KISS IN THE SKY

第13話 飛び方を忘れた小さな






 ──ここは?

 彼女が目にしたのは、広大な宇宙空間。
 星々の輝きが、三百六十度全てを覆い尽くしている。
 まさに、星の海。
(……やれやれ、本当にあいつと出会ってから、奇妙な経験ばかりしているね)
 もちろん知識の薄いネルに分かることではないが、本当の宇宙空間であれば人間がそこで生きていられるはずがない。
 ここはフェイトの思い描く擬似空間にすぎないのだ。
(全てがない世界)
 もしも彼のディストラクションが暴走すれば、星一つなど簡単に消し飛ばせる。
 それを現実にイメージした世界だということだろうか。
 彼の力はもしかすると、星一つではとどまらないかもしれない。
 この世界全てを消去できるほどの力があるのかもしれない。
(とんでもないことだね)
 それにしても、こんなに奇妙な体験だというのに、どうしてこうも自分は冷静でいられるのか。
 これが現実ではないと分かっているからだろうか。それもあるだろうが、それだけではない。
 フェイトが近くにいる。
 それを理解しているからだと判断した。
(どこにいるんだい、フェイト)
 耳を澄ませば、彼の泣き声が聞こえてくる。
 全てを壊してしまうディストラクションの力に怯える彼の魂を感じる。
(大丈夫)
 私が傍にいるよ。
 その一言をかけてやりたい。
 どんなに苦しくとも。
 一緒にその苦しみを背負っていくのだと、伝えたい。
(……ようやく、会える)
 長かった、と思う。
 彼が苦しみだしてから、ここまで来るのに長い時間がかかった。
 ようやく、彼に会える。
 ここにいるフェイトは、全ての状況を理解している本当のフェイトだ。
 記憶をなくした子供のフェイトなどではない。
 自分が会いたい、いつものフェイトだ。
 ただ、少しだけ心は傷ついてしまっているだろう。
 だから、自分が癒すのだ。
「見つけたよ、フェイト」
 彼女は、ようやく安心したように微笑んだ。
 広大な宇宙空間に漂う蒼い髪の青年。
 フェイト・ラインゴッド。

 ──ようやく、会えたね。

 彼女は彼の体に触れた。
「フェイト」
 彼の意識がゆっくりと覚醒し、自分の方へと向く。
「ネル……」
 彼の瞳は涙で濡れていた。
「僕、僕は、なんてことを……」
 そのまま、彼はすがりつくように彼女の胸に頭をうずめる。
 しゃくりあげるように泣く彼を、彼女は優しく抱きしめた。
「あんたのせいじゃないよ、フェイト」
「僕のせいだよ」
「あんたのせいじゃないよ。それに、あんたのせいでも私はかまわないよ。私はあんたが好きなんだから。とにかく、久しぶりに会えたのに、あんたは私に言葉一つかけてくれないのかい?」
「ネル……」
 話はこれから、いくらでもできる。
 だが、まずは再会を喜びたい。
 こんなにも彼に会うことを望んでいたのだから。
 お互いに、たくさんのものを失った。
 でも、こうして一番大切な人に出会えたのだから。
 どんなに罪深くとも。
 どんなに赦し難くとも。
 今は、再会を喜びたい。
「会いたかった……!」
 フェイトはまた泣きながら、彼女を力強く抱きしめた。
「私もだよ、フェイト」
 頬を合わせて、彼女は嬉しそうに微笑む。
「ずっと会いたかったよ。前の戦いのときだって、こんなに離れていた期間が長かったことはなかったからね」
「僕だって……自分の意識で行動することはできなくて、でも目の前にはネルがいて。あのままもしも僕がネルを殺していたら──」
「ストップ」
 彼女は、彼の言葉を唇でふさいだ。
「私は生きてるよ、フェイト」
 お互いの鼓動を感じる。
「だからもう、その話はいいんだよ。洗脳されたのはあんたの責任じゃなくて、洗脳した人間の責任だ。そいつはもう、罪をあがなったんだ。自分の命でね」
「見てたよ」
「もし人を殺すことが罪だというのなら、私も罪人さ。でも、私は人を殺すよりもあんたが人を殺すことの方が耐えられないよ。汚い仕事は私の仕事さ」
「ネルは汚くなんかないよ」
 フェイトの手が、優しく彼女の髪を撫でる。
「高潔で、純粋で、揺るぎない信念を持っている」
「やめとくれよ。私はそんな、立派な人間じゃない」
「僕にとってお前は、女神だったんだ」
 平気でそんなことを言うのだから、言われる方としてもたまったものではない。
「僕の大切な月の女神──ほら」
 フェイトは横目で宇宙空間を示した。
 そこに一際横に連なる三連星と、その周りを囲むようにして四つの星が輝いていた。
「僕は、お前に出会うために、エリクールまで来たんだ──きっと」
「あんたがここに来たのは、事故だろう?」
「それでも。今の僕はお前に殺されると分かっていたって、お前に会いに来るよ」
「やれやれ。かいかぶられたもんだね」
 苦笑しながら彼女は応える。
「あんたは、罰を受けたいのかい?」
 彼の笑顔が消える。
 シランド消滅。たとえ彼の意で行われたのではないにせよ、彼の力が引き金になったことには違いない。
「そうだよ。僕の命自体が極めて危険なものだ。この命を無くしてしまうことが、誰にとっても最善の選択──」
「でもそれは、私にとっての最善ではないね」
 強引に言葉をさえぎって、彼に密着する。
「あんたは、あんたが一番大切に思っている人を不幸にするつもりかい?」
「ネル……でも、僕の力はお前まで傷つけてしまうかもしれない」
「結構なことじゃないか」
 彼女はいとも簡単そうに言う。
「私は他の誰にも殺されるつもりはないよ。殺されるならあんたに殺されるのが一番だ」
「ネル!」
「冗談なんかじゃないよ。あんたに殺されたんなら、私の魂は永遠にあんたと共にいることができる。それはそれで、私にとって最悪の結果ではないのさ」
 最愛の相手を殺したということが、彼の心の中に永遠に残るのなら。
 自分の死は決して無駄にはならないのだ。
「フェイト……自分の生き方が分からないというのなら、見失ってしまったというのなら、私が教えてあげるよ」
 両手で彼の頭をしっかりと掴む。そして、彼の瞳をそらせないようにして、まっすぐに見つめる。
「あんたは、私と一緒に生きるんだ。そして、二人で幸せになるんだ」
「でも、僕にそんな資格は……」
「たくさんの人を不幸にしたっていうんなら、たった一人だけでも幸せにして、罪滅ぼしをしておくれよ。それとも、私の願いをかなえてはくれないっていうのかい?」
「僕は」
 彼の手が動き、両手で彼女の頭を掴む。
「どうすればいいのか、どうするべきなのか、僕には判断がつかない。でも、僕は……」
 ゆっくりと、二人の顔が近づく。
「あなたと、一緒にいたい」
「その気持ちだけで充分だよ……生きていくにはね」
 そして、再び二人の唇が重なる。

