午後のささやき
(まだ仲間にしてない三人衆+ソフィア、揃い踏みっす)
昼の時間を過ぎてもまだ顔を見せないフェイトに、さすがに様子がおかしいということになり、全員でフェイトの部屋を訪れたのは午後一時のことだった。
フェイトの部屋は鍵がかかっていたが、そこはマリアのディプロ艦長権限で容赦なく扉が開けられる。
部屋の中からは規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやらこの時間になってもまだ寝ているようだ。
「あらあら。こんな時間でまだ寝ているなんて、寝ぼすけさんね」
マリアが言ってずかずかと近づく。
寝相がいいのか、掛布団は全くといっていいほど乱れていなかった。
静かな呼吸、上下する胸、そして閉じられた瞳。
(案外、睫が長いのね)
本人は全くといっていいほど気がついていないが、フェイトの外見はかなりいい方である。
一瞬だがその端正な顔立ちに見惚れてしまったマリアであったが、背後からの強烈な二つの殺気に気がつき、冷や汗をかく。
「マリアさ〜ん?」
にこにこと微笑みながら話し掛けてくるソフィア。
「……いい覚悟だね」
静かな口調で睨みつけてくるネル。
(あ、あんたたちフェイトのことになると本当にマジなのね……)
マリアとしてもフェイトは特別な人間だ。自分と同じ、遺伝子を操作された人間。幼い頃からずっと追いかけてきた人間。
だが、さすがにこの二人を相手に恋愛勝負を挑む気にはなれなかった。
「しっかし、本当によく寝てやがるな」
クリフが寝顔をのぞきこんで言う。周りにこれだけ人がいても起きないというのは、ある意味才能かもしれない。
「そういえばネルが夜中来たときも寝てやがったっけか」
「よ、よ、よ、夜中ぁっ!?」
ギン! とソフィアの視線がネルを貫く。
「……勘違いしないでおくれよ。単に挨拶にいっただけなんだから」
ネルが憮然とした表情でソフィアの視線に応える。
「でも、さすがにそろそろおきないとね。お〜い、フェイトちゃ〜ん、お〜き〜ろ〜っ!」
スフレがフェイトの耳元で話し掛けるが、全く無反応ですやすや眠りつづける。
「こりゃあ強敵だな」
クリフが感心して頷く。
「感心してる場合じゃないでしょ。とりあえず起こしましょう」
別に急ぐ必要もないのだが、一応昼の十二時から全員で話し合うことになっていたのだ。マリアとしては苦情の一つくらいは言いたいところであった。
「よーし、それじゃあこのオレ様に任せてもらおうか!」
ロジャーは言うなり「とうっ!」と掛け声をかけてフェイトに飛び掛った。
「わあっ!」
ソフィアが驚いて飛びのく。ロジャーはフェイトの腹部に落下した。
「……目的のためには手段を選ばないとは、こういうことを言うのかしらね」
マリアはため息をついた。そして、フェイトに怪我でもあったらどうするのかと、ネルとソフィアにボコにされているロジャーの冥福を祈った。
「……しっかし、これでも起きないか」
そんなロジャーの命がけの目覚まし大作戦も、フェイトの睡眠には勝てなかったらしい。いまだに規則正しい寝息をたてるフェイトに、感心するというよりも呆れるクリフであった。
「仕方ないわね。どうにかして起こしてあげましょうか」
こうしてここに【第一回チキチキ! フェイト目覚まし大会】の幕がきっておとされたのだ(注:ロジャーはソフィアのサザンクロスとネルの封神醒雷破を受けて行動不能のためリタイア)。
一人目:クリフ
順番は公正にくじ引きで決められた。そのトップバッターとなったのはクリフであった。
「で、どうするつもり?」
マリアが尋ねると、クリフは自信ありげに鼻で笑った。
「かつて『目覚ましのクリフ』と呼ばれたこの俺に、目覚まし勝負で挑むとはな。運のない奴らだぜ」
「能書きはいいからさっさとなさい」
マリアに急かされ、クリフは懐から何かを取り出した。
「……」
「……」
全員の目がそれに集中する。
「……一つ聞いていいかしら」
「なんだ?」
「それ、何?」
マリアの質問にクリフは「鳥の羽だ」と自信たっぷりに応える。
「かつてこの技で目が覚めなかった者はいない。くらえ、フェイト!」
やおら、掛布団を剥ぎ取るとクリフはフェイトの足の裏を鳥の羽でくすぐりはじめた。
かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ。
しばらくの間、沈黙の時間が流れる。
かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ。
かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ。
かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ。
かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ、かさかさ。
「……で、いつまで続くんだい?」
五分後、ようやくネルからストップの声がかかり、クリフは濁涙して敗北を宣言した。
二人目:スフレ
「ふっふっふ〜ん」
二人目のチャレンジャーは、ソフィアを除けば最初に出会った少女、スフレとなった。
「スフレも自信ありそうだね」
ソフィアが心配そうに尋ねる。
「もちろん。こんなこともあろうかと、目覚ましの奥義を伝授してもらったんだから♪」
その時点で既に怪しい、と誰もが思った。
「いっくよ〜♪」
スフレはどこからかフライパンとおたまを取り出した。
「秘儀、死者の目覚め!」
「ゲームが違っ!」
ガンガンガンガンガン!
