「お前、友人に俺のことを何て言っているんだ」
「別に、普通のことしか言っていない。気になるなら自分で確かめてみろ」






【9−A】







 その日、いつものように帰ってきた真央だったが、その後ろに見慣れない二人の学生の姿があった。
「お帰り」
「ただいま。すまない、悠斗。友人を連れてきた」
「友人?」
 学校のことはよく話題にしてくれているので、真央の友人といえば何人か思い浮かぶ。二人ということは、特に話題によく出てくる子だろう。
「境さんに、木ノ下さん?」
「おお、さすが悠斗。よく分かるな」
「お前が連れてくるとして、一番可能性のある名前だったからな」
 改めて二人を見る。一人は真央より背が低いショートカットの子。もう一人はかなり長身でスレンダーな子だった。
「はじめまして。真央の兄です」
「お噂はかねがねっ!」
 元気の良さそうな、長身の子が答える。
「真央ちゃんのお兄さんですね。はじめまして。いつも真央ちゃんからお話をうかがっています」
 小さい方の子が礼儀正しく頭を下げる。
 さて、真央は自分のことを何と言っているのだろうか、あまり追及したくはないところだが、あとでゆっくりと真央から話を聞かなければならないだろう。
「私の部屋でいいか?」
 真央が二人を案内する。友人を入れるのにもそれほどためらいがないのはいい兆候だ。というより、このマンションにまさか真央の友人が来ることになろうとは夢にも思っていなかった。
「突然ですみません。これ、どうぞ」
 小さい方の子がそっと箱を差し出す。
「気を使わせてすまないな。ええと、境さんでよかったかな」
「はい。真央ちゃん、私たちのこと、お兄さんにお話してるんですね」
 長身の子──木ノ下さんはさっさと真央の部屋に行ってしまった。
「まあ、唯一の話し相手だからな。学校で起こったことはだいたい聞いている」
「そうなんですか。真央ちゃん、学校ではお兄さんのことをよくお話されていますよ」
「あまりいい話ではなさそうだな」
「そんなことありません。私たちの年齢で、自分の家族のことを話したがる子って少ないと思います。真央ちゃんは本当にお兄さんのことが好きなんだと思います」
「好かれているのは自覚しているが、いつもがあんな調子だからな」
 わが道を行く。まあ、それが真央らしいといえばそうなのだが。
「お兄さんも、真央ちゃんのことが好きなんですね」
「まあな」
「安心しました。お兄さんと二人暮らしと聞いていましたから、仲を疑っているわけではありませんでしたけど」
 境さんは、心から安心したように笑顔を見せる。
「でも、逆に心配ごとも増えてしまいました」
「心配?」
「ええ。実は──」
「麻佑子」
 と、気づけば境さんの後ろには真央の姿。
「いつまでも何をしているんだ」
「ごめんなさい真央ちゃん。ちょっとお兄さんとお話を」
「ふうん?」
 真央はちらりと自分を見る。
「麻佑子の好みなのか?」
「格好いい方だとは思いますけど」
「そうか。悠斗はどうだ? 麻佑子みたいなのは好みか?」
「お前、いつからそんなに世話焼きになったんだ?」
 ため息をつきながら答える。
「なに、悠斗もこの一年以上、新しい彼女も作らないでいたわけだからな。妹としては心配だ」
 自分たちの状況が分かっていながら、どの口で言うのか。自分が真央のことを放置して他に女でも作ったなら、それは完全な任務放棄ではないか。
「茶なら持っていってやるから、早く友人を案内してやれ」
「ラジャー。麻佑子、こっちだ」
「あ、はい」
 境さんはそのまま真央の部屋に入っていった。
 やれやれ、とため息をつく。
(今のがよく話に出ていた、境麻佑子と、木ノ下笑美か)
 境麻佑子。一年B組所属。真央が高校を受験するときに隣の席で受験した生徒で、真央にとって最初の友人でもある。特別部活に所属するわけではないが、図書局に入って放課後はいつも本を読んで過ごしていると聞いた。
 もう一人は木ノ下笑美。同じく一年B組所属。陸上部で真央曰く『インターハイを狙える素質』の持ち主らしい。見た目通りの奔放で明るい性格をしており、気難しい真央とは合わない気がするのだが、どうもうまくつきあっているらしい。
(それにしても、わざわざこの家に連れてきたっていうのはどういうことだ?)
