Another Fate
第9話 Heaven’s Place
「いつもお疲れ様です、フェイトさん」
彼のもとを訪れたのは、清楚な雰囲気をかもし出すクリムゾンブレイドだった。
「あ、お疲れ様ですクレアさん」
手を止めたフェイトは、クレアから水筒のコップを受け取る。中身は冷たいお茶だ。肉体労働の最中にこうした差し入れは本当にありがたい。
「この辺りも随分と復興が進みましたね」
「フェイトさんが毎日手伝ってくださっているおかげです」
アリアス南西部はアーリグリフに面しているだけあって、もっとも被害の激しいところだった。ここには一度攻撃を受けたあと、あの最後の戦いの時に村の中に入り込まれたために、村民の死傷者も数多く出た。本当に、後一歩で戦争に負けるところだったのだ。
ヴォックスを倒したからこそ、そしてバンデーン艦が出てきたからこそ何とか撤退させることはできたが、それでも戦争の傷痕は生々しく残る。
壊れた建物と、還らぬ人々。
だが、フェイトはこの景色しか知らない。昔この村がどれほど綺麗だったのか知らないし、本来いるべき人がどのような人なのかも知らない。
今あるものを少しでもよくしたい──そういう思いから、彼は復興支援をかってでたのだ。
「僕だけの力じゃありませんから。僕がしていることは誰でもできることですし、結局家を失ったりしたわけでもないですから。本当にえらいのは、この村で暮らそうと頑張っている人たちです」
「でも、よろしいのですか? お父様を助けに行かなければならないのでは?」
フェイトは苦笑した。そのことはもう諦めている。
あれから半年が経っていた。エリクールはもう夏を迎える。
フェイトたちは宇宙に還ることはできなかった。そして、あれ以後、誰もこの星を訪れることはなかった。
エレナの言ったことに間違いはおそらくなく、そして自分たち三人はこの星に取り残されたのだ。
自分よりもむしろ、クリフやミラージュの方が衝撃が大きかったらしい。
ミラージュはいつもと変わらないような様子を見せてはいたものの、時折ぼんやりとして普段らしからぬところを目撃することとなった。
一方のクリフはあちこちのモンスター退治に明け暮れる日々を送っている。だが、どうやら彼の中で後悔しているのは、クォークのリーダーである『マリア』を死なせてしまったという後悔が強いらしい。
「行く方法がない以上、どうすることもできませんから。もうこのまま、この国に残ることも本気で考えないといけないですよね」
奇跡が起こる確率はきわめて低く、自分はこのエリクール二号星で暮らしていくことを本気で考えなければならなかった。
何しろ人間がこの星以外に暮らせる場所はないのだから。
「フェイトさんはこの国の住人になるおつもりですか」
「そうなると思います。他に行くところもないですし。クレアさんに口をきいてもらえれば助かります」
「私よりも、ネルに、でしょう?」
フェイトは苦笑した。確かにネルに任せれば全ての段取りを整えてくれるだろう。
ネルは自分の記憶が永遠に帰ってこないことを知ったが、それでもフェイトに対する態度が全く変わらなかった。愛していると何度も繰り返し、強引に休暇を作ってでもアリアスまで何度も何度も足を運んでいる。ただ会うためだけに。本当に少しだけでも時間ができたら会いに来るのだ。春先に一度、少し暇があったからといってはやってきて、唇に触れるだけのキスをしてそのまますぐに帰っていったことがある。あれは春の夢だったのだろうかと後で本気で悩んだものだ。
「それとも、クレセントにでも頼むつもりですか?」
「それだけは勘弁してください」
「あら? だってクレセントもフェイトさんのことを気に入ってるって聞きましたけど」
クレアは瞬時に抵抗したフェイトを不思議そうに見つめる。確かにクレセントは自分のことをなぜか気に入っている。だが、彼女にだけは頼むのはためらわれた。
正直、彼女の『本当の顔』とやらを見せられた時は、あまりの差に自分がパニックを起こした。目の前にいるのが本当にあのクレセントなのかと疑った。双子の姉妹ではないのかと思った。何しろ、いつもの様子で近づいてきたと思いきや、突然ダガーを抜いて自分の首筋にぴたりと押し当てたのだ。そんな状態で、これが本当の私の姿だよ、などと言われてもパニックで理解できるはずもない。
