13.忘れられない過去
『甘く、苦い思い出』
「やっほー、元気にしてる?」
そう言ってアリアスの領主屋敷に入ってきたのは抗魔師団長のルージュ・ルイーズだった。
「あら、珍しいわね。ここに顔を出すなんて」
それを出迎えたのは、現在この屋敷を使っている光牙師団長のクレア・ラーズバードである。
現在でこそ、この最前線であるアリアスを率いているのはクレアだが、それはアーリグリフと戦うにあたって、責任者としてこの場にいるにすぎない。本来、アリアスの防衛部隊は抗魔師団に任されている。すなわち、ルージュはクレアの前任ともいうべき立場だ。もちろん抗魔師団は光牙師団の指揮下に入るため、クレアがやってきても何も問題が生じるはずはない。
「ま、ね。最近じゃ戦争も起きる気配もないし、キミには悪いけど好き勝手やらせてもらってるわよ。ウチには使えるコが多いから」
「……イライザが?」
「あのコは例外」
二人で苦笑した。イライザはシーハーツきっての変人だ。魔法少女を夢見て、自分が魔法少女なのだと思いこんでいるところがある。もっとも、力があるので位は高いのだが。
「で、どうしたの。ここに来るのは嫌なんでしょう?」
「なあーにいってるのよ。話、聞いてるわよ。クレア、シランドに戻るんでしょ?」
「あら、耳が早いのね」
「そりゃ戦争が終わったら光牙師団の師団長がいつまでもここにいる必要はないものね。そろそろかなーと思ってあちこち情報集めてたの」
クレアはあくまでも臨時の司令官である。戦争時に軍隊を率いる総司令官という立場にある彼女だからこそ、アーリグリフとの戦争の際に最前線を任されることになった。もちろん、もしグリーテンやサンマイトと戦うことになれば、そのたびに最前線を任されることになるだろう。
それが、彼女の役割なのだ。
「それでわざわざお別れを言いに来てくれたの?」
「んーん。今日はただ愚痴りに来ただけ」
「愚痴?」
「うん。ちょっとフラレちゃったから」
「あらあら」
クレアは苦笑する。そして、この楽しい友人兼部下を盗み見た。
彼女は優秀だ。このような性格だから政治の舞台こそ似合わないが、はっきりいってそれさえやる気になればできるだろうし、あらゆる能力に秀でているので何を任せても安心できる。
指揮能力が高いので、先のアーリグリフ戦ではクレアが後方で総指揮を取り、最前線はこのルージュに任せた。任せても大丈夫だとクレアが判断したのだ。
さらには戦闘能力も高い。おそらく彼女がかなわないのはこのシーハーツの中ではタイネーブくらいのものだろう。
そして意外に人望もある。まあ、抗魔師団は別の意味で部下のイライザの方が人望があるのだが。
そしてなんといっても血統限界値。ネルの部下でアストールやファリンをも凌ぐ値を示している。女王陛下、アーリグリフに嫁いだロザリア、そしてエレナ博士。その三人を除けば、もっとも限界値が高いのがクレアで、次にネル、そしてルージュは三番手だ。
得意技はスピキュールの七二連発ということだが、それは果たして本当なのかどうか。
「本気だったの?」
クレアは戸棚から珍しくウィスキーの瓶とグラスを二つ用意した。
こういうときは、酒でも飲むのが一番だというのは、同じ経験をしたことがある自分だからこそよく分かる。
「本気よ」
彼女はウィスキーを一気に飲み干してから、とろんとした目でクレアを見つめた。
「キミと同じでね」
そう言われて、クレアもまた言葉を詰まらせる。そして、ウィスキーを飲んだ。
そう。
クレアもまた、同じ人に恋焦がれた者。
自分も、ルージュも同じだ。
「厄介よね、恋心って」
「あなたの言うとおりね」
二人は妙にしんみりとして、お互いにもう一杯ずつ注ぐ。
フェイト・ラインゴッド。
彼女たちの心を占めているのは、彼一人だった。
ルージュは先のアーリグリフとの戦いで前線で戦うこととなった。その際、ネルと打ち合わせをするときに初めてフェイトと出会った。
指揮能力、そして戦闘能力、施力まで高いルージュについては、シーハーツにとってはなくてはならない戦力だった。
その彼女から見て、自分より能力が高い人物はこのシーハーツ軍には二人しかいない。