 ただ単に遊びに来させただけか、自分の友人の顔見せに来たのか。
 いずれにしても友人を連れてくるのは悪いことではない。人間と仲良くしていけば、最終的に真央は死ななくてすむ。
 さて、そんな真央とその友人のために何をしてやろうかと思ったが、別段自分が口を挟むことでもないと考え直した。妹の友人関係に踏み込むのは兄としてはやりすぎだろう。自分はあくまで真央にとっての一番の理解者であり、保護者であること。それだけだ。
 一度、茶と菓子を持っていった後は特別何もかまわなかった。今日は真央もバイトはない。遅くまでゆっくりしていられる。せっかく友人が来たのだから、食事当番くらいは代わってやってもいいだろう。
 頃合を見て準備を始める。すると突然真央がやってきた。
「気にしなくていい。私が作る」
「友人は?」
「いや、その友人たちに私の料理を振舞うことが今日の目的の一つなんだ」
「なるほど」
 料理については一通り既に教え終わっている。最近では自分で弁当も作るようになっている。最初のうちは暇だし自分が作っていたのだが、兄に作ってもらうというのがおかしいことだと周りから思われたらしく、自分で作り始めるようになったのだ。
「その間、二人の相手を頼む」
「俺に何を期待している」
「話し相手になってくれればそれでいい。二人はどうも、私より悠斗と話をしてみたいと思っているようだ」
 ふう、と真央もため息をつく。
「どうも二人はそれが目的だったようだ」
「なに?」
「悠斗を見たがっていたんだ。だからこんな、突然来ることになってしまった」
「話が見えないが、事の発端は?」
「今日の帰りにどこか遊びに行こうと誘われたが、食事当番だったから断ろうとした。そうしたら噂の兄を見せやがれ、と笑美が」
「お前、友人に俺のことを何て言っているんだ」
「別に、普通のことしか言っていない。気になるなら自分で確かめてみろ」
 というわけで、結局自分が二人の相手をすることになったらしい。二人は既にリビングにスタンバイしていて、自分が来るのを待っていたようだ。
「というわけでおにーさん、すみませんねー」
「申し訳ありません。真央ちゃんのお兄さんにぜひともお話をおうかがいしたくて」
 好奇心百パーセントの様子で二人が自分を待っていた。やれやれ、と思いながら腰を下ろす。
「それで、何の話を聞きたいんだ?」
 そう切り出すと、逆に何から聞けばいいのか二人は悩んでいる様子だった。
「お兄さんは、入試のときにお迎えに来られてましたよね?」
 境さんが尋ねてきた。もちろん覚えている。まだ人間と話すことがほとんどできなかった真央が話していた相手だ。忘れるはずもない。
「ああ」
「お兄さんが迎えに来るっていうのがなかなかないシチュエーションですよね」
「そうだよなー。うちなんかだっれも来てくれなかったしなー」
「二人はもう分かっているかもしれないが、真央は少し世間とずれているところがある。一人で出歩かせるのが当時はまだ、危ないところがあってな」
「あー、わかります、わかります。普通知ってるだろってことが全然知らないんだよなー。それなのに妙なことたくさん知ってたり」
「そんなところも真央ちゃんのチャームポイントですけど」
「まあな。女子からは羨望の眼差しで、男子からは友人感覚で、誰からも人気あるよなー」
 真央が人気がある。それは今まで本人の口からは聞いたことのない情報だった。
「そうなのか。あまりそうしたことは聞かなかったが」
「ま、さいたま第一高校で、掛け値なしで一番人気でしょー。真央のことを知らないやつはうちの高校にはいないっすよ」
「男子からはよく交際を申し込まれているみたいです」
 それも初耳だった。真央は何も言わなかったが。
「ほう。撃墜された男の人数は何人なんだ?」
「あら、おにーさん、真央がオーケーしたとは思わないんですか?」
「ああ。実際、誰ともつきあっていないんだろう?」
「ま、そうですけど」
「少なくとも私の知っている限り、真央ちゃんに振られた方は両手では数えられません」
「十人以上か。随分人気だな」
「真央ちゃんは決して偉ぶらないですし、謙遜もしません。それでいて人の心を汲んでくれもします。真央ちゃんと話していて悪い気がする人はいないのではないでしょうか。女子なら誰だって真央ちゃんと友達になりたいと思うでしょうし、男子なら誰だって真央ちゃんとつきあいたいと思うに違いありません」
「やー、でも真央の相手となったら、よっぽどの男でないとつりあわないぜ。真央が何でもできるだけに、中途半端な奴なら真央も相手もうまくつきあえないんじゃないか」
「そうですわね。正直、同年代に真央ちゃんとつきあえる方はいないのではないかと思います」
 同年代どころか真央の相手など誰も無理だろうと思う。性格のこともあるが、何しろ真央は魔王なのだから。
