19.お茶でもいかが?

『君と二人で』






 会ってほしい女性がいる、そう息子から告げられた後のリョウコ・ラインゴッドの行動は神速を極めた。それまで行っていた仕事を全て中断もしくは知人に託し、同時に航宙船を一隻レンタル、辺境の地エリクール二号星に来るまでに三日とかからなかった。
 いくらなんでも早すぎるだろ、と思ったのは呼びつけた当の息子、フェイト・ラインゴッドである。
 今回レンタルした船は小型船だった。大きさでいえばイーグルと同じくらいか、それより一回り大きいくらいだ。
 その船をシランドの近くに着陸させ、母は自分の家にやってきていた。
 トレーナーとジーンズというラフな格好、その上に防寒着としてジャケットを一枚羽織っていた。
「いくらなんでも早すぎるよ、母さん……」
 この母の異常なまでの行動力を完全に忘れていた。考えてみれば、あのハイダ四号星のときだって、半ば母が無理やり自分を連れ出したのだ。
「なに言ってるの、息子が会わせたいっていう初めての女性なのに、これでも遅いくらいよ。全く、エスティードがもたもたしなかったらあと半日は早く来られたのに」
 愚痴を言う母親はルシファー戦後に見たときと全く変わらないものだった。
 母は、自分がエリクールに行くことに反対だった。自分は父ロキシの研究を継ぐものだとばかり考えていたらしい。だが、フェイトの決意が固いことを悟ると最後まで反対することはなかった。それも人生、と達観したのかもしれない。
「それで、あなたが会わせたい女性ってどこにいるのよ」
「こんなに早く来るとは思ってなかったんだ。まだ仕事中に決まってるじゃないか」
 時間は朝十時。もっとも、もう少しすればネルにとっては楽な時間がやってくる。
「昼の時間は取れないの?」
「もちろんそのつもりだよ。ネルには今朝、母さんが到着することは言ってあるから」
「ネルちゃん、か」
 くすっ、とリョウコは笑った。
「楽しみね、フェイトがどんな娘を紹介してくれるのか」
「あのね、パンダじゃないんだから」
「似たようなものよー。意地悪い姑になって反対したっていいんですからね」
 ふふん、と実際の年に見えない笑顔で笑ってみせる。本当にこの母親は、四十代にはとうてい見えない。無理を言えば二十代でも通るかもしれない。
「ま、それまでそうしたら少し時間をつぶそうかしら。やることはいっぱいあるし」
「ここまで仕事持ってきたの?」
「いいえ、あなたのメンテナンス」
 にっこりと、嫌な笑いを浮かべる。
「あなた、満足な健康診断とか受けてないでしょ。船まで着なさい」
「ま、待ってよ母さん」
「駄目よ。だいたい──」
 そのとき、こんこん、と家の戸を叩く音がした。
「はい?」
「私だよ、フェイト」
 地獄に仏、と言わんばかりにフェイトは扉を開ける。
 そこには、いつもどおりの服装のネルが立っていた。ただ、いつもよりかすかに化粧の量が多いような気がした。
「あなたがネルちゃん?」
 フェイトを押しのけて、母が興味津々という表情で彼女に近づく。
「はい。ネル・ゼルファーです。よろしくお願いします」
「まあ、礼儀の正しいこと。それに可愛い娘ね〜。お母さん見劣りしちゃうかしら」
「あのさ、母さん……少しは年を考えてよね」
 ぼそりと呟くフェイトの後頭部に、神業のハイキックが飛び、沈没した。

 ネルの後日談『なるほど、フェイトはこの人の息子なんだ』とのこと。

「あなたは黙ってなさい。申し遅れました。私、フェイトの母親のリョウコ・ラインゴッドです。息子がいつもご迷惑かけております」
「とんでもありません。フェイト──さんには、いつも助けていただいております」
「そう。それならいいのだけれど。ところでネルちゃんは今お暇?」
「はい。夕刻までは時間が取れます」
「良かった。それなら私と一緒に、お茶でもいかが?」
 その提案にさすがにネルも驚く。
「お母さんとですか? その、フェイトさんは……」
「これ? これならいいの。だって、私が知りたいのはあなたのことだもの。言うなればフェイトはおまけみたいなものよ」
 おまけとはひどい言われようだが、あえて何も返事をしないフェイトにかえって当惑する。
「フェイト……いいのかい?」
「母さんがそう望むんならそれでもいいけど。ネルはかまわない?」
「もちろん。私もお母さんとはいろいろ話したいことがあるし」
「なら決まりね」
 にっこりとリョウコは笑った。
「それじゃ、私はここの地理に詳しくないから、ネルちゃんが案内してくれるかな?」
