明日の街
宇宙でヘルメス司令長官と戦ったとはいえ、アルベル・ノックスは別にヘルメスなどという見たこともない男が敵であったわけでも憎んでいたわけでもない。ただ単に自分が最終的に超えなければならない壁が、自分の知らないところで勝手にくたばることが許せなかっただけだ。
できればその場で戦いを挑みたかったところであったが、ペターニが石化しただのシランドが消滅しただのという状況で再戦を挑むこともできず、とりあえず時期が来るまでということでアーリグリフに帰ってくることとなった。
帰ってきたアルベルに最初に会いにきたのは、忠実な部下のサイファであった。
「お帰りなさいませ、アルベル様。お待ちしておりました」
一見して男性のようでも女性のようでもある彼女は、いつも通りの優しい微笑みでアルベルに接する。
「何かあったか」
「はい、少々問題が」
「話せ」
アルベルはカルサアの自室でソファに座って酒を注ぎながら報告を聞く。
「はい。先年発見されたアーリグリフ地下道遺跡の調査隊が全滅しました。どうやら魔物がいたようです」
「ほう」
楽しそうにアルベルが笑う。
「それで俺を待ってたってわけか」
「残念ですが、今回はアルベル様の出番はありません」
「なに?」
にっこりと笑ったサイファがアルベルの疑問に答える。
「私が今回の担当ですから」
「なんだと」
「というわけで、お留守番をお願いしますね、アルベル様」
「てめえ、俺に断りもなく勝手に決めやがったのか」
「はい。何しろアルベル様がいらっしゃらない間は私に後事は全て任されましたので。もう既に準備は整っています。今まさに出発するところだったのですよ」
「俺についてこられるとマズイことでもあるのか。俺が帰ってきた直後に出発するなんざ、随分とタイミングがいいみてえだが」
「はい。今回アルベル様は私を置いてシーハーツへ行かれました。ですから、今度は私がアルベル様を置き去りにしようと思いまして」
「なっ」
くすっ、と妖しい笑みをサイファはもらす。
「では、行ってまいります。もし私が倒れたときには、仇討ちをお願いします」
「てめえの仇なんざ、死んでもとってやるかよ」
「それは残念です」
こういう形でサイファは自分が怒っているのだということを彼に伝えてくる。いつでも共にいると誓ったのに、彼は彼女を置いていってしまったのだから。
「──フン」
彼はつまらなさそうに酒をあおった。
遺跡に行った彼女からの連絡は半日ごとに届いた。昼ごろと、夜だ。おそらく向こうでは朝方と夕方にそれぞれ一度ずつ報告をしているのだろう。
何の変哲もない作業についての連絡が随時届いていたが、四日目の夜に連絡が途絶えた。待てども待てども報告は届かない。
報告がないというのは裏返していえば、その報告を行うことが困難な状況にあるということだ。
一つは忙しすぎて報告を後回しにする場合。だが、サイファは優秀だ。どんな場合でも報告を最優先にする。決して相手を心配させたり待たせたりすることはない。
だとすれば、報告を送ることができない状況になっているということだ。
もちろん報告を送ったものの、カルサア修練場にその報告者が到着していない場合も考えられる。まだ早急に動くことはできない。
問題があってもサイファならば自分で解決できると信じているからこそ、彼は少しだけ待ってみようという考えになった。
だが、次の日の昼になっても報告は来ない。これは報告が遅れているという騒ぎではない。サイファが報告を送ることができないでいるのだ。
