Sayonara
(この場面、ゲームであまりにひどいネルの扱いに憤りを感じました/笑)






 エリクールからバンデーンの脅威は去った。
 そしてこの世界に来ていたフェイト、マリア、クリフ、ミラージュの四人は元の世界に帰ることになった。
 分かっていたことだ。彼らがこの世界の住人ではないと聞いたときから、この日がいつか訪れることは決まっていたのだ。
 彼らが元の世界に帰るまで、あと四時間──





「フェイト」
 マリアたちと話していたフェイトに声をかける。いよいよ帰ることができるとあってか、四人とも少し嬉しがっている様子だった。
「ネル」
 だが、フェイトは振り返ると少し寂しそうな顔を浮かべた。
 彼も、自分と同じ気持ちだろうか。
 その二人の様子を見て、マリアがぽんと彼の背中を押した。
「あ、なんだよマリア」
「いってらっしゃい」
 にっこりと笑うマリアに憮然とするフェイト。
「あ、えっと……」
 彼はネルの前まで来たはいいが、何も言葉が出てこないといった感じだった。
 ネルとしても、そこまで彼に何かを求めるというわけではない。彼の不器用さは、それこそ本当の最初から分かっていたのだ。
「ちょっと話さないかい?」
 二人で、という意味をこめて親指で中庭を示す。
「あ、うん。そうだね」
 いつものように彼女は先に立って歩き、その後ろを彼がついていった。
 何を話したらいいのか、というのは彼女にしても同じだった。
 彼のことを意識しはじめたのは、彼が自分を助けに来てくれたときから。
 この気持ちが本物であると気付いたのはアミーナとの一件があってから。
 彼がこの世界の住人でないと知って愕然としたのはマリアがやってきてから。
 そして……。
(別れたくない、か。今までそんなこと思ったこと、一度もなかったのにね)
 何故、そんなふうに思えるようになったのか。思うようになったのか。
 確かに助けてくれたことは一つのきっかけにすぎない。
 だがそれ以前からも、彼の不器用な優しさ、はにかむような笑顔、全てが自分の心の中に刻まれている。
 要するに……。
 理由などないのだ。
 ただ自分が相手のことを好きで、別れたくないと思っている。それだけ。
 少し前までの自分なら、こんなことで悩む自分に苛立っていたかもしれない。
 だが、その相手がフェイトだからこそ、この悩みはそれこそ神聖なものにすら思える。
「ねえ、ネル」
 中庭に入る少し前、フェイトが声をかけた。
「なんだい?」
「えっと……」
 彼はネルの横に立って一緒に歩いた。
 そういえば今まで、彼の歩いている姿というのをあまり見た記憶がない。
 いつも自分が一行の先頭を歩いていた。
 この世界での案内役。
 地理に疎い彼らを先行させることはできないというのが理由だった。
 それがいつのまにか、当たり前のようになっていた。
 だが、今は隣で歩いてもかまわないではないか。
「ふう」
 彼女はため息をついた。
「どうかした?」
「いや……自分に呆れているところさ」
 彼女は言葉を濁した。
 だが、彼はそれを聞いて微笑んで答えた。
「僕も同じだよ」
 彼女も笑った。
 もっと早くに、こうして距離を近づけることはできたはずだった。
 彼の気持ちに遠慮して、距離を遠ざけていたのだろうか。
 彼の立場を考慮して、距離を遠ざけていたのだろうか。
 今となっては何が理由なのかは分からない。だが、たくさんの時間を無駄に過ごしていたことには違いない。
「あんたとは、もう少し早く会いたかったね。いや違うな……もう少し長く一緒にいたかった、かな」
 中庭について、彼女はそう切り出した。彼も「そうだね」と答える。
「アーリグリフであんたたちを助けてから、ずっとあんたたちを守るために戦ってきたけれど、実際には自分が守られることの方が多かったような気がするよ」
「僕はネルに守られていたよ。ずっと、いつだって」
「戦うことしかできないからね」
「そうじゃないよ。僕が言いたいのはそんなことじゃない。ネルはいつだって僕たちのことを考えてくれてたじゃないか。アミーナのときだって慰めてくれた。そんなふうに自分を卑下するのはよせよ」
「卑下してるんじゃない。自分を客観的に見つめているだけさ。だってそうだろう。あんたたちを守るのは任務だったんだ」
「ネルは任務だと全て割り切っていたの? そうじゃないと僕は知っているよ」
