この誰もいない部屋で
(結局オチはそうなるのか……/汗)
FD空間から帰ってきた一向は、まずこの世界の各地を見て周ることにした。
アリアスではクレアが出迎えてくれた。だがそれも何者かによってプログラムされたものなのかと考えると、背筋に寒気すら感じる。
この世界は全てがまがい物なのだ。現実に存在しているようで、単なるコンピュータの中の世界、1と0が織り成す無限のプログラムの世界にすぎない。
ネルとしてはそのような高度な知識がない分、今まで自分達がアペリス神によって造られた存在だという認識をしていたところに、実は自分達を作ったのは単なる人間にすぎなかったという怒りのような存在しかわいてこなかった。知識がないというのは、この際は救いだったかもしれない。
だが既に高度な文明の中で暮らしているフェイトやクリフ、マリア、ソフィアといったメンバーはその意味がわかる。自分たちが1と0によって作られたまがいものであるということが。
単純な話、エターナルスフィアというゲーム世界をすべて初期化してしまえば、この世界が消えてしまうことになる。
考えるだに、そら恐ろしい。
(この世界は、本当に作り物にすぎないのか……?)
ペターニに戻ってきたフェイトは自由行動中にそんなことを考えながら街の中を歩いていた。
今はみんなが一人で行動している。みんなそれぞれに思うところがあるだろう。
FD世界で神と戦う。
そんなことを考えていたほんの数日前が、なんと幸せで愚かだっただろう。
(僕のこの身体も、誰かに操られているというのだろうか)
エターナルスフィアの中に、プレイヤーに操られている存在がある。それは間違いのないことだ。
だが、この街の中にいる全ての人間がキャラクターというわけではない。FD空間にそれだけの人がいるはずもない。この辺りにいる人間は全てNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のはずだ。
一つの世界を織り成すほどの膨大なプログラム。
それを作った人間はまさに神と言えるのかもしれないが……。
ふと、フェイトは足を止めた。
(ここは……)
いつの間にか、こんなところへ足を運んでしまっていた。
(不思議だな。もう君はここにいないはずなのに)
この街にきたら、いつでも立ち寄ってほしいと言った少女。
そこは、アミーナの家だった。
キィ、という音がして扉が開く。
家の中はあのときのまま。開いた本、小物類、そして残念ながら主人がいなくなったために枯れかけの花。
(君も……誰かに操られていたというのか?)
病気を抱えて生きてきた少女。
最後に最愛の幼なじみと出会えて、同時に亡くなってしまった少女。
いったい彼女の生と死は、本物だったのだろうか。
あの悲劇すら、誰かの掌の上で踊らされていたにすぎないのだろうか。
ディオンやアミーナは、誰かに操られていたのだろうか。
ありえない話ではない。
(ヘドが出る……っ!)
そんなことはないと信じたい。彼らは彼らなりに精一杯生きて、そして死んでいったはずだ。
それが誰かに操られたことであるなど信じたくない。信じない。
(……いったいこの世界は、何だというのだろう)
FD世界が実体で、この世界が幻影。
FD世界が現実で、この世界が幻想。
いったい何が現実なのだろうか。何が真実なのだろうか。
「くそっ!」
あの少女がいたこの部屋が、不意に空虚に感じる。
(君は……生きていた)
そう、アミーナは精一杯生きていた。
幼なじみに会うのだと、必死に生きていた。
余命いくばくもない体で、長い道を旅して。
それが誰かの操り人形であったなど、あるはずがない。
それなのに──この部屋のあまりの空虚さはなんだというのだろう。
そのとき、扉が開いた。
「……やれやれ、気がきかないね。花の一つくらい持ってきたらどうなんだい?」
花束を右手で持ち、肩に載せた格好で、その女戦士は言った。
「ネル」
フェイトは呆然と、彼女が入ってくるのを見つめた。
「どうして、ここに」
「あんたがこの街で自由行動の度にここに来ているのは知ってたよ。アタシには情報網があるからね。それにしても、せっかくここまで来ておいて、花束の一つもなしとは思わなかったけどさ。ほら」
ネルは花束をフェイトに渡した。
「行ってきなよ。話すことがあるんだろ?」
奥の部屋を差す。フェイトは頷いて、そのままアミーナの部屋へ入っていった。
きちんと整えられたベッドシーツが、その部屋の持ち主が不在であることを示していた。
そのベッドの上に、フェイトは花束を置く。
「……謝りたかったんだ」
彼は小さく呟いた。
「君に無理をさせてしまった。僕のせいでディオンまで殺されてしまった。君には謝っても謝りきれないほどのことをしてしまった……ごめん、アミーナ。ごめん……」
フェイトはそのベッドの脇で膝をつく。
「アミーナ……アミーナ!」
勝手に涙が出てきた。
この溢れるような感情まで、誰かの操作であるとでもいうのか?
