２６．幸せのカタチ

『見えない想い』





　アーリグリフとの戦争、ＦＤ世界での戦いをくぐりぬけた二人にとって、この一年は至極平穏な時間ということができた。確かにその中を見れば、外交や反乱防止といった活動はしていたものの、国や世界の命運をかけて戦うというようなものはどこにもなかった。特に先日のペターニの反乱防止によって、シーハーツには現状で脅威となるものはどこにもないに等しかった。
　とはいえ、問題はどこにでも存在する。それは彼自身の問題だった。連邦大学が再開されることになり、学生たちにその通知がきたのだ。だが、その結果としてフェイト・ラインゴッドという人物が現在行方をくらましていることが明らかになってしまった。
　しかも父であるロキシ・ラインゴッドまでが亡くなっている。ワイドショーのネタとしてコーナーを飾るには充分な内容であった。『ロキシの子、フェイト』についての話題がちらほらと連邦放送で流れるようになってしまった。
　もちろん、事件の大きさとしてはそれほどのものではない。だが、もしここでフェイトが未開惑星にいるということが判明したならどうなるか、それは火を見るよりも明らかだった。
　連邦の組織が回復しつつある。そんなときにフェイトの居場所が宇宙に知られたとしたら、まず間違いなく強制的に連行され、二度とエリクールへ戻ってくることはできないだろう。彼は犯罪者となり、移動の自由を剥奪される。
　それをこっそりと知らせてくれたのはマリアだった。実は先日のリョウコ訪問も世間一般には『急用』で通していた彼女であったが、息子に会いに行っていたのではないかと周囲から疑われているということだった。
（未開惑星保護条約か）
　最初の頃はあれだけ条約を守ることばかり考えていた自分だったが、今は率先してその規律を破ってしまっている。何しろ、いつでも帰ることができるはずなのに延々とこの星にとどまり、あまつさえその星の住民と結婚までしようとしているのだから。
（でも、もう母さんは呼べないよな）
　結婚をするということは決まったものの、その日取りまでが決まったわけではない。今年かもしれないし、来年かもしれない。どうなるかなど全くの未定だ。しかも現在リョウコはマークされていると考えた方がいい。だとすれば、うかつに呼べば自分の居場所を知られてしまう危険性がある。
　メールなどについても、彼はリョウコと直接やり取りしたことは一度もない。自分の居場所が知られないように、必ずマリアを経由することにしている。
（母さんには随分と迷惑をかけてるんだな）
　あの母親のことだからそれほど困るということもないだろうが、辟易しているのは間違いないだろう。
　マリアを経由して送られてきた、母親からのメールをもう一度読む。
　そこには『幸せになりなさい』の一言だけ。

　幸せとは何だろうか。

　ふとそんなことを思ったりした。
　今の生活に不満などない。あるはずがない。大切な女性と、気の合う仲間たちがいつも一緒なのだ。はっきりいって大学時代の友人たちなどまるで比較にならない。
　だが、これを幸せというのだろうかと考えたとき、何かが違うような気もする。
　その理由は──おそらく、自分が子供の頃から思い描いていた未来とは違うからだろう。
　不満はないのだ。満足している。だが、自分は昔から学問の分野で生きていくことを目指していたのであって、それが幸せの基準として定義されてしまっている。
　兵器開発に積極的に加われば、似たようなことはできるだろう。だが、他人を傷つけるような兵器を自分から作ろうとは思わない。
　だから、このシーハーツでの生活は自分をもてあましていた、というところが本音だ。
　母親から送られてきたメールは、案外彼を悩ませる効果を持っていた。いったい何を考えて送信してきたのかは分からない。もしもこれくらいのことを自分が考えることを分かっていて送ったのなら、随分と母親も意地の悪いことをする。
　だからといって、このシーハーツを出る気にはならない。ネルと離れ離れになるなどというのは論外だ。
（自分の夢か……僕はこのエリクールで何がしたいんだろうな）
　ふと、将来の自分を考える。ゼルファー家の当主となることも、このままシーハーツの客員としていることも、いずれも自分にとっては最高の未来とは言いがたかった。
（僕はこれからここで、自分のやりたいことを見つけなければならない）
　ネルの傍で自分ができることを。
　このエリクールで一生暮らしていくことが幸せなのだと自覚できるようなことを。






「ねえ、ネル」
　一方で彼女の方はといえば、先日のペターニ事件の後始末が全て終わり、同僚のクレアとゆっくりお茶など飲んでいた。
「なんだい？」
「よく考えてほしいのよ。フェイトさんと結婚することに私は何の異存もないわ。でも、彼はこの国の人間じゃないのよ」
「そんなことは分かってるよ」
「分かっていないわ。あなたにとっては今の生活は満足でしょう。いつもの生活をしながら、フェイトさんまでいてくれるんですもの。でも、彼にとってはあなたのために全ての生活を捨ててこなければならなかったのよ。今の生活に不満はないかもしれないけれど、決して満足はできていないでしょうね。あなただって今の環境を捨ててフェイトさんの故郷で暮らすとなれば、不満はないかもしれないでしょうけど満足はできないでしょう？」
　ネルは押し黙った。確かにそれは感じていたことだった。少なくとも彼女は自分のしがらみを捨てて彼のところに行くまでの勇気はもてなかった。
　それを考えれば、彼女はフェイトに随分と無理をさせている。だがそれをネルはあまり考えないようにしていた。考えても仕方のないことだということが一つ、そしてフェイトに申し訳ないと思う気持ちが一つだ。
「クレアはどうすればいいと思っているんだい？」
「どうもこうもないわよ。いずれにしてもあなたもフェイトさんも離れたくない、だったらこの世界で二人で協力して生きていくしかない。フェイトさんはあなたのために無理をしているんだから、今度はあなたの番でしょう？」
「私の？」
「そう。彼とずっと一緒にいたいのなら、それをカタチにするべきじゃない？」
　ネルは不思議そうな顔を浮かべる。いったい彼女が何を言いたいのかが分からない。
　くすり、と笑ったクレアはネルの耳元でそっと耳打ちした。
「なっ……」
　言葉に詰まるネル。やっぱりね、とあきれたように言うクレア。
「あのね、ネル。遅かれ早かれ起こることなら、早い方がいいっていうこともあるのよ？」
　クレアは真剣な表情で言った。
「結婚なさい、ネル。できるだけ、早くに」





もどる