Family

第4話 逸






 みんなにどう説明すればいいものかと思いながら、フェイトは連鎖師団の詰め所の扉を開く。
 黒髪に白装束で子供姿の『ネル』を連れて入っていくと、大きな会議室の中にはルージュしかいなかった。
「お帰り。随分と遅かったね〜って……あれ、この子」
 まじまじとルージュは『ネル』を見つめる。むー、と膨れて『ネル』はフェイトの後ろに隠れる。
「ふぇーと、ねる、へん?」
「いや、変じゃないよ。大丈夫。とにかく座って」
 こくん、と頷いて『ネル』は勧められた椅子に座る。
「ねえ、フェイトくん」
「はい」
「どゆこと? これって、私の記憶が確かなら、どう見ても子供の頃のネルなんだけど」
「ええ、そうなんですよね」
 彼も苦笑する。さて、どうやって説明すればいいのだろうか。何しろ自分だってどうしてこうなっているのか理解できていないのだ。
「彼女は自分のことをネルと言っています」
「でも」
「ええ。僕も状況はよく分かっていないんですけど、ネルが子供に戻ったわけではなく、単純にネルの思考・技量・感情を持った子供姿の『ネル』みたいなんです」
 実際、説明しようにもフェイト自身がまずこの状況が理解できていない。
 これは『ネル』には違いない。髪の色が違うだけで、彼女の精神はネルそのものだ。ただ、思考と容姿が幼く、ところどころ知識が抜けているだけだ。
「ネルって呼んでもいいの?」
 ルージュが『ネル』の顔を覗き込みながら尋ねると彼女はこくんと頷いた。
「私のこと、分かる?」
「??」
 ふるふると首を振る。
「嘘よっ! あんなに二人で愛を確かめあったのに! 忘れたとは言わせないわ」
「ちょっとルージュさん。その発言、周りが引くからやめてください」
 ルージュは楽しそうに笑っている。どうやら彼女はもうこの状況が理解できてきたらしい。
「私はね、ルージュ」
「るーじゅ」
「そうそう。それにしても、随分と可愛いわね。いくつ?」
「ろくさい」
 フェイトが見た感じよりも若かった。やはり幼い頃からゼルファー家の息女として育てられたから実年齢より上に見えるのだろうか。
 何らかの理由でこの地上に落ちた『ネルの影』、それが彼女なのだろう。
「六歳なのに随分と大人びてるわね。それに結構知能も高い。どう、お姉ちゃんのこと、好き?」
「すきだけど、きらい」
 笑顔がなくなって、冷めた表情で答える。
「どういうこと?」
「おねえちゃん、わたしのことすきだからわたしもすき。でも、おねえちゃん、ふぇーとのことがすきだからきらい」
「な」
 突然、彼女の心の奥で秘めていた想いを暴露され、完全に慌てふためくルージュ。
「ちょ、な、何言ってるのかな〜、ネルちゃん」
「ふぇーとはわたしの」
「あ、あははは、何か勘違いされちゃってるみたいだね〜」
 乾いた笑いでフェイトを振り向くが、目があった瞬間に自分の顔から火が出そうになる。
「ルージュさんに好かれるなんて光栄ですね。僕もルージュさんのこと好きですし」
 だが、この究極超絶鈍感男は、それを恋愛感情ではなく単なる好意と受け取ったらしい。
(死ね、フェイト)
 笑顔でフェイトに受け応えつつ心の中でこの鈍感男に毒づくと、改めて『ネル』に向き直った。
「どうやってキミはここに来たか、覚えてる?」
「あるいて」
「ふむふむ。どこから?」
「とおく」
 まあ子供の知能ならそんな答が妥当だろう。
「お父さんとお母さんは?」
「おとーさんは……」
 と、その瞬間。
 一気にぶわっと彼女の目に涙が浮かび、大声で泣き喚いた。
「ち、ちょっと」
 わんわんと泣く彼女に、さすがに困り果ててルージュはヘルプを出す。
 肩をすくめたフェイトは彼女の傍に近づいて、その頭を優しくなでた。
「大丈夫だよ」
 そう声をかけると、次第に声が小さくなり、くすんくすんとぐずり始めた。
「おとーさんは、しんじゃったの」
「名前は?」
「ねーべる」
 やはり、と頷く。
「どうして死んだのか、覚えてる」
「ころされたの」
「誰に?」
「わかんない」
「ウォルターさんじゃなくて?」
「うぉるた?」
 彼女は首をかしげる。どうやら、彼女自身はウォルターのことは表面上の記憶にはないらしい。ただ、父親を殺した相手ということは深層心理で分かっている。だからこそウォルターを襲ったのだ。
(考えてみれば、ルージュさんのことも知らないんだよな)
 知っているのは自分のことと、フェイトのこと、それに父親のことくらいか。
「誰か他に知っている人はいる?」
 んー、と考えてからぱっと顔が明るくなった。
「くれあ。くれあはだいすき」
 なるほど。さすがに一番の親友の名前はしっかりと覚えているらしい。
「じゃあ僕とどっちが好き?」
「ふぇー……うーん、おなじくらい」
 一瞬フェイトの名前を呼びかけたが、考え直して答える。どうやらクレアに遠慮したようだ。
「だいたい分かったね」
 ルージュは声をかけてきた。
「そうだね。精神が幼くて、ほんのちょっとだけネルの記憶を持っているみたいだ」
 だが、どうして彼女が存在するのかは分からない。誰かが生み出したのか、それとも。
(まあ、エターナルスフィアならなんでもありだとは思うけど)
 ドッペルゲンガーという言葉がある。自分と瓜二つの人物のことだ。その姿を見たとき、死期が近いというが。
(ネルに会わせない方がいいのかな)
 まあ迷信には違いない。だいたい瓜二つとはいえ、大人と子供だ。
(まてよ)
『ネル』は自分をネルだと思い込んでいる。
 だが、彼女はネルではないと言い切れるだろうか。
 彼女の言葉は、おそらく彼女が心の奥で願っていることを素直に口にしているだけだ。
 フェイトのことを好きな人は嫌い。フェイトは自分のもの。
 そういう願いを、彼女はずっと持ち続けている。
(分かってたつもりなんだけどな)
 だが、ネルを必ずしも優先していたわけではないことも確かだ。あのもう一つのエターナルスフィア以来、どうしてもマユとルージュのことは気になっていたのだから。
「なんか、すごい泣き声がしたけどどうした?」
 その時、ノワールがタイネーブとファリン、ダリアを連れて会議室に入ってきた。
「お?」
 一同の目が『ネル』に釘付けになる。黒髪に白装束。まあ、仕方がないといえば仕方がないが。
「あ、昨日の──」
 ダリアが口にする。
「ネル……に見えるが」
 ノワールが確かめるように口にする。『ネル』はこくりと頷くが、フェイトとルージュは顔を見合わせた。
「なんだ? お前さん、どうして子供になっちまったんだ? それに髪も黒くしやがって、フェイトは黒髪の方が好きだってか?」
 この状況で慌てるでも驚くでもなく、楽しそうにして尋ねてくるこの男もなかなか大物だとフェイトは感心した。
「ふぇーとはくろいほうがすき?」
 無垢な疑問を口にする。
「いや、僕は別にそういうところはこだわらないけど」
 なんだか妙な会話になっている。できることなら早めにそうした話題からは逃れたかった。
「ネル様……なんですか?」
 ファリンがまじまじと彼女を見つめる。
「実はさ」
 とフェイトが代役で答えた。





