3.笑顔

『いつか、思い出になる君』






「ネル、ちょっとこっち向いて?」
 顔を上げて振り向いた彼女の前で、強烈な光が生じた。
「!……なんだい、いったい?」
 思わず手をかざしながら、彼女は自分の手の隙間から彼を見つめる。その手には例の『つうしんき』とかいう代物が握られていた。
「これはね、カメラ機能っていって、その場の映像を残しておけるものなんだ」
 フェイトが通信機の機能を説明する。
「映像を残す? ってまさか、今の光──」
「うん、光らせないと綺麗に残らないから」
「ちょっと見せな!」
「いいよ」
 彼が答えるより早く、彼女は彼から通信機を奪い取った。その中には先ほどの自分のとぼけた顔が映っていた。
「全く勝手に……それにしてもこれが私かい。ひどい顔だね」
 さすがに突然の写真だったので、身構えている暇もない。振り向いた素の顔をそのまま撮られていた。全く、不意打ちとはこのことだ。
「うん。でもクリフやソフィアが、こっちで元気にしてるかどうか知りたいっていうから、とりあえず普段の様子でもこうして送っておこうかなと思って」
「人の絵を勝手に送るんじゃないよ」
「うーん、でも催促されてるし……そうしたら、ネルももっといい表情してみなよ。ほらほら」
「あんたね……そんなこと、言われてできるものじゃないだろ」
 ため息をつきながら言う。だが彼は全く平然としていた。
「そう? ソフィアなんかはすごいよく好きだったけど、写真撮るの。ほら、これ見てごらんよ」
 するとフェイトは通信機を操作して、次々に写真を披露していく。ソフィアがピースサインを出していたり、懐かしいエッグポーズなんかをしたりしている。さらにはクリフやミラージュの写真まで出てきた。
「みんな元気そうだね」
「そうさ。こうやって連絡を取り合ってるところだから、僕らも写真を送らないと」
「あんたは?」
「僕はもう撮ったよ、ほら」
 すると、鮮やかな笑顔を浮かべた彼の姿が次に現れた。
「いつ撮ったんだい?」
「この間──っと」
「……ふうん、そういやあんた、一昨日までペターニへ行ってたっけねえ」
 ペターニには現在マリアがいる。フェイトと一緒で今は連邦から身を隠さなければならない境遇だ。そのためこのエリクールのあちこちを出歩いている。主な出没地はペターニの職人ギルドで、意外にもウェルチと気があっているらしい。
 おそらくそこでマリアからクリフたちの写真を受け取り、ついでに写真を撮ったに違いない。
「ま、そうなんだけどさ」
 彼はおとなしく認めた。抵抗しないのは潔いだけなのか、それとも抵抗するだけ無駄とあきらめているのか。
「それで、私の写真を撮ってこいって言われたのかい?」
「そういうことです」
 素直に敗北を認めたフェイトに、思わず苦笑してしまった。
「じゃあ、よければこれから街に撮影会にいかないかい?」
 だが彼もただでは起きなかった。突然の提案に彼女の方が面食らう。
「なんだいそれは」
「どうせなら綺麗なネルの笑顔を送りたいからさ、自然な状態の方がいいだろう?」
「それなら別にここだって──」
「そうと決まれば、ほら行くよ?」
「ちょっ──」
 彼は強引に自分の手を取って外へ連れ出していく。
 また、流されている。
 分かってはいるのだが、ときどきみせるこの彼の強引さに、どうして自分は逆らえないのだろうかと悩んだ。






 とはいうものの、いざ写真を撮るといったときに、そんなに簡単に自然な笑顔が出るはずもなかったのは当然のことで。
「うーん、これは安直だったかな」
「悪いね……そういうのは苦手でね」
 マフラーの中に顔を埋める。この表情は照れているのでもなんでもない。申し訳ないと本気で思っている顔だ。
「それが分かってたから、さっきの突撃写真にしたんだけどな。まあ、ぎこちない笑いよりはその方がいいかな」
 ネルも自分の知らないことには興味があったらしく、写真を一枚撮るごとに自分の顔をチェックしていた。さすがにこの辺りは女の子というべきだろうか。
「ま、今日のところは諦めるとするか。それじゃ、そろそろお腹もすいたし、どこかでご飯でも食べていこう」
 と、フェイトがこの間ファリンたちと行ったというカフェテラスへ行くことになった。
 その途中であった。一人の女の子が、シランドの大通りで泣いていた。二人同時にそれに気がつく。
「ちょっと待っててくれるかい?」
「もちろん」
 ネルは小走りにその女の子のところまで駆けていく。
「どうしたんだい?」
 ネルは優しい顔で、その女の子に話しかけた。
「お母さんとはぐれたのかい? よしよし……大丈夫、大丈夫だよ」
 泣いている女の子の頭を優しくなで、何度も「大丈夫」と繰り返す。
(ん〜……)
 フェイトはふと思い至って、通信機で彼女の顔を映す。
 そこには、自分にすら滅多に見せてくれないような、優しい聖母の笑みが浮かんでいた。
(……こんな顔もできるんだな、ネルって)
 これでは、ますます──
(もともと、溺れていたっけ)
 だが、今まで以上に惚れてしまったのは違いない。
(なんだか、みんなに見せるのがもったいないな)
 このネルは、自分だけのものにしたい。
 そう思うのは、子供っぽい独占欲だろうか。





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