いごと ──パルミラ──






 時は戻らない。だからこそ、人は時の中で生きることができる。






 クレセントのもとに母親の訃報が届いたのは、母親の死体が見つかってから、わずか三時間後のことだった。
 しかもその理由が馬鹿げている。いや、ついに、と言った方がいいのかもしれない。
『殺されたシャロム伯爵夫人は、現王家へのクーデターを企てていた』
 それについて、自分に関わりがあるのか、どれほど知っていたのか。そういった事実調査だった。
 実の母を殺されて、悲しむ間もなく【土】の尋問を受ける。それがいったいどれほどの苦痛で、屈辱だったか。
(シャロム家は終わったね)
 こんな終わり方を望んでいたわけではなかった。いや、没落すればいいと思ったことはある。だが、母がクーデターを企てていて、それが発覚することになろうとは。
 父は知っていたのか。知っていて黙認したのか、それとも全く知らなかったのか。
 直接父に掛け合う以外、方法はない。いや、あの父が真実を素直に話してくれるとは限らない。母と違って、父ならば暗殺されても自分の企てを明るみにするような人ではない。
 だが、母の犯した罪を、父が全く償わなくてもいいということにはならない。領地召し上げ、さらには辺境への流刑。この辺りが妥当なところだろうか。
(私はどうなる?)
 親の罪が子に及ぶということはこのシーハーツにおいてはありえない。だが、さすがに王家転覆を企てたのならば、子にまでその罪が及んでもやむをえない。
 たとえ罪が及ばなくとも『クーデターを企てた人物の娘』が『二級構成員』という管理職について、それも指示を与えることになる。そんな人物から指示など受けたくないだろう。自分ならば遠慮したい。
(いずれにしても【風】は辞職するしかない、か)
 だからといって、クーデターを企てた自分が、いったいどうやって生きていけばいいのか。少なくともこのシーハーツの中では何もすることはないだろう。父と共に流刑になった方がまだ生きていく望みがある。
 尋問に対しては全て、母は自分には何も言わなかった、で通した。というより本当にそうなのだ。母がそのような企てをしていたのなら、せめて教えてくれればいいのにと思うほどだ。
 母は自分に優しかった。唯一友人と認めたファリンを連れていったら、ファリンに対しても優しかった。
 どれだけ時間が経ったのか、また尋問官が変わった。今度は誰だろう、と思っていたら見知った顔だった。
「よ、疲れてるみてえだな、クレセント」
 そう言って食事を差し出したのは【土】の師団長、ノワール・フォックスであった。
「まだ、大丈夫ですよ♪」
 こんなときでも笑顔は絶やさない。まったく、疲れているのだからこんなときくらい虚勢を張らなくてもいいものを。
「今度はノワール様が私を尋問なさるのですか?」
「いや。尋問じゃねえ。質問だ」
 言葉を変えても仕方がない。同じことだ。だが、ノワールが何か考えがあるということだけは分かった。
「質問にはもう、お答えしたと思います♪」
「いや、お前さんの母親が何を企てて、何をしようとしていたか。それについてお前さんが知っている、知らないはどうでもいいんだ」
 どうでもいい? クレセントは笑顔の裏で憎悪をたぎらせる。どうでもいいのなら、早くここから釈放させてほしい。そして、母親の死に顔を見せてほしい。このままでは火葬になるまでもう日数はほとんどないはず。
「では、なんでしょうか?」
「お前さんの母親が懇意にしていた人物。心当たり、ねえか?」
 なるほど。それならば確かにいくらでもある。自分の家に頻繁に出入りしていた人間を洗い出せばいいだけだ。
「母に協力していた人間を洗い出したいわけですね?」
「そういうことだ」
「協力していたかどうかは分かりません。ですが、私が記憶している中で三回以上屋敷に来ていたのは、リューベ子爵、ライン男爵、ブロス男爵ですね。他は分かりません」
 それくらいは調べがついているのではないだろうか、と考えたがノワールは小さく頷く。
「よし、その三人にあたってみるとするか。悪かったな、長いこと拘留しちまって」
「いいえ♪ それが仕事なのは理解してますから♪」
「そう言ってくれると助かる。ブルーとも話したんだが、お前さんが関わってたとは思ってねえよ」
「ありがとうございます♪ でも」
 ふと、クレセントは少し悲しそうに呟く。
「私は、関わっていたかったんです」
「おい」
「母が、私に危険が及ばないようにと、何も教えてくれなかったんだと思います。でも、私は」
「分かった、もういい」
 いつになく落ち込んだ口調のクレセントをノワールが止める。
「あまり迂闊なことを言うなよ」
「すみません♪」
 だが、次の台詞はいつもの通りのクレセントであった。
「じゃ、まあしばらくは【風】でゆっくりするといいさ」
「はい。後、教えてほしいんですけど♪」
「なんだ?」
「私の母を殺した犯人、目星はついているんですか?」
 ノワールは一瞬、言葉に詰まる。その反応が微妙だった。
(知らない、という反応じゃない)
 知っていて隠している。そういう反応だ。
「今、部下には全力で捜査させている。じきに分かる──」
