10.嘘
『君が嘘をついた』
君が嘘をついた。
フェイトにはそれが分かった。それを見破ることは彼にはもう難しいことではなかった。
彼女が意識的に嘘をつこうとするとき、彼女はいつも以上に身構える。
だから、決して一度もマフラーの中に顔を埋めることがなくなる。相手に理屈で説き伏せようとして、必要以上に饒舌になる。
人は嘘をつくとき饒舌になる、と言った心理学者は誰だったか。
彼女がつく嘘のうち、何度かは僕も見逃すようにしている。気づかないフリをする。
それが僕の嘘。君が隠そうとしていることに気づいていることを、僕は隠す。
「フェイト、悪いけどちょっと急な任務をおおせつかったんだ。だから、今日の夕食は一緒に取れない」
任務が入ったという嘘をつかなければならないのなら、彼女はこう考える。
『任務だから仕方ないじゃないか。謝る必要はない』
理論武装して僕に嘘をつく。
でも本当は、君はとても優しい。本当に任務が入ったのなら、たとえ仕方のないことだとしても僕に謝るのだ。
『ごめんよ』と。
本当に任務が入ったのなら彼女は謝る。その言葉が足りないから嘘だと分かる。
「ああ、分かった。それじゃ、明日にでもまた」
「ああ」
そう言って別れる。そしてすぐに僕は行動する。
「ファリンさん、ちょっといいかな」
「はい?」
食堂にいた彼女のところへ行き、いつものお願いごとをすると、彼女は嬉しそうに「分かりました」と答えてくれる。
そして、ほんの一、二時間ほどで彼女が僕の部屋にやってくる。
「分かりましたよお。感謝してくださいね」
「いつも感謝してますよ。ありがとうございます。お礼はまた、いつものフルーツパフェで」
「ありがとうございます〜」
僕はそのメモ用紙を受け取る。そして、目を細めた。
「そりゃ、ネルが隠したくなるわけだ」
僕はため息をついた。
封魔師団『闇』は聖王国シーハーツの隠密部隊である。その任務は、隣国アーリグリフの内情偵察である。
近年、アーリグリフとの戦争が終わり、彼女本人がアーリグリフに行く必要もなくなったため、彼女本来の任務であるクリムゾンブレイドとしての、隠密部隊全てを統括する任務が重要度を増してきた。
戦いがあるうちは国内は一致団結する。だが、平和になれば国内はすぐに乱れる。
つまり、内乱の気配があるということだ。
それについての偵察は何度も行っている。その証拠も集まりつつある。
そして、この国の女王は決してそうした正攻法だけで戦っていくほど、楽天的な性格ではない。
すなわち、暗殺。
証拠さえ集まってしまえば、手段は問わない。それがシーハート27世が下した結論だった。
その任務を帯びたのは当然ながら、隠密部隊を率いているネル・ゼルファーだった。
彼女の考えは女王と同じだ。国にとって害あるものを放っておくつもりなどない。
彼女は自分から志願した。
そう。国に害なすものを許しておくわけにはいかない。
(ふう)
内心でため息をつく。夜に動く隠密は音もなく動き、そして速やかに任務を実行する。
寝静まったターゲットに静かに近づき、そしてナイフを一閃する。
(これが私の任務)
首筋を切り裂き、あえてその血を体に浴びる。
そう、これが自分の本性。常に闇の中で生き、戦場で戦ってきた自分には真紅の血こそ似つかわしい。
『ネル』
愛しい、彼の声が耳元に聞こえたような気がした。
(あんたは幸せだよ、フェイト)
こんな醜い自分の姿など、決して見せたくはない。
血にまみれた姿など、見られたくはない。
でも、これが自分の本当の姿なのだ。
剣を持ち、戦い、血を浴びて次の獲物を狙う。
そんな醜い鬼。
(フェイト)
涙がにじんだ。
(あんたの傍にいたいよ)
彼女は来たときと同じように、音も無くその場から消えた。
帰ってきて、彼女は浴びた血を洗い流した。
完全に血の匂いを落としてから、新しい服に着替える。
そして、いつもの仕事部屋の自分の椅子に座った。
(ふう……)
久しぶりの暗殺は、いつも以上に疲れていた。
疲れている理由は簡単。このような任務を彼に知られたらと思うと、それだけで心が締め付けられる。
(フェイト……また)
たまっている書類は、いつものように消えてなくなっていた。彼では判断がつかないものだけ机の上に残っている。
彼の優しさに甘えてしまっている自分がいる。
こんなことでいいのだろうか。どうして自分はこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
気がつけば、もう彼なしではいられない。
公的にも私的にも、彼の存在が今の自分を支えている。
「フェイト」
その名前を呼ぶだけで。
自分の心の中に、温かいものが満ち溢れていくのが分かる。
その時、部屋の扉を叩く音がした。
時間は深夜二時。こんな時間に自分の部屋を訪れる人間など、そう多くはない。
タイネーブかファリンが緊急の要件と称してやってくるか。そうでなければ──
「まだ起きてるよ、入りな」
ネルが声をかけると、静かに扉が開いた。
「お帰り、ネル」
やはり、と内心で頷く。こんな時間に来るのは、彼しかいない。
「どうしたんだい、こんな時間に」
「そりゃ、急な任務だって言ってたし、疲れてるだろうと思ってね」
彼は手に籠を持っていた。そこからポットも見える。
「こういう時っていうのは、何がいいのか分からなかったけど、飲み物くらいは大丈夫かい?」
「ああ。温かいの、あるかい?」
「用意してあるよ」
カップを取り出し、彼は温かい紅茶を注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとう」
気がきくというか、こういう態度にも自分はいつしか慣れてしまっている。
本当は自分がいろいろとしてあげたいのに。
でも、こういう任務の後は正直、彼の優しさが辛い。
カップを置いて少し考えこんでしまったところで、突然自分の体が抱きすくめられる。
「……フェイト?」
「お疲れ様」
それを聞いて、彼女も分かった。
ああ。
彼も、嘘をついた。
知らないフリをして、自分を守ってくれている。
思わず、涙がこみあげていた。
「ありがとう、フェイト」
「どういたしまして」
彼のぬくもりを感じながら、彼女はいつまでもただ涙を流していた。
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