ポンペイの秘宝


紀元79年8月24日





 夕食後、私と響、それにアンリはバーへと出かけることになった。適当に頼んだワインとつまみが来てから、私は響から口頭試問を受けることになった。

「79年8月24日にヴェスヴィオは噴火したわけだが、何故それほど死者が出たのか。家の中で死んだものは当然多くいたし、路上で倒れた者もいる。この人たちはいったい『何が』原因で死んだのだと思う?」

 そう言われると答えにくい。確かに溶岩が流出したくらいならば、街は崩壊するかもしれないが人が死ぬことはないだろう。ましてや路上で倒れるなど。

「……よく、分かりません」

「考えろ」

 と言われても、全く分からないのだからどうしようもない。困って響の隣に座っている人物、アンリに目を向けると仕方がなさそうに笑った。

「路上で倒れてるんだから、それには何か理由があるわけだろ?」

 アンリのヒントで、私は何となく答が見えたような気がした。
 つまり、路上で倒れていた人というのは、埋まったために死んだのではなく、死んでから埋まったということになるのではないか。つまり、路上に倒れた原因は──

「窒息……?」

「そうだ。分かりやすく説明すると、79年のヴェスヴィオ噴火は、2つの災害が主役となった。1つは噴煙、もう1つは火砕流だ」

 それから、ポンペイで起こったことを響は順を追って説明した。
 初めに火山灰が降った。ヴェスヴィオ山頂に松の樹のような形の噴煙柱が上がった。この時ヴェスヴィオが撒き散らしたものの中には、細かい火山灰が何層も同心円状に重なった雹と似た内部構造をもつ火山豆石が含まれていた。これはマグマ・水蒸気爆発の産物であり、落下する水滴の中に火山灰の粒子が集まり、大地に落ちるまでの間に直径で数センチもする大きさに成長していた。このような大きさのものはそれほど多くはなかったが、火山灰や軽石は雨のように降った。
 時間的には、火山灰は8月24日の午前中には降下していたらしい。そして風下側には74キロ地点まで降下が認められた。そしてその後ほとんど中断することなく、軽石が降下してきたようだ。
 ポンペイではそのような事情から、火山灰が降り始めたころから危機感が存在していたが、ヴェスヴィオ西部のヘルクラネウムでは軽石も降らなかったことから、かなり楽観視されていたのではないか、と考えられている。
 この噴火は翌25日の夜明け、時間にして8時ころまで続き、この時点で完了した。ただし、軽石降下はほとんど中断することはなかった。
 このような噴火をプリニー型噴火といい、軽石は1日の間に2メートル以上も降り積もった。だが、これだけならばまだ問題はなかった。単に街が埋もれただけで、人々が死ぬようなことはない。
 問題は、もう1つの噴火。プレー型噴火とも言われるが、火砕流を伴うものである。
 火砕流とは、加熱した水蒸気・ガスと大小の破片物質(火山灰や軽石など)が懸濁した状態で高速度で地表を這うように噴出、移動するものである。一種の熱なだれで、火山の中でも最も破壊力が大きい。谷などの低所に沿って移動し、大小の岩片を乱雑に堆積する。
 この時さらに問題となるのは、火砕流の上部で発生するサージと呼ばれる熱雲である。正確にはash-cloud surgeと呼ばれる。火砕流よりはるかに高速で移動する、濃密な灰雲である。そのスピードは毎秒20〜30メートル。火砕流本体を含めても事件は数分で終わる。そしてその破壊力は火砕流本体をも上回る。サージが通ったあとにはせいぜい数センチから十数センチ程度のごく薄い堆積物(灰)しか残らないので火山跡からはその脅威が分かりづらいが、石造の建造物を根こそぎなぎたおして運び去るだけのエネルギーを備えているのだ。
 サージを伴う火砕流が発生するものは、火山噴火としては最悪の破壊的スタイルである。
 79年ヴェスヴィオ噴火において、このサージは実に6回も発生し、何千人、何万人という規模の死者を生むことになった。

