Singles-β

第5話 Don’t Look ack






 何もすることがないのは牢屋の中も外も同じであったが、一つだけ大きく異なることがある。牢屋の中では回りの時間は止まっていたが、外では確実に時間が刻まれているということである。
 子爵を頼る貴族は少なくない。彼に人望があったことが大きいが、それ以上に先日国王が直々に見えたということが原因であった。ヴォックス亡き後、彼に面会を求めてきた貴族の数は十を超える。
 だが、子爵はそのいずれとも面会を断った。自分の関心を得たいのであれば、獄中にいるときに接触するべきだったのだ。そうした貴族たちへ嫌がらせをするためだけに出仕するのも悪くないかと考え、本末転倒だとすぐにその考えを捨てる。
 心が死んでいた。
 村を守ることができて、自分にできることは全て終わったような気がしていた。
 毎日彼は、外に歩きに出て、公園のベンチに座って、変わらない景色を眺めていた。
(そろそろ、死んでもいいかな)
 領民たちは悲しむかもしれないが、それも自分にはもうどうでもいいことだ。
 十年を経て盗賊たちを一網打尽にした彼にとっては、もはや生きる意味などどこにもない。
 このまま、死ぬことができればどれほど楽だろう。
(お前にも会えるだろうか、ミリア)
 亡くなった彼女の面影だけが、彼の瞼の裏に焼きついていた。






 ある日のこと。
 いつもと同じように公園に向かった彼の目に飛び込んできた一人の男性。
 公園でぼんやりと立ち尽くしている彼を見て、どこかで見た風貌だなと頭の中に興味がわく。
「こんなところで、どうされましたか」
 自分から声をかけるということも珍しい。
 その人物は振り返ると「いえ、ただ、雪が珍しくて」とだけ答えた。
「珍しい?」
「はい。僕の故郷では、雪なんて滅多に降らないから──」
 青い髪の青年はそう言って首をかしげた。
「失礼ですけど、どこかでお会いしてませんか?」
 彼の方から尋ねてくる。どうやら、お互い同じ印象を持っていたらしい。
 青い髪の青年──
(ああ)
 すぐに、心当たりに思い至った。
「きっと、この国の牢獄で一度お会いしたのだと思います」
 子爵が言うと、青年は驚いて目を丸くした。
「あの時の!」
「ええ。あなたが話題の『グリーテンの技術者』ですね?」
 グリーテンの技術者については、色々と話を聞いていた。
 この国から脱出した後、シーハーツに協力して戦争に参加した人物。
「はい。あの時は助けていただいてありがとうございました」
 ぺこり、と青年は頭を下げる。
「僕は、フェイト・ラインゴッドと言います」
「私はミハエルと言います。ですが、感謝はご無用です。おそらくあの金色の髪をした御仁であれば、私が声をかけずともアーリグリフ兵など倒していたでしょうから」
「でも、声をかけてくれたから誰も傷つかなかったのかもしれません。もしミハエルさんが声をかけてくれなかったら、誰かが傷ついて、結局逃げ切れなかったかもしれません。だとすれば、やはりミハエルさんのおかげです」
「そうですか。少しでもお役に立てたのなら何よりです」
 その結果かどうかはともかく、おかげでヴォックスがいなくなったのだから、自分としてもありがたいというところであった。
「では、その恩人からの頼みということで、一つよろしいでしょうか」
「なんなりと」
「もし時間がありましたら、どこか落ち着いて話せるところへ行きませんか。もちろん、お急ぎでしたらかまいませんが」
 正直、この青年とは色々話してみたかった。いったい何を知っているのか、そして何をしようとしているのか。
 この世界に興味を失った彼の、唯一の興味対象。それがこの、フェイト・ラインゴッドという青年だったのだ。
「ええ、喜んで。助けてくださったお礼に、僕がご馳走します」
「いえいえ。誘ったのは私の方ですし、それに私の行きつけの店ですので料金の方は気にしなくてよろしいですから。時間はどれほどあるのですか?」
「色々手続きがあるみたいですから、あと二時間くらいは」
 手続き。確か、グリーテンの技術者にかのアルベル・ノックスが協力するという話だった。だとすると、アルベル釈放にかかる手続き、ということだろうか。
「では、こちらへ。お勧めのカフェですので、贔屓にされてください」
