クレセント祭

02:仕事





「本日の仕事です」
 と、優秀な副官兼僕の恋人は無情にも机の上に山のような書類を置いた。
 クールビューティな彼女の顔に、スマイルは一切ない。現実は無常だ。
「クレセント、実は」
「駄目です。これは今日中に全て片付けていただかないと困ります。大丈夫です、明日はこれほどの仕事はありませんから」
 ありがたい言葉をいただいたところで、今日の地獄からは逃れることはできないことははっきりしている。
「そんな泣きそうな顔をしないでください。私がつきっきりで手伝いますから」
 ほとほと呆れたようにクレセントが言うが、それを聞いたフェイトはにこりと笑う。
「ならいいや。クレセントと一緒にいられるんなら、僕は何だってやるよ」
 が、この副官も図太いものでその程度でうろたえるわけではない。
「できれば片付けてほしい仕事があとこの倍くらいはありますが、そちらも行いますか?」
「これ以上、一ミリでも仕事が増えたら僕はここから逃げ出す」
「では軽口を叩いていないで、仕事を始めましょう」
 堂々とした宣言だったが、当然聴衆には何の感動も与えられない。フェイトは唸って机に向かう。
 とはいえ、フェイトは決して無能な指揮官でも上司でもない。むしろ連邦大学で学んでいるだけのことはあって、かなりの博識だ。未開惑星ということもあり、逆に手加減をしているくらいのところがある。
『鋼』はいわば自衛軍だ。シーハーツという国に他国への侵略意思がない以上、自衛軍以上の性格を持たない。
 そのため軍の編成も、戦争で自国を防衛することを念頭においた部隊と、国内の治安維持を行うことを目的とした部隊とに大きく分かれる。これらはそれぞれクレセント、ジェイナスが率いる形となっている。フェイトは基本的に他の六師団との折衝を行うための部隊を率いている。
 そうした各部隊の調整や訓練、常駐施設、他の六師団との連携、国内の治安維持システムの向上などなど、やることは山ほどある。
 下からの報告を受け取りその内容からさらに命令を下す。『鋼』内部のことであればそこで解決するが、事が他の師団に絡むことであれば相談、国の問題に発展するようであれば即時報告、無論団内のことも定期報告にまとめることになるが、至急のものはすぐにラッセルと連絡を取らなければならない。
 さらには新しい部下たちの教育、もっともクレセントやジェイナスが優秀なおかげで、そのあたりはフェイトが直接行わなくてもすむようになっている。が、公正な目で判断するためにも、フェイト自身が団員の把握に努め、適正な配置と人事を行うようにしている。
「クレセント、この件だけど」
 三級構成員の一件を取り上げて尋ねる。この人物の仕事がいい加減で、部下についている四級構成員たちから不満が上がっているということだ。
「ええ、私もその話はうかがっています。確かに能力的にも多少劣ってはいましたが」
「けど、目立ったミスとかはしていない。まあ、四級構成員ばかり働いていて、上が休んでいるのはどうかと思うけど。勤務表を見ても頷けるところはある。ただ、問題はそういうところにあるんじゃない」
「分かっています。そういうことが続いてしまっているために、部下からの信頼が完全になくなってしまっていることです」
「そうなんだ。一度この悪循環に陥るとどうすることもできない。だからといって明確な理由もなく降格にするわけにもいかない。クレセントならどうする?」
「配置換えが適正かと思います。警察部隊であれば定時巡回は当番制ですし、問題ないかと」
「うん。それじゃあ、すぐというわけにはいかないだろうから、次の編成の際にそういう処置を取ってくれないかな」
「分かりました」
 二万人からなる部隊を率いるのだ。これくらいのことは日常茶飯事におこる。
 部隊編成もラッセルの許可を得て警察部隊の人数を少しずつ増員している。既に二度、大幅増員を行っている。次の第三次増員の際にもぐりこませれば問題なく事は運べるだろうと見越したのだ。
「それから部隊予算のことだけど」
「はい。光熱費については特別予算が下りましたので大丈夫です。ですが」
「うん。予定外に警察機構にお金がかかった。軍なんていうのはお金が無駄にかかるものだっていうのは分かっていたけど、このままだと軍事訓練の費用が出ない」
「冗談ではすみませんね」
「もちろん冗談じゃない。軍隊が弱い国なんて、侵略してくださいって言ってるようなものだ。でも、同時に軍事費なんていうのはかからなければかからないほどいいのも当然だ」
「では、これ以上の予算は」
「出ないじゃない、出さない方向で考えよう」
「ですが、現状でもぎりぎりの」
「それを調べてみたことはあるかい?」
 フェイトは現状の部隊の弱点がよく分かっている。二万人からなる組織なのに、この内部には監査組織がない。
「監査、ですか」
「そのシステムは絶対に必要だ。人数が多いほど絶対緩む部分は出る。軍隊という性格からそういうことは少ないだろうけど、私利私欲で動く人間はどこにでもいる。僕は僕の部下二万人を一概に信じることはできないよ」
「フェイト」
「ケビンに任せる。こういうのは僕ら、一級以上の構成員が動くより信頼のおける人物にやらせる方がいい。そのかわり、監査の仕事っていうのは嫌われるんだけどね。ケビンならその点は大丈夫だと思う」
「少し優しすぎるような気もしますが」
「それくらいの人間の方が信頼できるんだよ」






 と。
 そのように何度か話を交えながらも、おおむね二人は黙々と作業を続けていった。
 途中、報告をまとめてフェイトがラッセルのところへ行ったことと、部下たちへの命令にクレセントが少しの間席を外したこと以外は、二人とも朝から晩どころか夜中になるまで仕事を続けた。
 食事も簡単なものを運ばせただけで、ただ延々と仕事を続ける。そしてようやく一段落がついて、ふうー、とフェイトが大きく息をついて伸びをした。
「お疲れ様でした、フェイト」
 準備よく、クレセントは水筒を取り出して温かい黒い飲み物をカップに注いだ。
「なんだい、それ」
「チョコレートです。疲れたときは糖分が必要ですから、フェイトも飲みたくなるだろうと思って」
「わざわざありがとう」
 それを受け取って、一口含む。確かに甘い。が、ちょうどいい味だ。
「クレセントが作ったのかい?」
「ええ。食事は苦手ですが、飲み物を淹れるのは好きなんです。紅茶もコーヒーも淹れられますよ」
「ふうん。それはそうと、クレセントは飲まないのかい?」
 が、その瞬間、場が凍りつく。
「……こんな夜中に糖分を取ったら太ります」
 気にしているらしい。それも、かなり。
 フェイトは汗だくになりながらさらに続ける。
「いや、でも、少しくらいなら」
「その少しが命取りなんです」
「甘いもの大好きなのに」
「別次元の問題です。夕食後の糖分は絶対厳禁ですから」
 うーん、と考えてからフェイトは思いついたようにクレセントに近づく。
「フェイト?」
 が、何も答えさせるより早く、その唇を奪う。
「甘い?」
「……」
 が。
 クレセントは白い目でフェイトを睨みつけてきた。
「……ここが職場であるということをお忘れですか、フェイト?」
「いや、分かってる、けど」
「では行動を慎んでください。上にいるものが風紀を乱しては、下に対してしめしがつきません」
 そう言われたフェイトはしゅんと俯いてしまう。まったく、この少年はどこまでも可愛い。
 だから、その耳元でそっと囁いた。
「ですから、そうしたことはこの後、部屋でゆっくりとしましょう」

 彼の顔が、真っ赤になったのを見たクレセントは満足そうに微笑んだ。





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