そんなはずがない。
自分の命をかけるほどの行動まで、誰かの操作であるとでもいうのか?
そんなはずがない。
そう、僕たちは生きていた。
この狭い世界の中で、精一杯。
「ごめん……君を死なせてしまって、本当にごめん……アミーナ……」
涙はいつまでも止まらなかった。
「別れはすんだかい?」
居間に戻ってきたフェイトを、ネルは暖かい紅茶と微笑みでもって迎えた。
「うん」
「それは何よりだったね」
フェイトが椅子に座ってその紅茶を飲む。それはほんのりと甘かった。
「上手だね」
「まあね。滅多にはやらないんだけど、クレアにもこれだけは褒められる」
「だけってことはないだろう。ネルの料理だって美味しいよ」
「……ソフィアには負けるよ」
それは少しならずともネルを落胆させたらしい。
「そ、そんなことないよ。僕はネルが作ってくれた料理が凄く美味しいと思うし」
こういうところで『君が作ってくれるから美味しいんだ』と言えないあたりがフェイトらしいということなのだろうか。
「気にしてないよ。それより、一つ気になってたことがあったんだ」
「なんだい?」
フェイトがほっとしたのも束の間、すぐに鋭い攻撃がやってきた。
「あんた、アミーナのことが好きだったのかい?」
「え?」
「アミーナのこととなると別人だったからね。倒れたと聞いたらすぐに助けに行くし、ディオンの時だって長くないと分かってたから強引にでも会わせたし」
「でもそれは……」
「アタシは間違ったことはしていないと思うよ。死ぬ間際に大好きな人に会える。それが幸せでなくてなんだっていうんだい? それに、あの二人は本当に同時に亡くなった。好きな人に置いていかれる苦しみを、一瞬だって二人とも味わわなかったんだ。確かに結果は哀しいことかもしれないけど、アタシには羨ましいよ」
「ネル……」
「それに、あんたが協力するって言ったのだってアミーナの件があったからだし、アミーナが死んだときのあんたの狼狽ぶりといったらなかったしね」
フェイトは言葉がなかった。
確かに、気になる少女だった。だが、幼なじみがいると聞いたときから、そんな感情は全く意識していなかった。
「彼女にはディオンがいたからね。僕が入り込む余地なんてなかったよ」
「そんなことは関係なく膨れ上がるのが気持ちってもんじゃないのかい? 少なくともアタシはそうだったけどね。あんたが別の世界の人間だってかまわないと思った。だからあんたと再会の約束をした」
「それとこれとは……」
「同じだよ。こうだからいけない、ああだからいけない。そんな理屈とは全く関係なく湧き上がるのが、好きっていう気持ちだろう」
確かにそうなのかもしれない。
だが、自分は全くその感情を意識していなかった。
「無意識のうちに……僕がアミーナを好きだったということ?」
「そうだと思うよ。あんたがアミーナを大切に思う気持ちは、好き以外の何者でもなかったと思うけどね」
「そうなのかな」
そうなのかもしれない。
少なくとも自分がアミーナのことを一番大切に思っていたことは事実だ。
「アタシは死ななくて良かったと思っている」
真剣なネルの眼差しが、フェイトを捕らえた。
「……あんたを苦しませずにすんだからね」
そして、微笑んだ。
「ネル……」
確かに、アミーナのことは気になっていたかもしれない。
だけど、もう。
「フェイト」
ネルは立ち上がり、フェイトの傍まで近づいて、その頭を優しく抱きしめた。
「アミーナのことは辛かっただろう。でも、アタシたちが覚えていることで、彼女はいつまでも生き続けることができる。人の思いは、永遠なんだから」
「そうだね」
「こんなところで申し訳ない気がするけど、アタシはあんたが大好きだよ、フェイト」
ネルはそう言って笑った。
フェイトも笑った。
「……僕もだよ、ネル」
だけど、もう。
今の僕には、ネルだけなのだ。
「好きだよ、ネル」
二人は接吻を交わした。
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