「ありがとうございます」
 そうして、二人はカフェへ向かった。
 子爵が紹介したのは、貴族の集まるカフェ・サロンで、カウンターなどはなく全て個室に区切られていた。
 カフェに入るなり「閣下、ようこそお越しくださいました!」と従業員たちが笑顔で出迎えてくる。その様子に青年は驚いた様子だった。
「彼は私の客人だ。粗相のないようにしてくれ」
 子爵が牢につながれていたことは当然に知れ渡っていたが、それでも対応の変わることのない店はここくらいであった。
「なんだか、敷居の高い場所ですね」
「フェイトさんには、もう少し気楽なところの方がよろしかったでしょうか?」
「いえ、滅多にこういうところは来られないですから、参考になります」
 二人は案内されるままに、小さなテーブルのある一室へ入る。すぐに飲み物が運ばれてきて、二人の前に置かれる。
「私のお勧めのクリーム・コーヒーです。それともブラックの方が良かったですか?」
「いえ、僕もクリームと砂糖は必ず入れる方なんです」
 続けてケーキが運ばれてくる。小さめのカットケーキが大皿にたくさん載せられてくる。これだけで随分お金がかかっているのは間違いない。
「こんな高級なところに呼ばれて、少し緊張します。さっきミハエルさんは、閣下と呼ばれてましたけど」
「ええ。一応この国では子爵という肩書きをもらっています。そういうフェイトさんの方は、グリーテンの技術者というわけではないのでしょう?」
「え」
「宇宙から来た。あなたはあの牢屋でそんなことをおっしゃっていた。最近にぎわっている、星の船と関係があるのでしょう?」
 途端にフェイトの表情が変わった。自分がアーリグリフ王の命令で接触したのだと思われたようだ。
「ああ、誤解されてしまったようですね。私はこの国とは何の関係もありません。私はただ、あなたの話が聞きたかっただけなのです」
「話といっても」
 困ったように青年は首をかしげた。
「何故あなたがこのアーリグリフへやってきたのか、宇宙人というものはこのエリクールをどう見ているのか。それが気になるのですよ」
 もちろん聞きたいことは色々ある。だが、ゆっくりとそれは尋ねていけばいいことだ。
「僕がこの星に来たのは事故だったんです」
「事故?」
「はい。その、星の船と呼んでいるものに狙われていて、僕が乗っていた船が飛べなくなってしまってアーリグリフに落ちてきてしまったんです」
「では、この星とは全くの無関係だったのですか? では、星の船はこの星ではなく、あなたを狙ってやってきたということですか」
「はい……そうなります」
 それは彼の心を傷つけることだったらしい。青年はうつむいて視線を逸らす。
「ああ、すみません。傷つけるつもりはなかったのです。あなたがこの星へやってきたのは運命でしょうから」
「運命?」
「ええ。私はアペリス神の予言などは信じておりませんが、因果律というものは心得ているつもりです。あなたがこの星に来たのは偶然ではない。きっと、大きな必然の下にやってきたのです。ですから、もしもこの星を巻き込んでしまったとか考えているのでしたら、そのような必要はありません。それがこの星の運命だったのです。それに、私はあなたに感謝をしなければならない」
「感謝?」
「そうです。あなたはヴォックスを倒してくださった。そのおかげで私は釈放されたのですから」
 そう言って笑う。だが、青年は苦笑することしかできなかった。
「でも、ヴォックスを倒したのは僕じゃないんです。あの星の船が倒したようなものですから」
「いいえ、あなたがヴォックスを倒そうとしていたことが重要なのです。あなたがヴォックスを倒そうとした、その結果としてヴォックスは星の船に倒された。だが、あなたが倒そうとしなければ今でもヴォックスは生きているかもしれない。そういうことです」
 これは、先程自分が説得されたことの裏返しだ。青年もそれに気づいたのか、笑って答えた。
「なるほど。納得させられました」
 青年が笑い、子爵もそれにつられる。
「ですが、この星と関係ないのなら、何故あなたはシーハーツに協力をしたのですか? まあ、あの拷問を受けた後でアーリグリフに協力することはないでしょうが、だからといってシーハーツに協力する理由もあなたにはなかったのでは?」