「分かりました」
「僕はどうしていればいい?」
「あなたはさっさと健康診断してきなさい。優秀なスタッフが待ってるから」
 結局それから逃げられないのか、とフェイトはがっくりと肩を落とした。






「こちらが、最近流行っているカフェです」
「あら、随分といいところね。自然が多くていい感じ」
 リョウコが気に入ってくれたらしく、ほっと安堵するネル。
 実際、リョウコはハイダ四号星に行こうと計画を立てたくらいである。こうした緑の多い場所の方が研究室よりも好きであった。
 だが自然の中で研究はできない。研究は研究室でなければならない。なかなかのジレンマである。
「お勧めは何かしら」
「そうですね──食事はお済みでしたか?」
「早朝に軽くね。ぺこぺこというほどじゃないんだけれど、少し食べたいところかな」
「それじゃあ、洋梨のタルトなんて──」
 そこでふと思い出す。
 これは、フェイトが暇つぶしにということで、自分とマユの三人でクリエイトした作品だった。
「美味しそうね」
 リョウコは笑顔でそれを頼むことに決めた。
「前に、私とフェイト──さんと、あともう一人とで協力して作ったものなんです。ようやくこうして流通するようになりました」
「へえ。じゃ、あなたもフェイトも新商品の開発も行ってるってこと?」
「はい。フェイトさんと契約しているクリエイターの方は多くて、いまではフェイト・ブランドと呼ばれるくらい人気があるんです」
 リョウコは苦笑する。
「フェイト、と呼んでるんでしょう?」
 言われて、ネルは顔を赤らめながら「はい」と答えた。
「かまわないわよ。私の前だからって、別にさんづけなんてしなくても」
「でも、お母様はお母様です」
「そのお母様の命令よ。いつもどおりに呼び捨てでかまわないわ」
「──分かりました」
 ネルは堪忍することにした。そして手早く料理が運ばれてくる。
 そのタルトは確かに美味しかった。少なくともリョウコは絶賛した。
「なかなかやるわね、あなたたち。隠し味に何を使ってるのかしら」
「ええ。私が作ったときよりも美味しくなっています。多分、ここのマスターのオリジナルだとは思いますけど」
 そうしてしばらくは他愛のない雑談が続いた。フェイトが子供のときの話や、今までネルがどのような仕事をしてきたのかという、お互いの理解を深める時間帯が続いた。
 このリョウコ・ラインゴッドという女性は非常に話しやすい相手だった。会うまではずっと緊張し続けていたが、少しずつ会話が進むにつれてネルの方も自然と会話ができるようになっていた。
「それにしても、本当にあなたたちにはお世話になったわね」
 突然話が切り替わって、リョウコが意味不明なことを言い出す。ネルは首をかしげた。
「といいますと」
「FD人を倒してくれたでしょう? あなたたちがいなかったら今ごろこの世界はなかったんですもの。誰も知らないかもしれないけれど、あなたたちは英雄よ」
「そうでしょうか」
「少なくとも私は英雄を作るために遺伝子操作をしたつもりはないのだけれどね。でも、やっぱり死にたくはなかったし、あの人がいなくなった今でも研究をやめるつもりはないわ。生きる目的の半分は失ったけど、半分は残っているから」
 半分はロキシ・ラインゴッド、すなわち彼女の夫であり、もう半分はその結晶であるフェイト・ラインゴッドだと、そういう意味だ。
「そのことなんですが」
「ああ、別に反対するつもりはないわよ。結婚したいのなら好きになさい。自由恋愛を止めるつもりなんてないもの」
 あっけらかんと言われ、安心すればいいのか戸惑えばいいのか悩む。
「私もね、自由恋愛の末に駆け落ちまでしたことがあるのよ」
「駆け落ち、ですか」
「そ。あなた、ロキシには会ったんだっけ」
「いえ、姿をお見かけしただけです」
「そう。あの人は根っからの研究家だったわ。研究のために命をかけるようなところがあった。でも、彼にはたった一人だけ、こえられない相手がいたのよ。同じ研究者として、彼以上の才能が存在したのね。それが誰だか、わかる?」
「いいえ」
 自分の知っている人だろうか、とネルは思いをめぐらせる。自分があと知っている人物といえば、ソフィアの両親くらいしか思い浮かばない。
「それはね、私」
 リョウコは自慢げに言う。
「私の才能はね、この宇宙でも一番だったのよ。これはうぬぼれでもなんでもない、事実。ロキシは今世紀最高の頭脳だなんて言われてるけど、彼の研究のほとんどは私の力なくしてはかなわないものだったのよ」