 説明を聞いた一同はしばらく無言だった。
 目の前の女性はネルの子供姿そのままだが、決してネルではない。
「えーと、ネル様ぁ?」
 ファリンが『ネル』の顔を覗き込んで尋ねる。
「??」
「私のことは、覚えてないんですかぁ?」
「わかんない」
 むー、とファリンは膨れた。
「不公平ですぅ。どうしてクレア様やフェイトさんのことは覚えてるのに、私のことは覚えててくれないんですかぁ?」
「それは私も言いたいけどね」
 ルージュが苦笑する。今回の件は明らかにネルにとってルージュよりもクレアが優先されるということを意味していた。
「ごめんなさい」
 しゅんとなって俯く『ネル』。だがそんな姿を見せられるとファリンとて──
「あぁん、ネル様可愛いですぅ〜」
 いきなり抱きしめていた。
「もがもが」
「こんな可愛いネル様ならいつまでもここにいてほしいですぅ」
「……それ、ネルが聞いたら本気で怒ると思うからやめておいてくださいね」
 フェイトは頭を押さえた。こうも脳天気だと深刻に考えていた自分が馬鹿に思える。
「で、当の本人はどこ行ったんだ?」
 ノワールが疲れたような顔で尋ねる。
「さあ。まだあちこち見て回ってるんだと思うけど。あ、それから『ネル』、一つだけ言っておくことがある」
「なに?」
 純粋無垢な瞳を向けられる。普段からネルもこうだったらな、とも思うが彼女はあれが魅力なのだろう。
「約束だ。これからは絶対に人を殺しちゃ駄目だ」
「そりゃま、そうだな。ったく、今回の件、いったいどう解決すりゃいいんだか」
 結局シャロム夫人を殺したのはこの『ネル』に違いない。だからといって、ネルに瓜二つな、外見的にも精神的にもまだ幼児のこの『ネル』を犯人にするわけにはいかない。そんなことをしたらどんな惨事になるかは目に見えている。ネルだって関係性を疑われ、何も悪くはないのにその地位を追われるかもしれない。
「うん。さっきもふぇーとにいわれたから。ねる、もうわるいことはしない」
 ほっと安心する。少なくとも彼女が誰も襲わないというのならば、なんとか事は穏便に済むかもしれない。
「こうなるとシャロム夫人が暗殺の首謀者だったってのが幸いするな。犯人を何としてでもあげなきゃいけないっていう意識は人々の間からは薄まる。ま、貧乏くじ引くのはオレ様だけってところだ」
 このペターニ管轄で、貴族をむざむざと殺されて犯人も挙げられないとあっては、さすがに師団長として何らかの処分があってもおかしくはない。
「すみません」
「何、お前のせいじゃねえだろ。ま、なんとかうまく誤魔化すさ。見つからないって報告すりゃすむことだしな。まあ、部下には全力で探させるけどな」
 鬼団長、とタイネーブとファリンから同時に声が上がる。部下には犯人を探すように命令しておいて、実際は自分でかくまっているのだから文句の言いようもない。
 そのとき。