「ええ、僕もそう思っていました。正直、僕の知識はこの世界にはふさわしくない。この世界のあるべき歴史を歪めてしまう可能性がありました。だから絶対に協力するつもりはなかったんです」
「では、何故戦争に?」
 青年は少し悩んだ様子を見せつつ、コーヒーを一口含む。
「僕は別に、戦争を終わらせることで全ての人を助けようと思ったわけではないんです」
 今振り返れば、という様子で青年は話し始めた。
「僕はただ、助けたい女の子がいただけです。ずっと一途に幼馴染に再会できることを願っていた彼女の願いをかなえてあげたかった。そのために戦争を終わらせなければならなかった。それだけなんです」
 人は結局、知らない人間のために動くことはない。ただ、自分の知っている回りの人たちを助けたいから行動する。
 では、そうした守るべき存在のいない人間は、どうすればいいのだろう。
「その女性は?」
「亡くなりました。病気を患って。ただ、最後に幼馴染に再会できたことだけが、唯一の救いです」
「それでもあなたはシーハーツに協力している。それはいったい何故なのですか?」
「今はもう、シーハーツだけの問題ではありません。この世界を守るという明確な目的があります。僕を助けてくれた人や、僕の仲間たちがもうこの世界にいるんです。その人たちのために戦いたいんです。それに、僕にしかできないことがあるんです。それがこの世界のためになるんだったら、僕はみんなを守るために協力したいと思います」
「なるほど。あなたは幸せだ。素敵な仲間たちの存在があることは、非常に羨ましいことです」
 そう言って、子爵もコーヒーを含む。
「聞いていただけますか、フェイトさん」
 青年は頷いて子爵の言葉を待った。
「私は戦争を防ぎたかった。今年の春に、私はそのことを国王に伝えた。どうすれば戦争を防ぐことができるか、その具体的な方策まで全て伝えていたのです。ですが国王は戦争という手段に出た。私は国の方針に従わないということで牢につながれました」
 そこで自分たちは出会った。青年はなるほどと頷いていた。
「私の釈放を願い出た、私のたった二人だけの親友はその時処刑されてしまいました。私は守るべきものを国に奪われてしまいました。もう、この国のために働こうという意識が起きないのです」
「お察しします」
 フェイトは深く頭を下げる。
「終わったことですから、もういいのです。ただ、私はこれから何をすればいいのかが見えない。この世界に私は、希望が見えないのです。それとも──」
 そう、尋ねてみたかったのはそれだけ。
「あなたなら、私に希望を見せてくれるのでしょうか?」
「希望といっても」
「いえ、すみません。ただ私は牢につながれているときもずっと思っていたのです。私が生きる上での興味はもう、この世界にはない。ただ、宇宙から来たと言った不思議な青い髪の青年、それだけが半分死んだ私にとって唯一の興味対象だったのです」
 そう言われた青年は困っているようだった。当然だろう、突然そんなことを言われて困らない方がおかしい。
「僕はミハエルさんとは違うから、うまく伝えられないかもしれませんけど」
 一呼吸おいてから、それでも青年が何かを伝えようとする。
「僕にはこの世界を救う力がありました。でも、僕個人の都合でその力を使わないようにしていたんです。みんなを幸せにする力があるのにそれをしなかったのは、僕は運命から逃げていたのかもしれません」
「私も、逃げていると」
「気を悪くされたら申し訳ありません。ですが、ミハエルさんの力でこのアーリグリフの人たちがたくさん救われるのなら、ぜひそうしてあげてほしいと思います。僕はもう、大切な人を亡くしたくない。僕と同じように思っている人は、この世界には無限にいるんですから」
 ミハエルは目を閉じて、その言葉を受け入れる。
 そう、分かっていることだった。自分でもそのことはよく分かっていたことだった。
 自分にしかできないことをしないのは、単なる逃げで、甘えだ。
 そして、自分の力を必要としている人間が、この国には無数にいるのだ。
 子爵領の領民もそうだし、もし自分が国政に携わるのなら、さらに多数の国民を助けることができるだろう。
 それができない理由は二つ。王に協力する気にならないということと、そもそも生きる気力がないということだ。