あまりの大音響に思わず全員が伏せて手を耳にあてた。
が、その音は五回目で止まった。
「……?」
耳だけでなく目も閉じていたソフィアが、おそるおそる二人の様子を見る。
「……耳がいたい……」
そこには、フェイトの前で耳をおさえてうずくまっていたスフレの姿があった。
──どうやら、自爆したらしい。
三人目:アルベル
「やれやれだな」
三人目に指名されたアルベルはようやく口を開いた。
「で、お前さんには何か目覚めさせる方法があるのかい」
「ふん。お前らのように甘いやり方では目覚めるものも目覚めまい」
いや、これだけのことがあってまだ目覚めないフェイトの方がはるかにおかしい、とは誰も突っ込まない。
「どうするっていうんだ?」
「簡単なことだ」
アルベルは懐からナイフを出した。
「この部分にナイフを刺す。人間の体の中でここが最も激痛を起こ──」
「ダークサークル!」
アルベルはソフィアの魔法によって異空間に飲み込まれた。
四人目:マリア
「私の番、か」
やおら、マリアは近くの端末に触れた。
「何をするつもりだ?」
「これだけ騒いでいても目覚めないのよ、彼。何かおかしいと思わない?」
クリフの質問に、マリアは質問をもって答えた。
「……薬か?」
「その可能性はあるでしょうね。とりあえずコンピュータに彼の現状を確認させて、その上で対処すれば時間の節約になるでしょう?」
「確かにな。だが、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「なんでそれを最初にやらなかったんだ?」
マリアは少しだけ顔を赤らめた。
「……別に、たいした理由じゃないわよ」
今考えついたな、と全員の無言の突っ込みが入る。
正確に一分後、コンピュータが解答をはじき出した。
「それで、どうなんですか」
もしかすると薬を服用している可能性がある。そう聞いてはさすがに冷静ではいられないソフィアであった。
「焦らないで。まず、簡単に説明するから」
マリアは、こほん、と咳払いを一つした。
「睡眠というものがレム睡眠とノンレム睡眠に別れているのは知っているわね。Rapid Eye Movement、この頭文字をとってREM睡眠と呼ばれている。つまり、レム睡眠時には身体は眠っていても脳が目覚めている状態なのよ。このときの脳波はα派が中心で、外部からの影響も非常に受けやすいわ。これに対してノンレム睡眠は完全に脳が休んでいる状態で、このときはΔ派が主に表われることになるわね。この二つの睡眠をだいたい九十分で繰り返すような形になるんだけど、本来ノンレム睡眠は就眠後三時間以内にしか出現するはずはないのよ。でも、今はΔ派が出ているからノンレム睡眠状態というわけ。薬品関係の類は一切検出できなかったから、このデータを信じるなら彼は眠りについてまだ二時間くらいしかたっていないということじゃないかしら」
「……すまんが、つまり、どういうことだ?」
ネルは説明を最初から聞き飛ばしていたし、スフレも完全に意味不明といった様子だ。ソフィアはうんうんと頷いているが、途中からどうやら分かっていないようだった。かくいうクリフも今ひとつ理解できなかったのだが(注:アルベルとロジャーは行動不能状態)。
「つまり、私には起こすことができないっていうこと」
「最初から結論を言え!」
クリフの突っ込みが部屋に響いた。
五人目:ソフィア
「それじゃあネルさん、お先に♪」
勝ち誇った様子でソフィアが言う。当然言われたネルはかなり憮然とした様子だ。
「ソフィアちゃんはフェイトちゃんを起こせるの?」
「もちろん。だって私、フェイトの幼なじみだもん。どうすれば起きるか、昔からの経験値があるもん」
それは昔から寝起きが悪かったということか。
「で、お嬢ちゃんはどうするつもりだ?」
「そんなの決まってます」
ぽぽぽぽぽ、とソフィアは顔を赤らめた。
「お姫様を起こすには、王子様のキスが必要なんです」
それは役割が反対だろ! と突っ込みを入れるより早くクリフとマリアはしなければならないことがあった。
それは、ネルを食い止めることだった。
「離せ、マリア!」
後ろから組み付いたマリアをネルは必死に振りほどこうとする。
「駄目よ、勝負は公正に行うものなのよ、ネル」
「落ち着け、ネル! お前とソフィアが傷つけあうなんて、フェイトは望んじゃいねえはずだ!」
肩を掴んでネルが動けないようにするクリフ。もちろん説得できるなどとは小指の爪ほども思ってはいない。
「フェイト、起きる時間よ」
ソフィアの唇が、フェイトの唇に落ちる。わお♪ とスフレが余計な声を入れる。
が。
