女子高生、初めての後輩ができる

「天野真央です。よろしくお願いします」
 と、千穂にきれいな礼をしてきたのは、このたび改めてマグロナルド幡ヶ谷店のクルーとして採用された天野真央という一つ年上の後輩だった。
「あ、佐々木千穂です。よろしくお願いします」
 自分の方が先輩だが、相手の方が年上だ。どうせなら自分が先輩で年上か、相手が先輩で年上かだったら何も気兼ねする必要ないのに、どうすればいいのだろう。
「ま、ちーちゃんは年下だが、クルーとしては先輩だからな。何かと面倒を見てやってくれ」
 木崎店長からじきじきに声をかけられ、気合も入る。
「わかりましたっ!」
「まあ、後輩の指導は真奥くんと三浦くんに頼んである。ただ、ちーちゃんはこうして週一回、火曜日のシフトが同じになるからな。何かと頼まれることが多いと思う」
「はい。天野さん、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 もう一度、天野真央という子は丁寧に礼をする。
「この通り、真央ちゃんはちーちゃんと違って、まったく笑顔の作れない子だ」
 確かに仏頂面だった。真面目、というのかもしれない。
「マッグのスマイルゼロ円運動が始まって久しいが、彼女は自分で笑顔が苦手だと言っている」
 それなのに採用している理由がよく分からない。きっと人手が足りないんだろう。いつもぼやいていたから。
「そのため、真央ちゃんについては一人だけ戦略を変更する」
「戦略を変更?」
「そう!」
 木崎店長は真央を指さす。
「ツンデレだ!」
 真央が仏頂面で千穂の方を見てくる。
「ツンデレって何ですか」
「えーと、普段はツンツンしてるけど、好きな人の前ではデレデレする感じの人。私もよく分からないけど、多分そんな感じ」
「なるほど。それなら確かにその通りです」
 うんうんと頷く真央。ということは、つまり。
「もしかして真央さん、好きな人がいるんですか?」
「好きには違いないが、普通一般の恋愛とは少し違う。ただ、私はその人のことを信頼しているし、その人がいなければ生きていけない。そういう相手がいる」
 ほうっ、とため息をつく。
「うらやましいですっ!」
「そんなことはない。私にしてみればあなたの方がうらやましい。あなたは自分の感情をはっきりと出すことができている。私にはどうもうまくできないことだ」
 だが、そう言う真央は本当に困ったような顔をしていた。きっとこの子は不器用で、うまく感情表現ができないだけなのだということが分かった。
「それじゃあ、分からないことがあったら何でも聞いてくださいね!」
「感謝する。何分、不慣れなもので、よろしく頼む」
 年上の真央が年下の千穂に礼儀正しく挨拶をした。
「仕事の内容とかはもう大丈夫ですか?」
「一通りのことは習っている」
「分かりました。じゃあ、とりあえず私が前に出て応対しますから、その横で私のやっていることを見ていてください。分かってきたらためしにやってみましょう」
「お願いします」
 こうして、千穂は初めての後輩を持つことになった。
 それにしても、ちょっと変わったところのある人だった。だいたい、一つ年上ということは高校三年生だ。三年生ということはもう受験のはず。それなのにアルバイトなんてしていていいのだろうか。
 好きな人がいると言ったのは、どういう関係なのだろう。まさかとは思うが、ろくでもない人に貢がされているとか、そういうのではないのだろうか。
「いらっしゃいませ!」
 だが、仕事が始まってしまえばそんなことは関係ない。まずは目の前の仕事をこなすことが最優先。
「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか? お持ち帰りですね。それではメニューから商品をお選びください」
 いつもニコニコ、元気印の笑顔で応対。こう見えても、自分がこの時間帯の広告塔だという自負はある。自分がいる火曜日と金曜日だけ来る客もいるとのことだ。というより、今目の前にいるお客さんも、実は何度も見たことのある顔だった。
