますことなく、本当に私のためだけに使ってくれた。それがどれだけ不自然なことかは分かっている。でも、だからこそ悠斗には伝えておかなければいけない」
「伝える?」
「悠斗のその不自然さは悠斗を滅ぼす。悠斗は私がいなくなった後、どうするつもりなんだ?」
「ちょうどそれを、さっきまで考えていた」
 まるで監視されていたかのようだ。
「正直、まったくわからないな。こんな弱いことを言うつもりはまったくなかったが、俺はもうお前なしでは生きていても意味がないと思ってすらいる」
「……ずいぶん、惚れ込まれたものだ」
 顔を赤くしてうつむいてしまった。
「正直、嬉しい」
「どうにもならないことだがな。お前とはずっと一緒にいたいと思っている」
「それがかなわないなら、別の人生を考えなければいけない。悠斗はまだ若い。何だってできる」
「何だってできることと、何かをしようとすることは別だがな」
「私がいなくなって、何もする気になれないのはわかる。私は悠斗にとってかけがえのない存在だろうから」
「自分で言うか」
「違うとでも言うつもりか」
「違いません」
「よろしい」
 なんだろうこのやり取りは。そんな会話もあと一か月もすればできなくなる。
「先にこの話は終わらせておこう。まだ本題が残っている。私がいなくなった後のことは麻佑子に任せてある。何かあったら麻佑子に言ってくれ」
「まてまてまてまて」
「麻佑子には私が成人するまで待ってほしいと伝えてある。私がいなくなってから悠斗がずっと一人でいるよりは、私の一番信頼する人と一緒にいてくれる方が嬉しい」
「その話は──」
「断るなよ? 断ったら私が泣くぞ」
「なんでお前が泣く必要があるんだ」
「悠斗が心配で心配で仕方ないからだ。私以上に」
 そんなに自分は被保護者に心配をかけさせていたのか。激しく頭痛。
「頼りない兄で申し訳ない」
「そういう意味じゃない。私だって悠斗がいない世界でどうやって生きていけばいいのかわからない。いっそ魔王になって世界を滅ぼした方がいいんじゃないかと思う」
「お前、この五年間を無駄にするつもりか」
「そういうことだ。私は魔王にはならない。私を人間でいさせてくれるために全力を尽くしてくれた悠斗のために、魔王を降臨させるつもりはない。ただ、私の中にそれくらいの絶望があるのだから、悠斗の中にも同じ絶望があるはずだ。違うか」
「違わない」
「だから心配している。正直、向こうの世界のことは言ってみなければわからないが、悠斗のことはいくらでも対策が打てる。正直に答えてくれ。麻佑子は嫌いか?」
「そんなわけはないだろう。ただ、お前がいるのに考えることはできない」
「考えてみてほしい」
「お前な、世界で一番魅力的な女を前に、他の女のことなんか考えることはできないだろうが」
 むう、と真央がうなる。
「私を喜ばせようとしたってむ、無駄だぞ」
「噛むな。お前の気持ちは分かった。お前がいなくなってからゆっくり考える、それでは駄目か」
「駄目だ。今日、今、この場だけ考えてほしい。あと一か月は私のことしか考えてもらわないようにするから」
 なんということだ。
 そこまできちんとしておかないと、真央は少しも安心はしてくれないらしい。
「わかった。口約束しかできないが、お前がいなくなったらきちんと境さんと向き合おう。それで勘弁してほしい」
「よし。約束をたがえるなよ。魔王との契約を破ったらどうなるか分かってるな」
「世界の半分をくれるんだろう?」
「それは魔王と契約するときに渡すものだ」
 もちろんわかっている。こうしたやりとりも、本当にあと1か月。
「それで、本題は何だ?」
「うむ。少し、いやかなり悩んだんだが、やはりここははっきりさせておいた方がいいと思う」
「はっきり?」
「ああ」
 んん、と咳払いをする。
「私は悠斗が好きだ。だから、恋人として私を愛してほしい」
「真央」
「五年たったらもう一度言えと悠斗は言った。厳密にはまだ五年じゃないが、五年待っていてはもう伝えられなくなる。私は本気だ。別に断られたからといって私たちの関係が変わるわけではないと思うが、もし恋人にしてくれるのなら私たちの関係は少し変わるのだろう」
「まあ、そうだろうな」
「悠斗は私が好きだろう?」
「はっきりと言い過ぎだ、お前は」
「否定するのか?」
「しない。俺はお前を愛している。女性として、初めて愛した女性だ」
「佐々木さんは?」
「知ってて聞くな。別に恋愛感情から付き合っていた相手ではない」
「それなら、私を愛することはできないか?」
 そう言った真央の体は震えていた。
 緊張から震えるなど、いったいどういう魔王か。それほど彼女はひたむきに自分を求めている。
 もちろん自分も真央を求めている。積み重ねてきた時間はもう、自分の心を否定することができずにいる。
「お前と恋人になったら、ますます一か月後がつらくなるな……」
「恋人にならないまま別れるのと、恋人になってから別れるのと、どちらが後悔する?」
「比べられる類のものではないな。辛いことに変わりはない」
「それなら今を大切にすればいい。どうせ私たちが共に過ごす未来は存在しない。それなら最後の一か月だけでも、人生最良の時を過ごしたい」
「まったくお前の言う通りだな」
 これまでの約三十年の人生。
 ようやく見つけた生涯の伴侶は、あと一か月でいなくなってしまう。
「それなら、真央」
「なんだ」
「明日は、指輪を買いに行こう」
「!」
「残り一か月、何かをするには短い時間だ」
「結婚式でもするつもりか」
「いくらなんでもそれは無理だ。だが、ドレスとタキシードで写真撮影くらいはできるんじゃないか」
「おお」
 ぽん、と手を打つ。
「それから──恋人になるのなら、もう我慢はできないが、いいんだな?」
「む。知識としては知っているつもりだが、私では悠斗の欲望をすべて受け止めることはできないかもしれないぞ」
「お前は俺をどう見ているんだ」
「こう」
 冷たい視線だった。
「安心しろ。別に変な趣味はない。ただ──」
「ただ?」
「極上の女を前に五年も我慢したんだ。自分を止められる自信はない」
「五年前か……」
 真央がしばらく考え込んだ。
「なんだ?」
「ロリコン。スケベ。変態」
「結局そこに行くのか」
 ため息をついて、真央の手を強引に引く。
「あっ」
「もう何も話すな、お前は」
「まっ、た」
「待たない」
「いや、全部悠斗に任せる。でも、最後にもう一回、言ってほしい」
 なるほど。
 それは、こちらも望むところだ。

「愛している、真央」
「……私もだよ、悠斗」






 こうして、自分と真央はつきあうことになった。
 距離が縮まるほどに、一か月後のことを思うと憂鬱になる。
 だが、最後の一か月だ。
 こうなったら、とことんまで真央を喜ばせてやろう。
 それが、自分の喜びでもあるのだから。

 自分の腕の中で、安らかな顔で寝ている真央。
 その髪を、そっとなでる。

「愛している、真央……」







【17-B】

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