FRIENDS 2

第5話 みをつれて






 ──が、室内に流れ込んでくるはずの水は、途中でその勢いをなくした。
 いや、なくなったのではない。完全に動きが止まったのだ。
「……」
 フェイトは目の前に迫ってきた水を、いや、氷を見つめる。
 それは、完全に凍り付いていた。
「こ、これは」
 信じられない現象だった。大量の水が一瞬で凍りつく、そんなことが現実に起こりうるのか。
 これもエレナが起こした現象の一つなのだろうか。
(いや、違う)
 フェイトは後ろを振り返る。
 そこには、荒い息をしていたマリアの姿。
「アルティネイションの力か」
 彼は姉に近づき、ゆっくりと彼女をベッドに腰かけさせる。
「ごめんなさい、急だったから、力の加減ができなくて」
「いいんだ。マリアのおかげでみんなが助かったんだから」
 もしこれだけの水がこの部屋になだれこんできたら、全員が完全に溺れ死んでいただろう。マリアがいなければ全滅だった。たとえフェイトの力でもどうにもならなかった。
「すさまじい力だな」
 アーリグリフ王は凍りついた水を見ながら呟く。
「これだけの力があれば、この星を統一することも簡単だろうな」
「この力が必要ですか、陛下?」
 フェイトが意地悪く尋ねる。予想どおり、国王は首を振った。
「いらんよ。シーハーツと戦争をしていたときならばいざしらず、今このような力があっても国益を損なうだけだ。内政に力を入れなければならないときに、軍備に余計な金はかけられん。また、国内の主戦派の連中に餌を投げることにもなるからな。むしろ有害だ」
 このあたりはさすがに現実的な返答をする国王だった。だが、逆に言えば必要ならこの力を利用するという意味でもある。
「ところで、ここからどうやって出るんだい?」
 ネルが首をかしげて尋ねる。最終的にはどうにかなるだろう、という予測がたっているのか、そこまで不安がっているというわけではないようだった。
「向こうに別の出口がある」
 するとアーリグリフ王が答えた。
「地上までとは言わんが、上の階にはつながっているはずだ」
 上の階。だが、それもまた罠だろうということをフェイトは悟っていた。
 水攻めをすれば防ぐ方法はマリアのアルティネイションだけ。だとすれば、唯一残った出口から出ていく他はない。
 逆に言うならば、そこにおびき寄せているのではないか。
「フェイト」
 マリアが立ち上がる。
「行きましょう。どのみち立ち止まっている暇はないわ。一端は食い止めているけど、そこまで長い間、耐えられるわけじゃないから」
 氷はあくまでも表面上のものであって、すぐに溶けてしまうということだ。
「行くしかないか。陛下は大丈夫ですか?」
「俺のことなら心配するな。こうみえても体力には自信がある」
 四人は頷くと奥の扉を開き、そこにあった階段を駆け上っていく。
 たどりついた先は、大きな広間だった。
 薄暗い空間の中に人工的なエメラルドグリーンの光があちこちで点滅している。
「ここは……艦橋か?」
 星の船──宇宙船。
 シーハート27世が言っていたように、このモーゼル遺跡には宇宙船が眠っていたということなのだろうか。
「遅かったね、待ってたよ」
 そして、そこにいたのは光の女神。
「エレナさん!」
「フェイトくん、陛下からの預かりもの、持ってきてくれた?」
 一瞬、心臓をわしづかみにされたかのように言葉に詰まる。
 エレナは、自分が『鍵』を持っていることを知っている。
「一つ教えてください」
「なに?」
「こんなことをして、エレナさんはいったい何をしようとしているんですか?」
「さあ」
 エレナは首をかしげた。
「自分でも分からないのよね〜。こんなことしてみんなに会えるだなんて、これっぽっちも信じてないのにさ。でも、自分ならなんとかできる、またみんなに会えるって、どうしても思ってしまうの。救われないサガね」
「この世界はもう、独立してしまったんです、エレナさん」
 フェイトは必死に説得する。
「エレナさんが望んでも、もうブレアさんには会えないんです」
「君たちは会えるのに?」
 エレナは微笑みながら言う。
「それはちょっと不公平じゃないかな〜」
 そして指を鳴らす。と同時に、広間の中の照明がついた。
「ここは……」
「星船。私がいつか宇宙に出るときのために用意したもの。でも、そんな機会はないと思ってた。だから『鍵』は陛下に預けておいたの。それはもともと私のもの」
 船壁は無数のディスプレイで覆われていた。天上も四方の壁も全てだ。そして床は大理石だろうか、綺麗に磨かれた床が広がっていた。
「その『鍵』の正体が何か知ってる、フェイト君?」
「正体? ただの起動キーじゃないんですか」
「そ。多分見たことないとは思ったんだ。クォドラティック・キーなんてレアな代物は」
「クォドラティック・キー!」
 それは、エナジーストーンを極限まで高純度化したもの。クォドラティックスフィアと呼ばれる物質装置と反応させることによって、反物質をもこえるエネルギー、クリエイションエネルギーを生み出すことができる。
 このクリエイションエネルギーは現在の連邦で主流に使われている。虚数空間に存在する無限のエネルギーを三次元空間に呼び出すという危険なものだ。現在でこそ実用化されているものの、まだ使われ始めてから数十年しか経っていない。
 だが、このエネルギーのことは当然エレナは知っているはずなのだ。なにしろ、この世界を創っているのが彼女に他ならないのだから。過去、現在、未来の全てを彼女は知っている。
「はじめから、この日が来ることは予定されていたのよ」
 エレナはそう言ってフェイトに近づく。
「さあ、その『鍵』を渡して」
「そうはさせないよ」
 ネルがフェイトとエレナの間に割って入る。
「邪魔しないでくれないかな」
「博士、この世界は嫌いですか?」
「どうしたの、突然」
「あなたはこの世界が好きだとおっしゃった。その好きな世界を壊すなど、やめてください」
「まあね」
 エレナは困ったように首をかしげた。
「この星はすぐには滅ぼさないよ。宇宙が滅びるときに一緒に滅びればいい」
