指定された時間と場所。メモを確認して、リステルはギターをしまったケースを背負う。
 五月九日(日)。
 リステルは指定されたスタジオボックスへ向かう。時間は午後一時。雲量六の晴れ。若干肌寒い。
 今日は新生『TROY』の初の音合わせだった。 





第三話

球技大会

其ノ三 日曜の午後に





 もちろん今までギターどころか音楽すら全く興味がなかったリステルにとって、いきなり全員と合わせるなんていうことは無理なこと。今日はあくまでリステルが二週間どれだけ練習したかを確認する程度のものだ。
 スタジオ一番乗りは体格のいいドラムのゲン。個性的なメンバーを束ねるゲンがこの『TROY』のリーダーだ。当然、スタジオに予約を入れたり予定を決めたりするのは全てゲンが行っている。
「リステルか。早いな、まだ三十分あるぞ」
「あんたよりは遅い」
「それはそうだが、まあ俺のは性分だからな」
 身長はリステルとほぼ同じ。だが横幅が倍もあるのではないかと思わせるその体格は、ミュージシャンよりも格闘家を彷彿とさせる。
「ほう」
 ゲンが手を伸ばしてリステルの手を取る。
「ちゃんと一日五時間、練習したようだな」
 切れた指を見て満足そうに言う。
「暇だったからな」
 指が切れて使い物にならなくなって、雷斗と伊恩の力でヒーリングしてもらってまで練習した。それだけギターを弾くのは楽しかった。
「今日は練習の成果を見せてくれよ」
「そのつもりだ」
 とそこへ、三番手の紅一点、ベースのリンが登場する。
「やや〜?」
 挨拶もせずに二人の間に入ってきて、その顔を見交わす。
「熱愛、発覚?」
 突然何を言うのだろう、この天然娘は。
「ふざけたことを言うな」
「すみませ〜ん」
 てへっ、と舌を出して笑う。
 リンも女性ながらに長身だ。雷斗と同じくらいはあるだろう。いつも笑顔でぽやぽやとしているが、ベースを弾くときの表情はどこか恍惚としていて、この世のものではないようにすら見える。
「さて、スタジオも空いているそうだから、揃ったなら音合わせをするぞ」
「ツバサは?」
「あいつは時間ぎりぎりまで来ない。俺たちは機材のチューニングもあるから、前もって下準備がいるからな」
 今ではリステルも言っていることの意味が分かる。リステルのエレキギターはそのままではほとんど音が出ない。これを『あんぷ』と呼ばれるものにつないで『すぴーかー』から音を出す。なかなか面白い作りになっている。まあ、いまだにその原理はリステルには理解不能だったが。
「じゃ、さっさとやるぞ」
「ああ」
 そうしてボックスの中に入る。
 練習用のルームは非常にせまい。ドラムが最初からおかれているが、それでほとんど部屋の半分を占める。そしてアンプとスピーカー。それに申し訳程度のミキサーがついている。マイクは一本。
 接続の方法は自宅でもやっているためリステルにも分かる。だが、自宅の機材とは勝手が違うので、最初はリンに教えてもらうことにした。
「こことここをつないで〜」
「ああ」
「じゃ、音出して〜」
 軽く触れると、ボリューム最大で部屋の中が反響する。その爆音にリステルの鼓膜が悲鳴を上げた。
「こんなに音が強いのか」
「ん、ちょっと大きいかも。ライブハウスだとこれでも小さいけどね〜」
 部屋がせまい分、反響も大きい。当然の理屈だ。
「これでどう?」
 もう一度音を出す。それでも大きな音が響いたが、我慢できないほどではない。
「でも、これで苦しんでたら、次はきついよ〜」
「次?」
「じゃ、ゲン、お願い〜」
 ドラムスローン(椅子)に座ったゲンがいくつものドラムとシンバルを順に鳴らしていく。最後のシンバルに、またリステルの耳が痛む。
「ま、ドラムはこれが基本だからね〜。早く慣れないと辛いよ?」
「……当分は慣れそうにないが」
「だいじょぶだいじょぶ。リっちゃんならすぐだよ、きっと」
「ああ」
 と頷いてから顔をしかめる。
「……何て言った?」
「? リっちゃん?」
「その呼び方をやめろ。今すぐ」
「なんで〜? いいじゃない、可愛くて。リっちゃん」
「寒気がする。リステルと呼び捨てでいい」
「じゃあリスちゃん?」
「俺は小動物か」
「テル?」
「だから、略すな」
「うー」
「唸るな」
「リっちゃん、可愛いのに」
 ぶつぶつとそれでもまだ諦める様子もなく唸り続ける。
「んじゃ、ツバサが来る前に軽く音合わせしとくか」
 ゲンがドラムを軽く刻んでいく。それを見てリステルもギターをかまえた。
「どの曲が一番自信があるんだ?」
「Out of Control」
 さすがのゲンもそれには目を丸くする。
「難しいだろ、それは」
「練習はしてきた。まだ何度かつっかかるが」
「この短期間で弾けるようになったとしたら凄いことだな」
 とにかくやってみよう、ということですぐに三人が位置についた。
「リン、一応ボーカルの変わりやってくれ。声があった方がリステルもやりやすいだろう」
「お〜け〜」
「じゃ、行くぞ」
 ゲンが(本当に大丈夫か)と思いながら浅く腰掛けて、クラッシュシンバルを四回鳴らす。それがこの曲のスタート。
 直後スネアを八連打し、ベースとギターの高速演奏となる。
 だが、この曲のスピードに負けずリステルは見事に演奏をこなす。
(こいつ、初心者のくせに)
 音を聞けば分かる。ギターは普通、決められた音を出すことだけに集中するものだが、リステルはまだ数日しか弾いていないはずなのに。
(グリッサンドを使いこなしてやがるのか)
 ピックを持つ右手に対して、ネックの部分で音を決めるのが左手。この左手で音を出すときに弦の上を滑るように移動させて音を変化させていくのがグリッサンドだ。一音ずつ区切るハンマリング(叩くように弾く)やブリング(ひっかくように弾く)のと違って滑らかな音程移動ができる。
 前奏部分を完璧に弾き終えて、ベースのリンが出だしを歌いだす。この辺りからベースとギターは少し楽になる。
(才能、いや努力か。それだけ指がイカれてやがったからな)
 何度も血を流し、その上から肉が固まっていく。それだけ練習をしなければ短期間でこれほど上手くはならない。
 そしてサビの部分に入ったとき、同じ音が重なって聞こえてきた。
(ユニゾンチョーキングしてやがるのか)
 チョーキングとは押さえた指で弦を持ち上げて音を上げる奏法だ。二弦を同時に音を出し、片方をチョーキングすることで、二弦から同じ音を出すことができる。
(本当に初心者か、こいつ)
 間奏に入ってドラムがゆったりとしたリズムを刻む中、ギターのリステルは楽しそうに音を繰り出す。本来はオルガンの音が入るのだがそれがない以上、ベースとだけ音を合わせている形になる。
 そして次のボーカルに入る瞬間、扉が一瞬開いてツバサがもぐりこんできた。