昨夜のうちから既に準備は整っている。彼は王都アーリグリフへと向かった。
「それにしても、あのサイファがやられてるなんてことは思えないですけどねえ」
彼の足となって王都へと連れていくのは、彼にとってもう一人の片腕【黒風】のリオン・レグラスである。
「あいつがかんたんにくたばるか、阿呆」
「と、苛々するくらいはサイファのことを思ってるんですよね、旦那も」
「殺すぞ」
「おお怖い」
飛竜を駆りながらリオンは肩をすくめる。
「サイファの気持ちははっきりしてるんですから、こたえてやったらどうなんですか? ノックス家とランベール家なら家柄としても文句はないでしょうし」
「リオン」
背後から、今度こそ容赦なく殺気溢れる言葉を聞いて、リオンは黙り込んだ。
(やあれやれ、旦那も若いねえ)
自分より年上の上司を捕まえて若いも何もあったものではないが、明らかに恋愛という点では彼は全くといっていいほど経験がなさそうだ。
「さ、つきましたぜ、旦那」
ゆっくりと降下し、遺跡入り口につける。
キャンプの跡が残っているが、誰一人兵士は存在していなかった。
「どうすりゃいいですか?」
「お前は城に残ってろ。一日経っても戻らなかったら国王に遺跡を封鎖するように言え」
「了解しました。一日ですね?」
「一日だ」
時間は午後四時。
長い一日となるか、それとも案外短いものとなるのか。
(ちっ……簡単にくたばってんじゃねえぞ、阿呆)
リオンの言ったとおり、自分は随分と焦っている。それが分かるだけに、リオンの言葉に反抗してしまった。
サイファが大事かと言われれば、部下としては大事だと答えるしかない。彼女が自分に好意を向けているのは分かっているが、それに応えるつもりは全くない。彼女を好きかという以前に、自分には誰かが特別な存在になるということが今までに一度もなかった。唯一の例外として、フェイト・ラインゴッドという青年が存在するが。
もちろん彼は女性との経験がないというわけではない。だが、彼はサイファだけは対象として見たことはない。あくまで上司と部下としての一線を超えた言動はない。
魅力がないのかと言われるとそうではない。むしろ彼女といるときは自分のささくれ立った心が安らぎ、落ち着くことができる。
だが、彼女だけは自分に近づけてはならない。そういう感情がまた別にあるのだ。
彼自身にも分からない正体の見えない感情。
(ふん、俺が行くまで死ぬんじゃねえぞ)
誰かを死なせたくないと思うことが初めてだったことに、まだ彼は気づいていない。
(ちっ。やってくれるじゃねえか)
瘴気のこもった遺跡の中を歩いていく。途中、自分の元部下たちがあちこちに横たわっている。
「たいして役にも立たねえクソ虫どもだったが、遺体くらいは回収してやるか」
とはいえ、骨が折れる作業になるのは間違いない。最初に向かった調査隊が十名前後に、後から追跡調査を行ったサイファたち。
『ふむ、六匹の次は一匹か』
(出やがったな)
彼の前に、赤き魔族が降臨する。
死を媒介として力を蓄えるアークデーモン。
『多少は腕に覚えがあるようだが、所詮はこの世界の住人。我の敵ではない。おとなしく帰るがよい。それとも前に来た者どもと同様、物言わぬ我の僕となるを望むか』
「ってことは、てめえが全ての元凶ってわけか」
『だとしたら、どうする』
こいつが、殺した。
部下たちを
──サイファを!
