「いや、さすがに悠斗だ。私の弱点を的確についてくる」
「そんなつもりはなかったんだが」
【11−B】
そういうわけで、連休初日の五月一日は羽田空港から中標津空港へ一気に飛ぶことになった。飛行機の空席は最後の二席ということで、もしもこれが手に入らなければ行くこともできないところだった。ゴールデンウィークの予定は早めに立てなければいけないということを改めて感じさせられた。
相変わらず飛行機の苦手な真央は、離陸と着陸の瞬間はまたぎゅっと目を瞑っていたが、それ以外はほとんど問題なく中標津に定刻十三時十分に到着した。
到着ゲートから外に出ると、既にみやこはそこで待っていた。小さく手を上げて迎えてくれる。真央は小走りにみやこに近づいていった。
「お待たせしました」
「全然よ。来てくれてありがとう、真央ちゃん。それにお兄さんも」
「世話になる」
「手続きをしただけだもの。さすがに直前だったからあまりいいホテルは取れなかったけどごめんなさい。それに、運転は交代でやってもらうわよ」
「ああ」
あらかじめ旅行前にお互いの行動予定は伝達済みだった。みやこは四月二九日、今から二日前に釧路に到着しており、二日間自由行動を楽しんだ後だった。
「もう多和平は行ってきたんですか?」
車に乗り込みながら真央が尋ねる。
「ええ。あそこは私の思い出の場所だから」
みやこが優雅に答える。
最初の運転手を務めることになり、最初の目的地に設定したのは以前も行ったことのある摩周湖だ。
一度行ったことのある場所なのにどうしてまた行くのかと真央に尋ねると「思い出の場所だから」と答えた。みやこにとっての多和平がそうであるように、真央にとっては摩周湖こそが大切な場所なのだろう。
「悠斗はもう忘れたのか?」
「何をだ?」
「摩周湖で、私の笑っている顔は可愛いと言ってくれた」
もちろん覚えている。覚えているが、何もみやこがいる前で言わなくてもいいだろうに。
「あらあら。仲のよろしいこと」
「まあ、悪くはないな」
「気のない言い方だな、悠斗」
「お前にはTPOを教える必要がありそうだ」
ため息をつきながら車を発進させる。
後部座席に真央とみやこが乗ってあれこれと話している。今回の旅はドライバーになりきった方がいいのかもしれない。
そうしてついた摩周湖は、今度こそ霧がかかっていて何も見えなかった。
「これが霧の摩周湖か!」
逆に一度目が快晴の摩周湖だった真央にとっては、あまりの霧の濃さに感動していたらしい。人の感動するポイントというのはなかなか違うものだ。
「これだけ濃いのは珍しいわね。霧がかかってても湖面が見えるくらいのときもあるのよ」
みやこが説明する。さすがにベテランの発言は違う。
「みやこさんは何回くらいここに来てるんですか?」
「北海道だけで十回以上は来てるわ。摩周湖はこれで四回目。こんなに霧が濃いのは本当に初めて」
「随分北海道を気に入っているんだな」
「ええ。いっそ北海道に住みたいくらい、大好きよ」
そこまで言い切れるのはたいしたものだが、それなら何故実行しないのだろうか。
「それで、お兄さんは真央ちゃんに『笑った顔が可愛い』って言ってあげないの?」
真央がわくわくして待っている。真央を喜ばせるのはかまわないのだが、それを第三者の目の前で行うのは勘弁してもらいたい。
「というわけで、私は少し席を外してるわね」
そんな雰囲気を読み取ったのか、みやこは一人展望台を降りて売店の方へと向かっていった。
「やれやれ、調子が狂う」
「でも、みやこさんは本当にいい人だ」
「いい人なだけならいいんだがな」
正直、ここまで自分たちに関わる理由もない。本当に真央がただ気に入っただけなのか。それとも──
(まあ、魔王云々のことを考えても仕方がないな)
気になるなら乃木にでも調査させてみてもいい。だが、それは全て旅行が終わってからにしようと考えた。
「それで、悠斗は何か私に言ってくれないのか?」
今度は自分から尋ねてきた。
「期待されると難しいものだな」
「前回は意表をつかれたからな。今回は準備万端だ。さあ、いつでもいいぞ」
「そうだな」
少し考える。が、最近のことを率直に伝えればいいと思いなおした。
「お前は綺麗になった」