 が、今日は様子が何か違った。お客さんが時折、ちらちらと自分の後ろの方を見ている。もちろん、そこにいつもと違う人がいるのは分かっている。
(真央さんを見てるんだ)
 男子というのは美人を目で追うようにできているのだろうか。応対しているのは自分なのに、笑顔を見せているのは自分なのに。
「ありがとうございました!」
 お客さんが出ていって、またすぐ次の客。その繰り返し。
 だが、その客のほとんどが、自分の後ろにいる新人に見とれているようだった。
(自信なくすなあ)
 確かに真央は美人だった。自分もそこそこ可愛いとは思っていたが、たとえば遊佐さんのような美人というわけではない。どうしても綺麗さという点では劣る。だからこその愛嬌であり、笑顔なわけだが。
「お、やってるな」
 と、そこに遅れてシフト入りしてきた真奥がやってきた。
「真奥さん! おつかれさまです!」
「おつかれさまです」
 元気に挨拶する千穂と、相変わらず礼儀正しく挨拶する真央。
「なんだ、そこに立ってもまだ笑顔になれないのか」
 真奥が真央に向かって言う。
「すみません」
「いや、笑顔が苦手ってのは聞いてたからな。ためしに一つ、無理にでいいから笑ってみろよ」
「──こうでしょうか」

 ──美人が作り笑いをすると、ある意味ホラーだった。

「すまん、俺が悪かった。いつも通りでいい」
「すみません」
「いやいや。まあ、ちーちゃんの笑顔でも参考に、うまく笑えるようになってみろよ。彼氏に見せる顔だって、仏頂面より笑顔の方がいいと思うぞ?」
「そんなものでしょうか」
「俺ならそうだけどな」
「私はいつだって満面の笑顔ですよ!」
 さりげなく(はっきりと?)自己アピール。
「もちろんちーちゃんの笑顔はいつだって満点だぜ」
「ありがとうございます!」
「……なるほど」
 その様子を見て、なぜか真央が頷いていた。
「どうしたんですか、真央さん?」
「いや、何でもない。それより、次のお客様が来たみたいだ」
 ガラス窓の外に団体客。それを見て「じゃ、俺も着替えてくる」と真奥が中に入っていった。
「それじゃ、真央さんも隣のレジでやってみましょうか」
「分かった」
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ」
 そして団体客が二列に別れて並ぶ。
「こんにちは。今日もいい笑顔だね」
「ありがとうございます! 店内でお召し上がりですか?」
「店内」
「かしこまりました! ご注文をどうぞ!」
 と、てきぱき注文を受け付けていく。その隣では、
「おおっと、今日は随分綺麗な店員さんだなあ!」
「ありがとうございます。店内でお召し上がりでしょうか、お持ち帰りでしょうか」
「店内店内。てりやきセット、コーラのMで」
「かしこまりました。てりやきセットで、お飲み物はコーラのMサイズですね。他にご注文はございますか」
「何かおススメはある?」
「そうですね。暑いので、シェーキが美味しいです」
「そりゃそうだ。じゃ、それももらうわ」
「ありがとうございます。ご注文は以上でしょうか? こちらの番号札を持ってお待ちください」
 完璧な応対だった。笑顔だけが足りなかったが。
 全員を捌いた後で、真奥が笑顔でやってくる。
「見てたぜ。天野、完璧だったじゃないか」
「ありがとうございます。ですが、佐々木さんのようにうまく笑えません」
 少し悔しがっているように見えた。確かに完璧な応対なのだが、マグロナルドのクルーとしては確かにどこかもの足りなかった。
「ま、それは慣れだな。スマイルゼロ円が売りのマッグだからな」
「木崎店長が、真央さんはツンデレで売り出すっておっしゃってましたよ」
「いやあ、ツンデレは遊佐一人で充分だ」
 つい最近知ったことなのだが、真奥は異世界エンテイスラで正真正銘の魔王をしていたらしい。それがどういう経緯でこの世界のマグロナルドでアルバイトをすることになったのか、詳しいことは聞いていないが、相当苦労したのだろう。
 遊佐というのはそのライバルで、いわゆる勇者。真奥とは絶対に仲良くしないと断言しているのだが、ここ二回ほど共闘したこともあって、もうとっくに仲良しになっていると思う。
