STAR OCEAN 3
Marry For Love
第5話:「こどう」
綺麗さっぱり失恋したネル・ゼルファーは、翌日も朝から精力的に働いていた。
クリムゾンブレイドとして国の軍政に関わる仕事、封魔師団『闇』の団長として団の運営に関わる仕事、ゼルファー家の長として自分の家の仕事と、それこそやることは限りなく存在する。
フェイトのことを忘れるためにも、忙しいのは都合がよかった。昨日は一日泣き明かして、今日は化粧をしっかりしなければ酷い顔になってしまっていたが、仕事をしている間に徐々に自分に冷静な思考が戻ってくるのをネルは感じていた。
それなのに。
ネルの私室に突然現われた来客は、そんな不安定な精神状況にあるネルを突き落とすのに絶好の相手だった。
「久しぶりね、ネル。ちょっと立ち寄らせてもらったわ」
マリア・トレイター。
自分の大好きなフェイトが想っている、まさに恋敵だった。
「どうしたんだい? 珍しいじゃないか、こっちに来るなんて」
少し声が上ずっていたかもしれない。マリアを前にこんなに緊張、いや動揺するなどということはかつてなかった。それにマリアはもしかしたら気付いているかもしれない。
「いえ、ちょっとあなたにお願いがあって来たのよ」
マリアは少し困ったように言う。いったい何なんだろうね、とネルは覚悟を決めて次の言葉を待った。
「私ね、宇宙に戻ることにしたの」
思いがけないその言葉は、ネルをさらに動揺させるのには充分だった。頭が白くなり、しばらくものが考えられなくなる。
「どうして」
「特に理由があるわけじゃないんだけど、クリフにばかりクォークやいろんなことを押し付けるのも悪いしね。それで、ネルに一つお願いがあったのよ」
「お願い?」
もはや鸚鵡返しにしか言葉が出てこない。
「ええ。フェイトのことをお願いしたいのよ」
は?
何を言っているのだ、このお嬢様は。
「フェイト、今はいろいろあって困ってるみたいだから、あなたが力になってあげられるならそうしてほしいの。あなたとフェイトならお似合いだし──」
「ちょ、待ちなよ、マリア」
なんなのだ。
いったい、何がどうしてそんな話になっているのだ。馬鹿にしているのか。自分はたった昨日、そのフェイト本人にふられたばかりだというのに。
徐々にネルの心に怒りの感情がこみ上げてくる。
この女性は自分のことを少しでも考えているのだろうか。まあ、自分とフェイトの間に昨日何があったかなど知りようはずもないし、その意味では最悪のタイミングで駆けつけたこともやむをえないのかもしれない。
だが、
(フェイトはアンタのことを大切に思ってるってのに!)
それを全く無視して宇宙に還るとはどういう了見か。
「マリア……フェイトが何をどう困っているかは知らないけれど、あいつの力になってやれるのはアンタしかいないだろ」
その怒りをこらえて、ネルはまだ冷静に対応をした。遠まわしに、フェイトの力になることはできない、という含みを持たせてだ。
そう、できるはずがない。フェイトがまず自分を頼ろうとはしないだろう。自分をふって、改めて仲間として冷静に見られるようになるまで、お互い時間が必要なのだ。
「私は……私だけは、彼の力になれないわ。そんなことより、あなたはフェイトのことが好きなんじゃないの?」
どうやら、マリアは自分と喧嘩がしたいらしい。分かった。その喧嘩、買った。
「ふざけるんじゃないよ!」
怒号を浴びせる。それが、マリアの身を竦ませた。
「な、なに……」
「アンタは自分でそうやって勝手に物事を進めようと思ってるみたいだけど、大間違いだよ。私がフェイトのことを好き? 勝手にそんなことを決められたら迷惑だよ!」
「だ、だって、ネルは……」
「そうさ。私はフェイトが好き。でも無駄さ。あいつは私のことなんかこれっぽっちも思ってくれやしない。何しろ、たった昨日ふられたばかりだからね!」
マリアの表情が凍りつく。
「え、き、昨日……?」
「そうだよ。それにどうしてあいつが私をふったか、知りたいかい?」
マリアは硬直したまま首を横に振る。だが、許さない。自分をこれだけ怒らせたのだ。ネルには仕返しをする権利が充分にあるはずだ。
