Lapis 〜Prologue〜
(クリムゾンブレイドなのにどうしてアーリグリフにいたのかは謎)






「では、この件についてはいかがなさいますか」
 尋ねられた赤い髪の女性は表情を少しも変えることなく答えた。
「殺せ」
「……はい。ですが」
「一度敵と通じたものは、それがいかなる理由であれ繰り返すおそれがある。タイネーブ、我らに必要なのは、裏切りに対しては絶対に許さないという毅然とした態度だ。今回はこれだけ明白な証拠が上がっているのだ。弁明の余地はない」
「ですが、王都へ戻し……」
「タイネーブ」
 部下は二度、自分に対して意見を述べようとしてきたが、それを強引に封じる。
「……はい、分かりました」
 自分の決意を知ってか、部下の女性は彼女の前を辞した。
「ふう……」
 一人になって、ようやく息をつく。
 ネル・ゼルファー。
 聖王国シーハーツが誇る『クリムゾンブレイド』の一人。国内にたった二人しかいない国王の名代。
 それが彼女であった。
 今彼女は敵国アーリグリフへ忍び込んでいる。部下の一人が敵と通じたため、断固処断するという姿勢を貫いたところであった。
 罪を犯したのは、彼女の腹心であるタイネーブの側近であった。敵国アーリグリフの男性兵士と恋愛関係となり、危うくシーハーツから隠密に来ていることが敵側にばれるぎりぎりのところでその二人を抑えた。
 既に相手の男の方は殺してある。相手の方も探りを入れていたというわけではなく、本当に偶然芽生えた恋であった。調査の結果からそれは明らかだった。だが、だからといって部下を許すわけにはいかない。相手はこちらのことを知らなかったかもしれないが、こちらは相手のことを十分に知っていたのだから。
「恋、か」
 その感情の存在は知っている。だが自分がその感情を抱いたことはない。
 いったいどのようなものか、興味はある。
 だがおそらく、自分はそのような感情とは一生無縁だろうと思った。
 自分は聖王国シーハーツの『クリムゾンブレイド』なのだ。恋愛など、している暇は微塵もない。
「よりによって敵国の男か……自分の命をかけるほど、回りが見えなくなってしまうものなのか」
 時として人の感情には制限がなくなることを、彼女はこれまでの経験から見知っている。
 だが、直接ではないにしろ、自分の部下からこういう事態が発生したとなると、さすがに見て見ぬふりはできない。
 くだらない事件だったが、この件については握りつぶすわけにはいかない。詳細な報告を行わなければならない。そしてその報告書は既に書きあがっている。
(……本当にくだらないな)
 恋愛感情が引き起こした悲劇。
 ばかばかしい。
 そんな気持ちを抱くから自分の命を危険にさらすのだ。
 恋愛などしなければいい。
 それが一番、都合がいいのだ。
 彼女は報告書を机に投げ捨てた。
 そして椅子から立ち上がると窓の外を眺めた。
 いい天気だった。
 空から何か降ってくるかのように、一面真っ青だった。
(案外、恋愛感情っていうのは空から降ってくるのかもしれないね)
 それまで自分の中になかったものが、突然わいて出てくるのだ。それは空から降ってきたと表現した方がいいのではないか。
(馬鹿馬鹿しい)
 自分の思考に気付いて苦笑する。どうも変な事件に関わったせいで、変なことを考えてしまうようになったようだ。
 早く、自分の仕事に戻ろう。
 彼女は再び、アーリグリフの調査書に目を通した。






 そんなある日のこと。
 空から落ちてきた隕石から男が二人現れ、城に連行されたというニュースが飛び込んできた。
「いったい何だとお考えになりますか?」
 タイネーブが尋ねてくる。彼女は指で机をトントンと叩いた。
「そうだね、人が乗っていたということは、それは乗り物なんだろう」
「巨大な岩の乗り物ですかあ?」
 紫色の髪をしたファリンがとぼけたような声を出す。これだけとぼけていながら、こと軍指揮能力については彼女を大きく上回る人物である。
「おそらく外はカムフラージュのために岩に偽装してあるんだろう。まあ、故障か何かで落ちてきたと考えるのが妥当かな」
「空飛ぶ乗り物……そんなものを作ることができるのは」
「閉鎖国家グリーテン。それしかないだろうね」
「では中に乗っていた人物というのは」
「それはグリーテンの技術者ということだろうね」
 自分の考えはそれほど間違っていないだろう、とネルは確信していた。もちろんグリーテンの技術者が何故こんなところにいるのかなど全く分からない。
 だが現実に起こった出来事から推測されるのは、そのようなことでしかないのだ。
「いかがなさいますか」
「まず伝令。クレアに現状を詳細に報告すること」
「はい」
「その上でタイネーブとファリンは馬車を用意しておいて」
「馬車ですかあ?」
「ああ。少し大きめのがいい」
「何に使われるおつもりですか?」
「グリーテンの技術者たちを連れていく」
 彼女の言葉に、部下二人は目を見開いた。
「そ、それはアーリグリフ城に潜入するということですか!?」
「ああ。もしあんな空飛ぶ乗り物みたいな技術が相手の手に渡ったら一大事だ。逆にこちらに協力させることでこの戦いに活路が見出せるかもしれない。とにかく、それだけ力のある技術者を捕らえさせておくことはできない」
「危険ですう」
「大丈夫だよ、ファリン。グリーテンの技術者は何としても仲間にする。もしできないときは……」
「できないときは?」
 技術というのは知識だ。知識は一度手に入ったらなくすことはできないものだ。
「殺す。それしかないだろうね」
 敵の手に渡るくらいなら、その口を塞ぐ。
 それがもっとも効率のいい方法だ。
「作戦は一刻を争う。あたしはすぐに行くよ。あんたたちも早く行動するんだ」
「はい!」
 タイネーブとファリンが駆け出していくのを見て、彼女は立ち上がりナイフを手にする。
 正直、一人であの城に忍び込むのは容易ではない。
 だが隕石騒動で混乱している城中、いくらでも隙はあるはず。
 牢屋までいけば、あとは力押しでどうにでもなる。
「行くか」
 武器を収め、彼女はアーリグリフへと向かった。






 首尾は上々だった。
 牢屋まで見つかることは全くなく、牢屋入口の兵士たちを昏睡させるだけで、彼ら二人のところまで来ることができた。
 そして、牢屋の中にいた人物を見つめた。
(これが、グリーテンの技術者か)
 蒼い髪。
 蒼い瞳。
 優しそうだが、芯のところではしっかりとしていそうな青年。
(何だ?)
 彼を見ていると、胸の中にもわもわと霞がかかってくるようだった。
 得体の知れない何かを感じる。
 本当にグリーテンの技術者なのか?
 だが、たとえ違ったとしても、既に犀は投げられている。
 彼らをなんとしても、シーハーツまで連れて帰らなければならないのだ。






 彼女はまだ気付いていない。
 その、最初に霞がかかった感情こそが、後に『恋』に発展するものだということに。



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