【女の人はとても素晴らしい でもヘンなコもいるよね】

 やれやれ、どうやらリステルのプレイでご機嫌になって飛び込んできたらしい。まあ、これでリンも自分のベースに全力でプレイできる。
 次の間奏に入ったとき、高い音が一度出し切れなかったが、それ以外の高速プレイは完璧に弾きこなしてサビに入る。

【Out Of Control がんじがらめよ なんでそうなるの】

 そしてラスト。ツバサの絶叫とギターの高音がかぶって、フェードアウト。
 終わった瞬間、ツバサが「すげえ!」と叫んだ。
「リステルお前、いつの間にこんなに上手くなったんだ!? まだちょーっち間違いもあったけど、ほっとんど完璧じゃねーか!」
「暇だったからな」
「暇だけでこんなに上手くなれるもんかよ! あーもう、やっぱお前誘ってよかったー! 見てたっけ、チョーキングもグリッサンドも上手いじゃんかよ。でもま、ピッキングがダウンばっかだからアップピッキングをもーちょい練習してかないと、トレモロできなくなっちまうからそのあたりはまだ練習だな」
 途端にリステルの顔が歪む。それはケチをつけられたという意味ではなく、言っている意味が分からないという様子だ。
「ただ弾くだけではないのか?」
「ああ。ちょっち貸してみ。こうやってピックで下に弾くのがダウンピッキング。で、逆に下から上に弾くのがアップピッキング」
 ツバサが下から上に弾きながら【ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド】と演奏する。
「で、ダウンとアップを交互にやるとオルタネイトピッキング」
 下に弾いてド、上に弾いてレ、そして下、上と弾きながら同じようにドレミファソラシドを演奏する。
「後はこれを高速でプレイするとトレモロだ」
 同じ音をピックで擦るように連続して音を出す。
「上手いな」
 リステルが目を爛々と輝かせる。正直、自分の知らない奏法を目の前で見せられると興味が湧く。
「リステルならすぐに俺なんかより全然できるようになるぜ。ギターでめちゃムズイOut Of Controlを短期間でこれだけ弾けるようになってるんだからな。だろ、ゲン?」
「ああ。本気で驚いた。努力の賜物だな」
 正直にゲンが答える。リンも「すごいよね〜」とほんわか答える。
「他に何が弾けるんだ?」
「何曲かは。だがこれが一番自信があった」
「すげえなあ。どうだ、ゲン、リン。誘って正解だったろ?」
「そうだな。これなら次のステージも割と早く開けるかもしれん」
「最初はリステルにあわせて、プレイしないとね〜」
 つまりリステルが弾ける曲を中心に音合わせをするということだ。
「リステルは何が弾けるんだ?」
「なんとか最後まで弾けるのは五曲」
「げ。たった二週間で五曲も弾けるようになってんのかよ。初心者の癖に」
「ひたすら練習した」
 その言葉が示すとおり、本当にギターを弾くことしかしない二週間だった。自分がどんどん上達するのが分かるだけに、のめり込み方は半端ではなかったと自分ながらに思う。
「それに、自分もステージに立てるんなら友人を呼びたいしな」
 自分が演奏しているところをライトに見てもらいたい。
 そんな気持ちが入っているのは間違いないことで、リステルもそれを否定するつもりは全くなかった。
「そっかそっか。じゃ、どの曲ができるんだ?」
「【LADY NAVIGATION】と【BLOWIN'】【ALONE】【RUN】までだ」
「よし。それじゃ、その順番にやってみるか。
 それぞれが位置につく。そしてマイクに向かって、ツバサが息を吸う。