「あいつは! あんたのことが好きだからって! 私をふったんだよ!」
「やめて……」
「それが何、フェイトを頼む! ふざけるんじゃないよ、そんなのこっちがどんなに願ったって不可能な話さ! フェイトが頼りにしてるのは当のアンタなんだからね!」
「やめて」
「アンタにだけは言われたくなかったよ。何しろ、当の恋敵になるわけだから──」
「やめて!」
振り絞るように上げた彼女の悲鳴に、ネルが少し冷静な思考を取り戻す。
言い過ぎた。だが、これは彼女が仕向けたことだ。これくらいの仕返しは──
「私には……不可能、なのよ」
彼女はまた、扉に背を預けた。
(マリア)
泣いている。
彼女は涙を隠そうともせず、その綺麗な顔を自分に向けてくる。
「だって、私と彼は、姉弟なんだもの」
一瞬で、ネルの怒りは吹き飛んだ。
「なん……だって?」
「姉弟なのよ。血がつながっているのよ。双子なのよ。どんなに私が彼を想っても、絶対にそれだけはあってはならないの」
ネルは絶句した。
マリアがそうやって自分に言ってくれたのは。
ソフィアではなく、自分にフェイトを勧めてくれたのは。
「マリア、アンタ……」
「あなたなら、フェイトを支えてくれると思ったのよ」
今度は俯いて、マリアが震える声で言う。
「でも、ごめんなさい。まさか昨日、そんなことがあったなんて、知らなかったから……」
「まさかマリア、アンタも──」
そう。
これが偶然というのならば恐ろしいことだが、それが一番分かりやすい。
つまり、マリアも昨日、フェイトと会った。
「ええ。完全に訣別してきたわ。もう私、彼には会えない。お互いこんな気持ちで、どうやって笑って会えっていうのよ」
マリアが追い詰められたように自分をせきたてようとしたのは、とにもかくにもフェイトに恋人ができて自分の居場所がなくなれば多少は心が落ち着くと考えたからか。
「ごめん、マリア。私こそアンタの気持ちを分かってなかった」
「いいのよ。失礼なことを先に言ったのは私だから」
マリアは涙をぬぐう。そして真剣な目でネルを見つめた。
「私、あなたならフェイトを任せられると思った。これは本当よ」
「ありがたいことだけど、フェイトはたとえアンタを姉だと分かっても、諦めないかもしれないよ?」
「だから私は宇宙へ逃げるのよ」
マリアははっきりと『逃げる』と言った。自分でも正面から戦おうとしていないということは分かっているらしい。
「フェイトはまだ私ほど追い詰められてはいないわ。だから、誰かが彼を優しく受け止めてあげれば、きっとうまくいく」
「失恋につけこめっていうのかい?」
「そうよ。確かに最初のうちは彼も私を忘れないかもしれない。でも、人の気持ちは変わるものよ。あなたが一緒にいてくれれば彼だって、きっとあなたに心を開くと思うわ」
はたして、本当にそうだろうか。
あれほど固い信念をもった男を覆すことが本当にできるのだろうか。自分にその自信はない。
「お願いね、ネル。彼を任せられるのは、私にはあなたしかいないのよ」
「ああ」
ネルは答えた。
ならば自分には『できること』をしよう。
「アンタの思いに応えられるかどうかは分からないけど、精一杯やってみるよ」
「ありがとう」
彼女は自分の答をどう受け止めただろうか。いや、きっと分かっていないだろう。
「それじゃあ。もう、会うこともないかもしれないけど」
「ああ」
いや、また必ず会える。
ネルはそう信じて、この親友が出ていくのを見送った。
マリアが彼女の元を去ってから、五日が過ぎた。
フェイト・ラインゴッドがやつれた顔でシランドに現われた時には、ネルも完全に気持ちが定まっていた。
というよりも、彼のその表情を見て、覚悟が決まったというべきだろうか。
(また、随分ひどい顔してるね、これは)
ソフィアが心配してヒーリングをかけるが全く効果がない。あるはずがない。彼は怪我をしているのではなく、精神的に打ちのめされているのだから。
自分の愛する女性が自分の姉だったということ。そして、その姉を探してもどこにも見つからなかったということ。