「楽に死ねるとは思うなよ。殺してくださいって懇願するまでテメエのツラにこの刀を叩き込んでやる!」
刀を抜いて彼は意気込むが、デーモンはくつくつと笑うばかりであった。
『勇ましいものだな。だが、死の神フォスターによって生み出された神々の眷属たる私が、貴様のような下等生物を自ら相手にするはずもなかろう──』
そうしてアークデーモンは聞いたこともない呪文を唱える。その魔法が完成したとき、彼の目の前で、横たわっていた死体たちが起き上がってきた。
「この野郎……!」
死者を操る魔族。
こうして討伐隊や調査隊を差し向けるほどに死者の軍勢は人数を増やしていく。
「てめえ、死人の王、ロメロかっ!」
『ほう、我を知っているか。だが知っていてなお戦うというのであれば、勇ましいのではなく、無謀だな』
「うるせえっ! テメエみてえな三下がいつまでも気取ってんじゃねえ!」
『ふふ、では永遠の絶望にその身を焼かれるがいい──』
死者たちが動きはじめる。
《タイチョウ、タイチョウ……》
《タスケテ、タスケテ……》
ためらうことなく、彼は剣を振るった。
死者を二度殺すようですまないとは思うが、ここで永遠に『生かされて』いる方がずっと哀れだ。意識が残っているのならなおさら解放してやらなければ、まさに永遠の絶望に捕われることになる。
(サイファ)
この中にいるのだろうか。
自分にとって、最も大切な部下が。
「許さねえぞ、クソ虫がっ!」
彼は自らの力を解放した。
「吼竜破!」
群がる部下たちを一瞬で焼き滅ぼすと、その向こうでニヤニヤと笑っているロメロに剣を突きつける。
「殺す」
『無理だな、脆弱な人間よ』
「殺す!」
疾走する。一瞬で相手の懐まで入り込み剣で薙ぐが、ロメロはノーアクションで背後に下がる。
『煉獄の炎よ、焼き尽くせ』
ロメロは指先から業火を生み出すとアルベルに向かって放つ。だが、そんなもので怯むような彼ではなかった。
「双破斬!」
その業火を正面から突破して左手の剣で切り上げる。それもロメロは後方にスライドして回避したが、続く右手の切り下ろしで一太刀浴びせる。手傷を負ったロメロは嬉しそうにそれを見やると、左手で傷口を押さえる。瞬間、その傷は癒えていた。
『人間ごときが我に手傷を負わせるとはな。見上げたものだ』
「黙れ」
腹の底から沸きあがってくる耐えられないほどの苦しみ。
自分にとって大切なものを奪われた悲しみ。
「俺の女を返しやがれ!」
近距離から体当たりをかけて相手のバランスを崩す。そのまま、
「魔掌壁!」
気の奔流が相手の体を包もうとする。が、それより早くアークデーモンは動いた。
(後ろか!)
咄嗟に横に飛ぶが、アークデーモンの一撃はアルベルの手甲をはじき飛ばしていた。
醜い火傷の痕が外気に触れる。
『魔剣クリムゾンヘイト……儀式に失敗したか』
「死んでいくてめえには、」
彼は双剣を構える。そして突進した。
「関係ねえだろ、クソ虫がっ!」
連撃。息の続く限り、彼は剣を振るった。五度、六度と剣が宙を斬る。だが、ロメロの体までは届かない。微妙な間合いでうまく回避していた。
『そろそろ飽いたな、人間。これで生き残れたならば、誉めてやろう』
ロメロは右手を高々と掲げる。そして呪文を唱えた。
『我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁』
危険を感じた。
咄嗟に回避をする。だが、間に合わない。
『イフリートキャレス』
この戦いの場、全てを埋めつくすほどの炎が生まれ、彼の全身を焼く。
亡くなった兵士たちが一瞬で火葬にさらされていく。
気管から肺まで焼かれ、炎が消えたときには体中が焼かれていた。
血すら、出てこない。
「ぐ、う……」
ばたり、と彼はその場に倒れた。
『ほう、まだ息があるか。なかなかの戦士だな。人間にしておくのは惜しい』
アークデーモンはゆっくりと彼に近づくと、その頭に手を置こうとし──
「衝裂破!」
無防備になったアークデーモンに対して、彼が最後の反撃を試みた。
『馬鹿な、まだ意識があるだと』
確実にその剣はロメロを切り裂いていた。だが、致命傷にはほど遠い。そして、彼の体は限界に来ていた。
『ふむ、戦士としての本能か』
彼の意識はほとんどなかった。ただ、敵がそこにいる、それだけで体が勝手に動いたのだ。
