時の河
「こっちだ!」
ベストポジションに移動してボールを受ける。
マークが戻ってくる。それより早く、足がコートを離れ、ボールが放物線を描く。
ネットが揺れた──スリーポイント。
「逆転だ!」
一気に湧き上がる会場。残り時間は十秒──
「ディフェンス!」
彼の指示でメンバーが相手をマンツーマンで止める。シュートさえ打たせなければあとは勝てる。そして、その時間は過ぎた。
試合終了のブザー。そして、大歓声。
かくして、地球という一つの惑星の高校生大会の優勝チームが決定した。
そのチームを率いていた二年生エース。彼が二年生にしてMVP、最優秀選手となった。
彼の名を、フェイト・ラインゴッドという。
だが、この物語は彼のいる地球、セクターθではなく、そこに隣接するセクターαが舞台となる。
セクターα内に存在する未開惑星、エリクール二号星。
そこに、彼の将来の伴侶となる女性がいた。
ネル・ゼルファー。
彼が高校二年生にしてバスケットボールのMVPになったとき、彼女は聖王国シーハーツのクリムゾンブレイドに就任していた。
新たなクリムゾンブレイドは二人同時に任命されることとなった。父であり先代のクリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファーが亡くなったため、彼女はその後を継いだ。隠密部隊を統括し、封魔師団『闇』の長を兼ね、国内外の裏をまとめあげるのが彼女の仕事だ。
そしてもう一人はクレア・ラーズバード。父である先代アドレー・ラーズバードはネーベルの死と共に職を辞した。その後は城に留まるつもりでいたものの、誰かの策謀によって北方諸島の観察へと回されてしまった。そしてクレアは光牙師団『光』の長となり、国の全軍を率いる立場となった。
表のクレアと、裏のネル。この二人が幼馴染で、なおかつ実力的にも同格だというのは奇跡のような話である。
かしまし三人娘のトリを務めるルージュ・ルイーズに言わせると「反則なくらい強すぎ」とのこと。軍では五本の指に入る彼女ですら、ネルやクレアとは決定的なまでの力の差があるのだ。最も、当時のルージュはまだ抗魔師団『炎』の副団長にすぎなかったが。
ある日のこと。新しくクリムゾンブレイドとなった二人にラッセル執政官から指示が下った。曰く、カナンに近い村ウルに魔物が出没しているとのこと、それを殲滅し、原因を調査せよとのことであった。
こういう仕事は日常的にあるわけではないが、決してないわけではない。それこそ念に一、二度は普通に起こることだった。ネルもクレアも、その魔物討伐に出かけたことが一度ならずある。
二人ともその感覚で、各々部下を派遣し、討伐と調査を行わせた。だが、その結果は『全滅』であった。命からがら逃げ延びてきた三名だけが聖都にたどりついたのだ。
ここにきて、二人はこの敵がただものではないことを悟る。ここはシーハーツでも最強の兵士が行くしかないと考えたのは当然のことであった。
すなわち、クレアとネル、シーハーツ最強のコンビである。
二人は後事を副団長のヴァン・ノックス、アストール・ウルフリッヒに任せると、急いでウルへと向かった。
これは、クリムゾンブレイドとなった二人がコンビを組んで解決した、最初の事件である。
『事件名:魔物の住む洞窟(CODE:001)』
「これはまた、随分と荒れたもんだね」
若干二十一歳の若きクリムゾンブレイド、ネル・ゼルファーはその村の様子を見てため息をついた。
人影は全くない。全ての建物は崩れ落ちていたり、どこか壊されていたりして、完全な形で残っている家は一軒もなかった。
「その魔族の仕業だとしたら、許せないわね」
正義感たっぷりでクレアが答える。そうだね、とネルも相槌を打った。
「それにしても村人がいないのが気になるわね」
「きっとどこかに隠れてるんじゃないのかい」
「そうね。いくらなんでも、全員が殺されてしまったなんてことはないでしょうし」
ぎょっとしてネルがおそるおそる言う。
「あまり不吉なことを言わないでくれよ、クレア」
「あら、ごめんなさい。うっかりしてたわ」
「全く、アンタは気が抜けると昔に戻るんだね」
