クレセント祭

04:会話





 たかがパフェごときに五千とはどういう了見だろうか。
 だが、それだけの味と幸せがそのパフェの中には凝縮されている。
 ここはソロンの導き亭。クレアが頼んだものはその特製チョコレートパフェ。
 出資者は、クレセントだった。
「おいしい!」
 クレアは一口食べると満面の笑みで言う。クレセントはそれを苦々しくコーヒーを飲みながら見つめる。
「あなたも食べればいいのに。甘いもの、大好きだったわよね?」
「……結構よ」
 薄給とは言わないが、さすがにパフェごときで五千も払うわけにはいかない。まして、クレアにそれを一つおごっているのだ。自分も頼んだら一万になってしまう。
「本当、これからあなたの給料日ごとにこのパフェが食べられるなんて、嬉しい限りね」
「……分かったわよ」
 ため息をつくも、自分はそれに見合うどころか、何を投げ捨ててでも手に入れたかったものを譲ってもらったのだから、何も言うことはできない。
 フェイト・ラインゴッド。
 クレアとかつてつきあっていた男性は、今は自分とつきあっている。
 クレアは諦めるかわりという条件で、かつてクレセントが提示した条件を言った。
 すなわち、ソロンの導き亭キッチン特製チョコレートパフェ。
「あなたたちがうまくいっているみたいで嬉しいわ」
 クレアは本当に嬉しそうに言う。彼女だってまだ、フェイトのことを忘れられるはずがないというのに。
「クレア、あなた」
「私はいいのよ。そう、フェイトを渡すなんて、とても耐えられないと思っていたし、自分でもそこまで物分りがいいとは思ってなかったけど」

 それなら、何故彼女は黙ってフェイトを渡すことに応じたのか。

 クレアは黙って身を引いた。もちろん、フェイトの気持ちが今は自分にあるのは間違いなく分かっていることだ。だが、それで簡単に諦められるような想いではなかったことを、誰よりもクレセントがよく分かっている。
 それまで浮いた話の一つもなかったクレアが、彼のこととなると我を忘れたようになる。TPOすら忘れ、彼のことに夢中になる。いったい彼のどこがそんなにいいものか、と最初は思っていたが。
 気づけば、自分がそうなってしまっていた。
「私は多分、フェイトを手に入れるのが簡単すぎたのね」
 と、半ば独白のような形でクレアが話し始めた。
 アドレーの追及から逃れるような形で、半ば冗談のようにして始まった恋愛だったが、彼の傍は居心地が良すぎて次第に本気になっていった。
 彼も自分のことを少しずつ気にしてくれているのが分かった。
 だが、それは彼がクレアに恋をしていたわけではない。好意を向けられたことが嬉しくて懐いてしまった子供のようなものだ。
 だから、彼は自分が本当に大切な人がいることに気づいた。
 クレセント・ラ・シャロム。
 誰よりも大切な人を。
「もっとしっかりとした恋愛をしていれば、あなたに取られるようなことはなかったのよ。最初から私だけが本気で、彼は恋愛をしているという『居場所』が心地よかっただけ。終わってみてそれがよく分かるわ」
「そんなことは」
「あるのよ。もしかしたらそう信じたいだけなのかもしれないけれど」
 残念そうに笑って、またパフェを一口。
「それにね。あなたに言われた時、さすがに私もショックだったわ」
「私に?」
「ええ」
 それは、最後の時。
 ペターニの領主屋敷に乗り込んできたクレアに対し、クレセントは叫んだ。