『面白い男だ。我の僕とするより、再び手向かわせる方が面白い』
するとロメロは人差し指を彼の額にあてた。
もはや彼は立ったまま、完全に意識を失っていた。
『人間よ。貴様に制約をかける。貴様の命が続く限り、我を追いかけてくるがいい。この制約が解かれるときは、我か、貴様か、いずれかの死のみ』
制約の魔法が彼の体の中に溶け込んでいく。
そして、完全に制約がかかった。
『くく、貴様と再び会うのが楽しみだ。さらばだ、人間。そろそろ我も、本来の目的を果たしにゆかねばな』
ロメロの姿は、闇に溶けて消えた。
意識が戻った彼は、自分に何が起こったのか全て分かっていた。
ロメロを追いかけなければならないという制約の魔法。これがある限り、自分は決してロメロから逃れることはできない。
だが、望むところだ。
自分の大切なものを奪ったあのクソ虫は、百回殺しても足りない。
(そういや、結局いなかったな)
死体の中にサイファの姿はなかった。
疑問に思い、さらに地下道の奥へ進む。
そこに、いた。
綺麗な顔をしたままの彼女が。
「……」
がくり、と膝をつく。
そして彼女の頭を抱き寄せた。
「勝手にくたばるんじゃねえ、阿呆が」
彼の体が震えた。
大切な部下だった。
彼女がいるからこそ、自分はどんな無茶でもできた。彼女が後ろを常に守っていてくれていたからこそ。
彼は、安心していられたのだ。
「仇討ちなんかしねえって言っただろうが……ふざけんなっ!」
「ええ、仇討ちはしてくださらないとおっしゃいましたので、こうして生きてますが」
その彼女の唇から、容貌と同じく綺麗なソプラノが流れた。
「……」
彼は黙って彼女を見る。
「アルベル様? まさか、私が本気で死んだと思いましたか? 見くびってもらっては困ります。こう見えても剣には自信が──」
「勝手に生き返ってんじゃねえ、この阿呆がっ!」
「いや、ですから」
至近距離で怒鳴られると耳が痛いのか、サイファは耳を押さえた。
「アルベル様が助けに来てくださると信じていましたので、この場で自分の身だけは守っていました。なんとか間に合ってくださってよかったです。それにしても、随分とお早い到着でした。あと三日は覚悟していたのですが。部下たちは全滅ですか?」
冷静に尋ねてくるサイファに、彼も怒りを通りこしたのか、単に「ああ」とだけ答えた。
「そうでしたか。私の判断ミスです。はじめからアルベル様のお力を仰ぐべきでした。ロメロは」
「逃げられた。いや、俺にトドメをささずにどこかへ消えた」
「そうですか。ロメロも馬鹿なことをしましたね」
「あん?」
「将来、自分の命を絶つ相手を生かしておいたのですから」
そして、彼女はにっこりと笑った。
「それだけ口がきけるなら大丈夫だな。死体は全て火葬がすんだ。戻るぞ」
「はい」
サイファは立ち上がったが、すぐによろける。どうやら足を怪我してしまっているらしい。
「ちっ、世話の焼ける」
彼はサイファを強引に抱き上げ、来た道を引き返していく。
かすかに彼女の顔が紅潮していたが、それに気づくほど彼も余裕があるわけではなかった。
「お手数をおかけします、アルベル様」
「だったら力を抜け。これくらいのことで緊張されたら運びづらくてかなわん」
「はい」
サイファは言われたとおりに力を抜くと、彼の首に抱きつく。
「おい」
「はい」
「何のマネだ」
「あなたの女のマネです。いけませんか?」
瞬間、自分が先ほどの戦闘で何を口走ったか思い出す。
「てめえ、聞いてやがったのかっ!」
「大声で怒鳴っておいて、聞いてたも何もありません。発言には気をつけてください。こう見えても私も女ですから」
「ふん、俺の部下は俺のものだ。俺のもの扱いで何が悪い!」
だが、その顔が赤らんでいる。どうにも説得力がない。
彼女はくすっと笑った。
「何笑ってやがる」
「いいえ。ですが」
彼女は抱きしめる腕に力を込めた。
「そのようなアルベル様が、私は好きなのです」
「……」
「答えてはくださらないのですか?」
「阿呆。くだらねえことを言ってる場合か。さっさと行くぞ」
その後は無言が続いた。
だが、それが彼の照れ隠しであることに気づいているサイファは、始終機嫌が良かった。
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