28.クレアの企み

『Reason』






 たとえ休日とはいえ、全く仕事から解放されて二人でいるということはこの二人に限ってはほとんどない。何しろ、彼女はクリムゾンブレイド、この国でも五本の指に入るほどの重要人物なのだ。完全な自由など絶対に手に入らない。どこに行ってもクリムゾンブレイドやゼルファー家の名前がつきまとうし、たとえ休みだとしても出勤して問題が発生していないか目を見張るのが彼女の役目だ。
 だが、今日は完全にそうしたことを忘れていたかった。そのための一日休暇だった。他のことを一切考えず、二人だけの時間を過ごしたかった。
 だから──最初から今日は作戦を失敗していた。できるだけ朝早く起きて、さっさとシランドを出てペターニなりどこなり移動するべきだったのだ。
「お邪魔だったみたいですね」
 二人がまだベッドの中にいた時間にもう一人のクリムゾンブレイドがやってきた。彼の方はそうでもなかったみたいだが、彼女の方は明らかに不満な様子だった。
「どういうつもりだい、クレア」
「あら、あなたがきちんと来ているのかどうか、確認しにきただけじゃない」
「なんだか、すごい陰謀を感じるよ」
「ひどいことを言うのね。だいたい、完全にあなたが休める日なんて滅多にないんだし、あなたたちのことだから、また先延ばしにしないように来てあげたんじゃない」
 テーブルについて仲良くお茶をしている二人を見ながら、彼もまたお茶を口に含んだ。
「さてと、それではフェイトさん」
「はい?」
 突然話を振られて、フェイトはきょとんとクレアを見つめる。
「もちろん、責任は取っていただけるのでしょう?」
「は?」
「ネルを傷物にした責任です」
「クレアッ!」
 ネルが噛み付かんばかりの勢いで怒鳴る。フェイトはあまりの台詞に一瞬言葉を失った。
「何?」
「あん、た、なんで……」
「何を言ってるの。わざわざあなたに夜這いをさせたんだもの、何もなかったらそれこそ殿方の方が失礼でしょう?」
 どうやら昨夜の夜這いはクレアが裏で暗躍していたらしい。
「あの、クレアさん」
「はい」
「僕としては、ネルさんと結婚することには何の異存もないですし、お互いの親に顔見せも終わってるんですけど」
「ええ。ですから、式はいつになさいますか? 当然クリムゾンブレイドの結婚式、隣国からたくさんの使者も来られるでしょうし、準備も大変です。今日決めて明日行うというわけには参りません。本当は一年、二年は準備をしたいところですけれど、今回は状況が状況ですから、半年後に行うつもりなんです」
 何か言葉がおかしい。フェイトは首をひねった。
「ええと、誰が結婚をするんでしたっけ」
「何をおっしゃってるんですか。フェイトさんとネルの結婚式です」
「半年後に行うって言いませんでしたか」
「はい。やはり夏に行うと食べ物の問題もありますから、こうした行事は春か秋に行うのが一番です。季節的にはちょうど春ですから、半年後、つまり秋に結婚式ができるということですわね」
 異存はない。
 異存はないが、どうしてここまでクレアが仕切っているのかが理解できない。
「別に来年の春とかでもいいんじゃないですか?」
「駄目です。今まではずっと凶事が続いていました。今は一刻も早く国内でめでたいことをしておきたいんです。これは国としての要望です」
「つまり、僕たちに自由はないっていうことですね」
「そうです」
 にこやかに笑うクレアに、ため息をつくフェイト。
「僕としては異存はないんですけど、ネルはどうなんだい?」
「かまわないけどね。でも、クレア」
「なに?」
「どうしてあんたが仕切ってるんだい?」
 どうやら彼女も同じことを考えていたらしい。だがそう尋ねたときクレアは「決まってるじゃない」と平然と言った。
「あなたたちだけじゃ、今日の休みをべたべたいちゃいちゃして過ごすに決まってるからよ」
「クレアッ!」
「何よ、本当のことじゃない。だいたい、もうすぐ昼になるっていうのに、いつまでもベッドの中にいたじゃないの」
「それは……」
 ネルの顔が赤く染まる。その理由ははっきりしている。昨日の夜、すぐには寝られなかったことが原因だ。
「ごちそうさま、って言うべきなのかしら」
「クレアッ!」
「さっきから怒鳴ってばっかりよ、ネル。まあ、本当はフェイトさんがそういうところまで気を回してほしいんですけど、フェイトさんはこちらの国の事情も完全には飲み込めなかったでしょうから」
「そんなに僕たちの結婚式は急がなければならないんですか?」
