「自分の労働の対価として賃金をもらうんだ。人としてあるべき生き方じゃないか?」
「なんて生活力に満ちあふれた魔王だ」






【3−F】







 二人は朝起きるとすぐに行動を開始した。釧路の街中のホテルに泊まったのには理由がある。それは二人で釧路和商市場に行くつもりだったからだ。
 釧路和商市場。釧路駅からだと歩いて五分。レンタカーで来た二人は和商市場の地下駐車場に車を停めて、早速建物の中に入る。
 和商市場というのは、いわゆるデパートの地下街のようなもので、菓子や青果、惣菜なども出店している。だが、やはりメインは海産物。出店の半分以上を海産物が占める。
 港の朝市はどこも盛況だが、それはこの釧路港も例外ではない。かつて日本で一番の水揚量を誇った港。生きたままの魚や貝が秤売される。当然買いにくる人々も威勢のいい人ばかり。
「すごい活気」
 真央は見ただけで目を輝かせる。まあ真央のことだから気に入るのは間違いないと思っていた。
 自分には合わない場所だというのも分かっていたが。
「で、どうしようか」
「まああちこち見て回るが、その前に準備がいる」
 指を差す。その先に書いてあった文字。
「勝手丼?」
「ああ。丼に米だけついでもらって、あとはそこらへんの売り場からおいしそうなネタを少しずつ乗せてもらって自分のオリジナル丼を作って食べる。ちゃんと食べる場所もあるだろう?」
 指を差したところにはたくさんのベンチ。
「面白そう」
「偏り過ぎないように気をつけろよ」
「うん」
 というわけで二人で丼片手にあちこち市場を見回る。
「おー、兄ちゃん、うちの鯛うまいよ鯛!」
「こっちのイカはどうだい? 今が旬だよ!」
「お嬢ちゃんかわいいねえ、よーしイクラおまけだ!」
「夏はやっぱり海老だよ海老! ほらほら好きなだけ持ってけ!」
 というわけで、少し歩いただけであっという間に丼いっぱいの海産物。
「まだ半分も歩いてないのに」
「まあいいだろ。先に食べるとしようか」
 近くのベンチに座って二人で食べる。お茶は自前だ。
「おいしい」
「さすがに取れたては違う」
「解凍かも」
「いや、このご時勢にそれはないだろう」
 ただでさえ食の偽装表示が問題になっている昨今、わざわざ自分の首を絞める者はいない。いたらすぐに摘発されるだろう。
「来てよかったか?」
「うん。こんなに楽しいところだとは思わなかった。最終日は美味しい朝ごはんを食べに行くって聞いてたけど」
「美味しいだろ?」
「うん。美味しいだけじゃなくて、楽しい」
 そう。人の声が途切れず、取引が絶え間なく行われる。それを見ているだけでもまるで違う。
「お前はこれから、少しずつ人に慣れていかないといけない」
「人に?」
「ああ。来年の四月からは高校生だ。高校に入ってすぐにイジメにあっても困るしな」
「苛められたら苛め返すけど」
「敵を作るな。ただでさえお前は人間を好きにならないといけないからな」
 むー、と頬を膨らませる。
「そんな義務みたいに言われるのは嫌だな」
「確かに義務じゃない。だがお前が人間を好きにならない限り、お前は死ぬ。それが最初の決まりだ」
「うん」
「だからお前が人を嫌いにならないように、今のうちから少しずつ慣れさせておかないといけない」
「悠斗は」
 食べる手を止めて、真央がじっと見つめてくる。
「私のことを心配してくれているのか」
「お前、一回痛い目を見ないと分からないようだな」
 自分の声が低くなったのが自分でも分かった。
「いや、悠斗はいつも私で面白がってるだけかと」
「否定はしない。お前といるのは楽しいし、お前は面白い奴だよ。だがな、面白がってばかりだったらお前は五年で死ぬんだ。俺はお前に五年後もきちんと生きていてほしい」
「でもどうせ会えなくなる。私は別の世界に行って、二度と悠斗には会えない」
「確かにな。だが、お互い生きているだろう」
 あっさり言うと、真央は少しうつむく。
「二人とも生きているんだ。今こうしてお前と話して、市場で勝手丼を食べていることも、いつかは思い出になる。そのとき、お前が生きているのと死んでいるのとでは、全然違う」
「それは、そうだけど」
「確かにお前と会えなくなるのは寂しい。だが、お前が生きていてくれるなら、それが一番だと思っている」
 ふう、と大きく真央は息をついた。
「あなたにはかなわないな」
「たかが十五歳のお前に言われるのも複雑だ」
「将来の魔王に『かなわない』と言われるのがそんなに複雑か」
「こら、真央」
 隣に座る真央の頭を片手で、がし、とつかむ。
「ちょっと」
「お前は魔王にはならない。なったとしても人間に敵対するような奴にはならない。必ず俺がそうしてやる」
「分かってる。悠斗は約束を守る」
「そうじゃない。お前がもしも人間を殺そうとするなら、それは俺と戦うって意味だぞ。そんなことさせてたまるか」
 あ、と気づいたように真央が言葉を失う。
「ごめんなさい」
