「私の知ってる悠斗と違う」
「俺のことをどう思っていたのかがよく分かる台詞だな」
【14−C】
しかし、こういう偶然がはたしてどれくらいあるものなのだろうか。三年前に別れたはずの女性と、ハンバーガーショップの中でめぐり合うというものは。
まあ、長く生きていれば顔見知りも増えていくわけで、知り合いと偶然すれ違う可能性というのは増えていく一方になるはずなのだが、自分の場合はそれがとりわけ多い気がする。何しろ、みやこと再会したのも偶然の産物だ。
「驚いたわ。まさかあなたと会うことがあるなんて思わなかった」
朋絵は自分と真央を見比べてから、手に持っていたトレイを見た。
「邪魔?」
まあ、真央がいるので遠慮はしてほしいところだが。
「私ならかまわないぞ、悠斗」
真央が無表情で言う。やれやれ、あとで質問攻めにあいそうだな。
「ということらしい」
「そう。なら、隣失礼するわね」
もちろんぴったり隣に座るという意味ではなく、一つ席を置いた隣にトレイを置いた。
「はじめまして。私は佐々木朋絵といいます。悠斗とは──」
「昔つきあっていたと聞きました」
真央が相手の言葉を遮って言う。
「そう。知っているのなら遠慮しなくてもよさそうね」
「悠斗はあなたのことを大人で美人だと言っていた。あと、本人は何ともない様子を見せていたけれど、あなたと別れたことをとても残念に思っていた。本当だ」
真央がそう言うと、朋絵が驚いて目を見張る。それからこちらを見る。
「私のせいで別れなければならないと聞いた。とても申し訳なく思う。でも、私にも悠斗が必要で、それは三年前よりも今の方がずっとそうだから」
「愛されてるわね、悠斗」
「まあな」
ため息をつく。真央はわりと誰にでも自分のことをそう紹介するのだが、まさか朋絵にまでそう言うとは。
「でもね、心配しないで。私も別に今さら悠斗とよりを戻そうとか思ってないから。今も他に付き合っている人だっているし、それに、悠斗にはあなたの方がお似合いだと思うわよ」
「お似合い?」
「ええ。何ていうのか、雰囲気がとてもよく似ているわ。一瞬、悠斗が二人いるのかと思っちゃったくらい」
「言いすぎだろう、それは」
どうも居心地が悪い。被保護者と昔の彼女。何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなにも居心地が悪いものなのか。
「仕事はどうしてるの?」
その話はもうそれでおしまい、とでも言うかのように朋絵が話しかける。
「まあ、なんとか」
「昼間から若い女の子といちゃいちゃできるような仕事というわけね」
「棘があるな。相変わらず仕事が大変なのか?」
「そりゃあもう!」
思わずテーブルを叩きつけようかという勢いで言った。
「こっちが休みナシで働いてるってのにぽんぽん仕事を入れてくるんだから、私が辞めたらどれだけ会社が困るか、試してやろうかって思うわ、本当に」
「さすが営業成績ナンバーワン」
「昔の話よ。今は別に営業とは関係ないもの」
ふう、と朋絵はため息をつく。
「性格的に営業の方があってるんだけどね。どうも私が一位を取ると、他の社員がやっかむからやらない方がいいみたい」
「やっかむのが狭量だと思うがな。別にお前は自分の成績をひけらかすようなことはしないだろうし」
「でも、営業成績一位っていうことは、ある意味出世街道に乗れるってことじゃない。それを女の私が取っちゃうとねえ。うちの会社、女性は結婚したら退職みたいな流れがあるから」
「お前みたいに優秀なやつを外に出すなんて、もったいないな」
「悠斗はいつだって私を甘やかすわよね」
くすくすと朋絵が笑う。
「実は、今の彼は悠斗とは真逆なのよ」
「どんなふうに」
「単純。早く仕事をやめて嫁げって、そればっかり」
「自分の手元においておきたいんだろうな」
「そういうことよね。私が手元で飼われているだけの小鳥だとでも思ってるのかしら」
「なんだ、今の彼に不満か」
「満足もしてるし、不満もあるというところかしら」
んー、と朋絵が考えながら答える。
「悠斗みたいに冷たくないから、愛されてるって分かるんだけど」
「そりゃ失礼」
「でも、一緒にいて波長があうっていうか、安心できるっていうか、そういうのが足りないのよね。悠斗との付き合いが楽だったから、そう思うのかもしれないけど」
「楽だったのか」
「楽だったわね。私は基本的に自由にしていられたし、かといって悠斗と一緒にいようと思ったら必ず時間を作ってくれるし。甘えてもくれるし、甘えさせてもくれる。私の期待通りに。それはとても楽なんだけど、何だか見透かされてるみたいで怖くもあったわね」
「欲張りだな。それなら、いったいどんな相手を望んでいるんだ?」
「難しいわねえ」
朋絵が首をかしげた。
「理想を言うのなら、今の悠斗ね」
「なんだそれは」
「気づいてないの? 今の悠斗は、私とつきあっていたころより断然相手に優しい顔を向けてるわよ」
ちらりと真央を見る。真央は何も言わずにこちらを見た。
「悠斗は昔から、付き合っている女の子に執着しなかったから。束縛されるのが大嫌いだったし。ただ、付き合っている相手には親切で優しいのよね。相手の望む彼氏でいようとしてくれるんだけど、それも自分が望んでいるわけじゃなくて、『彼氏というのはそういうものだからする』っていう作業的な感じで」
