Fate / Forceless Crescent

【双星のクレセント】






 そう言われることを予期していたのか、クリフは一度首をひねってから答えた。
「不可能じゃねえが、問題がある」
「なんでしょう♪」
「二度とこのシーハーツに帰ってこられなくなる。その覚悟がお前さんにあるかどうか、という問題だ」
「あります♪」
 即答で返事をする。
「おい、少しは考えろよ」
「いえ。実はもうそのことは、何度も何度も考えたんです♪」
 それは事実だ。フェイトがなぜシーハーツに留まったのかは、元の時代の人間ならば誰だって知っている。それはネルがいたからだ。
 もしネルがいなければどうなるか。きっとフェイトは自分の国へ帰ってしまうだろう。そしてフェイトは自分の国を捨てて、ネルの傍にいることを選んだ。
 それなら、自分も同じことができなくてどうする。
「私が我慢してすむことでしたら、いくらでも我慢します♪ 確かにこの国に、というよりはたった二人、会えなくなる人がいることが寂しいですけれど、でもフェイトさんの傍にいられるのなら、私はかまいません♪」
「家族はどうするんだ?」
「きっと両親は祝福してくれます♪」
「その、会えなくなる相手っていうのは?」
「ブルー様とファリンですね♪ 大丈夫、二人とも私がそういう決定をしたと言ったら、絶対に祝福してくれますから♪」
「やれやれ」
 クリフは苦笑する。
「まあ、俺はかまわないんだが、もしもこの国から誰か一人を連れ出すとなれば、フェイトの奴が絶対に反対する。何しろあいつは、自分の国のルールを守ることを大切に考えてるからな」
「駄目ですか?」
「いや。だから俺はかまわないぜ。問題はフェイトだって言ってるんだ」
 なるほど、と頷く。
 つまり、この国から出ていくときまでに、フェイトを篭絡しなければ連れていくことはできない、ということか。
「燃えますね♪」
「焚きつけちまったみてえで、悪いな」
「いいえ♪ 明確な目標があった方が嬉しいです♪」
 もとより、この時代に戻ってきたのは、他の何を捨ててでもフェイトの傍にいることを選ぶためなのだ。何に遠慮することもない。既に『元の時代』を捨てた自分には、他に何のしがらみもない。
 ただ彼の傍にいることを望み、ただ彼の傍にいるためだけにここに来た。
 逃してなるものか。






