27.初体験

『儀式』






 とある日、彼女は翌日の休暇を決めると仕事を早めに切り上げて実家へと戻っていった。彼女にしては珍しいことである。たとえどのような事情があったとしても、全てを部下任せにすることは珍しい。おかげでタイネーブとファリンが泣きながら残務処理を行っている。
 フェイトもそれを見て「ご愁傷様です」と声をかけただけだった。ファリンが泣きながら「助けてくださいよぅ」とごねるが、少なくともネルのいない仕事場で深夜まで仕事をする気にはならなかった。
 彼も久しぶりに与えられた家に戻る。国から家が与えられるというのは破格の待遇と言っていい。それだけ『グリーテンの技術者』を国が必要としているという意味でもある。
 家につき、食事を取り、汗を流し、寝る準備を整えたところでテレグラフが鳴った。ウェルチからの知らせだった。
『こんばんは! 新製品開発の調子はどうですか?』
 いつもの元気な笑顔が画面いっぱいに映る。
「まあまあだよ。どうしたの、こんな時間に」
『はい。さきほどマユさんから配置換えの要請があったんですけど、どのようにすればいいのかおうかがいしたくて』
「配置換え?」
 心当たりはないでもない。おそらくは自分とネルが仲良くしているところをあまり見たくない、ということなのだろう。
「分かりました。希望をかなえてあげてください」
『場所はどこがいいですか?』
「ペターニがいいと思います。いつでもシランドに戻ってこられるように」
 フェイトを追いかけて単身隣国へと乗り込んできた女の子だ。そう簡単に故郷に帰るというわけにもいかないだろう。少し距離を置けば気持ちの整理もできるに違いない。
「シランドの枠はそのままあけておいてください。マユが帰ってこられる場所を確保しておいてあげないと」
『優しいんですね』
「そうでしょうか」
『少し、相手の女の子が可哀相ですけど』
「我ながら、そう思いますよ」
 ウェルチはくすっと笑った。
『私だって、この仕事がなければシランドに押しかけたいんですよ?』
「え?」
『ではでは、次の新製品、お待ちしておりますので!』
 一方的にかかってきた通信は、一方的に切れた。
 もっともそれがウェルチらしいといえばそれまでだが。
「寝るか」
 明日も朝は早くなるだろう。室内のランプを消し、フェイトは早々にベッドにもぐりこんだ。
(今日のネル、どこかおかしかったな。まあ、明日聞いてみればすむことだけど……)
 すぐにやってきた睡魔に身を任せ、彼の意識は闇の中に溶け込んでいった。






 ギシッ……

 ベッドに重みが加わり、鈍い音を立てる。その音と何者かの気配で彼は目を開けた。
 暗闇の中、自分を押し倒すような格好で覗き込んでいる人物がいた。
「ね……ネル?」
 寝ぼけていた目が一瞬で覚める。間違いなく今自分のベッドの上にいるのは、真紅のクリムゾンブレイド、ネル・ゼルファーだった。
「よく寝ていたみたいだね。私が暗殺者だったらもうあんたはこの世にいないよ」
「人が悪いよ、ネル」
「いいや。あんたはそういう立場になることを自覚するべきだよ。いや、もうなっているというべきかもね。アーリグリフだっていつまた敵になるか分からないんだ」
「だからって……」
「ああ、違う違う。こんな話をしにきたんじゃないんだよ」
 そう言うなり、彼女は自分から唇を押し付けてきた。
 突然のことに頭が真っ白になる。だが、相手の気持ちも考えずにこんなことをするような女性ではない。何かがあったと考えたフェイトは、まずはネルを一旦離す。
「どうしたんだよ、いったい」
「どうしたもこうしたもないよ。迷惑かい?」
「迷惑って?」
「夜這いに来ることが、さ」
「夜這い……夜這い!?」
 自分はいったい何を聞いたのか半分理解ができなかった。彼女は意味のない行動を取る人物ではない。何か理由が他にあったのかと思った。
「ちょっと待って、ネル。いったい何があったんだ?」
「何が?」
「だって、こんなこと今まで、一度もしたことがなかったじゃないか」
「何にだって初めてはあるんだよ」
「だから、その理由を聞いてるんだよ。今日も何か様子がおかしかったし、早く家に帰ったのは、もしかしてお母さんと何か話すつもりだったんじゃないのかい?」
「だとしたらなんだっていうんだい?」
「僕との結婚を反対されたとか」
「まさか、私の母親はあんたのことをすごく気に入ってるよ。そんなことはない」
「じゃあ、どうして」
「知りたいかい?」
 窓からの光が、彼女の姿を照らし出す──いつもの装備ではない。夜着に着替えていた。
「あんたと、一緒にいたかったからさ」
「……」
「おかしいかい? あんたに抱かれたいと思うのは」
「いや、そんなこと、ないけど」
 どうにも歯切れが悪いことを自覚せざるをえなかった。
 彼女は本気だ。まだ頭が完全に覚醒しきっていなかったが、それだけは判断できた。
「確かにあんたにしてみれば、突然って思うのかもしれないね」
 デートをしていたわけでもない、あらかじめ約束していたわけでもない。
 だが、彼女にしてみれば覚悟を決めてここまでやってきたのだ。彼と一緒にいるために、彼と同じ時間を過ごすために。
「あのさ……ネル」
「なんだい?」
「こういうことは、もう少しゆっくりとやっていかないか? こんなことをしなくても、僕はネルの傍からいなくなるわけでもないし、急ぎすぎても、その……」
「勘違いしないでおくれよ」
 その言い方に、ネルの方がむっとしたらしい。
「私はあんたをここにつなぎとめておきたいとか、そんなことを考えたことはないよ。ただ、私があんたを欲しいんだ。何も考えられなくなるくらい、たくさん愛してほしい」
「ね、ネル」
「フェイト」
 もう一度落ちてきた女神の唇は、さきほどとは比べ物にならないほど熱を帯びていた。
「あんたさえよければ、私を抱いてほしい」
「ネル」
 フェイトは体を入れ替えて、ネルを下に組み伏せる。
「僕も男だから、途中でやめるなんてことはできないよ」
「いいよ……私を、奪ってくれないか?」
 そして、三度目の口付けはフェイトからした。
 深く舌をからめ、フェイトの手が彼女の頭を抑え、彼女の腕か彼に回される。
 熱い。
 二人が求めていたものが、今、目の前にある。
「フェイト……」
 すぐ耳元で聞こえる声が、彼の欲望をくすぐる。
 そして彼は、彼女の夜着に手をかけた──






 朝。
 一足先に目覚めた彼は、隣でぐっすりと眠っている彼女の寝顔を見つめる。
 昨夜はかなり痛がっていた。そういえば彼女は今日、わざわざ休暇を取っていたのだ。
(帰る前から、ずっとこうなることを考えていたのか)
 彼の腕に抱かれて眠る彼女は幸せそうな寝顔を浮かべていた。
 触れ合う肌の感触が最高に心地よい。
(なんだか、一日中こうしていたいな)
 腕を後ろに回して、彼女の背筋をすっとなでる。ん……と彼女が少しだけそれに反応した。
 彼は苦笑して、また目を閉じた。
(なんか、幸せだな)
 もう一度眠りに落ちるまで、それほど時間はかからなかった。





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