「は?」
「綺麗になった。二年前に初めて出会ったときはただの子供だったんだが、少しずつ感情を出すことができるようになったし、心も体も成長してきている。お前は自分で思うよりもずっと綺麗になっているよ」
そう言うと、真央はくるりと向こうをむいてしまった。
「相変わらず褒められるのは苦手か」
「いや、さすがに悠斗だ。私の弱点を的確についてくる」
「そんなつもりはなかったんだが」
苦笑しながらその肩にぽんと手を置く。
「もっと、思い出が深くなったか?」
「なった。私がこの世界からいなくなるときに、もう一度ここに来たい」
「そうだな。高校を卒業すればいくらでも旅行もできるからな。何回でも来ることはできるだろうが」
「また、連れてきてくれるか?」
「お前が望むなら」
「それなら、ぜひ」
「了解しました、姫君」
うやうやしくお辞儀をする。真央が吹きだして笑う。
「似合わないぞ、悠斗」
「そうだな。だが、お前は魔王というより、むしろ姫で似合うだろう。お前が着飾ればどこの王族よりも綺麗になる」
「もうそれ以上は駄目だぞ、悠斗。照れる」
堂々と照れるといわれても本当に照れているのかどうか分からないのだが。
「そうだな。そうしたらそろそろ戻るか。湖面を見ることはできなさそうだからな」
そうして二人が駐車場まで戻ってくると、既にみやこは運転席で二人を待っていた。
「お帰りなさい」
「運転はいいのか?」
「ええ。二人を連れていきたいところがあるのよ」
そうして車が発進する。来た道を逆に戻り、東の方へ抜けていく。
「せっかくだから、湖面を見たいと思わない?」
「それは、まあ」
「見やすいところがあるのよ。霧が発生するのは西側に集中するから、逆に東側からなら晴れていることが多い」
そうして車で十五分ほど走ったところで別の展望台に到着する。駐車場は狭いが、それほどたくさんの車が止まっているわけではなかった。
「裏摩周展望台よ」
駐車場から降りると、第一展望台のときとうってかわっての快晴だった。
「湖面が見える!」
「ね、こちら側は晴れてるでしょう?」
第一展望台に比べて広い範囲を見渡すことはできないが、それでも神秘的な湖面を眺めることは可能だ。
「この間はこっちまで来なかったんだよな」
真央が尋ねてくる。一昨年に来たときはちょうど摩周湖が通過ルート上だったため、ぐるりと周りを見ていくことができなかった。だから裏摩周まで来ることができなかったのだが。
「この間は第一展望台も第三展望台も充分晴れていたからな」
「そうだったな。うん、霧の摩周もいいけど、やっぱり湖面が見えるのが一番だと思った」
真央が目を輝かせて湖面に食い入る。充分に景色を堪能してから今度は愛用のデジカメを取り出して写真撮影。
「すみません、写真撮ってもらえますか?」
一通り景色を撮影してから、数少ない観光客に声をかけて写真を撮影してもらう。三人そろって摩周湖をバックに撮影。
「ありがとうございました」
「あ、僕たちも撮ってもらえますか」
逆に撮影をお願いされた真央。
「はい。いいですよ」
相手はカップルで、手をつないで映っていた。そうしてカップルはまた車に乗ってどこかへ向かっていった。
「うらやましい、真央ちゃん?」
「え?」
「素敵な男性と一緒に映りたいって思わない?」
「素敵な男性……」
真央が何故か見つめてくる。
「そうよね。お兄さんと一緒に映りたいわよね」
「何か無理やり言わせているような気がするが」
「何よ、少しくらい妹のために彼氏役をやってあげなさいな」
すっかりお姉さんのようになったみやこがデジカメを手に取って自分たちを並ばせる。
「ほらほら、もっとくっついて」
「俺でいいのか?」
「そうだな。私にはまだ好きな人というのがいない。それなら悠斗が一番いい」
す、と真央が手を取ってくる。
「それじゃいくわよ。はい、チーズ」
撮影された画像を真央がすぐに見に行く。それを見て嬉しそうな笑顔を見せた。
「ありがとう、みやこさん」
「どういたしまして。それで、お願いがあるんだけど」
みやこは真央に向かって両手を合わせた。
「私もよかったら、お兄さんと一緒に写真撮ってもらえる?」
「いいですけど」
「そう、良かった」