「もしフェイトさんさえよければ」
クレアは真剣な表情で尋ねる。
「このアリアス防衛部隊である【炎】の師団長になるつもりはありませんか?」
突然尋ねられて、フェイトは戸惑いを隠せない。
「僕が!? でも、僕なんてこの国に来てまだ半年しか」
「でもこれは【炎】の一、二級構成員全員の要求なんです。ルージュの後はフェイトさんが一番いいって。確かに今の構成員を考えると【炎】を任せられる人材がいないのは確かですし……」
「それはお断りしたいと思います」
だがフェイトははっきりと答えた。
「確かに口をきいてほしいとは言いましたけど、それは軍に入るという意味じゃないですから」
「それが一番早いと思いますけど」
「はい。でも、僕はやっぱり人を殺すような仕事をしていたくはないんです。臆病といわれてもかまわないですけど」
「そんなことはありません」
クレアは強く主張する。
「フェイトさんの強さはこの半年間で身に染みていますから」
「でもそれはあくまで剣をうまく使えるかどうかの問題にすぎないですから」
フェイトは首をかしげた。
「僕は自分が何者なのかも分からないんです。記憶を失っているほんの数日間、その間に僕は様々な決定をして、この国にいろいろな影響をもたらしました。本来ならそんな大それたことが僕にできるはずがないんです」
どこまでも謙虚なフェイトに対してクレアは「仕方がないですね」と答える。
「それでは、ネルの傍に住むのが一番ですね。戦争をとめてくれたお礼もありますし、シランドに家を一軒用意するよう申請します」
「ありがとうございます」
「この国の救世主ですから、それくらいは当たり前のことです。でも、残念です」
クレアはそう言って苦笑した。
さらに一年が過ぎて、また夏が来た。
アリアスの復興も終わり、フェイトはシランドに戻ってきた。既に自分の家は出来ているらしい。その前に女王陛下にご挨拶だけでもしておこうと、シランドに着くなり真っ直ぐ王城へ向かう。
その王城に入ったところに、フェイトを待ち構えていた人物がいた。
「フェイトさん!」
それはディオンとアミーナだった。
ディオンはエレナが行方をくらましたあと、施術兵器開発部長の座についていた。あれだけの苦難を超えてきた人物だけに立派に勤めを果たしていると聞く。
そして、先日ディオンと結婚した新妻、アミーナ。彼女の病気はもう何も問題がない。さすがに激しい運動とかは今でもできないが、それでも空咳をするようなことはもうなかった。
「二人とも、わざわざ待っていてくれたのかい?」
これまでも何度かシランドを訪れた時は二人のところに顔を出していた。なかなか会えない相手ではあるが、二人との付き合いはきちんと継続していた。
特にアミーナを見ると、今はもう存在しないソフィアをつい思い出す。どうも自分はソフィアとアミーナを同一視でもしているかのようだ。妹が嫁ぐというのはこういう気持ちなのだろうかと少し複雑な感情もある。
「ええ。フェイトさんが今日来られると聞いたら、妻の方が絶対に出迎えないと駄目だと言うものですから」
「私たちの命はフェイトさんに助けられたのですから、これくらい当たり前です」
アミーナが強気の発言で夫を黙らせる。相変わらず仲の良い夫婦のようだった。
「二人とも元気そうで何よりだよ。クリフとミラージュさんはどうしてる?」
「ここしばらく、例のバンデーン艦の調査ですね。一ヶ月くらい戻ってきていませんが」
二人が考えていることは分かっている。宇宙に戻るとかいうのではなく、この国にとってあのバンデーン艦が歴史を歪ませる要因になるので、何とか完全に破壊する方法はないかと考えているのだ。
自爆するといってもあの場所でするわけにもいかないし、それなら推進力を回復させて自動操縦にし、海の底にでも沈めてしまうのが一番だというのがクリフの考えだ。
「それじゃあ僕は陛下にご挨拶に行ってくるから、また後で」
二人と別れると、フェイトは一人二階へと向かう。
その途中──背中に殺気。
「動くな」
まただ。
何度こうして、この女性に後ろを取られれば気が済むのだろう。
「ただいま、クレセント」
「ふん……随分と元気そうだ。アリアスではクレア様に良くしてもらってたみたいだからね」