 聖王都シランドにやってきた四人は、すぐに女王陛下と謁見する。それが終わると、その日は自由行動となった。フェイトもクリフも、城の中をてきとうに見て回ると言っている。フェイトにくっついて回るのがいいかと思ったが、一旦別行動を取った。
 そろそろ潮時だろう。いつまでも仮面のクレセントばかりを見せ付けていたのでは、ずっと相手を騙すことになる。騙されていたのでは相手もいい気はしないだろうし、自分も本心を知られないまま相手に気に入られたとしても、それは困る。
 フェイトが中庭に出て、ぼうっと何か考え事をしているのを発見した。
「兵器開発か」
 声が聞こえてくる。何やら独り言をつぶやいているようだ。
(盗み聞きというわけじゃないけれど)
 姿を隠してその声を聞き取る。
「クォークのリーダーがやってくるまで、まだかなりの時間がありそうだし……しばらくは厄介になるしかないのは分かってるんだけどな。でも、父さんや母さん、ソフィアがバンデーンに捕まっている以上、あまり長居することはできないし」
(ソフィア? 誰だ?)
 知らない女の名前。これは後で聞きださないといけない。
「まあ、やるしかないってことだよな。アミーナみたいな子を出さないためにも」
 とにかく、兵器開発を引き受けるということをやめるようなことはないらしい。
 さて、そうしたら、そろそろ行くか。
 気配を殺して、相手の背後に近づく。まだ相手は気づいていない。座っているフェイトの背後から、ナイフを首筋に当てる。
「動くな。死ぬよ」
 冷たく言い放つ。突然の事態に相手も驚いているようだったが、そんなことには構わない。
「誰」
「おや、まだ声を覚えてくれてないのか。残念だよ」
 くくっ、と笑う。
「ま、まさか、クレセント?」
「正解」
「どうして」
「どうしてだと思う? グリーテンの技術者さん」
 さて、彼の頭の中はいったいどういう思考回路になっているのだろうか。
 そういえばフェイトの正体というのは自分もよく分かっていない。グリーテンの技術者というのは事実ではないということくらいは分かるが、ではどこの出身かとなると、ネルにもマリアにも聞いたことはなかった。
「僕がグリーテンの出身だっていうことに関係があるのかい? そういえばクレセントはグリーテンについて調査してるところにいたんだよね」
「まあ、事務方の仕事だけれどね」
「じゃあ、僕からグリーテンの情報を引き出すつもりかい? だったら──」
「悪いけど、違う」
 そしてナイフをさらに強く押し当てる。
「じゃあ、何故!」
「動くな、と言ったはずだよ」
 ナイフの感触を相手に知らしめる。フェイトの持つ通信機でクリフに連絡されるのは困る。ネルにバレても駄目だ。自分の秘密はフェイトにしか教えない。
「そうだね、お前をここまで連れてきたネル様に敬意を表して、こうやって尋ねてみようか」
「ネルに?」
「ああ。私の告白を受け入れて生き延びるか、私の告白を蹴ってここで死ぬか。さあ、好きな方を選びな」
「はあ!?」
 素っ頓狂な声を上げる。その声に思わず吹き出す。
「あははははっ、冗談だよ」
 そしてナイフをしまうと、自然体で相手の前に出る。
「改めて挨拶するよ。私はクレセント・ラ・シャロム。【風】の二級構成員。よろしく」
 その変わり身の早さに、フェイトの方が目を白黒させている。
「あ、え、えーと?」
「驚かせてすまないね。でも、こっちが私の地なんだ。よろしく頼むよ」
「いや、ちょ、ちょっと待って」
 フェイトはどうやらパニックを起こしているらしい。まあ、確かに先ほどまでのクレセントとは百八十度違うから、さすがに動揺もするだろうが。
「えーと、もしかして、クレセントは双子だったとか」
「違う違う」
「じゃあ、二重人格」
「そうとってもかまわないよ。ただ、私のは病気でも何でもない。こっちが私の本当の素顔で──」
 そして笑顔に切り替える。
「こちらは、演技しているときの姿になります♪」
 歌うように相手に言う。フェイトはさらに混乱を深めたようだった。
「悪いね、混乱させて」
「いや、それはいいけど、それより」
「ああ。お前を驚かせたのは謝るよ。ナイフをつきつけたのはちょっと理由があってね」
「どういう?」
「私は気に入った相手にはナイフを突きつけないと気がすまない性質なんだ」
 間違ってはいない。自分が前の世界でナイフをつきつけたのはフェイトただ一人。まあ、状況が全く違うが。
「そんな理由! 理由になってない!」
「ああ。でも、私という人間を本当に知ってもらうためには一番いい手段だと思った。別に殺すつもりはなかったけど、私はお前を見ているとナイフをつきつけて、その反応を見たくなるんだ」
「相手を怯えさせても!?」
「そう」
「相手に嫌われても!?」
「もし嫌われたなら仕方がないよ。でも、私の本性はこういう人間だし、お前には隠しておきたくなかったからね」
 クレセントは何を言われても平気な振りをする。もちろん、フェイトからこうして罵倒されるのが堪えないわけではない。
 それでも、最初にこうして自分をはっきり見せておかなければ、後から何を言ってもいいわけになる。出会ったばかりのこの時期でなければ、自分の本性は見せられない。
「恐怖を感じさせたのは謝る。申し訳ない。でもね、フェイト。殺そうとしたのは冗談でも、伝えた言葉は真実だよ」
「伝えた言葉?」
「ああ。私の告白を受け入れるか、断るか」
「なんだよ、それ」
「分からないかい?」
 近づく。そして、相手を下から見上げる。
「お前が好きだよ、フェイト」
 両手で相手の頭をつかむ。そして、その頬に口付ける。
「ちょっ!」