「ノワール様は犯人がわかっていながら公表せず、部下にはひたすら捜査させている。そこにどのような意図があるのですか?」
 クレセントの追及は手厳しい。やれやれ、とノワールが頭をかく。
「悪いが、機密事項だ。言うわけにはいかねえよ」
「ではノワール様が知っているのは間違いないんですね」
「俺は詳しくは知らん。どうしても知りたいなら、あまり表立って行動しないということを約束してくれ」
「約束します」
 当然だ。母を殺した相手がのうのうとしているなど、赦されることではない。
「フェイトに聞け」
 意外な単語が出てきた。
「フェイト? フェイト・ラインゴッドさんですか?」
「そうだ。あいつに聞けば、教えてくれるかもしれん」
「フェイトさんが犯人と関係があるというんですか?」
「そういうことになる。だが、これはフェイト一人の問題でもない。言うなれば国全体の問題になる」
「だから、母を殺した犯人を見過ごす、と?」
 怒りで我を見失いそうになる。
「へえ、お前さんでも怒ることがあるんだな」
「はぐらかさないでください! たとえ国家反逆罪の汚名を着ていようとも、私の母です! これが憤らずにいられると思っているのですか!?」
「お前さんの気持ちはもっともだ。だがな、お前さんや父親にまで害が及ぶことになってもおかしくねえんだ。見逃してやってるってことに、気づいてくれないかねえ」
「何日も拘留しておいて、見逃す、ですか」
 駄目だ。
 自分が抑えられない。
「なら私は、私のやり方で母を殺した犯人を探し出してみせます」
 そして立ち上がる。これでもう自由なはず。
「おい、クレセント」
「はい、なんでしょう♪」
 そしていつもの笑顔。
「いや、その──お悔やみだけは、申し上げる」
「気になさらないでください♪ 国家反逆罪の人間が死んでも、誰も悲しむ人はいませんよ♪」
 痛烈な皮肉に彩られた言葉。
 もう、ノワールは気づいたのかもしれない。
 自分が今まで、ずっと仮面をかぶっていたことに。
「お前、さっきのが本性なのか?」
「いいえ? どちらも私ですよ♪」
 もうこの男と話す必要も理由もない。
 ブルーのように自分の味方になってほしいとまでは思わない。だが、もう少し気の使い方というものがあるだろう。
(くたばれ)
 笑顔の裏で、そう考える。
(滅びてもシャロム家はシャロム家か)
 そして【土】の詰め所を出る。久々の外の空気はどこか新鮮さを感じた。
 それにしても。
(まあ、あの師団長なら気づくはずもないだろうけど)
 確かに自分は、母親からは何も教えられていなかった。だが、母親は気づいていただろうか。
 自分が、母の計画を知っているということに。
(もし、相談してくれたなら私の力でもっと上手くことを運ぶことができたのにね)
 力のない貴族になど頼むから失敗する。それどころか自分が死んでしまっては意味がない。
(お葬式、いつまでだろう)
 父親が取り仕切っているのか、それともその父親すら拘束されているのでは、誰も葬式など出せない。いや、そもそも反逆を企んでいた者の葬式など出すことはできないか。
 死後の発覚の場合、死体は公開されるのだろうか。それとも晒し者にすることだけはまぬがれているのだろうか。
 そう思いながら家に戻ってくる。たった数日、来なかっただけなのにどこか閑散としているように見えた。そう見えたのは自分を取り巻く環境が変わったからであり、別に建物が変わったわけではない。
 家の中は静まり返っていた。たくさん勤めていた使用人たちはみんな暇を申し出たのだろう。
 さて、父親は何をしているのだろうか。
 建物の中を一通り見ていく。母の部屋にも父の部屋にもいない。自分の部屋も見てみたが【土】によって捜索された以外は何も変わったところはなさそうだった。
 が、ふと思い立って離れに向かう。このような広い場所より、そちらの方がいいのかもしれない。
 行ってみると案の定、そこに父と母の死体があった。
「クレセントか」
 父──ファロット・ラ・シャロムが振り返る。少し疲れているようだったが、いつものたくましい父の姿に少し安堵を覚えた。
「母上は」
「もうわかっているのだろう」
 クレセントは死体に近づくと、その死に顔を見る。
 目は伏せられているものの、その顔は苦しみに彩られていた。寝ている間に暗殺者に近づかれ、そして胸を一突き。衝撃で起き上がったものの、そのまま力尽きたというところか。
「誰か、見えられましたか」
「まさか」
 ファロットは肩をすくめた。
「この家も既に差し押さえられている。が、お前が戻ってくるまでは待ってもらっていた。たとえ反逆人であってもお前はこいつの娘だからな」
「はい」
「そして、私にとっても良き妻であった」
「父上は、母上の計画をご存知だったのですか」
「知っていた。加わる理由も、止める理由もなかったから知らぬ振りをしていたがな。が、私の金を自由に使って良いとは言ってあったから、おそらく私が知っていることをこいつも知っていただろう」
「母上は何故、このような」
「お前も計画を知っていたようだな」
「はい。私は完全に、自分で調べた結果です。母に知られないように、母の部屋を調査してその概要を知りました」