「……起きないね」
ロジャーのダイブ、クリフのくすぐり、スフレの大音響でも起きなかったのだ。キス一つで起きるはずもないといえばそれまでだが。
「あれ、おかしいなあ」
と、そのとき。
かつてないほどの殺気を感じたソフィアはゆっくりと振り返る。
「……」
「あ、ネルさん」
ソフィアは笑顔で出迎えるが、もちろんその顔はひきつっている。
堂々の目の前で抜け駆けをしたのだ。何をされても文句は言えなかっただろう。
ちなみに、とばっちりをうけないよう、既にクリフとマリアは避難完了している。
「裏桜花炸光!!!」
ソフィア・エスティード、十七歳。勝負に勝って、試合に負けた。
六人目:ネル
「さて、真打登場かしら?」
ネルの気が落ち着いたのを待って、マリアがネルに振った。
とはいえネルとしても、どうやって起こせばいいのかなど全く分からない。これだけ周りで騒いでいながら起きないフェイトもどうかと思う。
「なんか秘策でもあるのか?」
クリフが尋ねてくるが、答えようがない。
どうしたものだろうか。
ネルはとりあえずフェイトの傍に近づく。
整った寝息。端正な寝顔。
確かにこのまま観賞していても飽きることはない。
だが、できれば。
目を覚まして。
自分に、微笑んでほしかった。
ネルは彼の手を取って、自分の頬にあてる。
そして、彼に静かにささやいた。
「……起きてくれ、フェイト。あんたがいないと、あたしは寂しい」
ことの成り行きを見守る一同。
やがて。
「う……ん……」
彼の口からゆっくりと言葉がもれた。
「起きた?」
クリフがさすがに驚いて目をみはる。
「……あれ、おはよう、ネル」
フェイトはゆっくりと起き上がって、目をこすった。
「どうしたの、みんな揃って」
「あなたがなかなか起きないから、起こしに来たのよ」
「そう、ごめん。今何時?」
「もう二時になるわよ」
「え? あ! 話し合い!」
「もう終わったわよ」
マリアは少し怒ったような表情だった。
「そうか……ごめん、みんな」
「大丈夫だよ。たいした話し合いでもなかったからね」
いまだに手を握りつづけていたネルが優しく微笑む。
「それにしてもフェイトちゃん、よく眠ってたねえ」
スフレがぴょこんと跳ねて話し掛ける。
「ああ、うん」
「具合が悪いっていうわけでもなさそうだしな。いつもはこんなに寝起き悪くないだろ」
「うん。ちょっと寝るのが遅かったから」
「ちょっとって言ったってなあ。もう昼過ぎだぞ。何時に寝たんだ?」
「……十一時」
フェイトは小声で応えた。
「なんだよ、半日以上眠ってるんじゃねえか」
「い、いや、違うんだ、クリフ。そうじゃなくて」
フェイトが時計に目をやった。
短針が二時を示している。
そういえばさっきマリアが、ノンレム睡眠は三時間以内とかなんとか。
「……昼の十一時か?」
「呆れたものね。そんな時間まで何をしていたわけ?」
マリアがため息をついて尋ねた。
「えと、その……ディプロの格納庫に……」
「格納庫? なんでそんなところに」
「えと……ファイトシミュレーターがあったから、まさかディプロにもあると思わなくて、それでつい……」
「……つまり、徹夜でゲームしてたっていうわけ?」
さすがに今度は、呆れるのと通り越して怒りがこみあげてきていた。
「……ごめんなさい。三十分くらいなら寝ても大丈夫かと思ったから」
はあ、とマリアはため息をついた。そしてクリフとアイコンタクトをかわす。
「ちょっ、クリフ!」
ごん、と拳骨がフェイトの頭に落ちた。
全員がいなくなり、部屋にはフェイトとネルだけが残った。
「う〜っ、クリフも少しは手加減してくれたっていいのに」
「自業自得だね」
徹夜で遊んだあげく話し合いをすっぽかしたというのは、ネルの生真面目さからいって到底容認できるものではなかった。
「ネルも怒ってるの?」
「……あんたが起きてこなくて、心配したからね」
「あ……そうか、ごめん」
「いいよ、もう」
ネルはフェイトの頭を優しく撫でて、その頬にキスした。
「それより、三時間くらいじゃまだ寝たりないだろ。もう少し眠るといい」
「あ、うん」
「添い寝してあげようか?」
「い、いいよっ!」
ネルは苦笑した。
本当にこの青年は、全くといっていいほど嘘をつくことができない。
自分なんかより、ずっと可愛いだろう。
ちなみにその頃の食堂。
「も〜、なんで私のキスじゃ起きなくてネルさんの囁きで起きるのよっ!」
豪快にやけ食いをしながらスフレにくだを巻いているソフィアの姿があったとかあったとか。
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