 さすがにその断定した言い方には驚いた。彼にこれほど力のある言葉を言うことができるとは、新しい一面を最後になってから見た想いだった。
「そうだね。確かに割り切っていたわけじゃない。任務だっていうんだったら、あんたたちのことは途中で見捨ててしまえばよかったんだから」
「そうだよ。陛下の前でだって、必ず僕たちを弁護してくれてたじゃないか。自分の立場が危なくなるかもしれないのに、そんなことは僕たちを信頼してくれていなかったらできないことだよ」
「信頼か……ちょっと違うね」
 彼女は言葉を言い換える。
「別に信じていたわけでも頼っていたわけでもない。アタシはあんたたちのことを気に入ってただけのことさ」
「僕もだよ、ネル」
 彼は、自分の正面に立ってまっすぐに見つめてきた。
 案外、背が高い。
 真摯な瞳は出会ったころのままだ。自分を利用して逃げ出そうとすら考えなかった。いや考えていたとしても、助けてくれた恩を返すまでは決して逃げようとはしなかった。
 誠実なのだ。彼は。
 だから彼の言葉は、そのまま彼の本心であることが分かる。
「離れたくない」
「……」
「正直、僕もこんな気持ちになるなんて思ってもいなかったよ。でも、放っておけないくらい任務に一途なところも、僕たちのことを一生懸命支えてくれたことも、僕にとっては全て……その」
 最後になって言葉が出てこないのは、彼のやっぱり不器用なところだ。
「……えっと、好き、なんだ」
「そうかい」
 相手から言われるとは、正直この段階まで来ても思っていなかった。
 彼の不器用さでは、自分から言わなければ話にならないだろうと思っていた。
 また、仮に言ったとして何になるのだろうか、とも。何しろあと数時間の後には二度と会えなくなってしまうのだから。
「不思議だね」
 彼は何を言われたのか、よく分からない様子だった。
「あのとき、アタシがアーリグリフに隠密として入っていなければ、あんたと会うことは決してなかっただろう。ほんのささいな偶然、たった一日ずれていたって、それは駄目だったんだ。そう考えると、あんたに会わせてくれたアペリス神にはいくら感謝してもしきれないよ」
「ネル」
「アタシも好きだよ、フェイト」
 彼女は両手で、彼の服を掴む。
「離れたくない。あんたとずっと一緒にいたい」
 でも、それはできない。
 彼は新たなバンデーン艦をここへ連れてくるかもしれない。それ以前に、彼には帰るべき場所がある。父母、そして幼なじみ。彼を待っている人がいるのだ。
 自分がこの世界の住人であるのと同じように、彼にもまた帰るべき世界があるのだ。
 彼は、そっと手を肩に回した。
 抱きすくめられる形になって、彼女は彼の胸に頭をつける。
 彼は優しくその頭を撫でた。
(暖かい)
 彼の鼓動が聞こえるような気がした。
(ずっと、こうしていたい)
 顔を上げる。
 目の前に、彼の優しい笑顔がある。
 目を閉じた。
 ゆっくりと、唇が重なる。
(フェイト……)
 手を、彼の背に回した。
 彼の腕が、自分の体を強く抱きしめる。
(離れたくない)
 全身で、彼を感じていた。
(離れたくない!)
 ゆっくりと離れる。
 目の前に再び、彼の微笑み。
「大丈夫、ネル」
「……え?」
「二度と会えないというわけじゃない。必ずまた会いに来るよ」
「本当に……?」
「絶対。目的を果たしたら、必ず会いに来る。約束するよ」
 だから、待ってて。
 かすかに囁かれた声が、確かに彼女の耳元に届いた。
 ああ、待ってるよ。
 同じように彼女は囁き返した。





 いよいよその時は来た。
 もう悲しみなどない。
 彼は必ずここへ来ると行った。それならば、それを信じて待ちつづけよう。
 彼は嘘をつかない人だから。
 だから、いつもの表情で、一言だけ最後に言った。
「さよなら」
 彼らの姿が、光に溶けて消えた。
 今まで四人がいた場所には、もう何もなかった。
「……さよなら」
 彼女は、もう一度だけ呟いた。


「ミラージュ、見た?」
「はい、見ました」
「フェイトもやるわねえ〜♪ みてみて、あのネルの幸せそうな顔」
「いいですね、障害のある恋愛は見ていてもえます」
 はあ、と後ろにいたクリフはため息をついた。
「何をやってんだか……」
 キスシーンを見られたなど、二人はつゆほども思っていないだろう。クリフは二人(特にフェイト)に同情した。

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