「うむ。こいつは現体制に不満を抱く者を集めていたようだが、こいつ自身は違う。何しろ現王家に個人的な恨みを持っていたからな」
「個人的な?」
「そうだ。こいつ──マリーシアの両親は国によって殺された。無実の罪でな」
「何故」
「国家反逆罪。その首魁として、だ。そのことを知っている者は少ないがな」
「父上はそれを知っていたのですか」
「知っていた。知っていて結婚した。私はこいつに惚れていたからな。だがまあ、私ではこいつを救ってやれなかった。こいつが私に近づいたのも、その財力を見込んでのことだったのかもしれん」
「母上は、父上のことを愛していました。傍にいた私には分かります」
「その通りだ、と私も自惚れているつもりだがね。お前が生まれて、少しは落ち着いたように見えていたんだが、お前が【風】に入隊したころから、少しずつ復讐の気持ちが芽吹いてきたらしい」
「私が母上の傍にいればよかったのですか」
「それはきっかけにすぎんよ。いずれにしても、こいつが望んでやったことだ。家族に迷惑をかけてでも、両親の仇討ちがしたいと考えていたのだろう。こいつも、今のお前と同じ年のときに両親を奪われていた」
「そんな」
「まあ、それ以上のことを言うつもりはないが、クレセントよ」
「はい」
「母を殺した暗殺者とやらは、今【土】が探している。お前は復讐などということを考えずに、自分の職務に精励しなさい」
「それは無理というものではありませんか」
 クレセントは苦笑した。
「母と同じ道をたどるな、と父上はおっしゃりたいのでしょうけど、既に私は心を決めております」
「クレセント」
「犯人を知っている者がいるようです。私は絶対に、犯人に罪を償わせます」
 それはもう決めている。必ず償わせる。その命をもって。
「そうか」
 だが、その決意を表明したクレセントに父は悲しそうにうつむく。
「まあ、お前の人生だ。好きにしなさい。ただ私はね、クレセント」
 父は悲しそうに、本当に悲しそうに言った。
「妻のように、復讐に目がくらんだお前を見たくはなかったよ、クレセント」
「私はもともと、冷たく感情を持たない人間ですよ、父上」
「知っている。そして同時に心優しい子であることもな」
「矛盾していませんか。冷たい人間が優しいはずがないでしょう」
「それを両立させているお前を誇りに思っていたよ、クレセント。だが、それも終わりだ。復讐するというのなら、私はそれを見たくない。絶対に見たくない」
 厳しい声で、父が言う。
「復讐するというのなら、二度と私を父と呼ぶのはやめなさい」
「……」
「どうしたのかね。それともお前の覚悟は、その程度のものなのかね」
「いいえ。残念ですが、承服しかねます」
「なに?」
「私にとって数少ない理解者である父も母も失うことはできません。私は変わらずにあなたと父と呼びますし、私を娘とかわいがってくれた母のために復讐することも諦めません」
 頑固な父に、頑固な娘だった。
「やれやれ。誰に似たのやら」
「間違いなく父上です」
「私はお前みたいに器用ではないよ。まあ、もう何も言うことはない。私もこのペターニを出ていく。お前は【風】なりなんなりで好きにしなさい。もう会うこともないだろう」
「父上」
「辺境に行くつもりだ。そしてもう、シランドにもペターニにも来る気はない。余生はゆっくりと過ごさせてもらう。お前はお前の信じた道を進みなさい、クレセント」
「ありがとうございます、父上」
 そしてクレセントは立ち上がる。
「いずれ、孫の顔を見せにうかがいます。それまでご壮健で」
「あてがあるのかね?」
「いえ。何しろ、気に入っている男は、犯人と関係がありそうですから、心中複雑です」
「それはそれは」
 だが、父親は初めて嬉しそうな顔をした。
「お前をそんな気にさせる男に会ってみたかったね」
「お会いしたことがあるかもしれませんよ。フェイト・ラインゴッドというこの国の救世主です」
「ほう」
 父は少し考えて、頷く。
「あの若者か。確かに、家柄を気にして振舞うような男ではなかったな」
「こんなことがなければ狙ってもよかったんですけどね。残念です」
「いや、案外うまくいくのかもしれないよ」
 父は苦笑しながら言った。
「障害が多いほど恋愛は燃えるものだからね」
「父もそのような恋愛をなさったのですか?」
 父は笑うだけで、何も応えなかった。






 それから二日後。
 シランドからペターニにフェイトたちがやってきたという情報を聞き、彼女は素早く行動を開始する。
 もしも彼が一人で行動したならば、そのときが好機。
 フェイトたちを監視し、待ち、そして待望の時間がやってくる。
 彼が一人で出歩いたとき。
 そのときこそ──

 風に溶けた彼女が動く。
 そして、彼の背後に回りこんで、襟首をつかみ、裏路地で引きずり込む。
 相手の体を壁に押し付けて、ナイフを首筋にあてた。



「何も話すな。質問はこちらがする」



 こうして、二人は本当の意味での『出会い』を果たすことになる。





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