Seventh Heaven
第12話 baby cruising love
一日ぐっすりと休んだフェイトは起き上がって窓の外を見る。
既に太陽は中天まで差し掛かっていた。
(今日も暑くなるなあ)
もうすぐエリクールは夏。暑い時期がやってくる。
(去年も大変だったからなあ)
エリクール最初の夏はもう大変だった。
何しろ、地球ではウェザーコントローラーのおかげで一年間の四季がない。体感授業で四季というものを体験だけはしたことはあるものの、延々と続く暑さ、延々と続く寒さというものを実感したのはこのエリクールに来てからだ。
こういうとき、地球は非常に快適な場所だったと思う。正直、暑い時はたとえネルといえども──
(やっぱりいてほしいか)
暑くても大好きな人はやっぱりそばにいてほしいものらしい。それは去年、痛切に思った。
(さてと)
フォスターの事件は解決を見た。
だが、彼が呼び寄せたセラを元の世界に還さなければならない。
それをどうするか、だ。
そうして彼が目覚めた直後、彼の部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「あ、はい」
鍵を開けようと扉に近づいたが、それより先に扉が開いた。どうやら鍵も閉めないで眠っていたらしい。
「無用心ね。私がアサシンだったらどうするつもりなの」
「どういうたとえだよ」
入ってきたのはショートカットの髪を綺麗に整えたマリアだった。とりあえずの情報提供に来たとのことだった。
現在クレアとネルは仕事の真っ最中。クレセントはグリーテン方面に戻り、セラはいつもの病室にいるという。
「それで、フェイト。あの娘のことなんだけれど」
マリアがセラのことについて尋ねてくる。
「うん。どうにかして元の時代に戻してあげないと」
「そうなんだけど、実際方法がないのよね。タイムゲートまで連れていくといっても難しい話だし。だったら一番いい方法として、あの娘が出てきた場所からなら還してあげることもできるんじゃないかと思うわ」
「サーフェリオ水中庭園?」
「ええ。何か調べれば分かることもあるでしょうし。彼女を連れて行ってみるのもいいんじゃないかと思うけど」
確かに、とフェイトは頷く。というか、手がかりのようなものがまるでないのだからそれしか方法がない。
「でも、ネルもクレアさんも忙しいんだろう?」
「大丈夫よ。今日の午後からならネルは動けるっていう話だから。私とセラと、四人で行けば問題ないでしょ?」
まあ、それで問題があるはずもない。そうあまり深く考えずに頷くと、真剣な表情でマリアが尋ねた。
「ねえ、フェイト。昨日のこと、覚えてる?」
もちろん覚えているが、マリアの言いたい話が何なのかということは分からない。
「フォスターはこの星にいくつかオーパーツがあると言っていたわ」
「ああ、そういえばそうだったね」
「それに、ネルのことを随分と気にかけていたみたいだった」
「そう、だったかな」
そこまでは正直、フェイトは記憶にない。
何しろ途中から半分意識がないようなものだったのだ。
「フェイト。これは姉からの忠告としてしっかりと聞いておきなさい。いい、ネルに注意しなさい」
その言い方は。
まるで、ネルが何かを企んでいるかのように思えて。
「何を馬鹿な!」
「勘違いしないで。ネルがどうこうするっていうわけじゃないわ。逆よ」
「逆?」
「そう。もしかしたら、ネルはこの先、狙われることになるかもしれない」
フェイトは目を丸くする。
「何故だい?」
「それは私にも分からない。でも、フォスターはネルに『何かがある』と感じていたみたいだった。同じことを感じた人が、その『何か』を手に入れようとする可能性はいつだってある。何か心当たりはない?」
言われてふと思い出す。そういえばブラムスが『この星は影星のために作られた』というようなことを言っていた。それからネルが亡くなればこの星自体が危機に陥る、とも。
「ネルを守れ、っていうことか」
「そうよ。今度こそ守りなさい。守れなかったらその時はひどいわよ。私だってこう見えても、ネルのことはすごい気に入っているんだから」
そう。どうしてと聞きたくなるくらい、マリアはネルを気に入っている。このエリクールに住むようになってから特にだ。
「それじゃあ、まずは食事を取ってきなさい。それが終わったら、できるだけすぐに行くわよ」
そうして、四人は日が少し西に傾いた頃にシランドを出た。
サーフェリオ水中庭園までは馬を使えばそれほど遠い距離ではない。歩いても三時間くらいあれば到着する。とはいえ、セラに無理をさせるのも何なので、ここは貴族の特権を使うことにした。すなわち、ネルが持っている馬車を使うことにしたのだ。
馬車ならば何も問題はない。四人で話しながら現地に向かうことができる。もっとも効率がいい。
もしその場で元の時代に戻ることができるというのなら、これが最後の会話となる。
だからだろうか、全員がどこかうそ臭くとりとめのない話ばかりをしていた。