「ひどいことを言われているな」
「でも、今の彼女はそうじゃないんでしょ? 見れば分かるわ。あなたとその子を見たのはこれで二回目だけど、あなたの顔が全然違う。私の知ってる悠斗と違う」
「俺のことをどう思っていたのかがよく分かる台詞だな」
やはり一緒に座るんじゃなかったか、と思った。
「というわけで、安心なさいな。あなたの彼氏は、心からあなたのことを思ってくれているから。だいたい、悠斗が三年も誰かと一緒にいるなんて、大金積まれてもやってくれるような人じゃないし」
真央の目が見開かれる。そう、真央は知っている。五年間真央と一緒にいることで、自分には大金が入ってくることを。
「本当ですか」
「ええ。もしも私が一億円もって悠斗に『これで三年、私と一緒にいて』なんて言ってもきっと『金で飼われる気はない』ってあっさり断られるのが落ちよ」
「そうなんだ」
改めて真央がじっと自分のことを見る。もちろん真央は自分が真央といたいから一緒にいるのだということを疑ってはいないだろう。だが、こうして他人の口からはっきりと言ってもらえると心強いに違いない。
「ありがとうございます、朋絵さん」
「どういたしまして。それにしても悠斗、随分若い女の子引っ掛けたのね。いくつ?」
「十八になりました」
「三年付き合ってるわけだから、当時十五歳か。犯罪よ、悠斗」
「誤解するな。被保護者だ。電話でもそう言っただろう」
「そうだったかしら。でも、実際に血がつながってるわけでもないんでしょうし、将来は結婚とか考えているの?」
「対外的には兄妹だと押し通すところなんだが」
何分、ある程度事情を知っている相手だけに、そういう言い逃れができるはずもない。
「それで?」
「悪いがお前も俺たちにとっては部外者だ。何も話すことはできない」
拒絶する。それしか手がない。
「ふうん。一つだけ確認しておくけど、犯罪に手を染めたりはしていないのよね?」
「お前はどんな目で俺を見ていたんだ」
「こんな目」
うすら笑いでドン引きな目をする。最悪だ。
「それなら逆に、マフィアとかに追われていた彼女をかくまっているとか」
「そんなところで頼む」
「OK。ま、私が部外者だっていうのはいまさら言われるまでもないし」
やはり電話のことを根に持っていたか。
「ところで悠斗、知りたい?」
「藪から棒に、いったい何を」
「私が別れるときに詰まれた手切れ金」
そういえば付き合うなと命令されていたとか言っていたな。
「脅されただけではなかったのか」
「ええ。脅されただけじゃなくて、今別れてくれればこれだけ出すって言われたわ。何のドラマかと思ったわよ、本当」
「百万くらいか」
「三百万よ」
あっさりと答える。
「本当はその十倍もらっても別れる気なかったんだけれどね」
「それなら、どうして別れた?」
「知りたい?」
「そうだな。お前も俺と同じだ。金を積まれて自分の生き方を曲げるようなヤツじゃない」
「評価してくれてありがとう。でも、別れた理由は簡単なことよ」
朋絵はドリンクの最後の一口を飲んでから言った。
「あなたが言ったのよ。生きていても、何も面白さを感じたことがない、って」
冷たい言葉だった。少なくとも、今つきあっている相手に対して言うような言葉ではない。
「私のことも、付き合っていて面白いと思ったことはなかったんでしょう?」
口を開こうとすると、朋絵は手を上げてそれを止める。
「いいわよ、何を言っても言葉だけ取り繕ってるのは分かるから。でも、私があなたと別れることにした理由はそれ。私があなたを必要としていても、あなたが私を必要とすることなんて絶対にないと分かった。だから別れたの」
さて、と朋絵は食べ終わったトレイを持って立ち上がる。
「これからまだ仕事だからがんばらないとね。ああ、そうそう」
朋絵が真央に向かって笑顔を向ける。
「少なくとも今の悠斗は、あなたのことをとても気に入っているみたいよ。だから、悠斗をよろしくね」
「はい」
「それじゃ」
言い終えると、先に朋絵が外に出ていく。やれやれ、とため息をついた。
「なかなか興味深い話だった」
「何も面白いことはなかったと思うが」
「そんなはずはない。私の知らない悠斗のことだ。どんなことも面白いに決まっている」
それから真央は目を伏せる。しばらく何かを考えてから、目を開けた。
「あなたは言ってくれた。私のように面白い奴と一緒に暮らしていくのが楽しい、と」
「確かに言った」
「あなたにとって私はやはり特別なのだな」
「何を今さら」
「いや、実感しただけだ。朋絵さんには申し訳ないと思うけど、悠斗が私を特別に思ってくれるのが嬉しい」
そして真央は自分の右手を胸にあてる。
「そして感謝する。いろんな人が私を悠斗に会わせてくれた。いろんな考えがそこにあるのは分かる。でも、私がこうして三年も悠斗と一緒にいられたのは、そうしたいろんな人のおかげだということが」
「感謝の気持ちは大切なことだと前にも言った記憶はあるが、別にお前はお前の望むままにしていればいい。お前が幸せであることが、誰にとっても嬉しいことなんだから」
「そうしよう。というわけで話を戻すぞ、悠斗」
「何に」
「決まっている、麻佑子のことだ」
忘れてなかったのか、と頭を押さえた。
【15】
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