「博士!」
「だって、それしか方法がないんだもん。みんなに会うには、私からアクションを起こさないとね」
 にっこりと笑い、そして彼女の右手が上がる。
 何を、と思った瞬間、四人の体に電撃が走った。
「な……」
 体の自由がきかなくなり、四人とも倒れこむ。
「おとなしく渡してくれれば、こんな方法をしなくてもよかったんだけど」
 エレナは倒れたフェイトに近づくと、その懐を探る。
「あった♪」
 懐から取り出されるクォドラティック・キー。
「これで……」
 うっとりと見つめるエレナ。
(エレナさん)
 その表情は既に、この世を見つめてはいない。
 決してたどりつけない理想郷を夢見るものの表情。
「エレナ」
 その女神に声をかけたのは国王陛下だった。
「どうしたの、アルちゃん」
 痺れて動けないアーリグリフ王に向かって彼女は微笑む。
「俺を連れてはいかないのか」
「アルちゃんを?」
「そうだ。俺はお前になら、連れていかれてもいい」
「アルちゃんを……」
 エレナはしばらく迷っていた。
 これだけ迷うということが、かつてこの才女にあっただろうか。全てのことを知り、全てのことを決断することができ、弱いところなど何もないように見える彼女。
 唯一、彼女にとっての弱点があるとすれば、それはかつてこの星でたった一度だけ愛した、アーリグリフ王アルゼイ。
「ううん、やっぱり駄目。アルちゃんとは幸せになれないって、前に言ったよね」
「俺に救いはないのか?」
「うん。私も一緒だから。それで我慢して?」
 エレナはそう言って、もう何も思い残すことはないという感じでその広間を出ていこうとした。
「エレナさ──」
 その歩みが止まった。
 彼女は振り返り、ある一点を見つめる。
 それはフェイトでもマリアでもネルでもアルゼイでもない、別の人物。
 フラウ。
 サーフェリオの街でいつも話しかけてくる妖精フラウがそこにいた。
 さすがにこの星船にフェイトたち以外が乗ってきているとは思っていなかったエレナはそのフラウに不信感を表す。
 だが、にっこりと笑ったその小妖精はエレナに向かって話しかけた。
「相変わらずね、エレナ。全く、あなたときたら、こんな方法を使うなんて思わなかったわ」
 いつものように明るく飛び回っているフラウではなかった。真剣な様子でエレナに話しかけている。
「だれ?」
「分からない? 前オーナー──いえ、もうルシファーが消滅したから、その前のオーナーね。ダグオン・ゼブルをやめさせた張本人と言えば分からないかな?」
「嘘」
 その小さな妖精が何を言っているのか、倒れていたフェイトには分からない。
 だが、そのフラウが何者なのかは分かる。
 ──スフィア社の、関係者だ。
「エレノア?」
 エレナが息を呑んで尋ねる。
「そ。全くあなたときたら、アタシがこの世界にいること、知らなかったんでしょ」
 エレノア。月の三女神の次女。かつて天上に還ったという──
「そんなこと──」
 エレナは驚愕の表情のまま、フラウに近づく。
「知るわけないじゃない」
「ま、そうよね。アタシもあなたに会いには行かなかったから。スフィア社をやめた人間がスフィア社の人間に会いに行くっていうのもどうかと思ったから」
「こっちの世界にどうやってアクセスしてるの?」
「あのね、エタスフィが独立したからといったって、つながりが完全に切れてるわけじゃないのよ? それこそ一般人のアクセスはもうできない状態だけど、このアタシにかかったらどんなプログラムだって侵入可能なんだから。全くあなたときたら、そんなことも分からないのかしら。相変わらずボケボケしてるわね」
「あなたも相変わらずみたいね」
 エレナは涙を浮かべていた。
「久しぶり、エレノア」
「本当ね。でも、あまり時間はないんだ」
「どうして?」
「そりゃ不正にアクセスしてるからよ。セキュリティ・サービスに見つかったら一巻の終わり」
 フラウは笑った。
 その小さな妖精を、愛しくエレナは抱きしめた。
「会えてよかった」
「そうね。この姿が本来のものじゃなかったとしても、会えたのは嬉しいわ」
「私はまたあなたに会える?」
「難しいわね。少なくともエタスフィからこっちの世界にアクセスすることはできないわ。あなたはその方法を探すつもりなの?」
「だって、みんなとまたおしゃべりしたいし」
 エレナは泣きながら言う。
「たった、あなたに会えただけなのに、こんなに嬉しい」
「そう、よかったわね。全くあなたときたら、いつまでたっても子供なんだから──ちなみに言っておくけど、ブレアに会いたいっていうのなら期待しない方がいいわよ。あの子、今じゃスフィア社のオーナーで激務ってるから」
「大変そうね〜」
「ま、ね。そのおかげでアタシにオハチが回ってきたんだけど」
「オハチ?」
「つまり、アンタの様子を見てこいって。それも不正によ?」
 エレナは苦笑した。
「なるほどね〜」
「なかなか会えるっていうわけでもないけど、ブレアもあなたのこと、心配してるわよ。最近全く連絡がないけどどうしたんだろうかって」
「通信装置がなくなっちゃったんだもん。仕方ないじゃない」
「伝えておくよ。今はエリクールにいるけど、これから行動を起こすつもりだって」
「お願いね」
「ああ。本当にあなたときたら、いつも私に迷惑を押し付ける。ダグオンのときも──まずっ、見つかった!」
 フラウが慌てた様子を見せる。
「大丈夫?」
「多分ね。それじゃ、またねっ!」
「ええ。また」
 そして、フラウの意識は途切れた。
 フラウはあくまでもエレノアの器として使われたにすぎない。このフラウ自体がエレノアというわけではないのだ。
 おそらくエレノアは、いくつかこうした自分の器を作っておいてあるのだろう。
(それじゃ、どこで会えるかは運次第というわけね)
 それもセキュリティ・サービスがハッキングを見張っているのだとしたら、いくらエレノアでもそう簡単にこちらに来ることができるわけでもないのだろう。
 とすれば、やはり結論は一つ。
 自分から会いにいく。それしかないのだ。