「お前はまだ私のことを何とも思ってないからね。奪われるのは嫌だろうから、頬にしておいた」
 離れずに、ふふ、と笑う。
「でも、いつかはきちんとお前から好きだって言ってくれると嬉しいよ」
「待った。とにかく、待った」
 フェイトが困ってクレセントを引き離す。
「本気じゃないよな」
 口調が砕けてきた。どうやら『この』クレセントに慣れてきたようだ。
「悪いけど本気。言っておくけど、私は他にキスした男なんて一人もいないからな」
「まだ会って半日しか経ってないんだぞ」
「恋愛に時間なんか関係ないさ。まあ、お前の方はそう簡単に決められるわけじゃないだろうけどね」
 もっとも、自分はフェイトへの恋心をどれだけ貯めてきたことか。相手はまだ自分と出会って半日だが、自分はフェイトに初めて会ってからもう二年も経っている。
「当たり前だ。こういうのはもっと、時間をかけて」
「そのつもりさ。だから私は、ずっとお前についていく。お前が私を好きだと言ってくれるまでね」
 クレセントはその小さな体をフェイトの横に並べると、その腕を組む。
「クレセント!」
「今だけだ。別に、城の中に入るときまでこうしているわけじゃない。お前の体温を少しでも感じたいんだ。こんなこと、そう滅多にできるものじゃない」
 ぎゅっとその腕を抱きしめる。フェイトのぬくもりが肌から伝わる。
「お前、恋人、いないんだろう?」
「そんなこと聞くなよ」
「知っていて聞いてるのさ。だから、私が立候補する。お前の恋人になりたい」
「無理だよ」
 今度は冷たい声でフェイトが断ってきた。
「僕は──」
「連れて帰ることはできない、だろ? クリフから聞いた」
「それなら」
「でもクリフは、お前が認めるなら連れていくことはできるって言ってたよ。そのかわり、私はこの国に帰ってくることができなくなるかもしれない、ともね」
「だったら分かるだろう。連れていくことはできないんだ」
「いいかい、フェイト」
 真剣な表情で相手を見つめて、言う。
「お前が信じられないのは分かっている。それでも私は言う。私はお前が好きだ。そして、お前のためならこの国も、家族も、大切な友人も、全てを捨てる覚悟がある。必要なのはたった一つだけ。お前が私を愛してくれることだけさ」
「それは」
「今は無理なのは分かってる。お前は突然現れた変な女にからまれて困っているだけだろう。でも、いつかは私がいなければならないようにしてみせる。私がお前のことを好きな以上に、お前が私のことを好きにさせてみせる。覚悟しているんだな」
 これは宣戦布告か。自分でも妙な宣戦だと思う。だが、フェイトはようやく表情を崩した。
「変わってるね、クレセントは」
「言われるまでもないさ」
「どうしていつもはあんな話し方をしているの?」
「この口調で話す相手は、家族を除けば二人だけ」
「二人?」
「ああ。自分の上司であるブルー様と、たった一人の友人、ファリン。それ以外の人間にはこの本性は隠し通している」
「たった二人だけ? よくバレないね」
「ネル様やクレア様も私の本性は知らない。だから、バラそうとしたら私はお前をバラすから覚悟しておくこと」
「……好きな相手にそんなことするのかい?」
「私は自分の身がかわいいからね」
「だったら僕にも教えなければいいのに」
「そういうわけにはいかない。私がお前のことを好きで、ずっと本性を隠したままだったとしよう。そしてお前も仮面の私を好きになる。その後でこんな本性を見せられたらどうする?」
「騙された気分になる」
「だから先に正体を明かしたのさ。お前には正直でいようと思ったからね」
 そして腕を放すと、相手に背を向けた。
「私、さ」
 顔は見せない。
 きっと、今、自分はあまりいい顔をしていないから。
「誰も信頼できないんだ。心から打ち解けて話せるのなんて、本当にファリンだけ。あいつがいなかったら、多分私は、とっくの昔に死んでた」
「クレセント」
「自分のことを本当に気に入ってくれている相手なんていない。いつも周りは私をちやほやしていたけど、それは私の家名に頭を下げているだけ。私自身を見てくれる人なんて、家族の他には誰もいないと思っていた」
 相手の顔は見られない。それは自分の顔を見せることになるから。
「だから、お前だけなんだ。私のことを、一人の人間として見てくれるのは。私はお前に見てもらえることが一番喜べるような、そんなどこにでもいるような女の子なのに、誰もそれを知らないんだよ。お前にすらね」
 そう。
 自分はフェイトから一度も女の子として見てもらえなかった。彼が女の子として見ていたのはネルだけ。自分のことは迷惑な相手くらいにしか思っていなかったに違いない。

 それでも彼は、自分が病気のときに看病に来てくれた。
 シャロム家が理由というわけではない。知り合いが倒れたというそれだけで。

「今度は、間違えるつもりはない。私はお前に本気だ。全力でお前にぶつかっていく」
 そしてようやく笑顔が戻ってくる。
「だから、覚悟していてくださいね♪」
 いつもの、仮面の笑顔をフェイトに向けた。
「え、え?」
「それじゃあ、私は戻ります♪ フェイトさんも、あまり考えすぎないようにしてくださいね♪」
「いや、その」
「失礼します♪」
 これでいい。
 言うべきことは言った。これから先、一緒に行動する中で自分と彼との関係がどうなっていくのかは分からない。
 確実にフェイトを攻略できるという方法はない。それなら、自分ができることはただ一つ。

 全力で立ち向かう。それだけだ。





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