「そして僕は同時に、ミハエルさんにも幸せになってほしいと思います」
 突然話がかわる。
「私に?」
「はい。生きているのに死んでいるのと同じだなんていうのは可哀相です。どうか、ミハエルさんも自分の幸せを見つけてほしいと思います」
「幸せですか。私はもう、十年も前にそれを失いました」
 遠い目をして、彼女の顔を思い浮かべる。
「私はもう十年も前に本当は死んでいて、ただ肉体だけが動いているんです。私にとって、大切な人はもうこの世にいないんです。それなのに、私は幸せになれるのでしょうか」
 青年も少し困ったようだった。だが、彼は一生懸命に答えた。
「無責任な言い方かもしれません。でも、生きていれば、きっと」
 それは確かに、無責任な言い方かもしれない。
 でも、それを本気で願っているという気持ちは伝わった。
「そうですか……」
 信じるというには値しないだろう。
 だが、単なる顔見知りにすぎない自分をここまで心配してくれている青年を見ると、少しはそれに応えたいと思う。
(ああ、そうか)
 ようやく分かった。
「あなたは、私の友人ですか?」
 その方が、ずっと唐突な質問だっただろう。
 青年も驚いたようだったが、すぐに微笑むと「もちろんです」と答えた。
「そうですね。私には誰も友と呼べる者はいなかった。あなたがそうなってくれるというのなら、私も少しは生きる糧になろうというものです」
 青年は微笑むと右手を差し出してきた。
 ミハエルは微笑み返してその手を取った。
「ありがとう、フェイトさん。あなたに出会えたのは私にとって喜びだ」
「そんなこと。僕だってミハエルさんに会えて嬉しかったです。それにミハエルさんは命の恩人ですから。僕にできることがあったらいくらでも言ってください」
「ええ。いざというときは頼らせてもらいますよ」
 そうして、二人は別れた。
 いつか、再会の時が来ることを信じて。






 三日後。
 子爵はアーリグリフに登城し、国王に謁見した。
 彼の姿を見た王は驚いて「どうした」と尋ねてくる。
「いえ、私にもできることがあるならしておこうかと思いまして」
 つまらなさそうに答える。この王に協力するのは正直楽しいことではない。
 だが、この国は自分の生まれ育った国。
 そして、ミリアが眠る国だ。
 王のためには働く気になれないが、国のためには働いてもいい。
「どういう心境の変化だ?」
「それはあなたには関係のないことです、王。私は私の都合でこの国の政治を行う。あなたは私を利用すればいい。そうではありませんか?」
 確かにな、と王は答えた。
「やらなければならないことはいくらでもあります。この国には本当に人材が少ないですね。制度の改革が必要です。だいたい、政治と軍事が一体となっているのが問題なのです。政軍をしっかりと分離しないことには、この軍国主義体制は変わらないでしょう」
「ほう」
「王の大改革の第二段です。能力のない大貴族はもういない。だとすれば、あとは国を運営していく制度をしっかりと築くことです。今までは目の前に戦争があったから軍国主義体制でもなんとかやってこられましたが、これからは内政に力を入れる時期です。よろしいか、王よ。あなたがこの国を思うのなら、今こそしっかりとした制度を築くべきなのです」
 子爵の言葉に国王は頷く。
「いいだろう。お前に任せる。具体的な政治制度を作り上げろ。それも、緊急にだ」
「草案はもうできております」
 簡単に子爵は答えた。
「この三日間、それしか考えておりませんでしたから」
 そう言って、笑った。
 そう。
 この国を変える。そして、すべての国民が幸せになれるような理想の政治を築く。
 それができるのは自分だけなのだ。
「なるほどな。ならば検討に入ろう」
「ええ。ウォルター伯とノッペリン伯にも協力してもらいましょう」






 こうして、後世『アーリグリフ十三世の名参謀』と呼ばれるようになるミハエル子爵は、正式に政治の場に躍り出ることとなった。
 もっとも、彼の名が知られるようになるのは、まだかなり先のことになる。





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