カルチャー

第23話 理想






(駄目か)
 フェイトは急激に力が亡くなっていくのを感じていた。先の戦闘での怪我、そしてこのディストラクションの起動。もはやフェイトには普通に立っていられるだけの力すら残されていなかった。
「おい、フェイト!」
「ごめん、クリフ」
 フェイトは彼にもたれかかって言った。
「僕の力じゃ、届かなかった」
 強く唇を噛み締める。
 できるはずなのだ。いや、できないはずがない。何しろ、前回はできたのだから。
 違うのはたった一つ。
 自分が既に、自分の力のことを意識しているという点だ。
 覚醒したときの力が、何よりも一番強い。それはマリアにしろ自分にしろ同じであった。
「くそっ!」
 力なく毒づく。やはり、無意識の状態にならなければ、戦闘艦を消し去ることは不可能なのか。
 自分の力はここまでだというのだろうか。
「とにかく逃げるぞ、オイ!」
 引っ張られるようにして連れて行かれるフェイト。
 だが。
「待て」
 その前にアルベルが立ち塞がった。
「説明しろ。アレはなんだ」
「そんなの説明してる暇があるか! 逃げなきゃ殺されるぞ!」
「ふん」
 アルベルは砲撃を受けて倒れていく味方を見る。
 確かに、このままでは被害が拡大する一方だということは分かった。
「サイファ。引き上げの合図を出せ。この状況じゃ何も成果は出ねえ」
「了解しました」
 そしてすぐに引き上げの笛の音が鳴る。
 それを聞いた竜騎士たちが、一斉に引き上げていく。
「これは貸しにしておくぞ」
 そしてアルベルは力をなくしたフェイトを見た。
「ああ」
 体力はなくとも、目だけは燦然と輝いていた。それを見てアルベルは笑う。
 そして、アルベルとサイファが戦場から離脱していった。
「こっちもうかうかして──」
 クリフが移動しはじめようとしたとき。
「クリフ!」
 ミラージュの声が響く。
 続いて──

 ゴゥンッ!!

 爆音と、爆風が彼らを襲った。






『……大丈夫、お兄ちゃん?』
 失った意識の中で、彼は一番聞きたくない声を聞いていた。
「フラッドか」
 暗い空間に、幻影のフラッドの姿が現れた。
『そう。残念だったね、せっかくヴォックスを倒したのにさ』
 その言葉を聞いて理解する。
 何故、バンデーン艦が一日早く来たのか。それは、全てフラッドが仕組んだことだったのだ。
 そう、彼は確かに言っていた。きちんとバンデーン艦はくる、だが、少しデータをいじった、と。
「全部、君の仕業か。わざわざ一日早くバンデーン艦をよこしたのは」
『違うよ。確かに仕掛けたのは僕だけど、バンデーン艦がここに到着させたのはお兄ちゃんの行動の結果だよ』
「なんだって?」
 言っている意味がよく飲み込めない。
『つまり、僕はヴォックスを倒したらバンデーン艦が来るっていう設定に変えておいたのさ。バンデーン艦のタイミングを前回と全く同じにするためにね。だから初めからバンデーン艦がここに現れるために日数をカウントする必要はなかったんだ』
「何故、そんなことを」
『言ったじゃない。同じ条件の中でお兄ちゃんが無事にディオンさんを助けられるか興味があるって。だから完全に条件をそろえたんだよ。日数は違うかもしれないけど、タイミング的には前回と全く同じでしょ?』
「フラッド、君は……そこまで人をもてあそんで何が面白いんだ!」
『何回も言うけど、お兄ちゃんたちは人じゃないよ』
 彼は冷たい様子で言った。
『ただのデータ、ゲームの登場キャラクターだよ』
「フラッド!」
『そんなことより、そろそろ時間だよ。施術兵器のところまでバンデーン艦が到着している……もう爆撃も終わったみたいだ。もう、ディオンさんは致命傷を受けてるだろうね』
 フェイトは何も答えない。
 そして、幻影のフラッドがなにやらキーボードを叩く。
『さ、どこにいるのかな。ディオンさんは』
 ご丁寧に大きなスクリーンが現れ、そこに戦場の様子が表示される。
『どこかな〜』
 フェイトは何も言わない。
 そして、画面が何度も切り替わるが、なかなかディオンの姿が見つからない。
『……どうして、いないんだ?』
 ちらり、とフラッドの視線がフェイトに移る。