「おっかないんですね……」

「おっかない、どころの騒ぎじゃない。このサージが発生したらその進行ルートにいる人間は全滅。誰も逃げられない。それほどのもんだ」

「例えば1902年、西インド諸島のマルチニック島というところで、モン・ペレー山が噴火した。麓のサン・ピエール港町では、死者2万8千人という未曾有の大惨事になった。モン・ペレーから町までの距離が10キロ。所要時間はわずか数分。この時生き残ったのは地下牢に入れられていた1人の囚人だけだった」

「このとき英国籍の汽船ロライマ号が港に止まっていて、船の生存者がサージを目撃している。その記録ではハリケーンなみの速さで自分たちの方へまっすぐ向かってきたということだ。その時ロライマ号のボーイが叫んだのを聞いた。『船室をしめろ、火山がやってくるぞ!』そしてこの直後、ボーイは亡くなったそうだ」

 私は思わず震えが走っていた。もしそんなものに襲われたのだとしたら、絶対に生き残ることなどできないだろう。

「ポンペイにおいては最初のサージは観測されていない。そこまで到達しなかったんだろう。サージ1が襲ったのは、ポンペイよりもヴェスヴィオよりのボスコレアーレやオプロンティス、そして西部のヘルクラネウムだった」

 ヘルクラネウムでは多数の死者が出たが、2市では逆に思ったほど死者は少ない。おそらく初期のうちにこうした被害に遭遇したことで、速やかに避難活動が行われたからではないかと考えられている。
 サージ1が発生したのは25日の午前1時過ぎ。そして2時過ぎにサージ2が発生しているが、どちらもポンペイではなく、ヘルクラネウムの方で被害が発生した。
 明け方、6時を過ぎたときにサージ3が発生した。この時にポンペイ北西のヘルクラネウム門に達しているらしい。つまり、城壁の外側にあったディオメデスの家や秘儀荘などはサージ3の犠牲となったのである。
 リットン卿という人物がいる。『ポンペイ最後の日』の作者であるが、その終わりで『ディオメデスの家の地下室では、灰に覆われた12体の髑髏が扉の近くで発見された』云々、と書いている。そして『その灰は入り口から漂って入り込み……』と続いている。おそらく人々はサージから逃れるために地下室へと逃げ込んだのだろう。しかし、何よりもまずその『漂う灰』が曲者なのであって、灰を混じえた水蒸気が、目を塞ぎ、肺をつまらせて人々を窒息させたのである。すなわち、地下室へと逃げ込んだ時点で彼らに助かる道はなくなっていたのだ。
 また、マイウリが発掘の責任者となって1936年に発掘された秘儀荘では9人のサージによる犠牲者が出ている。そしてこう記録している。
『1人の従者、おそらく夜警であろう、床にうつぶせになって倒れていた。彼は自分の部署を忠実に最後まで守って立番していた。彼の主人が不在にもかかわらず』
 だが、問題は何よりもその次、午前7時半ころに発生したサージ4、およびそれから30分の間にたてつづけに発生したサージ5、サージ6である。
 ポンペイ市内に侵入したサージは4以降のもので、発掘中発見された死者は2.4メートルほど降り積もった軽石層のトップに横たわっている。これがサージ4の被害によるもので、その数分後にサージ5が襲った。
 そして8時ころ、一見泥土に見える火砕流、すなわち本体を引き連れたサージ6が発生した。本体とあわせて厚さが約180センチ。これによってすべてが完璧に埋没した。サージ6の下半部にはタイルやビルの破片がまじり、その破壊力を示している。フィオレッリが発掘の責任者だった時、石膏鋳型法によって何百人もの犠牲者の『死体』を発掘することができたのは、細粒の泥が遺体をぴったりとつつんで、正確に保存していたからである。発掘された鋳型には、衣服のしわや苦痛の表情までがはっきりと刻まれていた。