こうしてクリムゾンブレイドになったクレアは品行方正で、武術の腕はもちろん高いが、そうでないときはおしとやかで優しい女性だった。だが、昔からそうだったわけではない。というより、ネルが知る限りではそれはただの猫被りにすぎない。彼女の本性はもっと──
「ネル? 何かよからぬことを考えてない?」
ぶんぶん、と勢いよく首を振る。危ない、彼女のことを考えただけで察知されるとは。今後はうかつなことを考えないようにしないと。
「まあ一軒ずつ回ってみるしかないのかしらね。誰かいますかーって言って、出てきてくれればいいのに」
直後。
きししっ、という笑い声と共に、魔鳥が三羽、空中から襲い掛かってきた。
「確かに、誰かはいたみたいだね!」
咄嗟に攻撃を回避しながらネルが受け答える。
「そんなに皮肉を言わないで、ネル。まずはこいつらを倒して情報収集といきましょう」
クレアは愛用の鞭を手に取った。
「その意見には賛成するよ」
ネルもナイフを取りだすと、その魔鳥に向かって二本、タイミングをずらして投げる。魔鳥の一匹が最初のナイフを回避したが、二本目のナイフは的確に移動した場所に真っ直ぐ放たれていた。その一撃で最初の一羽が落ちる。
クレアも鞭をしならせる。最初の一撃を回避した魔鳥であったが、素早く軌跡を変えた鞭は勢いよく魔鳥を捕らえて締め上げた。これで二匹。
「きいっ?」
状況が飲み込めていない魔鳥に対して、ネルの凍牙が放たれる。それで魔鳥は全滅した。
「さて、その一匹はきちんと口がきけるのかい?」
クレアの鞭で締め上げられている魔鳥はじたばたと暴れていたが、クレアがその程度で逃がすはずがない。完全に脱出は不可能であった。
「大丈夫みたいね。ただ、人の言葉が分かるかどうかは分からないけれど」
「じゃ、始末するかい」
ひぎぃっ、と魔鳥は悲鳴をあげた。どうやら人語は理解するらしい。
「どうやらこっちの言ってることが分かるみたいだね」
「そうみたいね。ね、鳥さん、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど、いいかしら」
ぶんぶん、と頷く魔鳥。
「じゃ、聞くけど、この町に人間はいるのかしら?」
縦に頷く。
「どこかに隠れているのかしら?」
また頷く。
「その場所を知っている?」
横に首を振る。どうやら知らないらしい。
「ま、そんなことだろうとは思ったけどね。隠れている場所を知っているなら、わざわざ私たちを襲うはずがない」
ネルが言う。もちろんクレアが改めて確認しただけだということは分かっての上だ。
「それじゃあ、この町がこんなふうになったのは、あなたたちのせい?」
少し考えてから、首を横に振りかけ、それから頷く。
「うーん、やったのはあなたたちだけど、命令した者が別にいる?」
勢いよく頷いた。
「その人のところに案内してもらえる?」
ぶるっ、と震えた。
「裏切ると殺される?」
おずおずと頷く。
「じゃあ聞くけど、ここで私たちに殺されるのとどっちがいい?」
(悪魔)
ネルは心の中で呆れる。だが、その直後にクレアが振り返った。
「何かあった、ネル?」
ため息をついてネルは首を横に振る。
「あんたの部下に今の言葉を聞かせてやりたいよ」
「もちろん言わないわよね、ネル?」
「私も自分の身が可愛いからね」
苦笑する。こういうやり取りはあくまで冗談にすぎない。まあ、クレアの方はもしかしたら本気が入っているかもしれないが。
「じゃ、案内してね」
魔鳥が悲しそうに、嘴で山の方角を示した。拘束を解かず、二人は歩き始めた。
二人が向かった先には一つの大きな洞窟が待ち構えていた。
山の中腹にある洞窟。さすがに中は危険だろうが、ここで手をこまねいているわけにもいかない。松明を灯してネルが先に入っていく。
最初のうちこそ道は狭かったが、中に入るとそこは大きな広間になっていた。
そして、たどりつくと同時に、周囲から獣のうなり声が聞こえてきた。
「さっきは魔鳥で、今度は魔獣かい」
ネルが呆れたように言う。その背にクレアがついた。
「今度は手加減の必要はないわね」
「そうみたいだね」
魔獣は五匹いた。無論、このクリムゾンブレイドたちの敵ではない。