 二人の意識は、そこで覚醒した──












「ふ〜ん。なるほどねぇ〜」
 おっとりとした女性が一つ伸びをする。
「ま、世界も元通りに戻ったし、万事めでたしめでたし、なのかなぁ〜?」
 クレア・ラーズバードは目の前の女性からの詰問を受けて、尋ねられたことを正確に答えた。
 だが、この女性がなぜそこまでのことを理解しているのか、理解できているのか。
 この女性はあくまでもエリクールの人間にすぎない。
 それなのに、何故星の海のことをそこまで知っているのか。
「それにしても、セフィラはもうなくなっちゃったのかぁ〜。この国もけっこうアブナクなっちゃうのかもね〜」
 どこか他人事の口調は、相変わらずクレアには馴染めないものだったが、この人物の知識量には舌を巻かざるをえない。
「一つだけおうかがいしてよろしいでしょうか」
「駄目」
 口を挟もうとしても取り付く島がないのだからどうにもならない。
「ま、私もこうして生き返れたんだからよしとしなきゃね〜。それに……」
 立ち上がって、彼女は窓の外を眺めた。
「あの子、随分と柔らかくなったみたいだね。全部フェイト君のせいなのかな?」
「ええ、間違いありません」
「ふ〜ん」
 少しだけ興味を示したように、女性がクスリと笑った。
「……エレナ博士?」
 クレアはおずおずと尋ねる。
「な〜んでもない」
 彼女は笑った。