 ──彼は、笑っていた。

『お兄ちゃん!』
 創造主は声を荒げた。
『どういうこと!?』
「どうもこうもないよ。万が一に万が一を考えて、先に行動しただけさ」
『なんだって?』
「もう、ディオンは戦場から移動した。ネルに連れられてね。もうバンデーン艦がディオンを殺すことはない……残念だったな、フラッド。出し抜かせてもらった」
 少年の目が大きく見開かれる。
「状況を全て見ていたんだったら、せめてディオンの場所くらいはモニターに映しておくべきだったな。そうしたら、こうはならなかったんだろうけどね」
『お兄ちゃん……』
 少年の肩が震えていた。
『よくも僕を出し抜いてくれたね』
「フラッド。君は勝負だといった。だから、僕は僕なりのやり方で勝負に挑ませてもらったんだよ」
『こんなのは、卑怯だ!』
 確かに、通常のルールからは違反しているかもしれないな、とフェイトは思った。
 だが、口をついたのは全く別の言葉だった。
「甘ったれるな! 自分に都合がいいことばかり言っておいて、いざ自分が不利になったら相手をなじるのか! その程度のことがいったい何だっていうんだ! こっちは、何人もの人が死んでるんだぞ? ふざけたことばかり言ってるんじゃない!」
 すると、フラッドの顔が怒りの形相で満ちた。
 途端、少年はすぐにキーボードに命令を打ち込んでいく。
「何をするつもりだ!?」
『決まってるよ。だったら、このシーハーツっていう国を全部滅ぼすだけさ! ディオンさんはどこに隠したかしらないけれど、城にはアミーナさんがいるんでしょ? どっちかが死ねばゲームは終わりだよ。まずはこの戦場だ。全員を殺してやる』
「やめろ! フラッド、君は何をやっているのか分かってるのか?」
『分かってるよ! これはゲームだよ。僕と、そしてお兄ちゃんとのね!』
「フラッド!」
『さあ、バンデーン艦、全部を滅ぼしてしまえ!』
 フラッドの指が、Enterキーに触れた。






 目が覚めたとき、まだ爆音と爆風が治まっていなかった。
 あちこちで爆音と、かすかに悲鳴が聞こえる。
 周りには誰もいなかった。クリフもミラージュも、別々のところに飛ばされてしまったらしい。
(どうすればいいんだ?)
 あの艦を沈める方法は、もうフェイトにはない。
 何しろ、最初の一隻を沈めるのはフェイトの役割なのだ。ディプロが来るといっても、それまでにこの大陸が焦土とされては何も意味がない。
(くそっ、僕がディストラクションを完全に使いこなせていたら……)
 空中に鎮座するバンデーン艦は、なおも爆撃を続けていた。
「くそっ!」
 フェイトは地面を蹴る。
 そのときだった。
「……あ……」
 風に乗って、確かに女の子の声が聞こえた。
 兵士の誰かが、爆撃の被害を受けたのかもしれない。
「誰かいるのか!」
 大声で叫び、声のした方へと向かう。
 そこにいたのは──
「君は……」
「あ……会え、た……」
 弱々しい微笑みを浮かべたのは、マユであった。
「どうして君がこんなところに」
「会いたかったん、です」
 フェイトは彼女を抱きかかえる。
 左の腹が爆発で吹き飛ばされている。内臓が中から飛び出ていた。
 ──致命傷だった。
「マユ」
「あ……」
 彼女の瞳から涙が零れた。
「名前、知っててくださったんですね」
「ああ」
「あなたの、名前は……」
「フェイト。フェイト・ラインゴッド」
「フェイト、さん……」
 彼女の手が、自分の頬に伸びる。
「あなたに、会いたくて、ここまで来て、しまいました……ちょっと、その代償は、大きかったみたい……です」
 えへ、と笑う。
「何で、僕なんかに」
「だって……一目ぼれ、でしたから」
 マユは幸せそうに笑った。
「私は、幸せです。こんな時代に、好きな人の、腕の中で、死ねるのだから」
「マユ」
「フェイトさん……フェイ……ああ、もう、目が……かすんで……」
 フェイトはこらえきれず、彼女の体を抱きしめる。
「あたた……かい……」
 そのまま──彼女は、事切れた。
「マユ……」
 これは、死だ。
 データなんかではない。
 明確な、リアルな、死。
「フラッド……」
 今、あの少年に明確な殺意を覚える。
「僕は……僕は絶対に、君を許さないっ!」