「いきなりやきもちかい?」
「いや? お前をめぐる争いはネル様だけで十分さ」
この暗殺者モードのクレセントは、自分が特別気に入った相手にだけ見せる裏の顔──本当の顔だった。実際このクレセントを知っているのはフェイトの他には友人のファリンと、直接の上司であるブルーしかいない。ネルやクレアですら完全に騙し通しているのだ。
「でも、そろそろ決めてほしいとは思っているけどな。私かネル様か。振り回されるのもいい加減に飽きた」
「分かった」
フェイトは答えると振り返ろうとする。
「動くな、と言ったぞ」
「クレセントのその言葉はいつも虚勢だよ。僕は君に従う振りをして、会話を進めていたにすぎない」
そして正面から向き合う。ダガーを持った小さな彼女が自分を見上げる。
そのクレセントを、彼は優しく抱きしめた。
「ふぇ、いと?」
さすがにそんな場面は予想もしていなかったのだろう。だが、次の言葉が彼女に決定的な失望を与えた。
「ごめん」
クレセントは落胆する。だが、それはうすうす気付いていたことでもあった。仕方がない、と心の中で割り切るしかない。
「そうか……じゃあ私は定番の『あなたを殺して私も死ぬ』って言わないといけないな」
「僕はクレセントのことが大好きだよ。でも、僕は、無くした記憶が語った言葉を今では実感することができるんだ」
そう。
自分はかつて言ったらしい。記憶を失ってもネルのことが好きになる自信がある、と。
何度も何度も訪れる彼女に次第にほだされていったのは自明の理というものだった。確かにクレセントはグリーテンに行くことが多く、長期にわたって会えないこともある。それは仕方のないことではあるのだが、それでもやはり会う回数というのは重要だった。
「ネル様がうらやましい」
クレセントはダガーをしまうと、かがむようにフェイトに指示する。素直に従ったフェイトの唇に、彼女の唇が押し当てられた。
「バイバイ」
クレセントはそう言って、フェイトから離れた。
「クレセント。君と一緒にいることはできないけど、僕はいつまでも君の友人だから」
背中を見せたクレセントは、苦笑を残して立ち去っていった。
フェイトはそれを見送ってから、謁見の間に向かう。
その扉の前に、ネルが立っていた。
「待ってたよ」
ネルはクレセントよりもずっと素直で、積極的だった。会うなりフェイトを抱きしめては、その唇を押し当ててくる。
「ただいま、ネル」
「ああ。戻ってきてくれて嬉しいよ。なかなか会う機会もなかったしね」
「これからはずっと一緒にいられるよ。焦らなくても大丈夫」
「焦ってなんか」
こうして照れるネルを見るのは、今のフェイトにとってささやかな楽しみの一つだ。
実際『前の』フェイトが彼女といた期間は数日だったのだろう。だが自分はもう彼女と知り合ってから一年半も過ぎているのだ。もう『前の』フェイトに悩まされなくても、十分に生きていける。そして彼女と愛し合っていける。
その自信がある。
「僕はアリアスの村の復興を手伝いながら、いろいろと思ったことがあるんだ」
ある時、フェイトはそんなことをネルに語ったことがあった。
「世界は優しいな、って」
「優しい?」
「うん。僕らは世界に生かされている。その中で僕らが何をして生きていくのかは、僕ら次第であって、決して世界に命令されて生かされているわけじゃないんだって。もし僕が記憶を持ったままだったら、僕はきっと今の僕ではいられなかったと思う」
「それはそうだろうね」
「だから、僕は今生きているこの時間を大切にしたいんだ。ネル、僕は──」
──その言葉が、ほんの数ヶ月前。
そう。クレセントが何を言うよりも先に、自分はもう答を出してしまっていた。
「これからよろしく頼むよ」
「ああ。それじゃあ、陛下に報告に行こうか。僕たちが──結婚する、ということをね」
この閉じた世界に。
もう一人のフェイトと、そしてもう一つの未来がある。
そして、失われた魂がここにある。
残されたものを守ること。それが、
『ネル、僕は、君が好きなんだ』
彼の、生きる意味。
"The END" but "To Be Continued..."
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