冬の神話(後編)
一日たって、いよいよアーリィとの会談を行うときが来た。
アーリィ・ヴァルキュリアはまだ二六歳。十八のときに内乱を治めた彼女は、それから浮いた話というのは一度も出ていない。エインフェリアの中に決まった相手がいるというのは、単に他に当て馬がいないというだけの単なる噂以上のものではなかった。
常に漆黒の鎧に身を包み、神話の戦乙女さながらに公式の場に出てくるアーリィ。
(気の強そうな女だな。あまり付き合いたいとは思わねえが)
だが、この若くカリスマあふれる指導者に熱をあげているのは国民ばかりではない。全宇宙でアーリィのファンは多い。
「よく来てくれたな、クリフ・フィッター殿。歓迎する」
まったく表情のこもらない声でアーリィが言うと、クリフは肩をすくめた。
「ま、これも仕事のうちだと思えばな」
「公務で来たのではなかろうに。お主も難儀なことだ。余計なものに関わったがために、余計な苦労を背負うことになる」
「あいつらのことは余計なんかじゃねえよ」
「知らなければ、好んで関わろうと思うものでもない」
アーリィは会談の席に着くなり、本題に入ってきた。その後ろに控えているのは護衛隊長のアリューゼと内務大臣のメルティーナ。アーリィの両腕と呼ばれている、エインフェリアの筆頭となる二人だった。
「で、わざわざ俺を呼びつけた理由はきちんと聞かせてくれるんだろうな」
「無論。我らの悲願のためには避けては通れぬからな」
「悲願?」
「その話は後だ。まず先に、我らの要求を述べておく」
アーリィは目を細めた。
「お主らの仲間である、ソフィア・エスティード。この人物を私に預けてほしい」
「はあ?」
「聞こえなかったか。ソフィア・エスティードだ。この人物に用があると言っているのだ」
フェイトやマリアの名前が出てくるのならばよく分かる。が、何故その名前なのか。
「言っている意味が分からねえな。俺は紋章遺伝子の継承者に関して話があるって聞いたぜ?」
「その話をしているつもりだ。お主がシラを切っても仕方がない。既に三人目の紋章遺伝子の継承者のことはこちらで把握している。空間をつなぐ『コネクション』の力。それが我らにとっては必要不可欠なのだ」
「おい、ちょっと待ってくれ」
クリフは頭を押さえた。
「要求の内容は分かったが、お前さんたち、いったい何をするつもりだ?」
「想像はつくだろう。世界をつなぐ。それだけでいいのだ。別に危害を加えるつもりなどない」
「どことだ?」
「少なくともFD界ではないことは確かだ」
まあ、今さらFD界とつないだとしても、こちらから行くことはできない。マリアのアルティネイションがない限りは。
「私やここにいるエインフェリアたち。この者たちだけが行くことができる場所へつないでもらう。このミッドガルドに入口があるのでな。『コネクション』の力を持つ者にここまで来てもらわねばどうにもならぬ」
「それで俺ってわけか。まあ、人選としては妥当だがな」
クリフは首をかしげる。
「誘拐してこようとか考えたりはしなかったのか?」
「なるべくなら穏便な方法を取ろうと考えている」
アーリィは決してそれを否定したりはしなかった。
「だが、最悪の場合はそこまで考えなければならない。これは我らが生き残るために絶対必要なことだからだ」
「生き残る?」
「そうだ。このミッドガルドという星はちょっと変わっていてな。FDのことをよく知るお主だから話しても問題ないだろうが」
前置きしてからアーリィが言う。
「このミッドガルドは常に『神』による侵略を受けている、エターナルスフィアの中でも少し変わった世界設定になっている」
「へえ、そりゃ初耳」
「今まではエターナルスフィアにより干渉があったため、神から侵略されたとしてもどうにか撃退することができた。それが『ゲーム』の内容だからな」
言いたいことは分かる。もともとスフィア社はこの世界をゲームの場として作っただけだ。
「だが、この世界へのエターナルスフィアへの干渉が途絶えた。せっかくこの星に統一国家ができたというのに、いまや神々からの侵略を受け放題だ。既に都市が三つ、陥落した」
「なんだって?」
「都市が三つ。人口にして五六万三二八四人。これだけの犠牲者が出て、なお黙っていろというのなら、それは生きることを放棄しているのと同じだ。違うか?」
「いや、お前さんの言っていることは正しいな」
状況は分かった。だが、詳しいことをもう少し知りたい。
「お前さんの言う神々ってのはどういう奴らなんだ?」
「体に紋章を刻まずとも紋章術を唱えることができる。それも強大な奴を。彼らと五分に戦えるのは、私の率いるエインフェリアたちだけだと思っている」