一人はクレア・ラーズバード、そしてもう一人はネル・ゼルファーだ。
彼女の目から見て、フェイト・ラインゴッドという青年はいかにも弱腰で、たよりなさそうな青年に見えた。こんな青年に勝敗のかかるヴォックス攻略を任せても大丈夫なのかと本気で考えた。だがクレアとネルが太鼓判を押すのだ。自分が反対するわけにはいかなかった。
そして、戦争が始まった。
彼女は最前線で戦い続けた。疾風をどれくらい倒しただろうか、彼女は左肩に弓矢の一撃を受けた。
満足に戦うことができなくなった彼女は引き下がるしかなかった。だが、ここで自分が下がってしまっては前線を指揮する者がいなくなる。そうなれば戦線は崩壊する。
彼女は死を覚悟した。
この戦いに自分の命をかける。そして、死ぬまでこの最前線を維持し続ける。
だが、傷を負った彼女がそれほど長く戦い続けられるはずがなかった。
続けざまにやってくる疾風の前についに膝を屈した。激痛と疲労で起き上がれなくなり、敵の疾風が自分に向かって剣を振り下ろすのを見た。
それが自分の見る最後の光景なのだ、と彼女は諦めた。
その時だった。
青い髪をした彼が、戦場に風のごとく現れたのは。
彼の剣で、疾風はあっさりと倒されてしまった。その剣技は一度見ただけですぐに分かった。
自分よりも、上だと。
『大丈夫ですか、ルージュさん』
彼は、たった一度しか会わなかった自分の名前をはっきりと言った。
『あまり大丈夫じゃないかも、って言ったらどうするの?』
『連れて帰ります。僕の命に代えても』
どきん、と胸が高鳴った。
今まで、自分が助けてきた男はいても、自分を助けようとする男はいなかった。
何しろ、自分より強い女はいても、自分より強い男はいなかったからだ。
『本気? キミはヴォックスを倒すんでしょう?』
『ヴォックスを倒す機会は一度だけじゃありません。でもあなたを助ける機会は今しかない』
『私の命で国が救われるのなら本望だよ』
『僕は一人の命を全員の命を天秤にかけたりはしない。どっちも助けてみせる』
強い意志をこめた瞳で彼は自分の体を抱き上げた。
『強いね、キミは』
『そんなことありませんよ』
『私は大丈夫。一人で立てるよ。そして忠告に従っておとなしく下がることにする。この場はファリンにでも任せるよ。彼女の指揮能力は私より上なんだ。それならかまわないだろ?』
『本当に一人で大丈夫ですか?』
『嘘はつかないよ。こう見えても私は正直なんだ。キミに迷惑をかけたくはない。だから、約束は守るよ』
本気でそう言うと、彼は分かりましたといってまた戦場を見つめた。
『絶対に死なないでくださいね。僕は誰にも死んでほしくなんかないんだ』
そんなことを、何の照れもなく言える彼はとても純粋で、不器用で。
だから、惹かれた。
そして絶対に生き延びようと思った。
彼になら、いつかは好きだと言えるような気がして。
「で、言ったのね」
クレアが確認するようにもう一度尋ねる。もちろん、告白したのか、という意味だ。
「言ったわよー。でも彼、ネルのことが好きだっていうんだもん。ま、予測はしてたけどー」
顔を膨らませて、彼女は不満を露にする。
「やっぱり、先に出会ってるっていうのは大事なのかな」
「そうかもしれないけど、多分違うと思うわ」
クレアはルージュの言葉を優しく否定する。
「単に、フェイトさんにとってはネルが必要だった、っていうだけのことよ。あなたでも、私でもなく、ね」
そう。
彼とネルとの間に入り込む余地などなかった。それは明らかだったのだ。
だから諦めた。
ルージュのように、思いを伝えることもしなかった。
それは、クレアのささやかなプライド。
「でもね……」
いつしか、ルージュの目に涙が浮かんでいた。
「好きだったの」
彼女は苦しそうに打ち明ける。
「彼に助けてもらったときに、心ごと彼のことが好きになってしまったの」
それを聞いて。
(……それは、私もよ)
クレアは心の中で相槌を打った。
彼女たちにとって。
彼は、忘れられない、過去。
そして、思い出に残る、過去。
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