「フェイトさんは、いつも私には優しかったんです」
「ふぅん、それじゃあネルなんかずっと角出してたんじゃないの?」
「どういう意味だい、それは」
女三人何とやら。フェイトは自分に被害が来ないように、その会話には加わらないようにした。
「ところで、聞きたいことがあるんだけれど」
ネルがセラに尋ねた。はい、と彼女は答える。
「あのクラウドって男を見て何か考えてたみたいだったけど、いったい何があったんだい?」
「たいしたことではありません」
彼女は軽く首を振る。
「私の世界の、私の恋人に、似ていたんです。それだけです」
セラはあまり自分の世界のことを話したがらなかった。
それはマリアが言った通り、彼女のことをもしかしたら自分たちが知っている可能性があるから。つまり、過去において彼女が有名人物であるということなのだ。
もっとも、いつの時代の人物かが分からなければ調べようもない。
彼らはあえてその話には触れないようにしていたが、やがて馬車は水中庭園に着いた。
もう十日ほども前だろうか、ここに来たのは。十日というのは本当に、あっという間なのだということを思い知らされる。
「さ、行くよ」
ネルが先頭で入り、三人がそれに続く。
特別前と何かが変わっているというわけでもない。
廊下を抜け、メダルの扉を開け、そして奥へと向かう。
そこが、セラのいた場所であった。
そこに入った瞬間、マリアのコミュニケーターが激しく振動した。
「ちょっと待って」
マリアはそれをじっくりと見る。そして顔をしかめた。
「どうだい、マリア」
「間違いないわね」
彼女はきょろきょろと辺りを見回す。そしてコミュニケーターに表示されているものをじっと見つめた。
「オーパーツよ」
それは予想がついていた。だが、いったい何がオーパーツなのだろう。
「オーパーツは、この遺跡そのもの」
マリアがそう答えた。
「この部屋は私たちの世界とほぼ同じ程度の文明レベルでできているわ。ここにあるのは転移装置」
以前、セラが寝ていた寝台を指さして彼女が言う。
「それに、こちらの装置は冷凍睡眠装置ね。それも非カプセル型の。この寝台の上に寝ているだけで冷凍睡眠モードに入れるというわけ」
「なるほど。だからセラはずっとこの場所にいることができたっていうことか」
「そういうこと。それにこの場所は外側からじゃ感知できないようにシールドが張られている。フォスターはそのせいで、せっかく呼び出したセラを見つけることができなかったんだろうね」
つまり。
フォスターはいつかは分からないが、ずっと昔、それこそ年単位の昔にセラをこの時代へと呼び出した。だが、呼び出された場所に手違いがあったのか、この水中庭園の中だった。それもこの部屋は外側からでは中が感知できないという造りになっている。だからずっとセラはこの場所に放ったらかしだった。
しかもこの寝台の上に寝かされていたセラはフェイトたちが寝台から下ろすまで、ずっと冷凍睡眠状態になっていた。近年の冷凍睡眠は非常に便利なもので、外から触っても決して冷たくないあたりがポイントだ。細胞の活動が完全に【停止】した状態になる、といえばいいだろうか。この寝台に寝ているものは【時が止まった】ようになると考えると分かりやすいかもしれない。
その結果として、何年経ってもセラの体は昔のままだったというわけなのだ。
「でも、元の世界に戻るんだったらそれで問題ないんだよな。だって、連れてこられたまさにその時間に還せばいい。セラが呼び出されて仮に十年経っていたとしても、セラは十歳年をとったわけじゃないんだから」
偶然の産物としか言いようがない。まるでフェイトがやってくるのを待っていたかのようだ。
「では、私は戻れるのですか」
「そこが問題ね」
マリアはコミュニケーターをあちこちにかざしながら調べるが、残念ながら全く反応がない。
「ここはもしかしたら単なる出口にすぎないのかもしれない。双方向というのには反応がなさすぎるもの」
「それじゃあセラは」
「ここからじゃ帰れないことになるわね。やっぱりタイムゲートまで連れていくしかないか」
マリアは悔しそうに指をかむ。
「いや、待ちなよ」
ネルがセラの胸元を指さす。
そこにあったのは、彼女の首飾り。
それがほのかに輝いている。
「何かに反応して……?」
マリアが慌ててコミュニケーターをそのペンダントにあてる。
「嘘」
その顔が驚愕で彩られる。
「……これは、セフィラと同じだけの容量を備えているわ」
この、小さなペンダントが、あの、セフィラと同じ。
「じゃあ」
「ええ。セラの持っているこのペンダントがそもそもオーパーツなのよ」
全員の注目がそのペンダントに集まる。
そして、そのペンダントから寝台に向かって一条の光が走った。
その光が寝台に注がれると、その上に暗黒の空間が突如広がった。
「時空転移?」
おそらく、この中に入ればセラは戻れる。
三人がセラを見た。
彼女の顔は、既に決まっているようだった。