 それに、あと三年半もすれば真央はこの世界からいなくなる。そうしたらつきあっていた相手を悲しませるだけだ。真央がもし異性に本気になったとしたら、絶対につきあうようなことはしないだろう。
「ま、今日ここに来て、真央が男に興味がないっていう理由が分かったけどな」
「はい。真央ちゃんのおっしゃる通りでしたから、かえってびっくりしました」
「何のことだ?」
「真央ちゃん、お兄さんのことが本当に好きなんです。だから男性を見たらお兄さんと比べてしまうのだと思います」
 なるほど、と思う。だが自分が対象ならたいしたものではないと思うのだが。
「正直、おにーさんと真央だったらちょうどいいって思うよな」
「そうですわね。そうなると禁断の恋ということになりますわ」
「兄妹愛かー。ま、さすがにそれはないだろうけど」
 苦笑する。自分たちのことを話すわけにはいかない。
「ところで、おにーさんは昼から家にいましたけど、大学とかは?」
「家でできる仕事をしていてね」
「そうだったんですね。真央ちゃん、最初の頃は早く家に帰ってお兄さんに会わなきゃってよくおっしゃってましたから、どういうことかと思っていましたけど」
 なるほど。兄にべったりの妹と見られているわけか。
「でも、お父さんとかお母さんのお話を真央ちゃんからされたことはなかったんですけど」
「両親はいないからな」
 つらっと答えた言葉に、二人の表情が固まる。
「だから俺があいつを養っている。俺にべったりしすぎているのはそのせいだろうし、男と話が合うのもそのせいだろうな。真央はずっと病院で生活してきて、ようやく学校にも通えるようになった。おかげで世間のこととかはよく分からないし、人付き合いも本当はまるで駄目だった。去年ようやく退院して、最初のうちは人見知りが激しくて、自分から他人に話しかけることもできないくらいだった。それが今ではこうして、毎日楽しく高校に通わせてもらっている」
 そして改めて二人を見てから頭を下げる。
「境さんと、木ノ下さんのおかげだと思っている。本当にありがとう」
「や、ちょっ」
「私たち、真央ちゃんに何も」
「いや、真央が家で二人のことを話題にしない日はほとんどないよ。よほど君たち二人のことを気に入ったみたいだ。真央は学校であったことのほとんどを俺に伝えてくれている。告白されたことまでは教えられていなかったが、真央が校内で起こったことはだいたい分かっているつもりだ。最初に真央に声をかけてくれたのは境さんだったね。友達になってほしいと言われた真央は、とても喜んでいた。あの入試の日だった」
「は、はい」
「木ノ下さんのことも聞いている。宿泊研修のとき、何をどうしていいかわからない真央を始終助けてくれたみたいだね。本当に二人がいなかったら真央は高校生活が全然違ったものになっていただろう。二人には感謝している。ありがとう」
 そう、感謝しなければいけないのだ。自分を含めて、この世界に生きる人々はみな、この二人に感謝しなければならなくなる。何しろ、魔王が人間を好きにならなければ、魔王が復活してしまうのだから。
「これからも暇があったらいつでもうちに来てほしい。そして真央の話相手になってあげてくれ」
「は、はい」
「喜んで。真央ちゃんは私たちの大事な親友なんですから」
「ありがとう。真央も喜ぶ」
 そう言って笑顔を見せると、二人は改めて顔を見合わせた。
「どう思います、笑美さん」
「ん。アタシはアンタの言った通りだと思うね」
 何の話かと待っていると、やがて二人から次のように言われた。
「真央ちゃんが男に興味ないのは、多分お兄さんがあまりに素敵すぎるからですね」
「同感。というより、真央は普段のおにーさんのように学校で生活してるんだ。だから雰囲気とかが似てるんだよ。おにーさんが真央に似てるんじゃなくて、真央がおにーさんに似てるんだ」
「それはどうも。少しは女らしいところがあってもいいと思っているんだけどな」
「真央ちゃんは充分女らしいですよ。だって、お兄さんのことが掛け値なしに大好きなのですから」
「むしろアタシが彼女に立候補したいくらいだよ。っていってもご迷惑ですか?」
 さすがにそうはっきりと言われると答に窮する。少なくともあと三年半、自分は真央以外の女性を見るつもりは少しもないのだから。
「随分、盛り上がっているみたいだな」
 と、そこに噂の主が顔を見せた。
「盛り上がっているのはお前のことだ」
「そうですよ。お兄さんがどれだけ真央ちゃんのことを思っているのかを根掘り葉掘り聞いただけです」
「やー、真央はこんなおにーさんがいて幸せだなあ」
「何を言っている」
 やれやれ、と真央はため息をついた。
「私は悠斗がいなければ生きていけない。いまさらそんなことを言わせるな」

 その発言で、自分も含めて三人は見事に凍り付いてしまった。







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