「ポンペイは火砕流によって滅びた、ということですか」

「実際に街を埋めたのは軽石群だからな。どっちがどっちとも言えないさ。ただ、軽石には人を殺せない。埋めることはできてもな」

 ちょうどボトルがそこで空いたので、響はさらにワインをもう1本頼んだ。それが到着してから、私はふと生じた疑問を口にしていた。

「ですが、何故人々は脱出しなかったのでしょう。危険だと思わなかったのでしょうか」

「さあ、その先はその場にいた人間じゃないと分からないだろうな。ただ、いくつか分かっていることはある」

 そもそも、何故ポンペイでは犠牲者が多かったのか、というところから響は説明を始めた。
 ボスコレアーレやオプロンティスで犠牲者が少なかった理由は先程聞いたが、ポンペイ自身にも犠牲者が多くなった原因があるのだという。
 まず、海路による脱出ができなかった。ナポリ湾は噴火からサージ6まで終始荒れ模様で、とても船が出せる状態ではなかった。そして人々は海路によって脱出しようと、ヘルクラネウム門のあたりに集まっていたと推測されている。そしてその全てがサージによって犠牲となった、と考えられる。
 そしてなぜか避難行動に遅れをとった人々が大勢いた。軽石が降下した時点で避難行動が取られていれば犠牲は少なくすんだはずである。おそらく市民たちは小康状態が訪れるまでやりすごそうと判断したのではないだろうか。しかし、実際には軽石は18時間にも渡って降り続き、その後サージ4〜6が訪れた。軽石が降り始めた時点で東方内陸に脱出していたならサージによる窒息死は免れたのだろうが、それは全て後の祭りというわけである。
 特に富裕な階層の者が脱出をしぶった、という記録も残っている。貴重な壁画や家具調度品があるのだから、火事場泥棒を恐れて家にとどまることも仕方のないことではあるのかもしれない。
 先程述べた『ポンペイ最後の日』においては、主人公のグラウクスが共に脱出しようとしていた父親を足手まといだという理由で、父親が持っていた金貨の袋を奪い上げたという記述もある。そういうことが実際に行われたかどうかはともかく、それほどの非常時であったということだけは間違いないであろう。

「脱出をしぶったのは、財産を失うと考えたからなんですね」

「他にもディオメデスの家に見られるように、職務に忠実だったゆえに命を落とした者もいる。また、怖くて逃げられなかったという者も間違いなくいただろうな」

 結局、初期のうちに避難できなかったものはサージに捕捉されてしまった。避難した者でも西方、海側に脱出を計った者も同様に捕捉されてしまった。山の形状や季節などの事情もあって、サージは西方か南方へ向かわざるをえなかったわけである。これは結局ポンペイにとっては不幸な結果を招くことになったのだ。

「そして滅びた都市といえば、ポンペイの他にヘルクラネウムがある。これは少しだけ説明したな」

「はい。たしか、近年150体からの人骨が発見されたんでしたよね」

 ヘルクラネウムでももちろんヴェスヴィオの噴火は見て取れたわけだが、火山灰や軽石はポンペイ方面へと向かっていた。いわば対岸の火事よろしく、他人事のような感じで見ていたのかもしれない。もちろん火山性地震は続いていたわけだし、目先のきく者は真っ先に脱出したものもあるだろう。だが、市民のほとんどはサージ1が襲来するまで市に留まっていたと今では考えられている。
 午前1時のサージ1の降下速度は毎秒60メートルから、最速で250メートルにも達していたという。仮に毎秒30メートルだったとしても、山頂から町まではたった4分の距離である。この時点で避難をしていなかった者は全てサージ1の餌食になったものと考えられる。
 サージ1はヘルクラネウムやポンペイの田園地帯に襲い掛かり、焼き焦がし、そこに住む人々を窒息死させた。これらが通過した折に、市の体育場の列柱などが切断された。いくつかのビルの屋根タイルを剥いだ。温度は乾いていた木材ならば炭化するだけの高温だった。海へ突っ込んだサージは海水を沸騰させ、小さな水蒸気爆発も起こっただろうと推測できる。
 灰を含むサージの中での呼吸は不可能で、すぐに窒息しただろう。それは犠牲者のポーズや配置が有力に語っている。おそらくこの段階でヘルクラネウムの市民は全て死亡したと思われる。