「お前さんも含めてか」
「そうだ。私はどちらかといえば『神々』に属するからな」
「つまり、敵対している相手の側から裏切ったってことか?」
「見方によればそうなるだろう。だが、我らが人間の側につくことはエターナルスフィアが決めたルールだ。そして私はそれに感謝している。私の愛する人間を守るために活動できるのだからな」
「立派なことだ」
だが、それでこのアーリィという人物に浮いた話がないのも、どこか人間らしくないのも分かった。
「敵の総大将はオーディン。我らは神々の世界へ向かい、これを倒さなければならない。そうしなければこの星は滅びる」
「だから協力しろっていうことか。話の内容は分かった」
クリフは思案する。確かに今の話だけならば、ソフィアを連れてきて道をつなぐだけ。それはたいした手間ではない。
だが、目の前にいる人物が信頼できるかどうかは別だ。今の話が真実とは限らない。ここにいるのがフェイトだったなら、喜んで頷いていたのだろうが、あいにくと自分はそこまでおめでたくはない。
「一つ聞きたいんだが」
「なんだ」
「この星も、それから神々とやらも作ったのはもともとFDの連中だな」
「そうだ」
「お前さんはどうしてそのことを知ったんだ?」
考えてみればおかしな話だった。
今までもいろいろと会いたいとか話をしたいとか言われていたが、ここまで直接的に『紋章遺伝子の継承者』と言われたことはなかった。
その理由として考えられるのは二つ。
一つは、切り札を見せなければならないほど追い詰められたということ。
もう一つは、その情報をつい最近入手したということだ。
どちらなのか、そしてもし後者ならば、その情報入手ルートには一つの仮説が成り立つ。
「情報のソースは、エレナ・フライヤだな?」
エリクールからいなくなったという、元FDのエレナ。
彼女が今回の件に絡んでいるとしたならば。
「知っていたのか」
「まあな。というより、お前さんが俺たちとエレナの関わりを考えていなかったのは迂闊ってもんじゃねえのか。わざわざエレナがソフィアを指名したのなら、何か関係があるとみてかかるべきだろう」
「その通りだな。エレナのことを黙っていたのは詫びよう」
「じゃ、交換条件だ」
「なに?」
「エレナの身柄を引き渡してほしい。どうしても会わせたい奴がいるんでな」
アーリィが目を細める。
「エレナを渡す代わりに協力する、と?」
「そっちが隠さずに明かしてくれたんでこっちも隠し事はしないが、エレナって奴はもともとFDの人間だ。それは知っているのか?」
「無論」
「で、エレナはそのFDの人間とコンタクトを取りたがっている。もしエレナがソフィアを指名してきたっていうんなら、それはお前さんたちのためじゃない。おそらくは自分のためだ」
アーリィは腕を組む。
「悪いが、ソフィアを渡すわけにはいかねえな。下手したらエレナに拉致されて、どこへ連れていかれるか分からねえ」
「なるほど。交渉決裂ということか」
「エレナを引き渡してくれて、ソフィア嬢ちゃんの安全が確保できる状態でなら協力することもできるだろうけどな。いずれにしても俺たちは今、エレナを探し回ってたところなんだ。ちょうどいいっていや、ちょうどいいんだろうな」
「ならば、我らに死ねというのか」
アーリィが口調を強める。
「こうしている間にも神々の侵略は続いている。今もどこかの街で、民衆が罪もなく殺されている。その現状を黙って指をくわえて見ていろというのか」
「言い方は悪いが、それこそ知ったことじゃねえな。見知らぬ人間より仲間の方が大事だ。みすみす危険なところに嬢ちゃんを連れてくるつもりはねえよ。お前さんは協力を頼む立場だろう。それならこちらの条件くらいは呑んでもらわないと、正当な取引とは言えないぜ」
「よく、分かった。あまりこういう手段は取りたくなかったが、やむをえまい」
アーリィが立ち上がる。と同時に控えていたアリューゼとメルティーナも動く。
「俺を拘束する気か?」
「拘束などするつもりはない」
アーリィの顔に、極悪な微笑が生まれる。
「お主はただ、この星が気に入ったからしばらく逗留することにした。それだけだ」
「おいおい、こんな未開惑星一歩手前の星を気に入るなんて、あるはずねえだろ」
「アリューゼ、メルティーナ」
もはや言葉は不要ということか。護衛隊長のアリューゼが剣を抜けば、メルティーナは紋章術を唱えだした。
「まじかよ!」
クリフは身を翻してアリューゼの剣を避ける。
「やるじゃねえか」
にやり、とアリューゼが笑う。
「けっ、エインフェリアだか何だかしらねえが、この俺様を簡単に倒せると思ってんじゃねーぞ」