ネルのナイフが飛び、魔獣たちのうち二匹の目に刺さる。クレアは武器を剣に持ち替え、同時に襲い掛かってきた二匹の獣を素早い剣捌きで両方打ち倒す。
さほど苦労することもなく、四匹の獣を倒した。残りの一匹はその様子を見て怯んだらしく、そのまま通路を逃げ去っていった。
「なんだい、こんな連中に倒されるほどうちの部下は弱かったかい?」
「いいえ、そうではないみたいね」
その獣が逃げていった先から、一つの影がやってくる。
その大きさは、ネルの二倍ほどもあった巨体──トロル。
「これはこれは……魔物ではなくて亜人だったとはね」
トロルは決して魔物に分類されるわけではないが、その破壊力と凶暴性のためにヒューマンから嫌われている存在である。魔物といわれても仕方がないだろうが。
「でもネル、トロルの一体くらいで倒れるほど私たちの部下は弱くはないわよ」
「そうだね。まだ奥に何かがいるんだろうね。やれやれ」
トロルはその生命力、再生力が脅威である。だが、脅威となる部分が分かっているのなら、その脅威を取り除いてやればいい。
トロルは巨大な棍棒を振り回してくるが、二人は微妙に間合いを取ってそれを回避する。そして、
「凍牙!」
ネルの攻撃でトロルの巨体が凍りつく。そして、クレアの攻撃でトロルの巨体は粉々にくだけた。
「さ、奥へ行こうか」
「ええ」
二人はたいした苦労した様子もなく、さらに奥へと進んでいった。
その後も二人は魔獣や亜人を倒しながら進んでいった。それほど苦労することもなく最奥へたどりついてた。そこは不思議な魔法の光に溢れた場所であった。聖殿カナンと同じだ。かがり火を灯せば当然のことだが酸素が足りなくなる。だから屋内では魔法の光を使うことが多い。
随分と多くの魔法光が壁に灯されている。そして、その光の中に一人の人物がいた。
白いローブを着た男。171センチのネルよりも若干背が高い。金髪で碧眼。シーハーツ人でないのは一目瞭然であった。
「やれやれ、私が作り出した作品たちのほとんどを倒してくれたか」
キーの低い音が聞こえる。それがこの男の声。
「何者だ?」
「それは私たちの台詞だね。あんたこそ何者だい?」
一触即発、という雰囲気が生じる。
「あのバケモノたちを使って何をしようとしてたんだい?」
「この洞窟の外に出回っているのは私が作った失敗作だ。この洞窟の中には成功作しかいない。私に忠実な僕、ホムンクルスの作成が私の望みだよ」
「ホムンクルス?」
二人のクリムゾンブレイドが同時に顔をしかめる。
「本気で言っているのかい?」
「まあ、そのための研究だからな。誰かに迷惑をかけたというのならば申し訳ないことをした」
「それで許されることだと思っているのかい! 外では何十、何百って命が亡くなっているんだよ!」
「そうか。不運だったな」
特別何の感慨もなく、男は答えた。その答えようが、彼女の怒りに火を注ぐ。
「そんな言葉で!」
「どういう言葉であろうと、不運としか言いようがない。私が無罪だなどと主張するつもりはないが、私の実験結果に巻き込まれた形になったのは、不運以外の何ものでもあるまい?」
ネルは剣を構えた。無論、クレアもだ。
「許せませんね」
「ああ。こいつ、性根から腐ってる」
「ふむ。なかなかに名のある戦士のようだが、その名を聞かせてもらってもいいだろうか?」
男は戦闘体勢を取るどころか、まだ会話の続きでもしているかのように話しかける。
「クリムゾンブレイド、ネル・ゼルファー」
「同じく、クレア・ラーズバードよ」
「クリムゾンブレイド……そうか、アドレーとネーベルは代替わりしていたのか」
意外にもその男は自分たちの父親の名を呼ぶ。
「知っているのかい?」
「名はな。直接の関係などない。それにしても、当代のクリムゾンブレイドは随分と若く、そして美しい。私のホムンクルスとしたいくらいに」
ぞくり、とネルの背筋に悪寒が走る。
この男だけは、倒さなければならない。
「あんた!」
「悪いが、勝てぬ戦いをするほど私は愚かではない。実験は終了だ。私はこの場所から立ち去ることにするよ」
ぽう、と彼の指先が光る。
「何を──」
するつもりか、と言おうとした直後、洞窟が、山全体が突然大きな揺れに襲われた。
「地震!?」