 故人を評価するには正直、きつい表現だった。だが、彼女が言うのだからそれは事実なのだろう。
「でもね、そんな私が彼に一つだけかなわないことがあった。それは何か、分かる?」
「いいえ」
「それはね、未来を信じるということ」
 熱に浮かされたように、彼女の目がとろんとした。
「彼はいつも言っていた。未来は必ず、希望で溢れているって。今どき、そんなことをぬけぬけと言う人もいないと思ったわ。彼の研究は最終的にFD人の禁忌に触れてしまったけれど、あくまでもあの人は人間の未来を信じていた。そんな彼に惹かれたのよ」
 愛しているということを、はばかることなく言い切れるリョウコの姿は、ネルにはまぶしく映った。自分もこうありたい、と思えるほどに。
「ただねえ、私とロキシを比べたら私の方が研究者としては上じゃない、だから私が結婚して家庭に入るって言ったらあっちこっちから『結婚してもいいから研究は続けてくれ』って催促が山ほど来ちゃってね。はてはロキシを学会から追放するとか言い出したものだから、私も怒っちゃって。結局その学会とは終生付き合うことはないっていう誓いを立てて今にいたってるんだけど」
「はあ」
「その時にロキシを連れて愛の逃避行をしたってわけ。親の反対を振り切って、っていうのじゃないんだけど、これも立派な駆け落ちよね?」
「だと思いますけど」
 スケールの大きい話でいまいちネルには掴みきれなかった。
「というわけで、それこそ駆け落ちするくらいの気力があるのなら私は何も問題ないというわけ。どうかしら、ネルちゃんはそれくらいの覚悟がある?」
「あります」
 正直にネルは答えた。
「私は自分の国と、自分の家と、二つを守らなければいけません。ですが、フェイトは自分の故郷を捨ててここへ来てくれました。そしてここに骨を埋める覚悟だとも言ってくれました。なら、私も同じです。もしもフェイトの力が必要になって、また宇宙に戻らなければならなくなったら、私は彼についていきます。自分の国も、家も捨てて」
 そして実際に、ネルはそれを一度実行しているのだ。
「そう。それなら何も言うことは──ああ、一つだけあったわね」
 リョウコの顔から微笑みがぬける。
 よほど真剣な話なのだということが、その表情からも分かる。
「はっきり言うけど、あの子、フェイトだけれどね」
「はい」
「あの子は、化け物よ」
 その台詞は瞬間的にネルを怒らせた。それはすなわち、紋章遺伝子学によってディストラクションの力を植えつけられたということに他ならない。しかもそれを実行したのは、リョウコ本人だというのに。
「ああ、勘違いしないで。私はあの子が持っている『力』自体は何とも思っていないの。発動こそ暴走したと思うけど、それ以後は自分で力を制御できるようになるはずだから。その点については問題ないわ。特殊な力を持っているだけの普通の子よ」
 ではいったい何だというのか。ネルは次の言葉を待つ。
「さっき、私はロキシよりも研究者として優れているという話をしたわよね。でも、その私をも超える才能を持つ人がいるのよ」
 突然話が変わる──いや、変わっていない。
「フェイトが?」
「そう。あの子は紋章遺伝子学によって、この宇宙で最高の頭脳を持っているのよ。本人は普段は意識していないかもしれないけれど、あの子のIQ、って言っても分からないか、要するに賢さの数値なんだけれど、その数値が平均値の軽く三倍。はっきり言うけど、天才というレベルを超えているわ。人間の規格外の才能よ」
 だが、普段の彼からはそんな知識があるような素振りは全く見えない。ごく普通の青年だ。
「でしょうね。何しろ、あの子はその才能をひけらかしたことで痛い目を見ているから」
 そう言ってリョウコは話し始めた。それは、フェイトの初恋の話だ。
 子供の頃というのは自分に才能があると分かればひけらかしたくなるものだ。もっともフェイトはそれを鼻にかけるようなところはなかった。むしろ自分の才能を閉じ込めて、周りと上手く付き合う術を子供の頃から体得していた。
 彼の初恋は十二歳のとき。相手はリョウコの部下で、若干二十三歳の研究員だった。
 彼にしてみれば、同年代の子供など相手にならないだろう。それこそ二つ下で彼を慕ってくるソフィアのような存在なら、妹のような感じで付き合うこともできる。だが、自分と対等な関係を築くことができるとするならば、それは彼と同じだけの才能を持っていなければならない。
 彼は研究員の知識が自分の知識を上回っていることを知り、感動を覚えた。そしてその女性になつくようになった。