【N! A! V! I!】

 このフレーズから始まる曲は、前にライブハウスで最初にリステルが聞いた曲。だから思い入れも深い。正直、最初のこの出だしでリステルはしびれた。ライブハウスという独特の空間。そして、熱狂する観客の中に混じって、気付けば自分の中からほとばしる情熱を感じた。
 自分も、こんな音を出したい。
 だが、自分が求めているのは声を出すことではない。それは分かっていた。歌うことに興味があるのではない。その声の裏側を支える音を出す楽器を演奏すること。ドラムであったり、ベースであったり、シンセサイザーであったり、そしてギターであるのだ。
 今、願いがかなった。
 音を出すことは面白かった。一人でどんどん上達するのも嬉しかった。
 だが、音を合わせて、声に重ねて音を出すのはもっと楽しい。

 リステルは、生まれて初めて音楽の心地よさに身を委ねた。






「やー、良かった」
 スタジオから出てツバサが大きく伸びをする。満喫、とその顔が言っている。
「この分だと他の曲マスターするのもそんなに時間かからなさそうだな」
「努力はする」
「ま、焦らずやれよな。それから打ち合わせの通り、【さよならなんかは言わせない】と【愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない】の二曲だけは先にやっといてくれよな。次のライブには必ずそれやるんだから」
「分かった」
「じゃ、俺この後バイトあるから。じゃなー」
 すたこらさっさと駆け去っていくツバサ。来たときと同様、その名の通り飛ぶように消えていった。
「やれやれ。あいつにはかなわんな」
 ツバサがムードメーカーだというのは分かりきったことだ。
「じゃ、俺はこの後よるところがあるから、お前たちも早く帰れ」
「ああ」
「りょ〜かい」
 そうしてゲンと別れる。
「そ〜いえば、リっちゃんはどこに住んでるの?」
「だからリっちゃんはやめろ」
「うん。で、どこ?」
 多分何度訂正しても呼ぶんだろうな、と思いながら住んでいるマンション名を答える。
「へ〜。あの、すごい高いところだよね〜。お金持ち?」
「同居人がな。俺は単なる居候だ」
「ふ〜ん。それでバイトもしないで優雅な生活?」
 仕事というのか、一応王宮勤めなので報酬をもらって生活をしているのだが。
「一応仕事はしている」
 もっとも仕事らしい仕事というわけではないが。
「そっか〜。単なるぷーさんじゃないんだ」
「まあ、俺の仕事は定期的なものじゃない」
「な〜るほど。じゃ、この後ちょ〜っとお邪魔してもいい?」
 にこにこと笑いながら尋ねる。
「……どうしてだ?」
「きょーみあるから」
 にこにこと笑いながら答える。
「リっちゃんにきょーみあるの。ね、お家、行ってもいい?」
「今度にしてくれ」
 このまま彼女を連れ帰ったら、間違いなくセウルからの攻撃にあう。それは避けたい。
「じゃ、いつならいい?」
「……そのうちな」
 とりあえずそう返すしかない。分かった、とリンが答えた。
「じゃ、また今度ね」
 笑って横断歩道を渡る。その向こうから「ばいばーい」と大きく手を振る。
「変わった女だ」
 ため息をついたリステルは、そのまま帰路についた。







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