「そういえば遊佐さんとどことなく似てますよねー、雰囲気が」
「そうか? あいつはボケ専門だけど、天野は別にボケてないだろ。頭の上から足の先までどこもかしこも真面目一色だ」
「それはつまり、自分に面白みがないということですね」
「そんなことはないぜ。個性だってことだよ。話してみれば面白い奴だっていうのはもう分かってるさ」
 真奥はこれまでの研修中に何度も真央と話しているようだった。自分のときもそうだった。自分は真奥が受け持った新人クルーの中でも最初の一人。いわば真奥の一番弟子だ。他にも真奥が受け持った新人クルーはいるのだが、シフトが違っていてあまり会うことがない。というわけで千穂にとっては初の後輩ということになるわけなのだが。
「ところで、若者たち」
 と、顔を出したのは鬼の木崎店長。
「まだ就業中だ。私語は慎みたまえ」
「イエッサー! 佐々木千穂、店内の清掃に行ってくるであります!」
「それなら天野も一緒に連れてってくれ。お客さんが少ないうちにいろいろ教えておいてくれると助かる」
「了解しました! 真央さん、行きましょう!」
「はい」
 そうして、お客さんの少ないところから店内の清掃を始める。真央には道具の使い方、手際のよい清掃の仕方を説明していく。
「佐々木さんも、いい人ですね」
「ほえ?」
 清掃をしながら、突然褒められる。いきなりすぎて照れる。
「私は、もっと人間関係を広げたいと思ってアルバイトを始めました。佐々木さんのような人と一緒に仕事ができて、嬉しく思います」
「い、いやだなー、そんなに褒めても何も出ないよ?」
「私は佐々木さんと友達になりたいと思っています」
「こっちこそ大歓迎! よかったら今度、一緒にどこか遊びにいきましょうか?」
「ぜひ」
 真央が真剣な表情で頷く。
「仕事が終わったら、連絡先を交換しましょうね」
「ありがとう」
 真央はそう言って頭を下げる。
「そんな感謝されることじゃ」
「いいや。私はいつも誰かに迷惑をかけている。でも、みんな私のことを気遣ってくれている。それがすごくありがたいと思う。木崎店長や、真奥さん、三浦さん、佐々木さん、ここの人たちは本当にいい人ばかりだ」
「褒めすぎですよ」
「佐々木さんに知り合えただけでも、この場所でアルバイトをして良かったと思っている」
 どこまで褒めるつもりなのだろう。いい加減、体がかゆい。
「私が最後にこの場所でアルバイトをすると決めたのは、実は佐々木さんがいたからなんだ」
「え?」
「私がこの場所でアルバイトがしたいとずっと思っていた。そしてこの場所に来てみた。そのとき私に応対してくれたのが佐々木さんだった。もちろん、覚えていないと思うけど」
 覚えていなかった。そりゃ、一回や二回来た程度の客を毎回覚えてなどいられない。
「こんなに笑顔で迎えてくれる人がいる職場なら、きっといいところなんだろうと思った。だから最終的にここに決めた。家は遠いけど、きちんとこなそうと思った。佐々木さんのおかげ。だから、ありがとう」
 知らないところで、自分が誰かに影響を与えていた。
 自分は決してそんなつもりでアルバイトをしていたわけではない。だが、自分がアルバイトをしたおかげで、誰かの後押しになったり、誰かを力づけていたりしたのだとしたら。
「こちらこそ、ありがとう」
 アルバイトをやって、本当に良かったと思う。
「これからもよろしくね、真央さん」
「こちらこそよろしくお願いします、佐々木さん」
 そうして、二人は笑いあった。
「あ、その笑顔!」
「え?」
「その笑顔ですよ! お客さんの前で見せてほしい笑顔!」
「こ、こうか?」
「あー、駄目になっちゃった。もっと自然に笑えたら、すっごく可愛いのに!」
「そ、そうか?」
「そうですよ! あーあ、そんな笑顔されちゃったら、私、ここの看板娘の座が脅かされるなー」
 もちろん、それは冗談。
 この可愛くて綺麗な女の子と仲良くなれた。それだけで今日の私は大満足だった。






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