24.世界が終わる前に

『君の傍にいるために』






 そうだね。あのとき僕は思ったんだ。
 ルシファーとの戦いが終わったあのとき。
 崩壊していく世界の中で、僕はただ。
 彼女に会いたいと思ったんだ。
 もう一度、その笑顔を見たいと思ったんだ。
 世界が、終わる前に──






「う、ん……」
 フェイト・ラインゴッドは朝の光で目が覚めた。ここ最近は夜中でも彼女のところに差し入れを持っていくことが多かったから、こうして朝、自分の部屋で目覚めるということが久しぶりのことだった。
 理由はひどく簡単だ。彼女も今日は実家に戻っているからだ。いくらクリムゾンブレイドだからといっても、毎日城内で寝泊りしているわけではない。王都に家があるのだから、週に一度や二度は自分の家で寝泊りしているのだ。
 シーハーツに来て、二度目の春が訪れていた。窓を開ければ朝日に照らされた新緑が眩しく、空は澄み渡っている。
(懐かしいと言っていいのかな)
 昔の夢を見ていた。
 一年以上も前の、戦いの日々。
 この世界を滅ぼそうとする創造主との戦い。
 ルシファー・ランドベルド。
 あの戦いの中で、この世界は独立を果たした。
 その結果がどのような結末を迎えるのかなど、そんなことは分からない。
 ただ一ついえること。それは、こうして生きて、再び彼女に会うことができたということだけだ。
 あのあと、自分はエリクールへ行くことを仲間たちに話した。
 クリフはそれでいいと言ってくれた。むしろ今フェイトが銀河連邦の中にいることは好ましくないとまで言われた。否応なく政治の舞台でかきまわされ、暗殺される可能性だってあるとのことだった。
 反対したのはソフィアだった。戦いが終わって日常が戻ってくると思っていたのに、フェイトは自分の前からいなくなるというのだ。反対もするというものだろう。
 マリアも賛成ではなかった。彼女としてもようやく会うことができた『もう一人の自分』と離れたくはなかったのだろう。だから彼がどうしてもエリクールに残ると言ったとき、彼女もエリクールへ来ることになった。だが彼女はシランドではなく、ペターニに家を一軒借りて住むようになっていた。もっとも、つい最近また宇宙へと戻っていったそうだが。
 そして、彼女は何も言わなかった。
 自分のしたいようにすればいい、とこの件については半ば関わろうとしなかった。
 彼女は自分と一緒にいたくはなかったのだろうか、と思ったがそうではない。
 彼女も迷っていたのだ。自分が彼を縛り付けることになりはしないかということを。そして──
(まったく……素直じゃないんだよな)
 彼女が迷っていたのは、彼女自身がフェイトの傍にいるためなら宇宙にでも出るという覚悟を持ちきれなかったことだ。
 宇宙に出るまでは誰よりも率先して行動していた彼女が、宇宙に出てからは自分の意見もほとんど言わず、ただ戦闘に専念するようになっていた。
 彼女も宇宙に出るまでは、同じ人間たちの住む世界なのだからどこにいっても大丈夫だと思っていたのだろう。だが、実際のところは宇宙という場所は彼女にとって全く未知の領域だった。彼女は宇宙で暮らすということに本能的な恐怖を抱いたのだ。
 見知らぬ環境、見知らぬ設備、今までとは全く違う生活。
 それに耐えられなかったと言ってもいいだろう。フェイトに興味本位で近づくには正直、彼女の許容量を超えてしまっていたのだ。
 自分はフェイトについていくことはできないのに、フェイトはエリクールで生活したいという。その覚悟の差に、彼女は迷っていた。いや、自信を失っていたと言った方がいいだろうか。
 だが、それは当然のことなのだ。フェイトにとってもエリクールは未知の世界に違いなかったが、彼女とは決定的に違うことが一つある。それは情報量の差だ。彼はエリクールのことを調べようと思えばいくらでも調べることができる。だが、彼女にとって宇宙は全てが彼女の知識の範疇にないものばかりだ。
 それに家のこともある。フェイトには守らなければいけないものは何もなかったが、彼女は既にクリムゾンブレイドとして国の重鎮であり、さらにはゼルファー家の跡取りなのだ。
 どちらがどちらに行くべきなのかということは火を見るより明らかだ。だが、そういう理屈でフェイトを縛ることも彼女にとっては許せないことのようだった。
 だから、終始一貫して彼女は自分の立場を明らかにしなかった。
(僕だって迷っていたんだけどな)
 いくら考えなしに見えても、さすがに違う環境でこれから暮らしていくということになれば、さすがに恐怖を覚える。
 だから彼女に『傍にいてほしい』の一言がほしかったのだ。
 自分も一人で決めるにはまだ覚悟がもう少し足りなかった。だから、尋ねた。
 あの、世界が崩壊していくときに、彼女が何を思っていたのか。
 世界が、終わる前に。
『そんなの、決まってるじゃないか』
 覚悟を決めたように、彼女は答えてくれたのだ。
『あんたと離れたくない。それだけだよ』
 だから決めたのだ。
 ここにいる、ということを。
(よかったよな)
 彼女のことを知れば知るほど、彼女にのめりこんでいく自分が分かる。
 こんなに一人の女性にのめりこんだことが今までにあっただろうか。
 今まで失恋したことも何度かあったが、結局は諦められる程度の感情にすぎなかった。
 だが、彼女は。彼女を失うことは。
(きっと立ち直れないだろうな)
 それくらい、好きになってしまった。
「さて」
 彼はまだ肌寒い春風を受けて、窓を閉める。
 今日も仕事が始まる。
「行くか」
 彼女はもう出勤しているだろう。そしてまた、いつものように書類とにらめっこしているだろう。
 今日は彼女の手伝いをする日だ。エレナにはその旨を伝えている。
(この世界が終わらなくてよかった)
 こんなにも幸せな気持ちで毎日を暮らしていけるのだから。
 君の傍に、いることができるのだから。





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