「ありがとうございました、皆さん」
ぺこり、と彼女は頭を下げた。そしてまず、マリアのことをじっと見つめる。
「マリアさん、私のために大切な髪まで切らせてしまいまして、申し訳ありませんでした」
「いいのよ。もし何かの手違いでまたこの時代に来ることがあったら、私を頼りなさい」
はい、と答えて彼女は次にネルを見つめた。
「ネルさん、一つだけ言っておきますけど、フェイトさんは私のところにいるときでも、いつもネルさんのことを話されていましたよ」
「全く……最後にそんなことを言わないでおくれよ。まあ、あんたも元の世界で恋人と仲良くね」
はい、と答えて彼女は最後にフェイトを見つめた。
「フェイトさん。本当にお世話になりました」
「いや。セラがこうやって無事に還れるのならそれにこしたことはないよ」
「最後になりますけど、私の本名、知っておいてもらえますか」
三人の視線が集中する。そして、彼女は告げた。
「私は、レナ・ランフォード」
その名前は。
かつて、十賢者を倒した、
「あなたが……?」
さすがのマリアも唖然とした。ネルだけがきょとんとして分からないようだったが、フェイトもさすがにこれには驚いていた。
「そっか。話せないわけだ。でも、今はもう話してもかまわないのかい?」
「いいと思います。最後ですから」
にっこりと笑うレナ。
うん。
この少女は、笑っている顔が一番よく似合う。
「それじゃあ、向こうの人たちにもよろしく」
「はい。本当に、本当にお世話になりました。フェイトさん、マリアさん、ネルさん。さようなら」
そして彼女は、ゆっくりとその暗黒の空間の中に入っていった。
彼女の姿が見えなくなると、ゆっくりとゲートは閉じる。
そして後には、何も残らなかった。
これで、全てが終了した。
またしても色々な謎が残る結果となったが、全てが万事うまくいくというわけではない。
それに、これから先、まだまだ色々なことが起こりそうだ。
「さて、と」
ん、とマリアは一つ大きく伸びをする。
「私もペターニに帰るわ」
考えてみれば彼女は自分の家をペターニに借りている。なかなか帰ることもないので忘れることが多いが。
「でも今からじゃ」
「いいのよ。それに、せっかくなんだからたまには二人でゆっくりすればいいじゃない」
マリアの厚意はありがたいのだが、だからといって一人でこの女性を帰すなどというような性格をフェイトもネルもしていない。
「でも」
「いいんだってば。私だってね、たまには一人になりたいときだってあるのよ。それじゃネル、しっかりやりなさい」
ぽん、とマリアはネルの胸を叩いた。
「マリア」
「いろいろとごめんね、ネル。でも、あなたと一緒にいられて楽しかったわ」
それはまるで、別れのようで。
「まるでどこかに行ってしまうみたいじゃないか、マリア」
だが、ネルの言葉にマリアは微笑むだけで答えなかった。
それは、否定しない、という意味。
「フェイト。さっきも言った通り、あまりネルを悲しませるんじゃないわよ」
「マリア」
彼女は笑うと、踵を返して一人、遺跡を出ていく。
二人はそれを、ただ見送るしかなかった。
「ねえ、フェイト」
「なんだい?」
「マリアはまだ、あんたのことが好きなんだね」
吹っ切るために髪を切り、吹っ切るためにエリクールから出ることを選ぶ。
ネルは思う。もし自分がいなければ、フェイトにはもっと相応しい女性が出来るのではないかと。
自分はあまりに相応しくない。この手は血で汚れている。手ひどい裏切りだって何度もした。
それを。
「他の誰も関係ないよ。僕が好きなのはネルだけなんだから」
そう。
ネルにとっても、いつだって自分を幸せにしてくれるのは、この男性だけなのだ。
「よかったよ」
「何が?」
「あんたに出会えて。こんな奇跡は他にない」
「そうだね。僕もそう思う」
奇跡。
二人が出会ったことが奇跡なら、他のみんなと出会ったのは何だというのだろうか。
「そうだ。今度は僕がネルを招待するよ」
突然話が変わり、ネルは顔をしかめる。
「招待って、どこに」
「多分ネルも知らないところで、とてもいい場所があるんだ。そうだな、今度の休みにでもゆっくり二人で楽しんでこないか?」
「私はかまわないけど、本当に信頼できるんだろうね」
「どうして僕のお姫様はそう疑り深いかなあ」
「あんたが普段からそうやって不真面目なことを言うからさ」
だが。
彼の言葉は確かに不真面目かもしれないが、彼の目は何より真剣だった。
視線が絡む。
その瞳の中に吸い込まれるかのような錯覚すら覚える。
「フェイト──愛してる」
それを聞いたフェイトが、またいたずらっ気を出して言った。
「今日のネルは、随分と素直さんだ」
それを聞いたネルも、楽しそうに笑った。
「私の新しい一面が見られて嬉しいだろう?」
そして。
どちらからともなく近づいた二人は、目を閉じてゆっくりと口付けを交わした。
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