 ──かくして、ディストラクションは発動した。






『驚いたよ。まさか、ディストラクションを使えるとはね』
 また、彼の声が響く。
『ま、賭けは僕の負けだね。約束どおり、この世界はこのまま残しておくことにするよ。あーあ、高い機体だったんだけどな』
「……」
 少年とは話したくもなかった。だが、一つだけ、最後に聞くことがあった。
「フラッド。僕は知識を与えられてここに存在しているわけだけれど、元の、エターナルスフィアの僕は、いったいどうなっているんだ? 僕はあくまでも君の創造物、エターナルスフィアの僕とは別人のはずだ」
『どうもこうもないよ。その時点でのお兄ちゃんの記憶をコピーペーストしただけだから、エターナルスフィアのお兄ちゃんは何も変わってないよ』
「だったら、僕の今の記憶を、元の世界の僕に再びトレースすることは?」
『色々問題はあるけど……どうして?』
 フェイトははっきりと答えた。
「君を一生、許さないために」
 それを聞いて、フラッドはくすくすと笑った。
『分かった。やってみるよ』
「いいのかい? 僕は君を殺しに行くかもしれないよ?」
『そのときはそのときだよ。僕は面白そうなことには全てを賭ける方なんだ』
 そう言って、少年はまたキーボードをたたく。
『そのかわり、ちょっと荒療治になるよ。そう簡単にはできないからね。お兄ちゃんにも代償を払ってもらうことになるし』
「代償?」
『うん。お兄ちゃんにも分かるように言うとね、エターナルスフィアのお兄ちゃんはデータとはいってもいわばリードオンリメモリなんだ。上書きができないんだよ。それに対して僕の世界のお兄ちゃんはランダムアクセスメモリ、つまり上書き可能にしたんだ。だからアーリグリフの牢屋でのお兄ちゃんのデータにエターナルスフィアのお兄ちゃんのデータを上書きできた』
「それで?」
『結論として、今のお兄ちゃんのデータをエターナルスフィアのお兄ちゃんに上書きすることはできない。できるとすれば、今のお兄ちゃんのデータを新しいリードオンリメモリにして、エターナルスフィアのお兄ちゃんのデータと入れ替えることくらいなんだ』
「それは、コピーペーストするのとは違うのか?」
『違うよ。今のお兄ちゃんのデータをそのままエターナルスフィアの中に無理矢理入れなきゃいけない。ソフトそのものを取り替えるみたいなものだよ。だからエターナルスフィアのお兄ちゃんにはきちんと記憶は反映されるけど、僕の世界のお兄ちゃんのデータをそのまま移さないといけないから、お兄ちゃんはこの世界からいなくなる、というか、初期化される形になるかな』
「初期化……っていうことは」
『うん。平たく言うと、この世界のお兄ちゃんは記憶喪失みたいになる。アーリグリフの監獄からこの世界は始まったわけだから、初期化されたらお兄ちゃんの知識はその頃に戻るよ。もちろん、未来のことも何も知らない、本当にアーリグリフに落ちた頃のお兄ちゃんに戻るんだ。つまり、ネルさんと出会った直後からの記憶はこの世界のお兄ちゃんにはなくなる。忘れるんじゃない、なくなるんだ。ネルさんのことも、シーハーツのことも、エレナさんのことも、全てを知らない状態になる。記憶喪失とはいっても、データそのものがどこにも存在しないわけだから、絶対に思い出すことはない。でもそのかわり、元の世界のお兄ちゃんには全部の知識が行くわけだけれど。それでもかまわない?』
「かまわない」
 躊躇せず、フェイトは答えた。
 フラッドと戦うためにはそれしかない。フェイト・ラインゴッドであれば、この状況で他の選択肢を選ぶことはないだろう。
『じゃあ最後に、あと少しだけお兄ちゃんに時間をあげるよ。別れを言いたい人がいるんだろ? まあ、本当にお兄ちゃんがこの世界からいなくなるわけじゃないけど、次にネルさんに出会うときは最初からやり直しになるわけだしね』
「感謝するよ、フラッド」
 そして、付け加えた。
「でも、僕は絶対に、君を許さない」






