Kalmia
(ちなみにあのマフラーは軍の正式なコスチュームなんでしょうか)






 頭痛がする。
 ネルはこの日、朝からずっとベッドに寝ころがっていた。
 別に怠慢というわけではない。昨夜からの頭痛が治まらなかったからだ。
 さいわい場所はアリアス。相棒のクレアも「今日くらいは休みなさい」と言ってくれたので、ゆっくりと横になっているのだ。
(ふう……)
 ずっと横になっているだけだが、勝手に汗が出てくる。熱があるのは間違いない。
 一日寝ていればおそらく治るだろうが、そうはいっても頭痛がおこっているのはまさに今なのだ。辛いことに変わりはない。
 そういえば、熱を出したのはいつ以来だっただろう。
 確か前に倒れたときは、クレアがずっと傍についていてくれた。まだシーハーツに仕える前のことだ。
 ずっと隣にいて、手を握っていてくれた。
 あの温もりが心地よくて、クレアという存在が特別になったのだ。
 でも、今はクレアはいない。
 自分一人のために、全軍を率いるクレアの業務を怠らせるわけにはいかないのだ。
 だが、寂しい。
 病気で一人寝込んでいるときほど、つまらないものはない。
 窓の外では子供たちの声。
 別の部屋では会議の最中。
 自分だけが全ての時間の流れから取り残されている。
 置き去りにされた子供のような寂しさ。
 泣きたくなる。
(……本当に、子供のころに戻ってしまったみたいだね)
 涙腺が緩んだことが自分でも意外だった。
 首を振ろうとしたが、頭痛でそれはできなかった。
 仕方なく目を瞑る。こういうときは眠るに限る。
 その瞬間だった。

 コン、コン。

 扉がノックされる。声を出して答えることも億劫だったが、とりあえず「あいてるよ」と気力を振り絞って答える。
「ええと、お邪魔します」
 扉が開いて入ってきたのは、蒼い髪の持ち主だった。
「フェ、フェイト」
 彼女は起き上がろうとしたが、すぐに頭痛が走る。
「あ、無理しなくていいよ」
 フェイトは手に林檎と、そして花束を持ってきていた。
「クレアさんに聞いたよ。熱出したんだって?」
 花束はあらかじめ花瓶に入れられていた。それを窓際の机の上におくと、フェイトは椅子を持ってきてネルの傍に腰掛けた。
「ちょっとごめん」
 フェイトはネルの額に乗っていたタオルを取って、近くにあった洗面器に浸す。そして軽く絞ってまた額にのせた。
「すまないね。こんなことまでさせて」
「気にするなよ」
 フェイトは苦笑して、ナイフで林檎を剥きはじめた。
 案外手馴れているのか、綺麗に林檎の皮が切り取られていく。
「うまいもんだね」
「まあ」
「幼なじみに食べさせてあげてたのかい?」
 フェイトは苦笑した。どうやら図星だったらしい。
 何故か少し、胸が痛んだ。
「ふうん……あんたの幼なじみが少し羨ましいね」
「え?」
「こうして寝込んでいるときに傍にいてくれる人の存在っていうのは、ありがたいもんさ。どんな人間だってそれは同じだよ」
「ふうん、ネルも?」
「そうだね。アタシも……クレアがいてくれたからね」
「じゃあ羨ましがる必要なんかないじゃないか」
「そうだね……」
 確かにフェイトの言うとおりだ。自分にもクレアのように傍にいてくれる人はいる。
 だが、彼女が羨ましいということには、言葉とは別の理由があるのだ。
「それ、もらえるかい?」
「あ、うん」
 ネルはなんとか起き上がろうとするが、頭痛で顔が歪む。
「大丈夫?」
「ああ、なんとか」
 ようやく起き上がって、六つに切られた林檎の一つを手に取る。
 そのフェイトの顔が真っ赤に染まっていた。
「?」
 気が付くと。
 自分は寝着で、前が少しだけ、はだけていた。
「あっ」
 彼女は前を隠したが、気まずさは残る。
 しばらく、二人の間に言葉はなかった。
 ふう、と息をついて彼女は林檎を口にした。
「美味しいね」
「そ、そう。よかった」
 まだ動揺しているのかフェイトは少しどもっていた。
「気にしなくていいよ」
「あ、うん。その、ごめん」
「いいってば」
 律儀な青年だ。彼女は苦笑した。
「もう一つもらえるかい」
「あ、うん」
 フェイトから手渡された林檎を口にする。甘酸っぱい味が口の中に広がる。
 どうしてお見舞いは林檎と決まっているのだろう。クレアがいてくれたときも林檎を剥いてくれたような覚えがある。あのときは……そう、クレアが馴れない手つきで、がたがたの不恰好な林檎を食べさせられたのだ。
 でも、美味しかった。
 あんなに美味しい林檎はそれ以来食べたことがない。
「……生涯で二番目に美味しい林檎だね」
 あのときの味には、自分の大切な思い出がこめられている。きっとあれほど美味しい林檎は二度と食べられないだろう。
 そして、今食べている林檎も、きっと大切な思い出になるだろう。
「お見舞いにきてくれてありがとうね」
「そんな。ネルにはいつも助けられてるから、これくらいは」
「ふふ、あんた、風邪で寝込んだことなんてないだろう?」
 艶っぽい笑みに、フェイトはまた赤くなる。
「苦しいときに一人でいることほど嫌なことはないんだよ。傍にいてくれるだけで心は救われるんだ。あんたはそれを直感で悟っている。優しい証拠だよ」
「そんな」
「ちょっと褒めすぎたかな。でも、あんたが優しいっていうのは誰も反論できないだろうね。まあ、八方美人になる可能性もあるから、幼なじみも気が気じゃなかっただろうけど」
「どういう意味?」
「やれやれ。あんたの幼なじみに同情するよ」
 頼りがいがあって、優しくて、見た目も悪くない。これだけ要素が揃っていて幼いころからずっと一緒にいる。好きにならないはずがない。
 自分なら、間違いない。
「悪いけど、少し寝かせてもらえるかな」
「あ、ああ。ごめんね、無理させて」
「いいって。気が晴れたよ」
 ネルは微笑んで、フェイトも頷いた。
 そして彼が出ていったのを見届けて目を瞑る。
 さすがに寝入ったところまで見られるのは気恥ずかしかった。
 心地よい。
 いい夢が見られそうだった。