 相手の女性の方も可愛い弟ができたような感覚だったのだろう。最初のうちはそれでもよかった。だが、次第に二人の関係は壊れはじめる。
 それは、フェイトがあまりにも才能がありすぎたことが原因だった。フェイトは一を聞けば十のことが分かってしまう。研究員が知っている知識など、ものの一ヶ月で全てフェイトは吸収しつくしてしまった。
 だが、フェイトはそれでも研究員に知識を求めた。愛情を求めた。それに彼女は耐えられなくなり、リョウコに辞表を提出した。
 理由は、才能の差というものを痛感した、ということだった。彼女は部下の中でもかなり優秀な研究員だった。いや、優秀だったからこそ、フェイトの興味が注がれたのだろう。
 結局彼女はフェイトの期待にも愛情にも応えられなかった。もちろん最初から彼女はそんなつもりなどなかったのだから、それを果たさなければいけないということはない。だが、幼いフェイトには分かってしまった。自分があまりにも彼女を追い詰めていたのだということが。
 それ以後、彼は自分の気持ちを伝えることもせず、他人に何かを求めるということもしなくなった。
「そんなことがあったんですか」
「そうね。今こうして思い返してみると、その人、ネルちゃんにちょっと似てたかな。真面目で一生懸命なところが。結局あの子は、ひたむきな女の子が好きだから」
 リョウコはにこにこと笑う。そう改めて言われると照れる。
「そんな才能を目の前で見せられると正直ショックよ。私がそうだったから。私が一ヶ月もかけて編み出した方程式を、あの子はほんの一瞬で理解してしまう。その理解の早さといったら、思わず絞め殺したくなるほどね」
「たしかに、要領はいいと思ってましたけど」
「あの子が才能を全開にしたら、誰も追いつくことはできないのよ。そんな彼と一緒にやっていける?」
 たとえ自分が全力で走っても追いつけない。追いつけないことで彼を苛立たせることになるかもしれない。
 そんな相手とつきあっていけるのだろうか。
「でも、私は彼の傍にいたいと思います」
 ネルはしっかりとした口調で答える。
「彼は私の傍にいてくれましたから。彼が私を必要と考えてくれる限り、私は彼の傍で、彼の心の支えにだけでもなれれば充分です」
「ん。まあ、そういうのは大事よね。私だってロキシに苛立つことはあったもの。飲み込みが遅くてね。多分あの子も、ネルちゃんの分からずやって思ってることがあるだろうし。でも、結局才能の差は愛情でカバーできると思うわ。私は少なくともロキシを愛していたから、才能の差なんてそれほど関係なかったしね。それに、自分にないものを持っていると、やっぱり惹かれるわね」
 そしてまじまじとリョウコはネルを見つめた。
「フェイトになくてネルちゃんにあるもの。それは、信念、かな」
「信念、ですか」
「うん。ちなみにそれは、私になくてロキシにあったもの、でもあるかな」
 それは、ささやかな応援の言葉。
「ありがとうございます」
「ううん、かまわないのよ。というわけで、そろそろ戻ろうか。いつまでもネルちゃんを独り占めしてたらフェイトが焼きもちやくだろうし」
「そうですか? 別にそういう素振りを見せたことはあまりないですけど」
「それもあの子の処世術の一つよ」
 さすがにそればかりはリョウコも苦笑していた。
「好きな子にほど、距離を置いてしまう。言葉で『愛してる』と何度も言いながら、触れることは決して多くない。あなたも少し、焦らされているところとかなかった?」
 言われている意味が分からず、ネルが返答につまる。
「つ、ま、り、まだあなたたち、ヤってないでしょ」
 ごほっ、と咳き込む。
「ええと、その」
「隠さなくたっていいわよ。あの子のことですもの、それくらいは分かるわよ。多分、結婚というものをすごく重く考えてるのね。結婚しない以上は別れることもあるかもしれないし、お互いに傷つけあうかもしれないから、決して近づきすぎないようにしている。無意識にね。ああいうオクテの男には、とにかくこちらからアタックあるのみよ。それこそ自分から襲うくらいのことはしていかないと駄目よ」
 ネルは頭をおさえた。そして同時に思った。
 この人は、ロキシを襲ったのだ、と。
「がんばります」
「がんばりなさい」
 そう言って笑うリョウコは、やっぱり素敵な女性なのだと改めてネルは思った。





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