20.抱きしめたい

『同じ気持ち』






 最近、疲れている自分を感じる。特に彼の前で眠ることが多くなった。以前はあまり、そうした無防備な自分を見せることは多くなかったはずだ。いつからだろう、こんなに自分が弱くなってしまったのは。
 彼はいつも自分を見てくれている。自分が一生懸命に仕事をして、自分の限界を超えてしまっているとき、彼は必ずブレーキをかけてくれる。自分では分からない自分の限界。それを彼はいつも教えてくれている。
 そう、自分は彼に甘えているのだ。
 自分は確かに仕事も忙しいし、業務の数も多い。彼に比べれば自分の方が多いのは当たり前のことだ。だが、実際のところは彼の方がはるかに多くの仕事をして、彼の方がはるかに多くのことを考えている。
 たとえば彼は自分の仕事のことならほとんど理解してくれる。最近は仕事の上で相談することも多くなった。もちろん彼は自分の職分を忘れることはない。彼自身の仕事をした上で、自分の仕事を手伝ってくれている。しかも出過ぎることはない。少し離れたところから自分を見てくれて、そして自分が協力をあおいだときだけきちんと手伝ってくれる。
 こんなに理想的な相手がいったいどこにいるだろうか。彼は、彼の生活のほとんど全てを自分に合わせてくれているのだ。
 それが分かるだけに、現在の状況は自分にとって好ましいものとはいえない。自分は彼に助けてもらっているが、自分は彼を助けているだろうか。否、決してそうとは言えない。
 それどころか、彼は他の人たちの仕事も積極的に請け負う。施術兵器開発研究所での仕事が彼の職分だが、それ以外に自分の仕事を手伝い、さらにはモンスター掃討、兵の訓練相手、治安維持といったさまざまな方面で手広く活動している。
 彼の母親は、彼のことを化け物だと言った。どんなことでもすぐに理解してしまう、と。そして同時にそれをひけらかすようなことはしない、と。だから今の彼は、全力で自分を助けようとして、それでいて助けていることをひた隠しにしているような状態なのだろう。
 実際、睡眠時間などは自分も多く取っている方ではないが、彼の方がはるかに少ないのではないだろうか。
 いったい、彼はいつ休んでいるのか、それを部下のファリンにそれとなく尋ねてみた。だが、やはり彼が休んでいるところを見たことはないという。
 そう、自分も彼が休んでいるところなどあまり見かけない。朝が遅いのはいつものことだが、その時間を差し引いても彼が寝ている時間は五時間に満たないのではないか。
 こんな生活をしていてはいつかは倒れてしまう。そんな危険をふと感じた。
 思い立ったと同時に彼に話をつけにいくことにした。時間は夕刻五時。もう少しで夕食の時間帯といったところだ。
 だが、彼の部屋に入ったとき、彼女は意外なものを見た。それは、彼がベッドの上で仮眠をとっているところだった。
 彼は身動き一つとらず眠っていた。聞こえるか聞こえないかくらいの静かで規則正しい寝息。そしてぴくりとも動かずに眠り続けるその様は、まるで死んでしまったかのようであった。
 もちろん死んでいるわけではない。きちんと息をして、胸の辺りが上下している。
 疲れさせている。そう感じた。自分のせいだとは言わない。だが、自分のために彼が全力を尽くしてくれているのは分かっていた。
 そんなつもりはなかった。彼にはただ傍にいてくれるだけでよかった。自分の代わりに働いてくれるなんてことはしなくてもよかった。
 だが、彼の操作された才能では、何もしないではいられないのかもしれない。
 地球と呼ばれる彼の故郷では、彼は最高峰の学府で学問を行い、さらにはスポーツでも優秀選手だったという。仕組まれたものだとはいえ、まさにトップエリートの道を彼は歩んできていたのだ。むしろ、忙しい時の方が彼はやる気が出るのかもしれない。
 もしかしたら、彼はそのことに気づいているのかもしれない。自分が遺伝子操作をされたことを、あのムーンベースまで彼は知らなかった。だが、遺伝子操作を受けていたことを知ったとき、自分の才能は全て植えつけられたものだということに気づいてしまったのではないだろうか。
 普段はのほほんとしているように見えても、その笑顔の裏でいったいどれくらいのことを考えているのか。
 怖い、と思った。
 確かにこれはリョウコの言った通り、化け物なのかもしれない。
 でも。
 自分は決して、彼から離れないだろう、と思う。
 何故なら、そんなに才能がある彼だとしても、自分の愛情は少しも変わらないからだ。自分の全てを知られてしまったとしても、自分がいることで彼に幸せを少しでもあげられるのなら、自分は傍にいたいと思うのだ。
 そして、こんなふうに疲れて眠っている彼を抱きしめてあげたいと思うのだ。
 ただ、こうして気持ちよさそうに眠っているのに抱きしめて起こしてしまうのは可哀相だった。
 どうしたものだろうか、と彼女が思い悩みつつ彼の寝顔を覗き込む。
 と、そのとき。
 がばっ、と逆にフェイトがネルを抱きしめていた。
「フェイト!?」
「おはよう、ネル」
 彼の顔が、ほんの数ミリまで近づく。
「あんた、起きてたのかい」
「いや、今起きたところ。ネルが僕のことを抱きしめたがってるようだったから、望みをかなえてあげようと思っただけ」
「ばかっ、それじゃ反対……」
 そこまで言って気がつく。これでは抱きしめようとしていたことが丸分かりだ。
「〜〜〜〜フェイトッ!」
「怒らない怒らない。こうしているのは、幸せじゃない?」
 そう言って彼は自分の頭を優しく撫でる。全く、こうされてしまってはもう自分は何も反抗できない。
 脱力し、体を預ける。そして、彼の体に腕を回した。
「全く、あんたの言う通りだっていうのが一番腹立たしいよ」
 そして、その心地よさに身を任せた。
 二人はそのまま、少しの間、安らかな時間を過ごした。





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