 目が覚めたとき、自分の目に映ったのは大切な相棒の姿だった。
「あら、目が覚めた?」
 クレアは微笑んで、机の上から林檎を持ってきた。
 それを手馴れた様子で綺麗に皮を剥いていく。
「仕事は?」
「もう夜よ。全部終わってるわ」
 窓の方を見る。月明かりが差し込んできている。フェイトの持ってきた花が照らされている。
「そうか……わざわざ来てくれたんだね、すまない」
「何を言っているのよ。それに、ずっとこの機会を狙ってたんだから」
「?」
 クレアはくすっと笑って林檎を差し出した。
「前は不恰好なものを食べさせちゃったから。あの日からずっと練習してたのよ?」
 それはもう、美しく形が整っていた。
「……覚えてたんだね」
「あなたとの大切な思い出だもの」
 フォークを受け取り、林檎を食べる。
 それは、あの日と同じ味がした。
「ネル?」
 思わず涙が零れていた。
 本当に、この人は自分にとってはもったいなさすぎる。自分はこの人に見合うだけの存在になれているのだろうか。
「いや、なんでもないよ」
 目元をぬぐって、もう一口食べる。
 美味しかった。
「そういえば、彼、来てたのね」
 クレアは窓際の花を見て言った。
「彼?」
「フェイト。お見舞いに来てくれたんでしょう? ネルはどうしたのかって私のところに聞きにきたから」
 それで倒れていることが分かったのか、と納得した。
「それにしても……どういう意味かしらね、このお花」
「?」
「普通、お見舞いに持ってくるような花じゃないでしょう?」
 と言われても、普段花屋など行くことがないから分かるはずもない。
「そうなのかい?」
「ええ。これはカルミア。滅多にお花屋さんにも売ってはいないわね」
「へえ……」
「花言葉、知ってる?……ネルが知るはずないか」
 クレアは笑った。
 何か、不満だった。
「悪かったね。で、どういう意味なんだい?」
「『大きな希望』という意味」
「ふうん……」
 別にたいした意味とは思えない。
 だが、クレアはさらに続けた。
「もう一つ、意味があるの」
 ネルは意表をつかれた。
「『美しい女性』」

 翌日。フェイトとクリフの会話。
「フェイト、ネルんとこに見舞いに行ったんだって?」
「うん、そうだけど」
「花束持ってったっていうじゃねえか。クレアから聞いたぜ」
「ああ、うん。花はファリンさんに選んでもらったんだ」
「へえ、なんていう花だ?」
「カルミアっていう花。ネルにとっても似合うっていうから」
「……ほう」
「なんだよ、そのリアクションは」
「お前、その花言葉知ってて言ってるのか?」
「いや、知らないけど」
「じゃあ教えてやる。それはな『野心』って意味だ」
「……え?」
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