「なんだい、随分と賑やかだね」

 その、当の本人が帰ってきた。
 瞬間『ネルたち』の動きは素早かった。まず『ネル』が本人であるネルに対して全力で飛び掛った。すぐ近くにいたフェイトですら目をくらませるほどの俊敏さであった。
 だが、その殺気には当の本人であるネルがよく分かっていた。飛び掛ってくる『刺客』から身を翻して距離を取ると、その『刺客』の容貌を見て驚く。
「──子供? 私?」
 子供の頃の自分と同じ姿の暗殺者を見て、ネルはそれ以上言葉もなく絶句する。
「おまえ、きらいだ!」
『ネル』は叫ぶとまた全力で間を詰める。その手にはナイフ。
 ネルもまた武器を取って応戦しようとする。
「二人とも、待て!」
 その間に割って入ったのはやはりフェイトであった。
『フェイト!』
 二人の声が揃う。同じ声で、同じタイミングで、ちょっとだけ黒髪のネルは間延びした声だったが。
「ふぇーと、どいて。そいつ、きらい」
「こら、さっきも言ったばかりだろう。もう誰も殺さないって!」
「いや。こいつだけはぜったいゆるさない」
「何がなんだか分からないんだけどさ……フェイト、事情は説明してくれるんだろうね?」
「ふぇーとにちかづいたらだめ!」
 たとえ容姿が子供のものであっても、その技量はネルと同じである。『ネル』が本気になればタイネーブやファリンだとて、力以外の部分では到底かなわないだろう。
「なあ、どうしてそんなに嫌うのか、それを教えてくれないか」
 フェイトは優しく『ネル』に話しかける。すると『ネル』は泣きそうな顔になってフェイトにしがみついた。
「だって、ふぇーとをとられちゃう」
 一瞬、意識が飛ぶ。
 危うく死者が出ようかといった理由が、単に自分の取り合いなのだというのは正直ごめんこうむりたい。
「随分と、好かれてるんだね」
 じろり、とネル本人が睨んでくる。
「まあね。何しろ──」
 この子は、ネルの意識をそのまま実態化したものなのだから。
 とにかくフェイトがなんとか『ネル』をなだめ、絶対に人を傷つけてはいけないということを再度言い含める。だが、
「ふぇーとは、わたしのことすき? そいつよりすき?」
 子供の質問は時に残酷である。
 ネルは子供に言うことだろう、と別に何と言おうがこの場が収まるならいいだろうと考えていた。だが、この超絶正直馬鹿男は素直に言ってしまったのだ。
「ごめん。僕にとっては、彼女が一番大切なんだ」
「……」
 当然、直後に『ネル』の目に涙が浮かぶ。
「でも、君のことも大切に思っている。君も『ネル』だからね。なあ、彼女と仲良くすることはできないかな。僕にとっても、それが一番嬉しいんだけど」
「ふぇーとは、そうしてくれるとうれしい?」
「うん。とても嬉しい」
『ネル』はそれでも嫌そうにネルを見る。なんだか悪者になったような気になり、ネルはマフラーに顔を埋めた。
「わかった。ふぇーとがよろこぶならそうする」
「ありがとう」
 ぽん、とフェイトは『ネル』の頭に手を置いた。