「気をつけるがいい、クリムゾンブレイドよ。私が生み出した失敗作の一つはまだ麓にいる。あのような出来損ないに負けるとは思わぬが、身をいたわるがいい。再び出会うまでな」
男は振り返り、その姿がうっすらと消えていった。
「待て!」
「そう。忘れていた。私の名はクラウド。また会おう、勇敢なるクリムゾンブレイドたちよ」
そして、彼の姿は闇の中に溶けた。
「行きましょう、ネル」
クレアが声をかける。
このままだと洞窟が崩れる可能性がある。それを示唆してのことだった。
ネルは相手を逃がしたという悔しさもあったが、いつかあの優男が自分の行く手を阻むような気がしてならず、簡単には引き下がれない気持ちがあった。だが、それも一瞬のこと。現状を認識した彼女はクレアと共に洞窟を出た。
その洞窟の外にいたのは、バケモノであった。
牛に似た頭部、前足の鋭い爪、太く長い尻尾、飛ぶことよりもバランスを取るためにつけられたような翼。それは、レッサーデーモンであった。
なるほど、確かに魔族であった。それもこの魔族はおそらく、あのクラウドと名乗った男が作り上げたホムンクルスなのだ。ただ、失敗作と呼んだように、おそらくは無制御なのだろう。ただ思うがままに暴れまわる凶暴な悪魔。
「やれやれ、随分とやっかいなものを生み出してくれるね」
ネルは剣を構えて突進した。
「ちょっと、待ちなさい、ネル!」
クレアが追うが、それより早くレッサーデーモンとネルは戦闘に入った。
鋭い爪がネルの髪を裂く。だが、その隙をついて彼女はデーモンの体内に深くナイフを刺し込んだ。ぐふう、という呻きがその口から漏れる。
「危ない、ネル!」
だが、長い尻尾がうなり、ネルを弾き飛ばしてしまった。あまりの衝撃に一瞬呼吸が止まる。
「くらえ!」
クレアがその尻尾を切り落とし、相手の攻撃手段を一つ奪う。だが、続いてレッサーデーモンは口から炎を彼女に向かって吐き出す。咄嗟に両腕で顔をかばったが、その腕はかなり焼かれてしまった。
「クレア!」
「大丈夫──でもないわね。まったく、乙女の柔肌になんてことしてくれるのかしら」
素早くヒーリングをかけて火傷の痕を消していく。
「私を怒らせたわね」
クレアが冷たい目線でレッサーデーモンを睨むと、今度は武器を鞭に変えた。
「スパークウィップ!」
この鞭はエレナ特製、電流を流すことができる鞭である。レッサーデーモンの右前足に鞭が絡みつくと、そこから電流が体内に流れこんでいく。
「ネル、今よ!」
「ああ──黒鷹旋!」
ネルは腰の大刀をついに引き抜くと、電流で動けなくなっているレッサーデーモンの首筋目掛けてそれを投げつけた。
一撃で、そのデーモンの首は飛ばされていた。
「任務、完了」
生命活動の停止したレッサーデーモンは、黒い塵へと還っていった。
「──以上、ウルでの報告です」
クレア・ラーズバード、ネル・ゼルファーからの報告を聞いたラッセル執政官は頷くと「ご苦労だった。後で褒章を出す。下がってよい」といつも通り事務的に答えた。
「分かりました。ところで、執政官」
ネルはふと、気になったことを尋ねた。
「執政官は確か父上とも懇意だったはず。このクラウドという男は父上のことを知っていたのですが、執政官はこの男について何かご存知ではありませんでしたか」
「知らぬ。が、心当たりならばある。先年、やはりクリムゾンブレイドの二人、アドレーとネーベルが協力して一人の魔導師と戦ったが逃げられたということがあった。名前までは聞いていなかったが、その男の可能性はある」
「分かりました。それでは、失礼いたします」
「うむ」
二人は部屋を出るとお互いの顔を見合う。
父親の代から、二代続けて相手を逃がしてしまったという不始末。
これはいつか、自分たちの手で汚名を晴らさなければならない。
そんなことは口にしなくとも、自分の相棒はよく分かっていることだと二人ともが思っていた。
だから何も言わなかった。
そして、その日はいつか必ず訪れるのだろう。
何しろ、クラウドは言ったのだ。
『また会おう、勇敢なるクリムゾンブレイドたちよ』
CODE:001 END
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