 ネルがフェイトの精神世界にもぐっている間に、先に目が覚めたマリアの指示で、ソフィアはセフィラを使ってFD世界のブレアと連絡を取った。
 マリアは仮にフェイトがこの世界に戻ってきたとしても、自分の罪のせいで自殺しかねないと言うのだ。それを助けるためにはブレアに頼んで、シランドを元通りにする必要があるという。
 あまりにも現実的ではない話だが、そこはこの世界が0と1の二進数からできているという利点を用いれば、不可能ではない。
 早速ソフィアは連絡を取って、ブレアに状況を説明した。
 すると、驚くべき結果が分かった。
 このセフィラは、単なる通信用の道具などではなく、ルシファーのいる世界への鍵となっているのは前の戦いで分かっていたことだ。だが、それ以外にも複数の使い道があるのだという。
 シランドに聖なる水を湧き出させていたのもその使い道の一つだ。
 そしてゲーム開発者にとってこのセフィラの最大の使い道。
 それは、ゲーム状況のバックアップ機能なのだという。
 このセフィラは言うなればエリクールという星のバックアップを常時取り続けているのだ。
 だがそれはあくまでもバグが発生したときの万が一の保険ともいうべきもので、そのバックアップ機能を使って世界を元に戻した場合、セフィラは永久に失われてしまうということもそのときに分かった。
 全ての準備は整え、二人の生還を一同は待った。
 そしてネルとフェイトが目覚めて状況を伝えたとき、ネルはためらうことなく言った。
「セフィラを壊してもいいから、シランドを元に戻してくれ」
 クレアがさすがに険しい顔をしたが、彼女の意思は尊重された。
「きっと陛下も同じ選択をなさると思う。どんな秘宝であれ、国民の命よりも重たいものはない」
 その彼女の言葉が、一同を納得させた。
 そして、世界は元に戻った。
 もっとも、エリクールという星の全てが、ディストラクションの暴走以前に戻ってしまったので、マリアがエリクールに来たという事実も、シランドが滅びたという事実も、ペターニが石化したという事実も、さらにはネルがカルサアやアーリグリフに行ったことなども全てなかったこととされてしまった。
 だが、現在エリクールにいなかったネル、クレア、アルベル、それにフェイトやマリアについてはデータの修正はなされなかった。それは現在エリクールにいなかったためで、一種のパラレルワールドの扱いを受けることになってしまった。
 幸い、エリクールが未開惑星だったために他星系への影響が出ることも全くなかった。
 もちろん、ライアスが施術の短刀を作ったという事実も消えてなくなってしまったはずなのだが、そこはパラレルワールドの都合上、ネルの手元にはきちんと残る。
 なかなか便利なものだが、二度目はない。
 フェイトにはディストラクションを暴走させないよう、コントロールすることが求められる。
 そしてマリアはエリクールに居住することを臨んだ。だがフェイトと一緒に暮らすようなことはせず、ペターニあたりで暮らしたいという希望を伝え、ネルに了承された。
 ソフィアは再び家族の元へ戻り、クリフは再び政治家としての日々に戻った。
 そして──






「やれやれ。あいつも本当に成長しないね」
 聖都シランドの昼下がり。のんびりとしたうららかな時間が流れていた。
 彼女は昼食も取らず、たまっていた書類に順次目を通していった。
 ペターニが石化したことも、シランドが一度滅びたことも今ではもう遠い過去。
 ゆっくりとした時間が流れていた。
「ネル」
 そして今日もまた、申し訳なさそうな表情で彼が現れる。
「遅いよ、フェイト」
「ごめん」
 そんなやり取りをして、お互いに苦笑する。
 これではまるで、あの日の再現だ。
「また私と食事ができると思って、眠れなかったっていうのかい?」
「いや、昨日は……その」
 何故かバツが悪そうな顔だ。
 すると、彼の後ろから「はぁい♪」とやけに明るい声が聞こえてきた。
「……あんたね。毎日のようにシランドに来てるんだったら、わざわざペターニに部屋を借りる必要なんてないじゃないか」
 どうやら昨夜は、マリアの来訪があったらしい。
「だって一人だとつまらないんですもの。というわけで、今日のお昼は私も一緒についていくから」
 せっかく二人で食事ができると喜んでいたのに、この鬱陶しい小姑はとことん自分とフェイトの仲を邪魔するつもりのようだった。
「その、ネル……ごめん」
「なによ、私がいたら邪魔だっていうの?」
「いや、そんなことないよ、マリア」
 これだから押しに弱い男は困る。
 やれやれと思いながら、彼女はふと思いついて言った。
「私は別にかまわないよ──」
 にっこりと笑った。
「──お義姉さん」
 マリアの表情が固まる。
「あ、あ、あな……」
「私とフェイトが結婚したなら、マリアは私の義姉だからね。ねえ、フェイト」
「え、あ、えっと」
 その、狼狽した彼の唇を一瞬、奪う。
「ああっ!」
 マリアが叫ぶが、そんなことは気にしない。
 フェイトは、私のものなのだから。
「さ、食事にしよう」
 ネルは楽しそうに笑った。












 あなたがいたから、今の私がある。

 あなたの存在が、私の進む道を照らしてくれる。

 あなたがいることの、当たり前のような幸せ。

 痛いほどの幸せ。

 もう、見失うことはない。

 ここに今、あなたがいるのだから……。
Fin.





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