 眠たくなった、という『ネル』を客間に連れていき、ふとフェイトは『ネル』の呼び方をどうするかということに思い至った。
 いくら同じ『ネル』とはいえ、二人同じ名前の人間がいるのはややこしい。
 そもそも『ネル』は自分が『ネル』だと思い込んでいるにすぎない。だとしたら、別に名前をつけるというので問題ないのではないか、とフェイトが本人に尋ねてみる。
「ふぇーとがなまえをつけてくれるの?」
 すると、意外にも彼女は自分に名前をつけてくれるというのが気に入ったらしく、喜んで抱きついてきた。
(ネルは自分の名前が気に入ってないのかな?)
 ネルがここにいたらどのような顔をするだろうか、ということを思う。
「ねえねえ、なんておなまえ?」
 だが彼が物思いにふける時間も『ネル』は許さずに爛々と目を輝かせて尋ねてくる。とはいえ、突然そんなことを言われてもすぐに名前の浮かぶはずもない。
 というより、頭に浮かんだ名前はただ一つ。それ以外の名前を探そうとしても、どうしても思い浮かばなかった。
「僕の知り合いだった人の名前なんだけど、いいかな」
 どきどきわくわく、という感じで首を大きく縦に振る。
「アミーナ」
「あみーな」
「そう。今日から君は、アミーナだ」
「あみーな。きれいななまえ」
 ぱっと花が咲いたようにアミーナは笑った。





 アミーナが疲れて眠りについてから、ようやくネルに事情を説明することになった。
 フェイトの客間に二人きりとなって、ルージュと質問したことを説明していく。やれやれ、と彼女は不機嫌なままため息をついた。
「じゃあアレは、私の記憶を持ってるってことかい?」
 アレ、というのはアミーナのことだ。明らかに彼女はアミーナのことを嫌っていた。まあ、突然ナイフで襲いかかられ、恋人のフェイトに(無邪気なだけだとはいえ)堂々と抱きつくのだから、当然といえば当然だ。
「記憶も感情も、かな。ただアミーナの方がネルより素直みたいだけど」
「どうせ私はひねくれてるよ。それより、いったいどうしてこんなことが起こったのか、それは分かるのかい?」
 それについてはさっぱりだった。アミーナも自分が遠くから歩いてきたということしか分かっておらず、どうやって生み出された存在なのか、何を目的にしているのかさえ分からない。
 アミーナ自身は単に自分の思った通りに行動しているだけにすぎないのだが。
「少なくとも自然に発生するようなことじゃない。きっと誰かが企んでるんだろう。心当たりはないのかい?」
「僕にかい? そうは言われてもな」
「スフィア社や、それこそフラッドの件だってあっただろう」
「うーん……時期的にいってもフラッドではないんじゃないかな。だって、日付からいけばウォルターさんが襲われたのは僕がフラッドに呼び寄せられた時より前のことだろ。どちらかというと──」
 エレナがいなくなってから、と考える方が時期的にはあう。だが、エレナがこんなことをする理由はないように思える。
「何かが起きる前触れでないといいんだけどね」
 そのネルの言葉が少しだけフェイトの不安を煽った。
「でも、今回のことで一つ分かったことがあるんだ」
 彼は真剣な表情でネルを見つめた。
「なんだい?」
「ネルはそんなにも僕のことを好きでいてくれたんだな、っていうこと」
 アミーナはネルの心をそのまま反映している。つまり、アミーナの言うことはネルの本音なのだ。
「なっ……フェイト!」
 顔を真っ赤にして怒る彼女が、なんとも可愛かった。





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