「来春でもいいかなとは思うんですけどね。でも、今アーリグリフと休戦状態にあって、これがいつひっくり返るか分からない。だとしたらこの結婚式を使ってアーリグリフ王を呼び、話し合うことだってできるわけです。もちろんサンマイト共和国からも使者が来るでしょうし」
「クリムゾンブレイドの結婚式にアーリグリフ王が?」
「ネルもフェイトさんも、アーリグリフ王とは関係があるでしょう? であればあの方は多分来られると思います。それに、ロザリアが出席したいと思うでしょうし」
 大神官の娘だったロザリアは、現在アーリグリフ王の妻となっている。そのときはクリムゾンブレイドを名代としてクレアとネルが出席した。
「それに、アーリグリフ王の方が一度シランドには来たいのではないかと思います。今年の冬は餓死者も出ずにすみましたけど、それもシーハーツからの援助があっての話です。ですから、来年の冬も援助は欲しいはず。そのための交渉はおそらく国王自ら行うでしょうし」
「アーリグリフのことまで考えて、その時期にするんですか?」
「それは後付の口実です。一番の理由は、単純に私が早くネルの花嫁姿が見たいっていうことです」
 いい性格をしている。ネルは歯を噛みしめて怒りをこらえていたが、フェイトは思わず苦笑してしまった。
「それじゃあ、秋でよろしいですね?」
「僕はそれでかまわないよ。じゃあ、式についてはまさか、国の方が全面的に進める形になるのかな?」
「もちろんです。クリムゾンブレイドの結婚式なら、国中をあげてとまではいきませんけど、ほぼ全ての官僚、軍人が出席するのは当然のこととして、きちんと結婚式対策本部が設けられて、当日の配置、式次第、警備から全てを取り仕切らなければいけませんから」
「ネルってそんなに偉かったのか」
 素直に口に出してしまっていた。まあ、普段から一緒にいればそう感じるのも当たり前だが、これでもネルは国で五本の指に入るほどの重要人物なのだ。
「もちろん、対策本部長はこの私」
 クレアは笑顔で言った。
「いいんですか? ただでさえ忙しい職務なのに」
「いいんです。というより、私以外の人にはさせられません。何しろ、私にとって大切な、たった一人の親友の結婚式ですもの」
 本当に幸せそうに言うクレアの方が、まるで結婚するかのようだった。
「……なんで私よりあんたの方が喜んでいるんだい」
「当たり前じゃない。あなたの幸せを、私はずっと願っていたんだから。フェイトさん」
 今度は真剣な表情で、フェイトを見つめてくる。
「ネルを、よろしくお願いします。フェイトさんも知っての通り、彼女は意固地で融通がききませんけど、純情で素直ないい子なんです。本当は、クリムゾンブレイドの仕事なんて彼女には向いていないんです。私はずっと、ネルにこそ幸せになってほしいと願っていました。それをかなえてくれるのがフェイトさんなんです。どうか、ネルをよろしくお願いします」
「もちろんです」
 フェイトも真剣に答える。
「僕だって、ネルの傍にいることで幸せになれますから。それに、ネルがクリムゾンブレイドに合わないことはよく分かっていますよ。上に立つ者は本来、下にいるものを切り捨てる覚悟と勇気を持たなければならないのに、ネルにはそれがない。多分、それは上官失格なんだと思います。でも、だからこそネルに惹かれたんだと思う。命がけで部下を助けるような正義感の強い人だから。自分に嘘がつけない素直な人だから。だから、僕もネルに対しては常に誠実でありたいと思います」
「その言葉を聞けて、嬉しく思います」
 安心したようにクレアが背もたれに体を預ける。
「良かったわね、ネル。理想の旦那様で」
「……あんたに私の将来を心配してもらう筋合いはないと思ったんだけれどね」
「あら、つれないわね。親友としては当然のことじゃない」
「……一つ、聞くけどさ」
 強引に彼女は話題を変えた。なにかしら、とクレアが答える。
「もしかして、私にけしかけてフェイトのところに来させたのは、あんたが私の花嫁姿を見たいっていう、それだけの理由だったってことはないだろうね」
 すると、親友は当たり前のように答えた。
「あら、今ごろ気づいたの?」
 大きくネルはため息をついた。
「あんた、いい陰謀家になれるよ」
「ありがとう」
「褒めてない」
 その二人のやりとりを聞いて、やっぱり親友なんだな、とフェイトは笑顔で二人を見つめていた。





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