仕方なく仕事に戻ったのかもしれないが、そんな精神状況で満足な仕事ができるはずもない。
「ひどい顔してるね、まったく」
六日前に自分をふったことなど、もうとっくに忘れてしまっているのだろう。彼の頭の中はマリアしかない。
「あ、ネル……ごめん。ちょっと疲れてて」
「気にすることはないよ。アンタがどうして疲れてるのかも分かってるつもりさ」
事情を知らないソフィアがネルを見返す。
フェイトは怖れるような様子でネルを見つめる。全く、そんな顔をするくらいならもっと他にやることがあるだろうに。
「マリアを探していたんだろう? 一人で探そうったって無理がある。どうして六師団に協力を要請しなかったんだい?」
「どうして……」
「マリアなら五日前に私のところに来たよ」
その言葉に、フェイトは飛び上がってネルの両肩を掴んだ。
「な……マリアは、どこに!」
強く握られたので痛かったが、まだ答えるわけにはいかなかった。彼の覚悟のほどを聞いておかなければならないからだ。
「会って、どうするっていうんだい?」
「会って──」
「アンタとマリアは姉弟だ。それが分かっていながらマリアに会って何を言うつもりなんだい? 何も考えずに行っても、お互い傷つくだけだ。そんな無駄なことならしない方がいい」
「でも、マリアは、泣いていたんだ」
フェイトはすがりつくように涙を流す。
「マリアを悲しませたくないんだ」
「アンタが傍にいることで、マリアはもっと傷つくよ。アンタの存在自体がマリアを傷つけるのさ。悲しませたくないのなら、追いかけるなんて無駄なことはやめるんだね」
二人の様子にソフィアがおろおろとしているが、フェイトは毅然として言い返した。
「たとえそうだとしても、僕はマリアを探す」
「どうしてだい?」
「マリアの傍じゃないと、僕が駄目だっていうことに気がついたからさ」
「聞くけど」
ネルは一旦言葉を区切った。
「それは矛盾してないかい? アンタがマリアを追いかけるっていうことは、マリアを傷つける、悲しませるっていうことになるんだよ? それでもアンタはマリアのところに行くのかい?」
「ああ。たとえどんなに苦しくたって、マリアの傍にいられないことの方が辛い。わがままで、エゴで、酷いことを言っているのは分かってる。でも、僕は絶対にマリアを離さない」
やれやれ、とネルはため息をついた。
(やっぱり、割って入る隙間なんかないじゃないか)
別にもう割って入るつもりなど最初からなかったが、マリアも随分この男性を過小評価したものだと思う。
「マリアは宇宙に戻ったよ」
フェイトの顔が驚きに満ちたが、その奥に確かに『手がかりを見つけた』という希望がこもっていた。
「クォークに戻ると言ってたけど、どこまで本気かは分からないよ。何しろ、アンタから逃げるってはっきり言ってたからね」
「クォークに」
フェイトは改めて目的地が分かり、その顔に生気が戻る。
「待ちなよ、フェイト」
今にも駆け出していこうとするフェイトをネルが止める。
「何だよ」
「アンタね、情報提供者にお礼も言わないで行くつもりかい?」
全く、思い込んだら一途すぎるだろう、それは。
「ありがとう、ネル」
「どういたしまして。お礼ついでにもう一つ提供したい情報があるんだけどさ」
もったいぶるように言うと、フェイトは興味を示したらしい。早く教えてほしいとその目が言っている。
「アンタたちが姉弟だっていうのは聞いたけど、その親子を特定する、なんていったっけ、でぃえぬえぃ? それは調べてみたのかい?」
「ああ。でも、僕らの体はもう元のDNAとは違っているから、本当の姉弟かどうかは分からないって」
「だったらまだ、可能性があるじゃないか」
フェイトが疑問符を浮かべる。
「確かめてもいないのに決め付けるのはよくないってことさ。聞いてみればいいじゃないか、リョウコさんに」
「え」
「アンタとマリアが本当に姉弟なのか。リョウコさんに確認をしてみろって言ってるのさ。もしかしたら、アンタたちの勘違いで、本当は姉弟じゃないかもしれないんだよ?」
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