「メル。お前はちょっと控えていろ。こいつとサシで勝負がしたい」
メルティーナと呼ばれた女性は、ちらりとアーリィを見た。アーリィが頷くと詠唱を止める。
「分かったわよ。そのかわり、アンタが危険だと思ったら手を出すわよ」
「俺が危険なことがあるかよ」
アリューゼが剣を投げ捨てる。
「得物があっちゃ不公平だろ。タイマンで勝負してやる」
「へっ、後悔するんじゃねーぞ」
だが、相手が決してブラフで言っているわけではないのは分かる。このアリューゼという男は自分を素手でねじふせるだけの自信があるのだ。
(エインフェリア『最強』のアリューゼか)
エインフェリア十六人については完全に調査済みだ。その中でもこのアリューゼという男の戦績は尋常ではない。エクスキューショナーを単身倒すくらいならエインフェリアは誰でもやる。だが、この男は代弁者と執行者を同時に相手にして一分でカタをつけるという、人並み外れた力の持ち主だ。正直、クリフですらそれほどの力はない。
(やるしかねえな)
後ろにいるのはアーリィとメルティーナ。たとえアリューゼを倒したとしても、その二人を相手に逃げ切れるかどうか。
(それにまあ、船は宇宙港だし、救援が来るまであちこち逃げ回るしか手がないということになるが)
いや、それよりもエレナだ。どうせなら逃亡しながら彼女を探す。その方が都合がいい。
(となれば……)
目の前にいるこの男を倒さない限り、自分は捕らえられるのがオチだ。
「行くぜ」
アリューゼが突進してくる。が、その攻撃をただ食らうつもりはない。
「マイトディスチャージ!」
炎を上げて相手の突進を止める。が、アリューゼはそれを飛び越えてクリフに殴りかかってきた。
「ちいっ!」
クリフはクラウストロ人特有の動きで回避する。が、その動きにアリューゼはついてきた。
(馬鹿な!)
ただの人間が、クラウストロ人の動きについてこられるはずがない。
うなりをあげた拳が、自分のみぞおちに入る。
(やべえ)
意識が飛びそうになるのをぐっとこらえる。が、踏みとどまると右手を力強く握った。
「フラッシュチャリオット!」
アリューゼは完全に予想外だったのか、倒れると思った相手からの連打をモロにくらった。カウンターで直撃、それも一撃ではない。油断しているところへ十三発。完全に吹き飛ばされたアリューゼが床に倒れる。
(今だ!)
瞬時に逃げようとしたが、直後、クリフは自分の体が完全に動かなくなる。
「な、なんだ、これっ!」
「へえ、まだ喋れるのか。お主、なかなかやるではないか」
アーリィは座ったまま。メルティーナは紋章術を唱えていない。
声は、誰もいなかったはずの場所から聞こえてきた。
「あら。珍しいわね、ジェラード。こんなところまで何しに来たの? アリューゼと離れてるのがそんなにイヤ?」
クリフの背後にいた人物が彼の目の前にやってくる。
(子供?)
それはまだ、十を少し超えた程度でしかない少女だった。
(戦後にエインフェリアとして認められた、最年少のジェラード財務大臣か)
完全に体が動かない。これも紋章術の類だろう。
「ふん。アリューゼ一人では勝てぬやもしれんと思って見ていたが、案の定じゃったのう。さて、こいつはしばらく動けぬが、どうするのじゃ、ヴァルキュリア?」
ジェラードと呼ばれた少女は目を光らせてアーリィを見る。ふむ、と彼女は頷く。
「アリューゼに勝てば、この場は見逃してやろうかと思ったが、まあこうなってしまっては仕方あるまい。メルティーナ。この者を拘束して牢へ。ただし、決して手荒く扱うでないぞ」
「拘束する時点で手荒いと思うけどね。ま、アリューゼを倒すほどだもの、さすがにそうしないとまずいか」
「くっ」
メルティーナとジェラード。強力紋章術士二人を目の前に、クリフは身動きすら取れない状態だ。
「おとなしくしていてと言っても、あなたは逃げてしまうわよね」
「当たり前だろ」
「じゃあ、おとなしく拘束されていてね。大丈夫よ。アタシたちはソフィアっていう女の子の協力がほしいだけ。コトが終わったら解放してあげる」
「ありがたいことだ」
「じゃ、ちょっと眠ってて」
メルティーナが紋章術を唱える。ここで抵抗しても無駄に力を使うだけだろう。
(しゃあねえな)
エレナがここにいる。
せめてそれだけでも、フェイトたちに伝えることができればよかったのだが。
(まあいいか。なるようになるだろ)
クリフは何も言い残してこなかった相棒のことを頭の片隅に思い浮かべた。が、それも一瞬のことで、彼の意識はすぐに闇に溶けて消えた。
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