22.受け継がれる意思

『小さな手紙』






 彼が大切なお姫様の部屋にやってきたとき、そこに目的の女性はいなかった。急用で席を外したのか、やりかけの仕事がそのまま机の上に残っていた。
 彼女の椅子に腰かけ、いつものように仕事の手伝いをする。少しでも片付いていればそれだけ彼女の手間は省ける。もちろん、上がってきた報告は後で全て彼女が目を通す。だから彼の仕事はそれを上手に分配し、印をついて作業を振り分けるだけのことだ。
 だが、そうした単純作業が実は時間がかかることを彼は知っている。
 しかもクリムゾンブレイドのもとまで上がってくる内容の中には極秘事項なども多く、やすやすと他人に見せるわけにはいかないものまである。彼はもう特例として認められてしまっていたが、信用のならない者を雇って作業をさせるわけにはいかないのだ。
 だからこまごまとした雑用まで、彼女は全て自分ひとりでやる。そこで自分が時折暇を見つけてはこうして作業を少しでも楽になるようにしてあげているのだが、それでもなかなか彼女の忙しさはなくならない。
 と、彼がいつものように仕事をしていたときのことだった。
 ふと目にとまったのは、部屋の片隅においてあった彼女の愛剣、護身刀竜穿であった。
 大切な父親の形見を置いていくなんて、よほどのことがあったのだろうか。いつも肌身離さずつけていたというのに。
 彼は立ち上がってその形見に近づいて、そっと持ち上げる。
 何かが──そう、何かが気にかかった。彼女が忘れていったことに、ではない。ただ、一瞬目に入ってきたこの剣が、何か強烈な意思をアピールしているかのように、彼の目には映ったのだ。
 そんな馬鹿な話があるはずがないとは思いつつ、彼はこの剣を抜いた。
 何もない。当たり前だ。だが、それでも何かが気にかかる。
 鞘、刃、飾りまで全てを入念に調べる。そして、気づいた。
 唾の刀飾り、紅い宝玉。それが、取れかかっている。
 彼はそれをはめなおそうとはしなかった。逆に、その宝玉を取った。
 すると──
(手紙……?)
 小さく、小さく折りたたまれた一枚の紙片がその中から出てきた。
 開いても掌のサイズくらいしかない。そこにぎっしりと文字が書かれていた。

『この手紙を目にした者へ。
 私はネーベル・ゼルファー。シーハーツのクリムゾンブレイドだ。この手紙を読んだ者に頼みがある。それは、我が娘、ネルのことだ。
 この戦い、シーハーツに勝機はほとんどない。起死回生の策を講じているが、失敗すれば私の命はなくなるだろう。少なくとも私はこの戦いで兵士たちを死なせるつもりはない。私の命にかえても撤退だけは成功させてみせるつもりだ。
 だが、私が死ねばおそらく次のクリムゾンブレイドには娘のネルが就くことになるだろう。それが反対だというわけではない。今のシーハーツには娘以上の適任者はいまい。
 ただ、気になるのは娘が任務に没頭するあまりに、自分の幸せのことまで頭が回らないということだ。
 私はこのような任にはついたが、ずっと幸せだった。妻のリーゼル、そして娘のネル。二人がいてくれたからこそ今の私がある。
 だから、この手紙を目にした者よ。伝えてほしい。娘に、幸せになってほしい、と。そう父が望んでいる、と。
 それは決して任務を軽んじろという意味ではない。ただ、一人で生きるのは辛い。誰か傍で支えてくれる人の存在は、人生を豊かにすると同時に生きる意志が出る。
 その幸せを、娘は気づこうともせずに淡々と任務をこなしていくだけの兵器になってしまう可能性がある。
 だから、娘に伝えてほしいのだ。
 自分の幸せを、きちんと考えなさい、と。
 父は、いつでもそれを案じているのだ、と。
 妻がいてくれて、娘がいてくれて。
 私は幸せだったのだ、と。
 どうか、お願いする。
ネーベル・ゼルファー』

 表裏にびっしりと書かれたその文字を見て、彼は思わず涙がこみあげてきていた。
 亡くなる直前まで、こうして娘を案じていた父親の気持ちはいかばかりなのか。
 そして、ネルにとっても大切な、大切な父親。それが亡くなったと聞いたときの彼女の気持ちはどのようなものだったのだろうか。
(ネーベルさん)
 彼は、そっと手紙をもとに戻し、再び上から宝玉をはめこんだ。
(僕が必ず、ネルを幸せにします。あなたの意思は、僕が必ず果たしてみせます)
 そう、決意を新たにしたときのことだった。
「フェイト?」
 彼女が戻ってくる。父親に愛されていた女性が。
 だが、言う必要はない。もし彼女が気づくとすれば、いつかは気づくことがあるかもしれない。気づかなければそれまでだ。
 何しろ──
「ネル」
「うん?」
「ネルは、幸せかい?」
 突然尋ねられて、彼女は少し赤らむ。
「なんだい、やぶからぼうに……」
「僕がネルを幸せにするよ」
 彼は近づいてくる彼女を優しく抱きとめる。
「必ず」
「……ん」
 彼女も頭を彼に預けてきた。
 少しの間、二人はお互いのぬくもりを感じていた。





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