 目覚めたとき、そこはシランドだった。
 目の前にはクリフがいて、ミラージュがいて、ネルがいて、そして──ディオンとアミーナがいる。
「ディオン、アミーナ……よかった、無事だったんだ」
「ええ、何が何やら、さっぱりですけど。でも、フェイトさんも無事で何よりです」
 ディオンが笑顔で言う。隣のアミーナも微笑む。
(よかった)
 もう二度と二人に会うことはないだろう。だが、決して会えなくなるのだとしても、こうして二人が生きている世界がある。
 それだけでもこの世界に来た意味は十分にある。
「近いうちに、僕たちの仲間がここにやってくる。そうしたらアミーナの病気も治すことができるから、そうしてもらうといいよ」
「ありがとうございます」
 そして、ゆっくりと体を起こした。
 まだふらつくような感じはあったが、それでもフェイトはやっておかなければならないことが最後に一つだけあった。
「みんな、ちょっとだけ席を外してくれるかな。ネルと、二人になりたいんだけど」
 クリフが口笛を吹く。ミラージュに窘められながら、二人が部屋を後にした。それに続いてディオンとアミーナも出ていく。
 扉が閉じられて、フェイトは有無を言わさずネルを抱きしめた。
「ちょっと、フェイト」
 突然の抱擁に、ネルが戸惑わないはずがなかった。
「ありがとう、ネル」
「ありがとうって……」
「ディオンを無事に連れ出してくれて。感謝してる、本当に」
「そんなことはどうだっていいけど……いい加減に離し──」
「そして、ごめん」
 だが、それよりも早く、フェイトが言った。
「何を謝っているんだい?」
「これから僕は──全てを失うことになる」
「?」
 ネルは、すぐ傍にいる男性の複雑な表情を見る。
「未来のことも、今までのことも、そして、君への想いも、全てを忘れる。そして、君に出会う直前の僕に戻る──これは、仕方のないことなんだ」
「何を……言っているんだい?」
 動揺した様子のネルだったが、彼には分かっている。
 もう『この世界のネル』に会うことは『今の』自分にはない。
 もう一人のネル。
 色々と喧嘩もしたし、エターナルスフィアのネルとは同じようで、どこか違ったような気もする。
 でも、好きだった。
「でも安心して。僕はたとえ記憶を失っても、また君と会ったとき、君のことが好きになる自信があるから。今の僕は二度と君に会えないかもしれないけれど、僕の心はいつだって君のことを求めているっていうことを、信じて。たとえ君のことを知らなくても、僕のことを捨てないでくれると嬉しい。もう二度と今の僕自身は、君と話すことができないかもしれないけれど、もし、また会うことがあったら、その時はもう一度君に謝りたい」
「フェイト?」
「それじゃあ、さよなら。ネルに会えて──良かった。ごめん。それから」
 そして。
 彼の体から、力が抜けた。

「──ありがとう」
























カルチャー

secret Quee






「フェイト?」
 振り返ったネルが見た彼の顔は、涙で濡れていた。
 ディオンとアミーナの墓の間を、一陣の風がすり抜けていった。
 日は少しずつ降りてきている。徐々に肌寒くなってきている。
 その中で、彼は、ただ、泣いていた。
 さっきまで、もう完全に涙は乾いていたというのに、たったこの数秒の間に、ここまで豪快に泣けるものなのだろうか。
「どう……したんだい?」
 近づいて、フェイトの目尻を拭う。
「気づいたんだよ」
 フェイトは、搾り出すような小さな声で言った。
「理想郷なんて、どこにもないっていうことに」
「?」
 突然何を言い出すのかと、彼女は顔をしかめる。
「ディオンとアミーナが生きていてくれたらと願った。でも……誰かが幸せになっているとき、必ずどこかで幸せじゃない人がいるんだ」
 ディオンとアミーナを生き延びさせたかわりに、マユやルージュを失うことになった。
 逆に言うならば、この世界ではディオンとアミーナが犠牲となってくれたからこそ、他のみんなは誰も死なずにすんだ、ということもできるのだ。
 そして、自分がこうして【閉じたエリクール】の記憶を持っている以上、向こうのフェイトはその記憶がないということになる。そして、その世界ではフェイトもネルも、そして周りにいる人たちもみんなが苦労することになるだろう。
 次にやってくるバンデーンの艦から身を守ることだって難しいだろう。
(きっと、みんななら大丈夫だ)
 そう信じる。
 だが、全部がうまくいくなんて、そんな都合のいい話はどこにもないのだ。
「ネル」
「なんだい?」
「死ぬなよ」
 それを聞いて、ネルは少し微笑んで彼を抱きしめた。
「当たり前じゃないか。あんたみたいな寂しがりやを残して死ぬことなんてできないよ」
「約束してくれ」
「ああ。約束する」
 そして──

 彼は『また』涙を流したのだった。





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