『またねっ!』

 その言葉を信じて。






 エレナはフェイトたちを船から放り出すと、その星船を起動させた。
 ようやく体の自由を取り戻したフェイトたちは、空に浮かぶ巨大な船を見つめていた。
 そしてクリエイションエンジンが始動し、空の彼方へと消えていく。
 ──こうして、光の女神エレナは、この地を去った。
「どうする、フェイト?」
 マリアは神妙に尋ねる。
「追いかける必要はないよ」
 フェイトは首を振った。
「クリフには捜索を依頼しよう。でも、見つけることは多分無理だと思う」
「でしょうね」
「もし、エレナさんがこの世界を壊そうと本気で思っているのなら、その行動はすぐに僕たちにも分かるはずだ。だってエレナさんは、そんな自分を止めてもらいたがっているから」
「ええ」
「だから……次に会うときは、敵同士なんだ」
 フェイトが力強く言う。
「博士と敵同士か……嫌だね、そういうの」
 ネルがそれに答える。
「でも、この世界は僕たちの手で守らなきゃいけないんだ」
 フェイトの言葉に、マリアもネルも頷く。
「もっとも、戦わないにこしたことはないけど……」
 ちらり、とフェイトはアーリグリフ王を見る。
 彼はただじっと、船が消え去った方角を見つめていた。

 ただじっと黙って、いつまでも見続けていた。





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