「それでいい。まあ、お前の境遇を考えればそれくらい言いたくなるのは分かるけどな」
 そうしてもう一度、食べかけの丼を手にする。
「さ、食べ終わったら行くぞ。今日はもう家に帰るだけだからな」
「うん」
「楽しかったか?」
「もちろん。あなたと一緒にいて楽しくないはずがない。でも、今回はそれだけじゃなかった。飛行機でも、ドライブの途中でも、観光地でも一緒だった。一緒にパークゴルフをして、旅館で一緒に朝日を見て、ホテルでは一緒に映画を見て、こうして一緒に賑やかなところでご飯まで食べて、これで楽しくないなんていったらバチが当たる。本当にありがとう、悠斗」
「礼を言うのはこちらの方だな。こんなに楽しい旅行は今までになかった」
「うん。でも、これで終わりじゃないだろう?」
 真央が少し照れたように言う。
「また連れていってほしい。北海道じゃなくて、また別の場所へ」
「そうだな。お前が高校に合格したら、合格祝いにどこかに行くか」
「うん。そのときまでに行きたいところを見つけておかないと」
「東北、九州、沖縄。観光地なんかいくらでもある。ゆっくり探せばいい」
「ああ。悠斗とまた旅行に来れる。こんな嬉しいことはない」
 幸せそうな笑顔で言う。真央がこうして嬉しそうにしてくれているのが、自分にとっても嬉しいことなのだと気づく。
「さて、そろそろ空港に向かうか」
「うん。ごちそうさまでした」
 きちんと礼をして立ち上がる。
「お土産とかはもういいのか?」
「うん。昨日、充分買ったし、あまり悠斗にお金を出させてばかりなのは申し訳ない」
「お前はそんなところでばかり律儀だな」
「そうでもない。そうだ、悠斗にお願いがあるんだ」
 歩き始めて真央が言う。
「アルバイトがしたい。あ、もちろん今すぐっていうわけじゃなくて、高校に入ってからっていうことだけど」
「突然だな。何かほしいものでもあるのか」
「ある」
 はっきりと答えた。
「何だ?」
「たとえば、悠斗の誕生日プレゼント。悠斗へのプレゼントを悠斗のお金で買うのは何か違う気がする」
「なるほど」
 確かにそれは納得できる。子供が親からもらったお小遣いでプレゼントを考えるのは全く違う。真央は完全に自立の精神を持っている。
「それは許可しよう」
「本当に?」
「ああ。お前は高校に行くことは目的だが、大学に行くことが目的じゃない。勉強に費やすのは高校の勉強についていくレベルで充分だ。無駄に勉強するより対人関係を磨いた方がお前にとってはプラスだろう」
「ありがとう、悠斗」
 本当に嬉しそうにはにかむ。
「そんなに働くのが嬉しいか?」
「嬉しい」
 真央がはっきりと言う。
「自分の労働の対価として賃金をもらうんだ。人としてあるべき生き方じゃないか?」
「なんて生活力に満ちあふれた魔王だ」
 社会人としての考え方を持つのはいいことだが、最終的に異世界に帰ることになっている真央にとって、教えておくべきことというのはあるのだろうか。
(まあそもそも異世界がどんなところかも知らないし、考えるだけ無駄か)
 どんな困難があってもくじけず、その場の状況に合わせて考えられる柔軟性と諦めない姿勢。そうした精神を鍛えた方がいいに違いない。それにはアルバイトはうってつけかもしれない。
「時間帯は制限するぞ」
「む。悠斗は案外過保護なのか?」
「なんとでも言え。ただでさえ物騒な時代なんだ」
「まあ、悠斗に心配をさせるのは私の本意ではない。それにきっと友人づきあいも出てくるだろうし、それほど辛くないのを選んで、自分に必要な金額だけを稼げればいい」
 自給六五〇円として、一日三時間、週に三回と考えれば、一週間で六千円弱というところか。四週間休まず働けば二万円は稼げる計算になる。
「どんなバイトを考えている?」
「そうだな。コンビニとかの店員でもいいし、レストランとかのウェイトレスでもいい」
 そうして話しているうちに名案がひらめいたというふうに言った。
「悠斗が心配なら、いい方法がある」
「なんだ」
「悠斗もそこでアルバイトするんだ。一緒に働くことができれば楽しい」
「お前、随分と自分に都合のいい考え方をするようになってきたな」
「当然だ」
 真央が真剣に言う。
「私は、悠斗と少しでも一緒にいたい」
 これは。
 なんという口説き文句。
「そうだな。お前と一緒にいると面白い」
「なら」
「だが、何事も一人でやらなければいけないこともある。アルバイトをするなら一人でやるように」
「悠斗は意地悪だ」
 少しその顔が膨れる。
「私がアルバイト先で先輩から性的嫌がらせを受けても悠斗はきっと『それも仕事のうちだ』とか言ってなぐさめてもくれないんだ」
「もしそんなことがあったらお前のアルバイト先に乗り込んで、その男の顔が変わるまでぶん殴る」
 すると、とても嬉しそうに、そして挑発的に答えた。
「悠斗は本当に頼りになるな」
「お前は意外にその場のノリで話すんだな」
 やれやれ、とため息をついた。






