29.ケンカするほど仲がいい

『この手に触れる』






「いいかげんにしろっ!」

 修羅場だ。その声を聞いた瞬間、通りがかったファリンとタイネーブは思わず身をすくめた。
 夏の夜の礼拝堂。一般の参拝が終わった後の時間。こんな時間に礼拝堂にいられるのは、シランド城に勤めているものしかいるはずがない。
 しかも、この声は二人もよく知るシーハーツの救世主。
 こっそりと、二人は礼拝堂の中をのぞいた。
(フェイトさんとネル様……?)
(修羅場ですぅ〜)
 非常に困ったという様子のタイネーブに対し、なぜかうきうき状態のファリン。
「だったらこっちだって言わせてもらうけどね」
 ネルがマフラーに顔を埋めながらフェイトを睨みつける。
「あんただって一度同意したんだから、つきあってもらう義務はあるはずだよ」
「ここまでする必要があるのかって言ってるんだ。だいたい、無理なものは無理だって最初に言ったじゃないか!」
「駄目だよ。これだけは絶対に譲れない。それは私の誇りにかけてもね」
 激しく睨みあう二人。
 何の話だかよく分からず、タイネーブとファリンは顔を見合わせる。
(いったい何の話をしているのかしら)
(ネル様、マリッジブルーですぅ)
(……ファリン、あんた、意味分かって言ってる?)
 既にフェイトとネルの婚約発表がなされてから三ヶ月が経っている。
 結婚を秋に控え、二人は仕事に式にとまさに眠ることもできないほど動き回っていた。
 こうして二人だけでいられる時間こそまるでないはずなのに。
(……喧嘩するほど仲がいいとは言うけれど)
(険悪ですぅ)
(婚約破棄とかに、まさかならないよね)
(クレア様が絶対に防ぐと思いますけどぉ)
 二人とも、この婚約発表がすべてクレアの企みで進められたことくらいは知っている。そして実際のところ、結婚式をすべて取り仕切るということで、本人たちよりも激しく忙しいのがクレアだったのだ。
 それはもう忙しいの一言につきた。まず隣国への伝達を行い、式次第の確定とそれに関して日程の調整、食事や引き出物の準備、もうありとあらゆる方面で活動していたのだ。
 そのクレアに泥を塗るようなことはまさかないと思うが。というか、この二人が仲たがいして別れるなど、いつもの二人からは想像もつかない。
「それ以上言うんだったら、今回のことはなかったことにしてもらうよ!」
 な。
 フェイトからついにその禁句が出た。それだけはまずい。ここまで結婚式が軌道に乗っているというのに、それを途中でやめるなどということは不可能に近い。
「今さらそんなことが通じると思っているのかい? それにあんたは一度OKしたんだ。それは契約違反っていうやつじゃないのかい? それに今回はあんた、すべてを理解した上で同意しただろう? 前とは訳が違うよ」
「すべてを理解だって? これのどこがすべてだっていうんだよ!」
 とにかくフェイトが怒っていて、ネルがまるで挑発でもするかのような発言を繰り返している。
 だが、とにかくまずい。結婚が取りやめになるようなことだけは防がなければならない。
 とはいえ、このフェイトとネルの喧嘩の仲裁などできるだろうか。不可能に決まっている。
 どうする。
 二人は再び目を見合わせた。
 クレアを呼んでくるというのが最良の方法だが、残念ながら彼女は昨日から式に関係することだということでペターニまで飛んでいる。早く帰ってきても明日の夕方だと言っていた。それでは間に合わない。
 だからといって、国王陛下に頼むわけにもいかず、ラッセル執政官は当然ボツ、エレナは……逆に二人を煽りそうだからボツ。
(どうする、ファリン?)
(あの中に飛び込むのは、死を意味すると思うけど)
(まあ、そうなんだけどさ。でもここでお二人をあの状態のままにしておくわけにはいかないよ)
(ううぅ〜、心臓が痛いですぅ)
(やるよ)
(分かりましたぁ)
 そして、フェイトとネルがにらみ合った瞬間だった。
 フェイトがさらなる一言をかけようとしたとき、大きな音を立てて二人が突入した。
「お二人とも、それは駄目です!」
「婚約破棄なんて、やめてくださぁい!」
 突然の乱入に目を丸くするフェイトとネル。
「ちょっ」
「なんだって、あんたたち」
「フェイトさん、何があったのかは分かりませんが、ネル様にだって理由があったはずです。もう少しお心を広くもってあげてください」
「ネル様もぉ、フェイトさんにだってできることとできないことがありますぅ」
 はあ、とフェイトがため息をついた。ネルもまた腕を組んでマフラーに顔を埋める。
「……お二人とも、また勘違いされましたね?」
 フェイトが静かに答える。二人はきょとんと勢いを止めた。
「……何をどう勘違いしたのかしらないけど、別に婚約破棄なんてことはないよ」
「ええ?」
「で、でもぉ」
「あんたたちね、もう少し状況を考えなよ。この状況を見て、どうしたらそういう発想になるんだい?」
 さっきとはうってかわって、落ち着き払った二人の様子。
 いったい、何がどうなっているというのか。
 そしてよく見ると、フェイトの格好がいつもと違って礼服になっているのに気づく。
「……コスプレ?」
「何を馬鹿なこと言ってるんだい。結婚式のときに着る衣装、どうするか選んでたんだよ」
「選ぶ? ただ単にネルが僕のことを着せ替え人形にして遊んでるだけじゃないか!」
「うるさいよ。こっちは真剣なんだ」
「だからって三時間も四時間も、こんなことを延々続ける必要はないだろう?」
「私だってね、あんたが一番いいと思う格好で式に出てほしいんだよ」
「だから、それが限度を超えてるっていうんだよ!」
 また始まった二人の口論に、タイネーブとファリンは、はあああ、とため息をついた。
「「ごちそうさまでした」」
 何も言う気も起こらず、二人は礼拝堂を出た。
「……私たちの役回りって、なんなのかしら」
「さぁ?」






 ちなみに。
 二人はその後、さらに二時間の激論をした後で、通りかかった大神官に仲裁してもらったとか。





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