そうして場所を交換してみやこが隣にやってくる。
「良かったわね、美女たちからモテモテで」
「自分で言うか」
すっかりこの女性の性格というものが見えてきた。かなりのいじめっ子だ。
「それじゃ、いいかしら」
するり、と手が伸びて腕を組んできた。自分の顔が歪んだのが分かった。
「彼氏役でしょ。嫌そうな顔しないの」
やれやれ、と思いながらカメラの方を向く。
その真央も、何故か顔をしかめていた。
「それじゃ、いきます。はい、チーズ」
撮影した画面を見てから、何故か真央の表情が元に戻り、デジカメをみやこに渡した。
「あらあら、彼氏さん、ひどい顔」
よほど仏頂面だったのだろうか。
「すまないな、こんな顔で」
「いえいえ。真央ちゃんのときの顔との違いといったらないわね。よかったわね、真央ちゃん」
くすくすとみやこは笑う。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか。次の目的地が待ってるわよ」
「次?」
「ええ。私のオススメの場所。神の子池」
聞いたことのない地名だった。
「最近になってから有名になってきた場所なんだけど、私はもう十年近く前から好きな場所なのよ」
「初めて北海道に来たときからということか」
「あら、よく分かったわね」
自分の問いに、みやこが嬉しそうに答える。
「当時はデジカメとかまだ普及しはじめた頃だったから、旅の記録を写真に撮ってHPに掲載とかっていうこともほとんどなかったから、ほとんど知られてなかったのよね。ひっそりとした穴場だったのに、ここ数年はいつ行っても観光客がいるから静かに見られないのが残念だけど」
「そんなにいい場所なんですか」
真央が感心したように尋ねる。
「ええ。とにかく行ってみた方が早いわね。そんなに時間もかからないわよ」
そうして車に乗り込んで移動する。もう道を覚えてでもいるのだろうか、地図もナビも使わずに車を発進させていく。助手席には真央、後部座席に自分が乗った。
「ごめんなさいね、勝手に旅程を組んでしまって」
後部座席の自分に声をかけてくる。
「他人の組んだ旅程で動くのもたまにはいいと言ったはずだ」
「そうだったわね。どうかしら、真央ちゃん。裏摩周は」
「良かったです。せっかく摩周湖まで来たのに湖面が見られないのは残念ですから」
「次はもっと感動してもらえるわよ」
自信満々の台詞だった。それほどのものならば来たいさせてもらうことにしよう。
「ついたわ」
しばらく運転した後で駐車場に停まり、そこから歩いて移動。裏摩周よりも車の台数がはるかに多い。
「やっぱり多いわね。あまり落ち着いた感じじゃないかもしれないけど、多分納得してもらえるわ」
目的地はそれほど遠くなかった。少し歩いた先に「ここよ」と示される。
「うわ」
「これは」
思わず声が出た。
池はそれほど大きくはない。もしも平地だとしたら、一周一分もあれば歩くことができるだろう。
だが、問題はその色。木々の間にたたずみ、周囲は草で囲われているその池は、エメラルドブルーに輝く。
「綺麗。青い」
普通の青さとは違う。着色したのでもなければ、海や空の青とは全く違う。池の底から輝くような青。これは何と表現すればいいのだろう。
「これはすごい」
「感動した」
二人でその神秘的な青い池に心をとらわれていたが、やがて思い出したように真央が写真を撮り始めた。
「これはすごいな。本当にすごい」
「満足してもらえた?」
「はい。こんな綺麗な池、見たことがありません」
「そうでしょうね。私も来るたびに心が洗われる感じがするわ。嬉しいときはその気持ちが強くなって、悲しいときはそれをなぐさめてくれる。自然ってすごいわよね。こんな奇跡みたいな池が存在するんだから」
池を見ながら、いや、どこか遠くを見ながら話すみやこに、真央が頷く。
「ありがとうございます、みやこさん。こんなに素敵な場所を教えていただいて」
「気に入ってくれたのなら何よりよ」
それ以上の言葉はいらなかった。自分たちはしばらくその奇跡的な池に心を奪われていた。
【C】
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