 クレアは、何でも持っている。地位も、名誉も、施術の力も、何もかも。
 自分にはフェイトしかないのに、それすら持っていってしまうのか。

「私ずっと、あなたのために何かしてあげようって思ってたけれど、それすらあなたにとって重荷だったっていうことに気がついたのよ。私がしていたのは持っているものが持たないものに対して優越感に基づいて行う、単なる施しだったのね」
「そんなことはないわ」
「いいえ、あなたは大なり小なりそう考えていた。浅はかだったのは私の方。あなたのことを考えるなら、始めから施術による差別をなくすために全力を尽くすべきだったのよ。あなた一人をどうこうしたって、何も変わらないものね」
 そう言われると、クレセントにはもう何も言えない。現実に、クレアの厚意をことごとく断ってきたのは他ならぬ自分だ。
「私は哀れみからあなたにフェイトを譲ろうと思ったんじゃない。反乱を起こし、他の全てを投げ打ってでもフェイトを手に入れようとしたあなたに、負けた、と思ったのよ。私はフェイトを最後まで信頼することができなかった。彼が裏切るはずはない、そんなことは分かっていたことだったのに、私はフェイトが国家反逆罪に問われた時、お父様のように断固として反対することができなかった。地位と、陛下の名を盾にして、自分の心を偽った。それが、かなわない、と思った理由なのよ」
「でもそれは、あなたの立場からすれば仕方のないことだわ」
「マリアさんに言われたわ。陛下のためを思うのなら、フェイトを反逆罪にかけることじゃなく、全ての真実を明らかにして国の害を取り除くことだって……その通りよね。私は結局、フェイトを心の底では、完全に信じきれていなかったことが、分かってしまったのよ」
 クレアはため息をついて、少し溶けかかってきた高級パフェをつつく。
「ねえ、クレセント。あなたは多分、どんなことがあってもフェイトを信じるんでしょうね。いえ、フェイトのためなら他の全てを本当に投げ出してでも、彼のために戦うんでしょうね」
「ええ。それこそ、彼が魔王だったとしても」
 そう答えることが、多分クレアのためにもなるのだろうと思った。だからそう答えた。
 クレセントはどんなことがあってもフェイトの傍にいる。そう認識するからこそ、クレアはフェイトを諦めることができるのだと。
「それを聞いて、安心したわ」
 やはり残念そうに、クレアは笑った。






 パフェが食べ終わると、彼女は紅茶を所望した。少し顔をしかめつつ、クレセントは彼女に紅茶をご馳走する。
「あなたたちのことはあちこちで噂になってるわよ。仲睦まじいカップルだって。でも光牙師団のみんなは、ちょっとフェイトに対して敵意を持っているわね」
 それはそうだろう。何しろフェイトはクレアとの仲を認めさせるために150人の師団員を残らず倒したのだ。そこまでのことをしていながらどうしてクレアを捨てたのだと、半分クレアファンクラブの側面を持つ光牙師団のメンバーにとって、フェイトに対する敵意は高まる一方だ。
「愛されているのはいいことだわ」
「でもフェイトと別れたから、お父様がまた最近うるさくて」
「いいお父様じゃない。きちんと親孝行しなさい」
「あなたは本当にお父様のことが大好きね」
「ええ。アドレー様のようなお父様が、本当にほしいと思うわ」
 かつて、あの幼少期に助けてもらった記憶。
 たくましく、そして優しかったアドレー。
 自分の娘を隠すようにして育ててきた自分の両親よりも、ずっと、ずっと好きだった。
「のしつけてあげるわ。だからフェイトを返して」
「嫌」
 だがそんなアドレー人気もフェイトの前では全く効果がなかった。
「ところで、そのアドレー様は今どうなさってるの?」
「あまりやることもないと暇をもてあますみたいだから、ラッセル様がまた北方に追いやったみたい」
 アドレーのあの格好は、北方の亜熱帯地方だからこそ許されるのであって、このシランドであの格好はさすがにないだろうとクレセントも思う。
「アドレー様には一度ご挨拶にいかないと」
「どうして?」
「あなたの娘の婚約者を取ってしまって、申し訳ありません、って」
「……いい度胸してるわね」
 にっこりと笑うクレア。目が笑っていない。
「ええ。そうでなければ彼を手に入れることはできなかったから」
 もちろんクレセントも受けて立つ。二人の間に火花が散った。
「ま、お父様なら何もなくても勝手に帰ってくるわよ。話なんていつでもできるわ」
「そうね。アドレー様ならどんなことがあっても無事だと安心できるわ」
 それが不思議でないあたりが、アドレーという男の信頼感というものだろうか。何か違うような気がするが。






「さて、そろそろ帰りましょうか」
 クレアが言って、時計を見る。もう二時間も話しっぱなしだった。
「また来月もお願いね、クレセント」
「……分かってるわよ」
 はあ、とため息をつく。
「幸せが逃げるわよ。せっかく手に入れたんでしょ?」
「そうね。これも幸せ分かと思えば問題ないわ」
「これからフェイトと仕事?」
「ええ。発足したばかりの師団はやることが多くて飽きないわ」
 充実していると言うようにクレセントが微笑む。本当に、彼女の力量にあった仕事場があることにクレアも感謝する。
「それじゃ、仲良くしてらっしゃい」
「ええ。フェイトの傍でないと、私はもう生きていけないということを自覚してしまったもの」
 カフェから出て、クレセントは青空を見上げる。
 こんなふうにすがすがしい気持ちで空を見上げるなんて、彼と出会う前にはなかった。
 それだけ、心が充実している。
 彼と一緒にいられることが、こんなにも幸せを感じさせてくれる。

「いきましょう」

 クレセントは言って、城への帰り道を踏み出した。





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