「サージは無論、ポンペイだけじゃない。ヘルクラネウム方面にも襲い掛かった。そして、海を渡る。湾の対岸にはミセヌムの町があったが、小プリニウスは最大のサージ6をその目で確認している」

 小プリニウスがタキトゥスにあてた手紙の中でこのような記述がある。
『ほどなく、雲が地上に降りてきて海を渡りました。雲はカプリ島を包み込んで視界から消し、ミセヌム岬を隠しました。その時、母が私に逃げてくれと懇願しました。私は若いから逃げられるが、母は年老いて太っているから体が言うことをきかない、母のせいで私が死ぬのでなければ喜んで死んでいけるというのです。私は逃げるなら一緒でなければ嫌だと言いました。そして母の手を取り、無理矢理に急いで歩かせました。母はしぶしぶ言うことに従ったものの、足手まといになるといって自分自身を責めました』
 対岸のミセヌムにおいてもそのサージの脅威をまざまざと見せられたというわけだ。ましてや当地のヘルクラネウムやポンペイでは、その脅威を自らの死を代償として感じることになったというわけである。

「これらはやはり、人為的に引き起こされたものなのでしょうか」

 返答には少しだけ間があった。それも、先に答えたのはアンリの方であった。

「信じられないのは分かるけどな。だが間違いのないことさ、そりゃ」

 どうしてそこまで言い切ることができるのか、私にはわからない。
 ポンペイの秘宝などという史実には残されていないものを、いったいどうして知ることができるのか。それともトレジャーハンターの世界では秘宝一覧みたいなものがあって、それに書かれてあるとでもいうのだろうか。

「秘宝リストね。そんなものが出回ってたらかなり問題になるだろうな」

 この話題になってから答えるのはアンリの役目であった。

「ただ、俺たち一級のトレジャーハンターは、それに近いものを自分で作ってはいるけどな。ポンペイの秘宝だって、当然そのリストの中に入ってはいる」

「そうなんですか?」

 視線を響に向ける。彼は機嫌悪そうに「ああ」と呟いた。

「織宮がどういうリストを作っているかは知らないが、俺の場合だと宝物が実在することの信頼度によって3段階に分類している。ポンペイの秘宝は、絶対に存在する部類に入っているな。それが存在することを俺達は知っているからだ」

「どうして知っているのですか?」

「そりゃあ企業秘密ってやつだ。ただ、どうしてその実在を知ったかっていうのは、宝物ごとに違うとだけは言っておこうか」

 どうしても私のような半端者には教えてはもらえないらしい。そう思っていると響がようやく口を開いた。

「ポンペイの場合は、史的事実から推測するだけで説明できる。もちろん証拠はある。だがそれはトレジャーハンターは口にしてはならない。それが鉄則だ」

 私に信頼されていないことが不愉快なのか、それとも私が常識をわきまえていないことが不愉快なのか。だからといって、私のような状況に置かれては信じることも簡単にはできないし、トレジャーハンターとしての心構えも常識も教えられているわけではない。責められてもどうすることもできない。響もそのことが分かっているから叱責しないのだと思うけど……。

「織宮、そろそろ出ないか?」

 ある程度酔いが回り、2本目のボトルが空になったところでアンリが声をかけた。そうだな、と答えて響も立ち上がる。

「今日はさっさと寝るとしよう」

 そう言って私たちは店を出た。
 夜だというのに、外はまだ暑かった。酔いが回っているせいもあるかもしれない。

「明日は何時だ?」

「発掘作業員が到着するのが10時だから、そのくらいに向こうに着けばいいだろう」

 だが、今日という日はまだ終わっていなかった。
 夜中に、それは判明することになる。



首に手をかけて

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