 釧路空港から、羽田空港へ向かって飛行機が離陸する。
 その間、予想通り真央はずっと自分の手を握りしめていた。
「本当に飛行機苦手なんだな」
「この間も言ったけど、魔王は普段地下にいるから高いところはにがひっ」
 ちょうど話しているところで飛行機が傾いたものだから、言葉が途中で切れる。
「面白い奴」
「魔王に断りもなく空を飛ぶ人間が間違ってる」
「どうして断る必要がある」
 やれやれと言うとまた飛行機が安定を取り戻す。どうも気流の影響で今日は飛行機が時折不安定になるようだ。
「悠斗」
「なんだ」
「次に旅行に行くときは陸上での移動を所望する」
「それは近場に限定するということか?」
「そうは言ってない。高速道路や新幹線、方法はいくらでもあるはずひっ」
 また飛行機が揺れて言葉が途切れる。もう笑うしかない。
「笑うな」
「いや、すまん」
「誠意がこもってない」
「苦手が少しある方が女の子はかわいいもんだ」
「……腕」
「なんだ?」
「腕、貸せ」
 自分が返事をするより早く、真央は自分の腕にぎゅっとしがみついてきた。
「やれやれ」
 だが、そうやって頼られるのが嬉しい。まったく、かわいい妹だ。
(旅行もこれで終わりだな)
 明日からまた日常が帰ってくる。さて、今度は真央をどうやって教育していこうか。







【4】

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